37「決着」
『ふたりの開戦の合図でもあった』といったものの、実のところ、彼らの戦いはとっくに始まっていた。
ヒヒオゥが先手を取る形で。
「この音は……?」
テントの外から聞こえる音を不審に思うマリィ。その音は大きく、こちらに向かって段々と迫ってきている。
音の正体が高波であると悟った瞬間、マリィの周囲は影に包まれた。頭上を見ると、そこには大量の水があった。ドームの天幕は押し潰され、膨大な流水に飲み込まれている。
ヒヒオゥは『流水操作』の能力を使って、予めドームの周囲を大量の水で囲み、宛ら津波のように解き放ったのだ。
振り落ちる水。こんなものを浴びれば、流水に弱いデュラハンのマリィはあっけなく戦闘不能になってしまうだろう。
「ふふふふふっ、卑怯とは言わせませんよ! 戦闘というのはですねえ、用意ドンの合図が鳴る前に準備を整えていた方が勝つものなのですから!」
ヒヒオゥの笑い声が、津波の轟音とデュエットを奏でる。
絶体絶命のピンチに対し、マリィは……何もしない。
天井を覆う水に対して剣を向けることもなければ、そもそも構えを取ろうともしていない。
ただ静かに剣を携え、ヒヒオゥに向かって歩み寄るだけだ。
「?」 マリィの行動に首を傾げるヒヒオゥ。 「何をしているのです? そのままでは私に斬撃を浴びせるより前に、我が寵愛で洗い流されてしまうのですよ? ……もしや、私があの高波に飲み込まれることを期待して、相打ちを狙っているのですか? だとしたら浅慮と言う他ありませんね。『流水操作』によって、私だけは安全を確保できるのですから」
「あの津波に対して、これ以上何かをする必要はありませんよ」
「はい?」
何かをする必要はない?
いや、それより前に『これ以上』と言ってなかったか?
ヒヒオゥがその言葉の意図を察すると同時に、マリィは言った。
「だって、もう斬りましたから」
彼女の真上から落ちていた水は、ぱっかりと割れた。
真っ二つにされた津波は、そのままマリィの体を避けるように落ち、右に落ちたものは右へ、左に落ちた者は左へと流れていく。ロータローが住んでいた世界での神話においてモーセが起こした奇跡みたいな光景だ。
いったいいつ、どんな剣の振り方をすれば、こんな風になるのだろうか。まったくもって不思議である。
切断された際に散った飛沫が僅かにマリィの鎧に付くが、その程度の量ならデュラハンの力に影響は出ない。マリィは先ほどと変わらぬ歩調で、ヒヒオゥに近づいていく。
「くっ、ならば!」
ヒヒオゥは悔しさで顔面を歪めると、割れた津波の一部に干渉し、水の弾丸を作成した。その数はおよそ四十と少しと言ったところか。それら全てをたった一体のデュラハンに向かって掃射する。
次の瞬間、剣を握るマリィの腕が霞と消えた。たったそれだけで、彼女の周囲を埋め尽くしていた水の弾丸は弾け飛ぶ。それらはマリィの鎧に傷ひとつ付けることが出来ずに霧散した。
「な、なんで……デュラハンは流水に勝てないはず。貴方は私に負けたはずなのに……」
「水を操る能力で津波や弾丸まで作れるなんて……何の前情報もなく、夜闇の中でこんな大技を出されていたら流石に、流水に負けていたかもしれませんね。今はそんなことありませんけど」
だって。
「それが流水だと知っていて、来ると分かっている攻撃に負けるなんて、逆に難しいくらいですからね。それに水の斬り方も、さっきロータローさんが見せてくれたおかげで大体分かりましたし」
マリィは先ほどテントに投げ込まれた際に開いた穴から、ロータローが空中で披露した水槍斬りを視認していたのだ。たった一瞬しか見られなかったというのに、それだけで斬水を習得してみせたのである。
もっとも、彼女ほどの剣士なら、たとえぶっつけ本番であっても水の切断なんて簡単に成し遂げていたであろうことは想像に難くないのだが。
「そういえば、どうしてロータローさんはあんな技を使えたのでしょうか……『シットローズ号』からここまでの間で、急に剣の道に覚醒したんですかね?」
疑問に頭を悩ませるマリィ。とはいえ、今あれこれと考えた所で答えは出まい。そう結論付けて、諦める。
その間もヒヒオゥの攻撃は続いていたが、彼女はその全てを封じていた。
水の槍も、水の杭も、水の渦も、水の壁も、水の剣も、水の斧も、水の矢も、水の檻も、、水の腕も、水の牙も。
その悉くを剣ひとつで処理している。
「いっ、一撃さえ……! 一撃さえ浴びせられれば私の勝ちなのに!」
「ええ、一撃さえ浴びれば、この前のように私の負けです。なので、そうならないように戦わせてもらいます」
口で言うのは簡単だが、それが誰にでも出来るのならば、ヒヒオゥは有数な戦力として海上憲兵大佐の地位に付いていない。
「こんなことがあってはならない! 私が負けるなんて、それも薄汚いデュラハンに負けるなんて! 正義は絶対に不敗でなければならないのにいいいいいいいいっ!」
裏返った声で叫ぶヒヒオゥに向かって、マリィは剣を振り下ろす。
こうして、かつてスピア国の秩序として君臨していた騎士と、新たにスピア国の秩序となる能力者の戦いは決した。




