35「力」
「あれほどまでの剣術の持ち主だったとは……驚きですね。これまでの身のこなしからして、てっきりあの剣はただの飾りかと思っていたのですが」
ヒヒオゥがそのように驚いたのは、ロータローが水槍を剣で切り払ったからというのがあるが、それ以上に彼が着目したのは、一本だけ残された水槍に突き飛ばされる形でロータローがマリィの肉体が保管されているテントに這入って行ったことである。
まさか攻撃を利用して移動に繋げるとは。
狙ってやったのか?
と、ヒヒオゥは思ったが、実のところロータローにそのような意図はなかった。というより、あの斬撃に彼の意志は存在していない。存在しないはずの記憶を見た体が無意識の内に取っていた行動なのだから。
故に、ロータローが水槍を一本だけ残していたことについては全くの偶然だと考えるか、あるいは。
彼の中にある未知の記憶による選択だった。
そう考えるべきなのだ。
もっとも、あの一瞬でロータローの脳内で起きた出来事を知らないヒヒオゥが、後者の可能性に思い至ることなんてありえないのだが。
己の中で侵入者の評価を上方修正しながら、ヒヒオゥは件のテントに向かって駆けていく。それは普通の人間では出せない速度であり、まるで地表を滑っているかのようだった……否。
ヒヒオゥは実際に地表を滑っていた。
より正確に言えば、これまでの戦闘で地面に撒き散らされた水を操り、テントへと繋がる流れを作成したのだ。言わば、水で出来たベルトコンベアである。
すぐに到着したヒヒオゥは、その速度を落とさぬまま内部へと這入る。そこには生首だけで転がっているマリィと、傷だらけで倒れ伏しているロータローがいた。なんとも痛々しい光景だ。上を見上げれば穴がふたつ開いている天幕が目に映る。
そして、テントの支柱部分に目を向けると、そこに寄り掛かるようにしておかれているマリィの肉体があった。
生前から鍛え上げられていた肉体は鎧で包まれており、荘厳な雰囲気を漂わせている。国を守る騎士としてこれ以上ない説得力を備えていた。
ヒヒオゥはマリィの頭とロータローを交互に見比べると、顎に手を当てながら「ふむ」と頷き、ロータローに向かって話しかけた。
「なるほど。貴方がここまで来たのは、あそこの死にぞこないが原因ですか。大方、首だけの姿に同情を誘われたのでしょう。あるいは、同じアンデッド同士で助け合いの精神でも芽生えたのでしょうか」
「そんなヒーローみたいな理由だったら俺も良い子ちゃん面できたのかもしれねえが……残念ながら違うな。『救われるべき奴には救われて欲しい』とかいう、ただの我儘さ」
「どちらにせよ陳腐で下らない理由ですね。悍ましさすら感じます」
そう吐き捨てると、ヒヒオゥはつかつかと靴を鳴らしながら、ロータローの横を通り過ぎ、マリィの肉体の傍まで歩み寄った。
「この肉体には、貴方がたが思う以上の価値があるのです。それを理解しないままにやれ『救われるべき奴に救われて欲しい』と語るとは、なんと滑稽な!」
「価値……? どういう意味だ」
「ロータローさんの言う通りです! 私の体に『私の体』以上の価値なんてあるはずが……」
「あるんですよ。それがね」
ヒヒオゥは語る。聖書の内容を読み上げる宣教師のような声で。
彼はマリィの肩を掴んで更に起き上がらせる。
その時になって、ロータローはようやくマリィの体に何か透明なものが絡みついていることに気が付いた。よく見ると、それは水で出来た縄だった。
『流水操作』の寵愛によって作られたのであろうそれによってマリィの体は縛られ、力を奪われていたのだ。
「この体はこの世の理に反して蘇った薄汚いアンデッドの肉体です。それは紛れもない事実だ。しかし。しかし、ですね。認めがたいことに、この肉体には何十年もの間、たったひとりでひとつの国を守り続けてきたほどの力があるです」
苦虫を噛み潰したような顔でヒヒオゥは言う。彼の言葉通り、マリィの肉体に宿る力は凄まじい。『流水操作』というデュラハンの天敵そのものな能力を持つヒヒオゥであっても、自分の正体を知られた状態で面と向かって戦っていれば、勝利するのは難しかっただろう。
「なので、そんな彼女は供物にピッタリなのですよ」
瞬間、ロータローの脳内に、機関長から聞いた話がリフレインする。
天使の寵愛を得る方法。『並外れた信仰』か『愛される才能』、そして『契約』。
『契約』の内容は結ぶ天使によって様々らしいが、機関長が例え話で上げた躰天使の場合は『町ひとつ分の何らかの肉体』だった。
数こそ足りないものの、多くの命を守ってきたマリィなら、その代替、いやそれ以上の価値があるだろう。
「まさか、お前……マリィの肉体を天使に捧げて、新しい寵愛を手に入れるつもりなのか?」
「その通り。力だけは立派なアンデッドの肉体を再利用して、私という正義の糧にするのです。素晴らしいでしょう?」
「…………」
「水天使に捧げて、水に関わる別の寵愛を得てもいい。剣士という供物の性質を踏まえて、剣天使と契約を結ぶというのもアリでしょう。いずれにせよ、この儀式を経て、私はまた強くなるのです! ふふふふふふふっ!」
ヒヒオゥは己が語る内容を高尚だと信じて疑っていない。
「私が強くなった暁には、これまで以上の正義を為しましょう。その結果、多くの人が救われるはずです。それに比べて貴方は何です? 元から死んでいるようなデュラハンひとりを救いたい? なんとちっぽけな。数の比較も出来ない程に、アンデッドの頭は腐っているのですか?」
嘲るヒヒオゥの言葉に対し、ロータローは無言のまま地面に手を付き、ゆっくりと起き上がった。
ロータローは思い出す……『これからは組織の力で守ってもらう時代なのさ』……脇道でそう語ったスピア国民の台詞を。
そして今、ロータローは対峙する……力を求める正義の代行者と。
「みんな力が好きだよな。……いや、俺も好きか嫌いかで言えば好きだぜ、力。あって困るモンじゃねえし、何よりロマンがあるからな」
まだ四割しか回復していない肺から息を吐きながら言う。
「俺もできることなら力が欲しいさ。そしたら努力なんてしなくていいし、キロリッターに血を吸われることもねえ。サスライにこき使われることもなければ、マリィを助けるなんて朝飯前だろ」
「けど」とロータローは血と共に言葉を吐き散らす。
「力、力、力ってよお〜、スピア国の奴らも、お前も、マリィの力を散々利用するだけ利用しやがるくせに、アイツ自身のことは何も見ようとしてねえのがなあ、なんか、こう、頭に来るんだよなあッ!?」
「よく吠えますね……で、そんな非力な体で立ち上がってどうするというのです。先ほど見せた剣技は、もう無理でしょう?」
ヒヒオゥが語る通り、ロータローの体は限界だった。流水によって回復力にデバフがかかっている中、やっとのことで立ち上がっているのである。指先に力が入らない。地面に転がっている剣を拾い上げて、振るなんてことは絶対に不可能だ。
「それとも、まだ見せていない奥の手があるというのですか?」
「いや、もう何もねえよ。やれることはひとつだけだ」
「ほう、それは?」
「お前に向かって突っ走って……勝つ!」
瞬間、残った力を全力で注いで駆け出すロータロー。その速度は控えめに言って、遅かった。足腰の悪い老人の方がまだ速いかもしれない。『走っている』というより『前方に倒れ続けている』という表現が似合うフォームだ。
それでも彼は真っすぐ向かう。怒りのままに突っ走る。
「ろ、ロータローさんっ! 無茶です!」
「やれやれ、追い詰められた末の行動がやけっぱちの特攻とは……呆れますね」
ロータローの無謀に見える行動に、マリィとヒヒオゥはそれぞれリアクションを見せた。
迫りくるロータローに対し、ヒヒオゥはズレていた眼鏡を指で整えると、そのまま余裕のある動きで、手を翳した。
「今度こそ完全に清められる時です」
その言葉が合図であったかのように、触手の如き形を得た水が太い一本の杭と化し、ロータローの胸を背後から貫いた。
「がっ、ぎゃあっああああああああああああああああああああああああああああああ!」
どばどばと、どばどばと、どばどばと。
口から、目から、傷口から、血が溢れる。
そんな状態で大声を上げて暴れまわるものだから、周囲に血が飛び散った。本来なら撒き散らされた血はすぐに消え失せ、体内に戻るはずなのだが、流水で弱体化している肉体ではそれも無理な話である。
虫の標本みたいになっていたロータローは、そのまま悶えていたが、暫くすると動かなくなった。




