33「水天使・マイムエル」
ヒヒオゥ率いる部隊がスピア国での活動の本拠地に郊外の荒れ地を選んだのは何故か?
『遅れている国に進んだ秩序を布教してあげよう』という目的を持っているのなら、どう考えても郊外より都心部に基地を作った方がいいだろう。
では何故そうしなかったのか?
それは調査の結果、この地域に地下水が眠っていることが判明したからだ。
ヒヒオゥは水天使の寵愛を受けた能力者である。
『流水操作』の能力を持つ彼にとって、水とは己の武器であり、盾にもなる非常に重要な存在だ。そんな事情がある以上、島の内陸部分にある地下水周辺を確保したいと思うのは当然のことだった。
そういう理由からヒヒオゥは地下水が眠る荒れ地にテント製の仮説基地を建てて海上憲兵としての執務に邁進し、それと同時にかつてスピア国を守っていたデュラハン騎士の肉体を用いたとある儀式の準備も進行させていた。
そんな矢先に基地を訪れたのがサトー・ロータローである。
騒々しい爆音と共に現れた彼は基地の内部を突っ走り、不幸にもヒヒオゥと遭遇したのだ。
邂逅直後にヒヒオゥが下した判断は実にシンプルだった。
侵入者の排除。
秩序の代行者たる海上憲兵の基地に紛れた邪悪は、一刻も早く消し去るべし。
皿に付いた汚れを洗い流すような感覚でひとりの人間の排除を決断したヒヒオゥは、水天使の寵愛を用いて己の足元数十メートル下にある地下水の流れに干渉。自然法則に逆らった動きで地盤を貫通するほどのスピードで動かし、ロータロー目掛けてぶつけたのだ。
水のジェット噴射が直撃したロータローは打ち上げられた。その衝撃で体中の至る部分の骨が複雑骨折し、内臓はつきたての餅のようにぐちゃぐちゃになっている。あまりの痛みに口を開くが、絶叫の代わりに大量の血が飛び出しただけだった。普通の人間ならば間違いなく即死している致命傷だ。
しかしロータローは吸血鬼もどき。普通の人間の範疇を超えた生命力を持つアンデッドだ。
なので、今回もすぐさま回復して、何事もなかったかのような健康体に戻るのかと思われた……が、違った。
いつもなら傷を負った次の瞬間には完治しているはずなのに、まだ半分も治っていない。
「は?」
その事実に困惑するロータロー。彼の体は高度十数メートルで最高点に達し、重力に従って落ちていく。
ひゅるるるるる、と。
そんな音を立てて真っ逆さまに落ちていくロータローを見上げながら、ヒヒオゥは怪訝な顔をした。
「おかしいですね。普通なら先ほどの水流で死んでいるはずなのですが……どうやら、なんらかのカラクリで即死を免れたようだ。私の部下たちの銃撃から逃れたのも、その生命力が原因なのでしょうか?」
疑問に思うヒヒオゥだが、その問いへの答えは期待していない。
侵入者はしぶとい生命力を持っているとはいえ、水天使の寵愛に為すすべなく打ち上げられ、血を吐き散らしているのだ。
秩序に仇なす邪悪が傷ついている。ならば、確実に浄化する方法があるはずだ。
洗い流す方法があるはずだ。
殺す方法があるはずだ。
ヒヒオゥは他の地下水に干渉し、いくつかの地点から噴出させる。海蛇のような動きで伸びあがる水流の群れは、空中にて落下中のロータローに向かって殺到した。
拙い。周囲を埋め尽くす水流を目にし、直後訪れる展開を予見したロータローは、背負っていたマリィ入りの鞄を庇うように抱きかかえた。
その一瞬後、全方位から凄まじい速度で飛んできた水流がロータローの体に突き刺さった。まるで、水で出来た槍による磔刑のような光景だった。
「がああああああああああああああああああああ!」
アニメに出てくるチーズみたいに全身穴だらけになりながら、ロータローは苦痛に悶える。
彼はそのまま落下し、地面に背中から衝突した。鈍い音が響くと同時に、脊椎の一部が折れて、どこかの内臓が潰れる。これまで負った傷を考えれば、些細な被害だった。
この時点で常人なら十回は死ぬはずの傷を負っているが、ロータローにはまだ息がある。というより、息しかない。少しも動けないくらいに傷だらけになりながらも、彼の生命は続いていた。
「くそっ……普段ならとっくに治ってる筈だろ……!」
スロー再生のように塞がっていく傷口に困惑するロータローだったが、その理由には凡その察しがついていた。なぜなら、彼はそれと似たような現象をこの前体験したばかりだからだ。
「流水使いか……なるほど。吸血鬼にとっては天敵だな」
ロータローはこの前溺れかけた際に、流水で力が抜けていく感覚を体験した。おそらく、流水で抜けていく力とは、筋力だけではなく再生力にも当てはまるのだろう。故に、水流その者で体を穿たれれば、回復速度が異常に遅くなってしまうのだ。ロータローが流水で力が抜ける程度の半端な吸血鬼ではなく流水が効果抜群級の弱点になってしまう真正の吸血鬼だった場合、先ほどの水槍の串刺しで絶命していただろう。
「それに、たしかデュラハンも流水が弱点だったんだよな……っつーことは、やっぱりアイツがマリィを倒した犯人かよ」
ということは、今は仇を目にして心を燃やすべき場面なのかもしれないが、生憎、今のロータローはどれだけ燃えてもすぐに消火されてしまうくらいに水浸しだ。負った傷の八割も回復できておらず、立ち上がろうと地面に手を付くのがやっとである。
そんなロータローを見下ろしながら、ヒヒオゥは余裕のある足取りで近づいてくる。
「なるほど。その口ぶりからして、貴方は吸血鬼……いえ、こうして日光を浴びても大丈夫な様子からして、半吸血鬼なのですね」
「御名答。吸血鬼のしぶとさだけを持ってて、デメリットは無視できるとかいう真正の吸血鬼すら羨ましがる存在だぜ」
「それにしては傷の治りが遅いようですね」ヒヒオゥはそう言うと、ロータローのずぶ濡れな体を見つめて手を打つ。「どうやら私は、期せずして相性の良い敵と遭遇してしまったようだ」
「そう言う割りに、俺はまだピンピンしているぜ。さっきのアトラクションじみた攻撃なんて、ちょっと楽しむ余裕があったくらいさ」
「減らず口を」
とん。
と、ヒヒオゥはつま先で地面を軽く叩く。すると地下からジェット水流が噴出し、ロータローの体を高く打ち上げた。
「今はまだ息があるようですが、あと何回打ち上げれば絶えるのでしょうかねえ、貴方は! どれだけしぶとくとも、私は何度だってやりますよ! 正義は絶対に諦めないのですから!」
高らかに笑うヒヒオゥ。
再び空高くを舞うロータローの耳に、その言葉は届かない。
全身を襲う苦痛の所為で聴覚に集中できないかったからだ……それに。
それに、彼には別に集中すべきことがあった。
先ほどは突然打ち上げられて突然痛めつけられるという怒涛の展開の所為で、脳が追いついていなかった。ヒヒオゥに言った『楽しむ余裕があった』なんて、全くの戯言である。しかし、それの繰り返しである今回は違う。
ちゃんと、予想ができる。
どれくらいの高さまで登るのか、どれくらい痛いのか、そして、どこに目的のテントがあるのか。
それを探すことに集中している今、他のことに思考を割かせない。
「……あった」
目まぐるしく上昇していく視界の中で、その場所を認識した瞬間、ロータローは口角を上げた。




