20「樽」
「そういや、太陽がふたつあるこの世界でも、夜はちゃんと訪れるんだよな」
「がぶがぶ」
「太陽がふたつあるんだから月もふたつあるのかと思っていたけど、そんなことはないみたいだし、なんつーか、奇妙な空をしてるよなあ、この世界は」
「がぶがぶ」
機関室を出てから数時間経った夜、ロータローは甲板の柵に寄り掛かりながら黄昏ていた。
その頭にはクサリが噛みついている。ゾンビ映画のワンシーンにありそうな光景だ。
ロータローは半分吸血鬼とはいえ半分人間のままなので、未だにクサリの人喰としての食人衝動を十分に刺激する存在となっているのだろう。
今にも頭を噛み砕かんばかりの勢いで、歯を突き立てている。
以前のロータローなら、ここですぐさま情けない悲鳴を上げてクサリを引っぺがそうとしていたが、流石に何回も噛まれていると慣れたのか、落ち着きのある様子だ。
というか、吸血鬼もどきになった今、ちょっと噛まれようが、大した被害は生じない。なにせ、噛まれたそばから血が流れる間もなく体が再生するのだから。死にはしないのだから。
そりゃ多少の痛みはあるし、何かの作業中に襲い掛かられたら迷惑なのは変わらないけども、夜にボーッと海を眺めているような暇な時間にちょっと噛まれる程度なら、別に取り立てて騒ぐほどのことではない。「どれだけ噛んだところですぐに再生するから食えるはずがないのによくやるなコイツ」と考える余裕があるくらいだ。
それに加えて、食うことも出来ないロータローに噛みつくクサリは、骨のおもちゃに噛みつく犬みたいである。その姿に不思議な愛着が湧いたというのもあり、そのまま放っておくことにした。
「それにしても、寵愛とかいう魔法っぽい能力が全然使えないのは落ち込むぜ」
「がぶがぶ」
「寵愛を習得するのはえらく難しいというのはメェケンやキロリッターの口ぶりから知っていたけどさ、そこら辺は、こう、主人公補正的なものでうまくいくと、心のどこかでちょっぴり期待していたわけですよ、俺は」
「がぶがぶ」
別にロータローには強くなる理由もなければ、倒さなければならない敵もいないので、寵愛というファンタジーな戦闘手段を得る必要はないのだけど。そもそもこの世界はそういう『倒さなければならない敵』である魔王との戦いが致命的な失敗で終わってから二十年も経っているらしいし。
しかし。
しかし、だ。
そこに魔法のような力があれば使いたくなるのが、ロマンというものではないだろうか?
「……なんて力説したところで、無理なものは無理なんだけどな」
「がぶがぶ」
項垂れるロータロー。
すると、眼下からガンッガンッと何かが船体にぶつかる音がした。
「ん?」
不審に思い、下に目を向ける。視界の先には広大な海があるだけだ。時刻が夜の今、そこは暗闇に染まっていた。
そんな中、明らかな異物が浮いていた。
樽だ。
大きな樽が波に揺られて船にぶつかっていた。
「なんでこんな所に樽が?」
樽の状態は見た所新品に近い。もしここに海の事情に詳しい船員がいれば、『どこかの商船がうっかり落としてしまったのではないか』と推測していただろう。しかし今、樽の存在を認識しているのはロータローだけである。
意味深に浮かぶ正体不明の樽には、好奇心が惹かれる不思議な魅力があった。
「よし、拾ってみよう」
言うが早いか、ロータローは袖を捲り、柵に乗り上げ、海に飛び込もうとした。そんな彼の肩を掴んで引き留める手があった。クサリだった。
「あーあー」
「んあ? 大丈夫大丈夫。俺って実は泳ぐのが結構得意なんだぜ? 数少ない特技と言ってもいいくらいだ。だから、不意打ち気味の入水ならともかく、こうやって自分から海に飛び込む分には全然大丈夫だって」
ヘーキヘーキと手を振りながら、ロータローは海に飛び込んだ。
そして溺れた。
「なんで⁉」
不可解な現状にツッコミながら藻掻こうとする。だが、海に落ちた体からは力がどんどん抜けていき、水を掻く勢いがどんどん弱まっていった。ロータローはこの世界に来た時にも溺れた経験があるが、その時にすら体験しなかった感覚だ。どこかでぐるぐる模様の果実でも食べたかと思ったが、そんな記憶は全くない。
とにかく、このままでは溺れ死んでしまう。いや、一回目の沈溺と違い、今のロータローは不死身の吸血鬼になっているので、水中で息が止まったところで復活できるのか?
「いやあ、吸血鬼になってて助かったぜ……って、今俺が溺れているのって、この体質の所為なんじゃねーか⁉」
流水。
十字架や太陽に並ぶ、吸血鬼の弱点だ。
理由はたしか、流水に触れたら穢れを洗い流されて清浄にされるから、だったか。ロータローは昔読んだラノベに書かれていたオカルト知識を思い出した。
多くの水が波となってあちこちに流れている海中は、まさに流水のど真ん中だといえよう。そんな場所に半吸血鬼のロータローが飛び込むなんて、自殺するも同然だ。
「太陽はまだ平気なのに、流水は駄目なのかよ……いや、半端な吸血鬼だから、まだ力が抜ける程度で済んでいるのか? これで俺が完全な吸血鬼だったら、身動きも出来ずにただ海に沈んでいたのかと思うと、ぞっとするぜ」
なんてことを考えながら、樽に掴まる。これを拾うために飛び込んだので、すぐ近くに浮いていたのは当然のことだった。というわけで、ロータローはそれ以上溺れずに済んだ。
「それにしても、吸血鬼体質と引き換えに数少ない取り柄だった泳ぎまで失うとはな。とっくに水泳部を辞めた身では、そこまで惜しくもないんだが……海の上での生活で泳げないっていうのは、結構なリスクなんじゃないか?」
ロータローが自分の今後の生活にますます影が差し込むのを感じていると、上から一本のロープが垂れてきた。見上げると、クサリがこちらを見下ろしていた。
「お、おまえ……! まさか、俺を引っ張り上げようと……⁉」
不覚にも感動するロータロー。彼はクサリのことをてっきり言葉が碌に通じないバーサーカーか何かと思っていたが、どうやら彼女は溺れている他人を助ける心を持っていたらしい。
クサリの優しさを見て、目尻に海水以外の液体を浮かべながら、ロータローはロープを掴み、引き上げられる。脇には樽を抱えていた。
船上に戻ると樽をドンと置いて、膝に手を付き、荒い呼吸をする。
「はぁ、はぁ……いやあ、キツかった。クサリ、ありが」 「がぶりっ」
クサリはロータローの首筋に噛みついた。
明らかに今しがた助けた相手に取る態度ではない。むしろ、ようやく自分の前に現れたご飯に食らいつくような行動だ。
「がぶがぶがぶがぶ」
「あれ? もしかしてさっき俺をロープで引き上げたのって、お前的には釣りみたいな感覚だったの? ……マジかよ。感動の涙を返してくれよ……」
「がぶがぶがふがぶ」
コミュニケーションの難しさを感じるロータローだった。
さて。
こうして溺れそうになりながら、クサリとの友情(のように見えた何か)により、樽を拾い上げたわけなのだが、この中には何が入っているのだろうか? 持った感覚では、中に何かが入っているのは確定である。
「酒のような液体と言うよりも、それなりの大きさをしている球体が転がってる感じがしたな。さてさて、どんなものが入っているのやら……」
期待に胸を膨らませながら、ロータローは樽を開けた。ちなみに、缶切りの使い方すら知らない現代っ子であるロータローは樽の正式な開け方なんて正月のニュースでよく見る鏡開きの酒樽くらいしか知らないので、クサリに蓋を殴ってもらう形での開封になった。
人並外れた膂力を持つクサリにかかれば木製の蓋など一撃で木っ端微塵である。
『頼んだくせにこんなことを思うのはアレだけど、こんな壊し方をして中身は大丈夫なのだろうか』と心配しつつ、ロータローは樽の中を覗き込んだ。
中にはふたつの物が入っていた。
ひとつは鞘に収まった剣。
そしてもうひとつは生首だった。
「なまままあああああああああああああああああああああああああ⁉」
腰を抜かすロータロー。
なんだこれは? この世界には生首とそれを切った剣を樽に詰めて海に流すという風習を持つ種族でもいるのだろうか。だとしたら怖すぎる。
ビックリ箱のような中身に恐怖を隠せないロータローだったが、彼は更に驚くことになる。
なぜなら、
「すやすや」
樽の中の生首が、寝息を立てていたからだ。
首だけの状態で、生きていたからだ。




