18「機関長」
『彷徨えるシットローズ号』が帆を張るタイプの船ではない以上、どこかに必ずエンジンがあるはずだ。
それが機関室である。
そこは船において最も重要な場所であるといっても過言ではない。人体で喩えるなら、心臓のようなものだ。
船について全くのド素人であり、船上での生活で雑用か餌係しか任されたことがないロータローがそんな場所に行く機会などあるはずがない。キロリッターから教えてもらわなければ、部屋の場所どころか存在すら知ることはなかっただろう。
とはいえ、機関室に天使の寵愛に詳しいひと、というより堕天使がいるのなら、異世界の異能に興味があるロータローにとって、一度訪ねてみる価値は十分にあるだろう。寵愛について教えてもらえるどころか、力の習得方法まで学べるかもしれない。
いや待てよ? 相手は元とはいえ天使なのだし、ひょっとすれば直々に寵愛を受けられる可能性も……魔法のようなスーパーパワーを使う自分の姿を夢想し、ロータローは頬を緩ませた。
「それにしても、この幽霊船ってアンデッドしか乗っていないのかと思っていたけど、堕天使もいるんだな。……まあ、堕天使とアンデッドってどっちも闇属性っぽいイメージがあるし、同系統で並んでいてもおかしくないけど」
そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか目的の部屋の前に到着していた。
威圧感のある金属製の扉が立ちふさがる。近寄りがたい雰囲気だ。中身に船の心臓部が収まっているだけのことはある。普段のロータローならここでビビッて回れ右していただろうが、中に居るであろう人物(天使物?)に用がある以上、そうするわけにもいかない。
ロータローはゴクリと喉を鳴らし、機関室のドアノブを握った。鍵は掛かっていなかった。
「うわっ」
ロータローは目の前の光景に圧倒された。なぜなら、室内に並ぶ推進機がどれも古びていたからだ。あちこちに油汚れや錆を付けており、いかにも幽霊船という感じの不気味な雰囲気を漂わせている。機関室というより、文明を失って久しい遺跡みたいだ。
こんな船に乗っていて大丈夫なのだろうか? と、これまでの船上生活で何度も思った感想と同じものをロータローは抱いた。
見た所、室内に作業員はいない。機関室の中はとても静かだ。まだ『彷徨えるシットローズ号』が出航していない今は、どこかで休憩しているのだろうか。
機関室への来訪が無駄足だったことを悟ったロータローは頭を掻いた。
と、その時である。
「もしかして、あんたが噂の新入りか?」
推進機の陰から声がした。目を向けると、そこに誰かが居る。
「話には聞いていたが、実際に見てみると思っていたより弱そうだな。海の真ん中で溺れていたというのも頷ける」
灰色の作業着を着た少年だった。同年代の男子の平均と比べてあまり背が高い方ではないロータローですら、少年と目を合わせようとすれば顎を引かなくてはならないほどだ。
若い見た目の割には意外なことに、ぼさぼさな青髪の中に白髪が混ざっており、ぱっと見は水色のような色合いになっている。
そして何よりの特徴は、彼の頭上に浮かんでいる物体だ。
歯車。
少年の頭のより一回り大きいくらいの周長をしている歯車が、宙に浮いてクルクルと回っていた。
これと似たようなものを、ロータローはついさっき見たことがある。
「天使……」
ロータローは思わず呟いた。
人の腕と歯車の違いこそあれ、頭上に輪っかを浮かべているのは、メェケンとそっくりだったからだ。
天使みたいだった。
いや、これまでの情報から鑑みるに、この少年は『天使みたい』なのではない。
天使そのものである。頭に『元』や『堕』が付くらしいが。
「いや待てよ。小さな男の子に向かって『天使』って言っちゃったけど、傍から見たらこれってかなりヤバイ発言だよな? マズイ! 慣れない異世界生活で新たな性癖に目覚めたと思われてしまう! ……って、誰からだよ!」
「相手を置いてけぼりにした暴走はやめてくれ。……まったく、これだから機械と勝手が違う生物は嫌なんだ」
「おっ、いかにも人より上位な種族っぽい発言が出たな」
「そりゃそうだろ。元天使なんだから」
どうやらこの少年こそが例の機関長で確定のようだ。
機関室というハードワークの極みのような部署の長であることや、堕天使というダークな属性を備えているという情報から、ロータローは彼のことを武骨な成人男性でイメージしていたが、その予想は掠りもせずに外れてしまった。
「まずは名乗らなきゃだな。俺の名前はサトー・ロータロー。アンタが言った通り、この船に拾われてキロリッターの餌になってる人間……じゃなくて、半人間半ヴァンパイアだ。よろしく」
少ないコミュニケーション能力を駆使した自己紹介を終えると、ロータローはぎこちない動きで手を差し出した。機関長は差し出された手に対し、不審なものを見るような目つきを向ける。警戒心が強い猫みたいな仕草だ。
「僕の名前は……機天使、なんて呼ばれていたこともあったけど、天使の領域から堕とされた今となっては意味のない名前だ。機関長とでも呼んでくれ」
機関長は結局握手に応じなかったが、渋々といった様子でそう答えた。
「それで、何の用があって来たんだ? あんたってたしかキロリッターの飯として拾われたんだろ? だったらこんな部屋に用なんてないはずだが」
「えっと、俺って『天使の寵愛』に興味があるんだよ。んで、そしたらキロリッターから『機関長が天使の寵愛に詳しいから一度話を聞いてみたら?』って言われてさ。ここに来たわけです」
「キロリッターめ……! 厄介事を送り込みやがって……」
機関長の昏い金色の瞳が不機嫌そうに歪んだ。「さっさと帰ってくれ」という感情を隠そうともしていない。先ほどの生物嫌いな発言といい、人付き合いが好きではないのかもしれない。
つまりコミュ障のロータローと同類である。
ここで『類は友を呼ぶ』理論が効果を発動して、何もしなくても勝手に仲良くなれればよいのだけど、残念ながらコミュニケーションがダメなふたりが揃ったところで、諺のようにはならない。
……うーん、この様子だと寵愛についてご教示いただくのは無理なのでは? 『ひょっとすれば直々に寵愛を受けられる可能性も』なんて考えは楽観が過ぎていたようだ。
機関長はキロリッターへの恨み言を吐き終えると、ロータローに向き直った。
「あー……、僕にはこれから機関長としての仕事があるんだ。悪いけど、あんたの相手をしている暇はない」
要約すると、さっさと帰れ二度と顔見せするな、だ。
「だいたい、元天使とはいえ堕ちた立場である僕から天使の寵愛を教えてもらおうなんて、どうかしているぞ。それに、今どき天使の寵愛すら知らないような奴が、元機天使である僕の話を聞いたところで、理解できるとは……ん?」
機関長は何かに気付いたような声を上げ、ロータローに顔を近づけた。背の低い彼がロータローに顔を近づけようとすれば、必然的に背伸びをすることになるため、非常にバランスの悪い体勢になっている。
目つきの悪さで分かりにくいが、機関長はかなり顔が整っているタイプだ。それこそ『天使』という表現がぴったり似合う美少年。そんな顔に急接近されれば、同性であるロータローですら不覚にもドキリとしてしまう。
「さっきまで気付かなかったが……あんた、妙だな」
「妙って何がだ⁉ 性癖の話か⁉ それは誤解だ! たぶん!」
「ちょっと黙ってくれないか? ……なんだこれは。僕ですら知らない気配を感じるぞ。……いや、これは気配というより残り香か? なああんた、最近何か珍しい機械に触れたことはあるか?」
「き、機械? そう言われても、この船に乗ってからそういうのには全然縁がないな」 この世界の文明は、ロータローが住んでいた地球よりもかなり科学技術が遅れているようだし。 「それより前なら、スマホやパソコンなんかをしょっちゅう触ってたけど」
「す……ま、ほ?」
「あ」
しまった、とロータローは己の失言に気付く。
異世界の住民である機関長相手に地球の便利アイテムの名前を出したところで、理解されるわけがない。ただでさえこんがらがりかけていた話が更にややこしくなるだけではないか。
しかし、機関長の顔を見てみると、興味津々な表情になっていた。
「なんだその珍妙な名前は⁉ どんな道具なんだ⁉ 僕の機天使の権能で感じられる『それ』の残り香では、得られる情報に限りがあるからな。実際に使っていて名前まで知っているあんたから直接聞く必要がある! さあ、答えろ!」
めっちゃグイグイ来てる。
質問しにきた立場なのに、何故か質問されている。
さっきまでの邪険な態度が嘘みたいだ。
困惑を隠せないロータローだったが、機関長がこれまでで一番のご機嫌ぶりを見せているので、それを崩さないためにも、ここは彼が求めているスマホやパソコンについて話すことにした。
もっとも、エンジニアでもないロータローはそれらの機械の詳細な構造までは知らないので、遠くの人と話せるんだぜ、程度のぼんやりとした説明になったけども。
あと、自分が異世界出身だということも伏せておくことにした。そんなことを明かせば、話がこれ以上こんがらがる予感しかしない。
説明を聞き終えた機関長は、
「なるほど、僕が堕ちたことで地上の機械技術はかなり停滞したと思っていたが、そんなものがあったのか。『大いなる死』で各地が分断されたことで、逆に技術が異様な発展を遂げたのかもしれないな。面白い」
と瞳を輝かせていた。
ロータローはそれを見て、「あ、さっきまで天使の寵愛に興味津々だった俺って、こんな感じだったのかな」と思った。




