17「天使の寵愛とは?」
荷物を片付けたロータローは、偶然会ったスメネシから労いの言葉をかけられたり、クサリから追い掛け回されたりした後に、キロリッターの部屋に行った。
部屋に這入ると、彼女は初めて会った時と同じように、黒い革張りの椅子に座って本を読んでいた。ロータローの来訪を知ったキロリッターは、本に落としていた視線を上げる。
「あら、呼んでもいないのに自分から来るなんて珍しいわね。なになに? もしかして吸われるのがクセになってきちゃったの?」
「んなわけねえだろ」
ぶっきらぼうに言いながら、ロータローは部屋のベッドに腰かける。この部屋には椅子が一脚しかないため、ロータローの定位置はいつもそこになっていた。
ロータローの態度に違和感を覚えたキロリッターは眉を顰めた。
「ねえ、どうして不機嫌になってるの? いや、そもそもアンタがこの部屋で上機嫌だったところなんて見たことがないけど……それにしても今日はいつもと何かが違う気がするわ」
「察しがよくて助かるぜ。俺が買い出し班と一緒に町に行ったことは知ってるか?」
キロリッターはこくりと頷いた。
「俺さ、そこでメェケンっていう海上憲兵のヤバイ女に会って、体を爆発させられたんだよ」
そんなショッキングな出来事を伝えた瞬間、キロリッターは吹き出した。
「ぷーくすくす! ちょっ、急に何言ってるのよ、ロータロー。『体を爆発させられた』って、嘘が下手すぎじゃない? つくならもうちょいマシな嘘を言いなさいよ! もしそんなことがあったのなら、アンタが今ここで喋ってるはずがないじゃない! それとも何かしら。人間改め幽霊として船に戻ってきたとでも言うつもり?」
「惜しいな。ゴーストじゃなくてヴァンパイアだ」
「え」
それまで笑っていたキロリッターが、目を丸めて口をぽかんと開けた。バカみたいな顔だった。
「『え』じゃねーよ。とぼけんな。お前がゴクゴク血を吸ったことでヴァンパイアになったから、俺は爆発しても復活したんだろ⁉」
「?」
キロリッターの頭上には相変わらず疑問符が浮かんでいる。ロータローが言ってることを理解した上でとぼけているという様子ではない。
話の噛みあわなさに、ロータローは疑問を抱く。
「ひょっとしてお前、吸血鬼のくせに吸血鬼の『血を吸ったら仲間が増える』って性質を知らないのか?」
「なに言ってるのよ。血を吸われただけで吸血鬼になるわけがないじゃない。感染症じゃあるまいし……あれ? そういえば、そんな性質もあったかしら。うーん、どうだったっけ……あったような、なかったような……あった気が……あれれ……血を吸っても生かしていたら……そ、そういえば、そんな性質があったかも」
最後になってようやくちゃんと思い出したのか、飛ぶ蚊のように小さな声でキロリッターは認めた。
「ごめん、そんな性質今まで忘れていたわ」
「ふっざけんなー!」
ロータローは頭を抱えて体を仰け反らせながら、怒鳴り声を上げた。
「自覚もないまま吸血鬼にしていたってどういうことだよ! こんなうっかりメタモルフォーゼがあっていいのか⁉」
「し、仕方ないでしょ! 船旅で血を吸い続けるために吸血した対象を生かしておくなんてこと、初めてだったんだから! むしろ私の初めてを貰えたことを誇りに思ってほしいくらいなんだけど⁉」
「そういう聞くだけでドキドキする台詞は、もっとちゃんとしたシチュエーションで聞かせてくれ!」
とはいえ、自分のことを散々凄いヴァンパイアだと自慢していたキロリッターですら自覚していなかった以上、これ以上詰るのも時間の無駄だろう。自分の性質や特徴をちゃんと理解している生物って、実はそんなに居ないのかもしれない。自分たちの体への理解がもっとも進んでいる種族である人間のロータローですら、かつて学校に通っていた頃は、生物の授業の度に知らないことを学んで、驚かされまくりだったし。
それに、キロリッターがうっかり吸血鬼化させたことでロータローが助かったというのは事実なのだ。
「んん? ちょっと待って? アンタ、吸血鬼になったんでしょ? だったらどうして太陽の下に出ても平気なのよ」
「そこは俺もよく分からないんだが……一緒にいたツールってスケルトン曰く、完全なヴァンパイアにはなってないかららしいぜ」
「なにそれ。ヴァンパイアのメリットだけ手に入れててズルくない?」
「俺だって欲しくて手に入れた体質じゃないんだし、羨ましがられても困るって。……ちなみに完全なヴァンパイアが日光を浴びたらどうなるんだ?」
「体が炎上して灰になって死ぬわ」
「こわっ!」
キロリッターが説明した死に様を想像すると、背中に怖気が走った。
日光を浴びると死ぬ。それは、これからもキロリッターに血を吸われ続け、それに伴って完全な吸血鬼に近づいていくのであろうロータローにとっては、決して無視できない危険である。
これから外に出る時はまず日向に指先を少しだけ出そう、とロータローは考えた。幸いにも、彼は外出に対する警戒心を引きこもり時代から備えているので、そこのところは問題あるまい。
「それにしても、初めて復活した時は驚いたぜ。体が四散したと思った次の瞬間には元通りになっていたんだからな」
「私から生まれた吸血鬼なんだし、そのくらいの再生スピードはあって当然よ」
「へー。ワンダーたちも言っていたけど、お前って結構すごい吸血鬼なんだな」
「ふっふっふ、ようやく理解したようね。そもそも私なら、爆散したという事実を、周囲どころか私自身ですら認識する暇がないくらいの一瞬で復活できるのよ。ふふーん、どう? すごいでしょ?」
ドヤ顔でマウントを取るキロリッター。イラッとしたロータローはカーテンを開けて部屋を明るくしたくなったが、ぐっと堪えた。
これ以上吸血鬼トークに花を咲かせてもキロリッターの自慢話が続きそうなので、他の話題を探すことにする。
「驚いたと言えば、メェケンが使っていた力にも驚かされたな。たしか……躰天使の寵愛って言ってたっけ」
「え、もしかして天使の寵愛を知らないの?」
キロリッターは驚いていたが、すぐに手を打ち「ああ、そう言えばロータローって『大いなる死』すら知らなかったわね」と納得した。
「いくらアンタが世間知らずの田舎者でも、この世界が神によって生み出されたことや、神の配下である天使たちによって世界中のあらゆる存在や概念や事象が司られていることくらいは知ってるでしょ?」
全然知らない。
なんてことを言えば、キロリッターからまた馬鹿にされることは分かっているので、首を縦に振るロータローだった。
それに、今の説明で大体理解できた。
要は万物万象に天使が関わっているという設定で、この世界は回っているという話である。ロータローが住んでいた日本風に言えば、八百万の神みたいなものだろうか?
「世界を管理する天使たちの力は絶大で、普通ならこの世界で生きる私たちの手が届く領域じゃないわよね? だけど、その領域から力の一部を引っ張ってこれる術があるの。それを利用して振るわれる力が、天使の寵愛と呼ばれているわ」
そう言えばメェケンもそんなことを言っていた気がする。
『並外れた信仰』か、『条件が厳しい契約』か、『天使から愛される才能』でもない限り、持つことが許されない特別な力だとかなんとか。
超常の存在と契約を結ぶことで使用が可能になる魔法のようなものだと考えて間違いあるまい。
「すげえ力だな。俺が初めて会ったのは触れるもの全てを傷つけるギザギザハートなヤバイ奴だったけど、たとえば雨に関わる天使と契約すれば雨乞いみたいなことができるし、炎に関わる天使と契約すれば炎使いになれるってことだろ? うーん、いかにも異世界ファンタジーっぽくて憧れるぜ」
少なくとも吸血鬼の餌になってたらうっかり吸血鬼にされてました、よりは夢のある話である。
天使の寵愛に興味を示すロータローを見たキロリッターは『ああ、そうだ』と何事かを思い出した。
「そんなに天使の寵愛に興味があるなら、この船の機関長が詳しいから、聞きに行ったらどう?」
機関長?
たしか、船のエンジニアを束ねる仕事だっけ?
バリバリの工学系である。
天使や神といったファンタジーな存在とは真逆に位置するような役職だ。
とてもじゃないが、天使の寵愛に詳しい役職とは思えない。
普通、こういうのに詳しいのは聖職者のはずでは?
「ところがどっこい! 詳しくて当たり前なのよ。何せ、この船の機関長は元天使なんだから」
『大いなる死』の後に天使の領域から追放された堕天使なんだから、とキロリッターは言った。




