125「演天使・エンジエル」
帝国の特殊部隊『鞘』の構成員であるサーミィは、とある海上憲兵を演じていた。
演じていた、というが、それによって表現される模倣は、単なる変装とは一線を画すものである。
一挙一動、呼吸にいたるまで、演技のオリジナルとなった憲兵にそっくりだ(ちなみに、その人物は十分に観察を行った後で始末した)。
優れた演技は時に観客にその場にない風景や小物の幻覚を見せる。その究極版とも言えるサーミィの『模倣演技』は、着てもいない服や、似ていないはずの外見まで、動作ひとつで再現できるのだ。
神がかった演技──天使がかった演技で、身も心も他人に偽装している彼女を看破できるものなど、この世に存在しないのである。
この島を訪れている海上憲兵の中心人物はふたりいるようだった。
ひとりは占星術師なる少年。もうひとりは、“魔剣狩り”のタタラという男だ。
弱気なサーミィとしては、先に子供を始末したいところなのだが、占星術師が堕天使だという情報を知り、その欲求に躊躇というブレーキがかかる。
危ない、危ない。危うく自殺しに行くところだった。
元とはいえ天使なんかに暗殺を仕掛けたところで敵うはずがない。そもそも、サーミィは天使が苦手なのだ。天から世界の全てを見渡している存在なんて、視線嫌いの天敵でしかない。演天使とだって、『模倣演技』という便利極まりない寵愛がなければ契約を結びたくなかった。そういう事情があったため、彼女はタム天使教国のことも毛嫌いしていたのである。
とはいえ『天使と関わりたくない』という後ろ向きな考えがなくとも、サーミィが真っ先に狙うべき相手はタタラだった。
堕天使と魔剣狩りは同じ島にいる同じ組織の構成員だけども、彼らの目的は異なっている。占星術師はメェケンという犯罪者の確保のため、タタラはアヴァロンの魔剣『マクガフィン』を手に入れるために、帝国を訪れているのである。つまり、魔剣狩りの方が『鞘』の邪魔となる可能性が最も高く、喫緊の課題として彼の排除が上げられるのだ。
──堕天使の方は……あァ~……本音を言えば、近寄りたくないですね……余裕があったら仕留める、くらいのつもりでいましょう。
ところで、メェケンって誰だ?
海上憲兵の秘中の秘である堕天使がわざわざ出張ってくるほどの危険人物が、どうしてこの島を訪れているのだろう?
さっさとタタラを殺してしまおう──そう考えながらサーミィは、足を早めながら歩いていると、道の向こうからこちらへと向かってくるふたりの男女を見つけた。
だらしなくスーツを着崩した男と、暖色系のコートの女。
現れたのは、帝国民でなければ、白い軍服が似合う海上憲兵でもなく、ましてや特徴的な祭服を着こなしている教国民でもなかった。しかし、サーミィは、目の前の人物に、人物たちに、見覚えがあった。
なぜならそれは、『マクガフィン』を狙う傭兵団のメンバー、バレルとトリガーだったからだ。
──…………!
頭をぶん殴られたような衝撃を感じるサーミィ。しかし、彼女が演じている憲兵は自然体のまま、心中に湧く動揺を微塵も表に出さない。
毒使いのバレルと糸使いのトリガー──ヴラッドから事前に得ていた情報によれば、どちらもかなりの手練れだ。教国の突入で生じた騒ぎに乗じて、ここまでやってきたのか。
ともあれ、彼らはサーミィのことをただの憲兵のひとりだと思い重要視していないのか、特にリアクションをとっていない。
そのままサーミィを一瞥することもなく、素通りしようとする。
サーミィが演じている海上憲兵は、帝国や教国のことを知っていても、傭兵団のことを知っているはずがなく、彼らに対して敵意や殺意と言ったものを発するはずがない。そんな人物をバレルたちがスルーするのは当然のことだった。
というか、彼らの様子を見るに、どこかへ急いでいて、それ故にたかが憲兵ひとりを相手している暇はない、と言った方が正確に思える。
──いったいどこに? ってそれは愚問ですね。『マクガフィン』の元に決まっているじゃないですか。
『マクガフィン』を狙う輩を、このまま放置しておくわけにはいかない。
幸いにも、バレルとトリガーについては、扱う能力から戦闘のスタイルに至るまで、事前にヴラッドからちゃんと教えられている。情報でいえば、こちらの方が圧倒的なアドバンテージを握っているのだ。傭兵団との戦闘において、サーミィが無知ゆえの敗北をすることはあり得ない、と断言できる。
おまけに心配性のサーミィに対し、向こうはこちらをまったく警戒していない。暗殺のチャンスとして、これ以上のシチュエーションはないだろう。
──すれ違った直後に、背後からの一突きで刺し殺しちゃいましょう。
そう決意しながら、サーミィは傭兵団とすれ違い──
「ちょっと待った」
の声を聞いた。
バレルの声だった。
横を歩くトリガーに向けられた台詞かもしれないと思ったが、それは違った、バレルは振り向いて、サーミィの方をしっかりと見ながら言ったのだ。
両の目で凝視していた。
「なんだ……用でもあるのかね?」
視線への嫌悪を感じながら、サーミィは──サーミィが演じる憲兵は答える。
「いや、用ってほどのことでもないんだけどさ、ちょっと疑問に思ってね」
「疑問?」
「そう、疑問。疑わしく思ったことを、問いかけたくなったのさ」
バレルは自分の足元を指差すと、続けてサーミィの足元を指差した。
「別にこの道は狭い小道ってわけじゃあない。馬車でも余裕で通れるくらいの幅はあるだろう──なのにどうして君は、俺たちから距離を取るようにして、正反対の端っこを歩いているんだ?」
「…………!」
「ははっ、傷つくなあ。まるで、俺が近づくだけで危険な毒使いみたいじゃないか」
迂闊だった。
事前に得ていた情報で、サーミィはバレルたちよりも優位に立てていたつもりでいた。無知な傭兵たちを、高い位置から見下ろしていたつもりだったのだ。
しかし、それが仇となった──毒使いを警戒し、無意識の内に距離を取ってしまっていた。
これが本物の憲兵だったら、こうはなっていなかっただろう。何も知らないまま、スーツをだらしなく着崩した男を危険性なしと判断し、素通りしていたに違いない。
だが、サーミィは無知ではなかった。バレルの『毒薬作成』の危険性をヴラッドからよく聞かされていた彼女は、心まで無知を演じることを拒んでしまったのだ。
無知ゆえの敗北は無かったが──知ゆえの敗北はあった。
「……………」
バレルは睨む。投げかけた疑問に対する返事を待つように。視線でもって、指摘をぶつけるように。
しかし、返答の必要はないだろう。無言を貫くサーミィの佇まいが、何よりも雄弁な答えだった。
毒使いはそのまま、己の寵愛を発動しようとする──その時だった、サーミィがようやく口を開いたのは。
「……見ないでください」
それは、たったひとつの、懇願。
「追及するような目で私を見ないでください。突き刺すような目で私を見ないでください。問いただすような目で私を見ないでください。見透かすような目で私を見ないでください。裁くような目で私を見ないでください。口ほどによく語る目で私を見ないでください。批判するような目で私を見ないでください。嘘を暴くような目で私を見ないでください。舐め回すような目で私を見ないでください。隙を伺うような目で私を見ないでください。判別するような目で私を見ないでください。中身を探るような目で私を見ないでください。鑑定するような目で私を見ないでください。お願いだから私を見ないで──見るな! 見るな! 見るなッ!」
狂ったように吐き出された懇願は、演技で飾られていない生の感情が露出されており、ねっとりと絡みつく粘液が音の形を取って現れたみたいだった。
戦闘直前だったバレルですら思わず気圧されてしまったことから、その迫力が伝わるだろう。
しかし、サーミィはその隙を突いて攻撃を仕掛けるなんてことはせず、逃げた。視線から一刻も早く逃れるために。
ヴラッド経由でふたりの傭兵の能力の大まかな射程距離や対処法は熟知している。正面から戦うならともかく、逃げるならさほど困難ではない。
一度は見破られてしまった演技だが、このまま適当な所に逃げ込んで別人に成り代わればいいだけだ。
次こそはうまくやってみせる──サーミィは決意を固めながら、角を曲がった。
そこには銀髪の女がいた。
角の向こうから跳び出してきた相手にサーミィは驚いたが、それは向こうも同じらしく、目を丸めて驚いている──目。
「ど、どいてッ!」
呆然とした顔で一向に退く気のない相手を、突き飛ばそうとする。
それよりも早く、銀髪の女の手が、サーミィの頭に触れた。




