119「神父という男」
国境警備隊のとある基地をクルミが襲い、また別の基地をミルクが無力化していた頃、さらにまた別の基地を訪れた者がいた。
バレルとトリガーである。
『隠れ狙うシャドウフラワー号』が沈没させられた後、彼らふたりはメェケンとバヨネットから離れた位置に漂着していた。それも目的の『マクガフィン』がある帝国の領地ではなく、教国の浜辺にだ。そういうわけで、なんとかして国境を超える必要があり、こうして基地を訪れていたのである。
傭兵団という武力の極みのような組織に所属しているふたりだが、彼らの襲撃を受けた基地は乱暴に焼き払われていなければ、荒々しく氷漬けにされてもいない。施設に目立った外傷がないどころか、争った形跡さえなかった。そこにいた軍人たちはみな、眠るように意識を失っている。毒天使の契約者であるバレルが『毒薬作成』で生み出した毒によるものだ。
「たとえ何人いようが、俺の毒とトリガーの糸の前では案山子も同然だっただろうけど、それにしても数が少ない気がするな」
誰にも邪魔されることなく基地内を進んでいるバレルは、辺りで眠りこけている軍人を眺めながら訝しんだ。
「ひょっとすると、俺たちがここに来るよりも前に、帝国のどこかで何かがあったのかもしれないな──そっちの対処をする代わりに、こちらの警備が手薄になってしまうような何かが」
真っ先に思いつく『何か』と言えば、それはやはり教国の侵攻である。
「『マクガフィン』を狙ってるのはあちらも同じだろうし、そもそも、そんな理由がなくても帝国との戦争関係にある教国なら、いつ攻めてきてもおかしくない」
バレルがそのような考察を述べると、隣に立つトリガーが同意するようにこくこくと頷いた。彼女は口数が少ない。正確に言うと、『少ない』ではなく『無い』。かなり長い間同じ組織に属しているバレルですら、このコートの淑女が何かを喋っているところを見た覚えは一度もなかった。しかしながら、無口だからといって無能というわけではなく、むしろ仕事が出来るタイプであり、糸使いという稀有なスキルも持っているため、トリガーは傭兵団という組織においては非常に重宝されている人材だった。だからこそ、『マクガフィン』の奪取という重要な任務のメンバーに抜擢されたのだろう。
「教国側の陣営と言えば……やっぱりあの神父かな」
神父。
正確な名前はバレルの情報網でも掴んだことがないが、『大いなる死』以前から魔王軍との戦いで活躍していた男だ。帝国所属の軍将、ガトーと並んで、化物みたいに強いと評判である。
他にも教国側の戦士(主に寵愛持ち)で言えば、思いつく人物や、耳にした噂がいくつかあるが、それでもやはり、真っ先に頭に浮かぶのは神父だった。
「罪天使から寵愛をふたつも授かっていて、そのうちのひとつが『罪悪審議』──ああ、いや、教会関係者の場合は独特なネーミングをしているんだっけ──たしか、『罪悪審議』だったかな」
異文化のネーミングセンスに若干の戸惑いを感じながら、バレルは話を続ける。
「とはいっても、こっちは単に『目にした対象の罪深さを測定する』だけの能力だからね。初対面の相手が敵か否かの判別や裏切り者の発見では役に立ちそうだけど、戦闘では無意味でしかない」
もうひとつの寵愛こそ、神父の真骨頂だ。
「自分が『罪深い』と思った相手にほんの少しでも傷を付けるだけで即死させられる『断罪執行』──実に恐ろしい寵愛だ。戦いたくなさすぎる。この戦いで俺たちが最も苦戦することがあるとしたら、それは神父と交戦する時になるだろうね。出来ることなら、ガトーと戦って共倒れしてほしいものだよ」
バレルはそう言って、基地を後にした。
最優先で目指すべきは『マクガフィン』があるとされる中枢施設だが、それよりも前にバヨネットとメェケンを拾っておきたい。特に、メェケンは今回の作戦に必要だと判断したから、わざわざ離れた島まで出向いて拉致紛いの勧誘をしたのである。せめて、期待されている仕事を果たすまでは無事でいてもらいたい。……やっと見つけたと思ったら野垂れ死んでいた、なんてことになっていなければいいのだが。
◆
家屋と家屋の間の路地を移動していた神父は、背後から響く湿った足音を耳にした。警戒心を抱きながら、素早く振り返る。しかし、すぐに警戒は解かれることとなった。何故なら、そこに居たのはつい先ほど分かれたばかりのミルクだったからだ。
『罪悪審議』に反応はない。視界に映る彼女は穢れひとつなく、無垢であり、天使教の信徒に相応しい高潔さを備えていた。
「おや、随分と早く追いつきましたね」
「はい。結構弱かったので、すぐに片付きました」
なるほど、と神父は納得する。先述した通り、ミルクの『永遠氷結』は極めて強力な寵愛だ。いかに帝国の戦士と雖も、それを前にして何分も保つのは不可能だろう。
見慣れたサイドテールを揺らしながら走る少女を受け止めるべく、神父は抱擁するように両腕を広げる。
ミルクはそのまま速度を緩めることなく、神父へと駆け寄り──彼の両目を貫いた。
「は、ぇ……?」
視界が突然真っ暗になり、神父はしばし呆然とする。
しかし、眼球に押し込まれていた短剣がずるりと引き抜かれる感覚と同時に、鋭い痛みが全身を駆け巡ったことで、ようやく自分が両目を潰されたのだと知った。
「がッ、ああああああああああああああああああああああ!」
大柄な体が仰け反り、そのまま地面に倒れる。赤黒く染まった眼孔から血が噴出した。
「あァ~……や、やっと潰れてくれましたね。良かったぁ……これで一安心です」
頭上から声がした。それはミルクの声ではなかったが、全く聞き覚えの無い声というわけではなかった。つい先ほど聞いたばかりである。
「がっ……さっきの白仮面? ど、どういうことですか……」
ミルクの凶行は完全に予想外だったし、ありえない行いだった。なにせ、『罪悪審議』越しでみた彼女は、完全なシロだったからだ。腹に一物あったとは思えない。
「まさか変装を? ……いえ、僕の『罪悪審議』は相手の心の裡まで見透かす絶対的な測定……どれだけ上辺を他人に似せた所で、欺けるはずが……」
「へえ、そんな便利な読心系の寵愛を持っていたんですか。だとしても無駄ですよ。だって、私は心まで変装していたんですから。あのサイドテールの子に、心までなり切っていたんです」
演じていたんですよ、とサーミィは言う。
「演天使の『模倣演技』。この寵愛を持つ私は外見を、人格を、技能を、完全に模倣して他人を演じることができます。実際、さっき貴方に駆け寄った時も、『眼球を刺す』なんて考えは、直前まで頭にありませんでした」
それは自己催眠の域に入っている、究極の演技。
まさに天の才能である。
罪の裁定者さえ欺く演者は、まだ息のある神父に向かって、短剣を何度か振り下ろした。
神父は力が抜けていく手を必死に動かすことで抵抗を試みたが、やがて暫くすると動かなくなった。
「あァ~、良かったあ。貴方ってガトー様の障害になりそうなくらいには強そうですし、ここで仕留めることが出来て本当に良かったです。演技の精度を高めるために、視線を浴びせられるのを我慢しながら、サイドテールちゃんを観察した甲斐があったというものですよ、ふふ」
短剣を装備している両手を真っ赤に染めたサーミィは、仮面の奥で薄く笑うと、その場から消えた。
それから数十秒後、交戦中の相手がすぐに背中を見せて逃げ出したため追いかけていたミルクは、暗い路地にひとり倒れている神父を発見し、膝から崩れ落ちた。




