116「インフェルノ」
こんなはずじゃなかった、とヴラッドは思った。
自分の肉が焦げる臭いを嗅ぎながら、数十秒前のことを思い返す。
火災が発生したと知った時、彼はフレイタワードからの指示を待たずに現場へと向かった。どうせ、こういう騒動が起きた時に真っ先に送り込まれるのは強くて速くてしぶとい自分だからだ。ならば、指示が届くよりも前に行動した方が早く済む。
火災の中心地を訪れたヴラッドは息を呑む。なぜならそこで自分を出迎えたのは、いかにもテロリストといった雰囲気の危険人物でなければ、武器を構えた兵士でもなく、年端も行かない少女だったからだ。
まさかこんな子どもが? と疑いたくなるが、少女が着ている宗教色の強い祭服は教国特有のものであり、彼女がかの国からの来訪者であることを雄弁に物語っていた。
ヴラッドは注意深く、辺りの気配を探る。少女以外には誰も居ない。つまり、彼女は単身でここまで突撃してきたのである。
「ぎゃははは! こんなガキを戦場に送り込むなんて、教国のクソボケどもぁ堕ちたなあ!」
侮蔑の言葉を吐き捨てると、それが耳に届いたのか、少女は首を巡らせ、こちらに視線を向けた。その瞳は暗く、周囲で踊る炎ですら、彼女の目に映っていないかのようであった。
「かた来」
「かた……なんだ?」
鼓膜を震わせた奇妙な言葉に首を傾げる。教国内部で独自に使用されている特殊な言語かと思ったが、その疑問の答えはすぐに出た。
「よるいてい聞とだ鬼血吸半軍やい──人軍い高名と力戦高最の国帝でん並とートガ。なだドッラヴ」
「てめえ、まさか逆さまに喋ってやがるのか?」
「よだ症遺後の故事たき起で因原が攻侵の国帝の前年五」
少女はそう言いながら首を縦に振った。相変わらず話している内容は意味不明だが、どうやらヴラッドの推測は当たっているらしい。逆さ言葉を流暢に垂れ流す話しぶりに作っている感じはなく、それ以外の喋り方が不可能なように思えた。
「うらもでん死はに前お。いなかいはにけわるま止でここは私、めたるれ入に手を『ンィフガクマ』てしそ、めたの讐復のへ国帝」
少女は開いた片手をヴラッドに向ける。その指先からは小さな火の粉が舞っていた。
「何もない所から火を──火天使辺りと契約しているのか?」
周囲を見れば、先ほどの爆発にも似た放火で犠牲になったと思しき焼死体が幾つか確認できた。恐るべき異能である。
しかしヴラッドは、目の前の少女が有する寵愛の脅威を理解した上で、不敵に笑った。
「ぎゃはははっ! 有象無象の雑魚人間ならいざ知らず! ガキの火遊びなんかで、この俺ちゃんが滅ぶとでも思ったか⁉ 俺ちゃんは半吸血鬼! 人間にはない不死性を持ち、吸血鬼にある弱点を持たない最強の生物なんだぜ!」
威勢よく叫びながら、少女に向かって走り出し、『物質創造』を発動させる。黒々とした金属を素材とし、先端付近に棘の返しが幾つもついている、凶悪なフォルムの双槍が現れ、両手に握られた。
「冥途の土産に教えてやる。これは俺ちゃんの親父が使っていた『棘刺』っつー槍の複製品だ。『物質創造』で作ってっから、その再現度は完璧だぜ。『ストロゥマーダーの血夢』の再演を見せてやろうじゃねえかあ!」
一対の黒槍と共に風と化した半吸血鬼は敵の体を貫かんとする。しかしそれよりも前に、少女の攻撃の準備が整った。極太の火柱が出現し、地面と平行に突進する。
鼻先に迫る炎の奔流を目にし、ヴラッドは余裕を失っていなかった。
人肉を炭に変える温度の炎? それがどうした。
たとえ常人にとって死に直結するものであろうと、不死身の半吸血鬼にとっては障害となりえない。
皮膚が溶けようと、肉が焦げようと、贓物が焼けようと、すぐに回復するのだから。体に燃え移った火も、人外の速度で動けばたちまちの内にかき消されてしまうだろう。
そんな、不死者特有の傲慢じみた考えが、ヴラッドの余裕の源である。
「うとがりあもうど。か、産土の途冥」
ヴラッドは炎を挟んだ向かい側に立つ少女がほくそ笑んだことに気付いていなかった。
「なかうよえ教に産土の獄煉、やい……産土の途冥も私らたっだ」
その声は炎と気流が奏でる音にかき消され、ヴラッドの耳まで届かない。
「るけ続え燃に遠永──は炎の私」
もっとも、彼女が話す言葉は逆さまなので、たとえヴラッドがはっきりと聞いていても、その意味を理解できたとは思えないが。
こうしてヴラッドは、火天使の寵愛『永遠燃焼』によって生み出された『対象が燃え尽きるまで永遠に燃え続ける炎』を真正面から食らった──そして現在。
「ああああああああああああががががッああああああああがああああああああああッ!」
火達磨と化したヴラッドは、油断の報いを受けていた。
転げ回っても火は消えず、『物質創造』で生み出した水を浴びても炎は衰えない。常識に反する火がそこにあった。
肉体が燃えると同時に、再生する。彼が自慢げに話していた不死身の肉体は、十全に効果を発揮していたが、今となっては苦しみを延長させるための薪にしかなっていない。
「こんな……こんなはずじゃなかったのにィ……!」
胸に何かが触れた。これまでヴラッドは自分のことで精いっぱいだったため、誰かが自分のそばまで近付いているなんて気が付かなかった。
手のひらの主は、銀髪を短く切り揃えた碧眼の女だった。
◆
炎が飛び込んできた所為で『攻撃』の手が止んでしまった占星術師は、急いでメェケンを探し、すぐに見付けると、呆然とした。
酷く損壊していた彼女の体は、『肉体再生』でとっくに元通りになっている。これは予想できたことだ。
もしもその体で、こちらに攻撃を仕掛けようとしていたのなら、それも予想の範囲内である。向かう先がタタラの方だった場合でもだ。あるいはまったく関係ない明後日の方向へと逃げ出していても、何とか対処出来ていただろう。
しかし、燃えている男に向かって躊躇いなく接近することは流石に予想できなかった。
生物にとって炎は、本能的に忌避し、遠ざける存在である。ましてや、今目の前にあるのはヴラッドが発した「どうして消えないんだよ」というセリフから察するに、何かしらの異常性があると推測できる炎だ。そんなものに自ら突っ込んで行くなんて、自殺志願者くらいである。
予想外の行動に、占星術師は行動が遅れてしまったのだ。
その間にメェケンはヴラッドへ手を伸ばす。彼の体を覆う炎に手が沈み、着火した。
「ありがとねエ~! 名前も知らないファイアマンくんっ!」
体に火が付いたとは思えないほどに素敵な笑顔を浮かべながら、メェケンは感謝の言葉を吐いた。
その瞬間、ヴラッドの体は真上に弾けた。噴水の水を肉片に変えたような光景だ。
占星術師の顔は青褪める。メェケンが行ったグルーサムな行いそのものに対してではない。それによって招かれる現象を予想したからだ。
調整された『肉体破壊』で吹き飛ばされたヴラッドの肉片は、広範囲に落下する──絶対に消えない炎と共に。
地面が、建造物が、人が──細かな肉片に触れてしまったすべてのものが、次々と炎に包まれる。
天からは火の雨が降り、地上では悲鳴が響き渡るという光景は、この世の終わりじみていた。
占星術師は落下してきた火を間一髪で避けながら、メェケンを睨みつけた。どうやら打ち上げた肉片が自分に向かって降ってこないようにしていたらしい。彼女が立つ場所のみが唯一絶対の安全地帯となっていた。
美しく均整の取れた体には、片手以外に火の手が及んでいない。その片手だって、刃物か何かで切り落とせば、再生の能力者である彼女は炎から簡単に逃れることが出来るだろう。でなければあんな余裕のある態度はしない。
「あ、あの女ッ★ 被害を更に大きくしやがった★」
何のため、と問われれば、それは「周囲が混乱している間に逃げるため」だ。メェケンは自分の利益になるなら、どれだけ多くの人間を犠牲にしてもちっとも心が痛まない人格破綻者なのである。
彼女は占星術師に向かって小馬鹿にするような笑みを向けると、すたこらさっさと逃げ出した。
そうはさせるかと、占星術師は『攻撃』の照準を合わせようとする。──が、両者の間に落ちた肉片が炎の海と化し、メェケンを隠してしまった。
占星術師は怒りで顔を歪め、拳を握りしめながら、見失った標的に向かって罵声を飛ばす。周囲で燃え盛る炎の勢いは一向に収まらなかった。




