114「切り裂きバヨネット」
バヨネットは自分がどこから昇りどこへ沈むか知っている太陽を憎んでいる。
バヨネットは自分がどこから湧きどこを流れたか知っている水を妬んでいる。
バヨネットは自分がどこで生まれてどこで育ったか知っている人間を恨んでいる。
バヨネットは自分のルーツを知るもの全てを嫌っている。
なぜなら、それは彼女が持っていないものだからだ。
彼女が知らないものだからだ。
バヨネットが覚えている最初の記憶は、両親の顔でなければ家庭の光景でもなく、死屍累々な地獄絵図だった。
右を見ても左を見ても魔獣の死体しか転がっておらず、唯一生きて立っているのは自分だけ。服らしきものを身に着けておらず、代わりに血がべっとりと、小さく華奢な肌に纏わりついていた。自分のものではない。少女特有の白く透き通った肌には、傷ひとつ付いていなかった。それを飾る赤は全て、返り血である。
ぴゅう、と北風が音を立てて吹く。それが寒かったので、毛皮でも纏おうと、近くに転がっていた狼を更に凶悪にしたような風体の魔獣に手を伸ばす。しかし、指が触れた途端に、大人でも体当たりが直撃すれば骨折しそうなほどに大きく筋肉質な体躯をしている魔狼が、細切れにされた。
目の前で起こった不可解な現象に首を傾げる。その時になって、彼女はようやく気が付いた。自分の周りにある死体が、一切の例外なく斬殺されていることに。
やがて彼女は、自分に『触れた物を切り刻む力』があるのだと知った。何度か試行錯誤を繰り返していると、その力でも容易に切れない物質(金属製の兜や鎧など)もあることも分かったので、それを服代わりに着ることにした。
どうしてそんな力を持っているのかは知らない。そもそも自分がどこで生まれ、どこで育ち、そしてどういう経緯を辿ってあの屍山血河に立っていたのかすら分からない。だというのに、世間一般で常識とされる知識はある程度頭にあるのだから不思議である。その中には『天使の寵愛』なる異能についての情報もあったが、自分の身に宿る異能がそれであるとはどうにも思えなかった。
自分のルーツが分からない彼女には帰る場所も無かったので、ふらふらと放浪することにした。
闇夜に乗じて山賊が現れた。斬った。
少女だと見くびった悪漢が舌なめずりをした。斬った。
飢えた獣が牙を剥いた。斬った。
魔王の軍勢が立ちはだかった。斬った。
肉を腐食する毒の息を吐く巨竜と遭遇した。斬った。
自分の噂を聞きつけてやってきた剣士が決闘を申し込んできた。斬った。
『大いなる死』で発狂した暴徒が剣を向けてきた。斬った。
敵を、障害を、あるいは単に不愉快なものを。
斬って、斬って、斬って、斬りまくる。
長い時間をかけて分かったことと言えば、「自分は年を取らない」くらいだった。そういえば、肌が他人と比べて異常に硬いし、肉体の維持性が高いのかもしれない。いや、そもそも自分の体は肉体なのだろうか?
一向にルーツが掴めず、疑問と苛立ちばかりが募る。そんなある日、女が現れた。とある傭兵団の長であり、勧誘するためにやって来たのだという。
バヨネットにとって、ルーツを知る自分以外の存在は全て羨望と嫉妬の対象であり、同じ道を歩む仲間ではない。加えて、勧誘の言葉を吐く女の態度は偉そうで、どうにも気に食わなかった。
故にバヨネットはこう言った。「アタシに勝ったら考えてやっても良いわ」と。気に食わない台詞を吐く口をズタズタに切り裂いてやるつもりだった。
傭兵団の長と斬撃の魔人の勝敗はすぐに決した。バヨネットの惨敗だった。
こうして傭兵団に所属することになった彼女は、ますます一層戦いの日々を送ることになる。
バヨネットという名前も、そこで初めて与えられたものだ。
そして現在──彼女は未だに、自分が何者なのか知らない。
本当の名前さえも。
◆
籠手と兜を脱ぎ捨てたバヨネットから剣呑な気配を感じ取ったタタラは鉄の鞭を振るい、地面に頭から叩きつけた。
少女の姿をしているからといって容赦はしない。あの切り裂くような殺意はいくつもの戦場を乗り越えてきた猛者のみが放つことを許されるものだ。そんな存在を相手に油断するような鈍さをタタラは持ち合わせていない。
石畳で舗装された地面へ頭からの落下。普通に考えれば即死である。しかし、もうもうと立ち込める土煙を払い除けて現れたバヨネットには傷ひとつ付いていなかった。
地面に叩きつけられた際に鞭から抜け出した両足は既に防具を外しており、すらりと伸びた生足が露わになっている。地面を蹴り、正面に向かって真っすぐ飛んだ。
タタラは伸びきっていた鞭を変成させ、一秒にも満たない時間で鉄製のバリスタを出現させた。番えられた矢も勿論鉄製であり、石壁すら容易に貫けそうなほどに鋭い先端をぎらりと光らせている。
放たれた鉄矢は敵対者へと吸い寄せられるように飛んで行き、眉間に正面衝突する。
ごいん。
と音が鳴り、バヨネットの首は仰け反った──それだけだった。たしかに鉄矢で射られたはずの幼女は、首をコキコキと鳴らし、眉間に皺を寄せるだけだった。
──硬いな。何かしらの寵愛で、肉体を強化しているのか?
こちらに迫るバヨネットの手に武器らしきものは存在しない。丸腰の徒手空拳だ。それはつまり、『素手で触れられると何か危険なことが起きる』ということである。
「メェケンと似たような寵愛でも持っているのかね」
「あ゛?」
考察を耳にしたバヨネットは露骨に嫌そうな顔をした。自分の能力を言い当てられたから、というよりもメェケンと同じように見られて気分を害されたようだった。どうやら彼女は同行者であるはずのメェケンに並々ならぬ嫌悪を感じているらしい。
タタラはバリスタをロングソードに変え、こちらに伸ばされたバヨネットの右手を受け止める。
幼子の手と大ぶりの剣は衝突し、火花を散らした。あり得ざる幻想じみた光景だった。
続けて出てきたバヨネットの左手。タタラはそれをロングソードから分離させた短剣で弾く。その衝撃で両者の距離は僅かに開いた。
──次はどう動いてくる? 右手か? 左手か? それとも同時? 靴を脱いだんだし、足の可能性も……。
相手の次の行動を予測し、その全てに対応できるよう構えるタタラ。しかし、次の攻撃は左右のどちらでもなければ下方からでもなく、上方から飛んできた。
上。
首の動きで振り上げられたバヨネットの長髪である。籠手だけでなく兜を外した時点で髪にも何かあると考えるべきだったのだ。
日の光を浴びて輝きながら落ちてくるそれらは、まるで断頭台のギロチンのように見えた。
タタラは咄嗟に後ろへ飛び退いた。一瞬前まで彼が居た場所に銀髪は殺到し、地面に触れる。その瞬間、石畳は切り刻まれ、痛々しい亀裂を走らせた。
「斬撃……なるほど。あの重装備は防具じゃなくて、鞘の役割を持っていたのか」
矢を通さず、触れるものを切り刻む体。攻守一体である。
「あら、躱すなんて意外とやるわね」
「初見殺しと沢山戦ってきたからね。回避力には自信があるんだ」
タタラはロングソードと短剣を融合させ、形を変える。このまま両手剣で戦っても、手数では向こうの方が有利だ。それに、防御に徹したままでは、いつか力尽きるのはこちらである。
攻撃を受けるのではなく攻めなければ、勝機はない。
しかし相手は強固な肉体を持つ魔人。生半可な攻撃は通用しないだろう。
「ならば──」
タタラはそう言って、己が武器の変成を終えた。その手にあるのは打つための鞭でもなければ、斬るための剣でもなく、撃つためのバリスタでもない。殴るための棍棒だ。
金属バットくらいのサイズの鉄塊を握りしめ、それを先ほどの髪の斬撃の意趣返しのように、真上から振り下ろす。
射撃と斬撃が効かないと知って、シンプルな打撃に切り替えたのか? ──バヨネットはそう考えながら、交差した腕で受け止めた。
ぞぎり、と嫌な音が鳴る。
見ると、棍棒に触れた部分が削れていた。きめ細やかだった肌が今となっては見る影もない惨状だ。
そこでようやくバヨネットは気が付いた。タタラが握る得物が、ただの棍棒ではないことに。
よく見ると、その表面には小さな突起が刻まれていた。
「──鑢かッ!」
頭部を狙って飛んできた横振りの一撃を、上半身を仰け反らせて避ける。その勢いのまま後方に跳び、距離を作った。
「へえ、躱すなんてやるじゃないか」
「……性格が悪いってよく言われない?」
「性格が悪くないと、魔剣狩りなんてやれないよ」
痛む腕を押さえながらバヨネットは考える。
向こうはこちらを傷つける手札を持っているが、この程度なら、結構な回数を食らわない限り、戦闘不能になることはあるまい。しっかりと落ち着いて対処すれば、怖くない相手である。状況に応じて得物を変化させる戦闘スタイルは先が読みづらくて厄介ではあるものの、所詮は煩わしい程度だ。──十分勝てる。
「最悪の場合、奥の手を使っても……いや、コイツに対してそれはやりすぎかしら」
それは『マクガフィン』の防衛に当たっているという『鞘』との戦いまで温存しておきたい──そう。自分は傭兵として、この地に『マクガフィン』を回収するために来ているのだ。決して、この見ず知らずの見すぼらしい男と戦う為ではない。早いところ片付けなくては。
……そういえばあの女はどうしているのだろう?
ふとそう思って、視線を移す。そこには腹に開いた大穴から血と腸を溢して倒れているメェケンの姿があった。




