113「戦闘開始」
帝国の国境警備隊の基地が襲撃を受けたと報告が飛んできたのは、昼時に差し掛かろうという時間帯のことだった。
作戦室の窓から国境方面の空を見てみると、空に炎と煙が立ち昇っているのが確かに視認できた。
この時、フレイタワードは「ついにこの時が来たか」と思ったものの、取り乱しはしなかった。教国との戦いにおいて、彼は二百を超える非常事態を想定し、それら全てへの対処法を用意していたのだ。国境付近でのトラブルなんて、想定内中の想定内である。彼は落ち着いて、報告を持ってきた部下に現地へヴラッドを送り込むよう命じた。
『鞘』の構成員のそれぞれの役割ははっきりと分かれている。将のひとりとして主に中央の防衛を任されているガトー。各地に散らばる戦士たちの指揮を担うフレイタワード。半吸血鬼としての機動力の高さから真っ先に戦場へ向かう兵器的な運用をされるヴラッド。そしてサーミィは……やや特殊なので、ここでの説明は割愛しよう。
「それと、別地点の警備隊に更なる警戒を呼び掛けておいてください。おそらくあの炎は、こちらの注意を引く役割の方が強いと思いますから」
だからといって無視するわけにもいかないのが難しい所である。天使教国側が炎上という派手な手段を使った以上、そこに何らかの寵愛があると見るのは決して考えすぎではないだろう。そんな危険な存在を万が一にも侵入させるわけにはいかないのだ。だからフレイタワードは速くて、強くて、死なない半吸血鬼を派遣することにしたのだ。
「この場合、他に狙われる地点があるとしたら、最も可能性が高いのは南の十五部隊でしょうね。そちらにサーミィも送り込みましょう。いつもの他人嫌いが出たら、首根っこを引っ張ってでも連れて行ってください」
その他細かな指示を告げた部下を行かせると、フレイタワードは続けて本部基地の人員の見直しに入った。極端な話、たとえ国境警備隊が幾つ崩れようと、本部の警備さえ不落であれば、『マクガフィン』の防衛は成功するのである。ガトーを中心として部下たちを配置している陣形に修正すべき点はないか確認しながら、フレイタワードはもう一度、窓の外の煙を眺めた。
◆
『マクガフィン』が収められているという軍事施設に足を運ぼうとしていたところ、突如として遠くで火の手が上がった。
あちこちから悲鳴が響き、人々が逃げ惑う。そんな非常事態が起きているにも関わらず、メェケンは視線を他の一点に向けて棒立ちしていた。そこには、ふたつの人影が彼女の目の前に立ちはだかるようにして佇んでいる。
メェケンの目は驚愕で丸まっており、また、対するふたりの内、夜空のような髪色をした少年も、十字の輝きを内包した瞳を丸めていた。
「驚いたな☆ まさか、『マクガフィン』よりも先にこっちと遭遇するなんて☆」
迂闊だった、と後悔するメェケン。
傭兵団や『マクガフィン』のことに意識を割かれていた所為で、本来なら最も注意すべき海上憲兵への警戒が疎かになっていたのだ。それで名前も知らない下っ端と遭遇するならまだ良い。その程度なら瞬殺できるからだ。しかし、よりにもよって追ってきたのが、海上憲兵が抱える堕天使のひとりである占星術師とは。
「そして隣にいるのは……『集団』の魔剣狩りか」
“魔剣狩り“のタタラ。
その功績は憲兵時代に何度か耳にしている。なんでも、たった一本の得物だけでアヴァロンの剣を何本も蒐集してきたとか。おそらく、彼がこの島に居る理由のひとつは『マクガフィン』にあるのだろう。そして、もう一つの理由は──考えるまでもないか。
「これはどぉ~も! 海上憲兵さんじゃないですかア。なんだか向こうで大変なことが起きているみたいだしぃ? こんなところでぼーっとせずに、治安組織としての責務をま全うした方がいいんじゃナイ?」
「そうしたいのは山々なんだけどね☆ キミをこの場から逃すことで発生する被害を考えると、スルーするわけにもいかないんだよ☆ だからさあ──」
相変わらず変声期を迎えていない少年特有の甲高い声で話しているが、その節々からは、
「ここで捕まってくれないかなあ★」
隠し切れない敵意が滲み出ていた。
見ると、隣のタタラはとっくに得物を抜いていた。片手で扱えるサイズのナイフだ。
「占星術師殿。先に聞いておきますけど、殺してしまっても構わないんですよね?」
「うん、いいよ★」
どうやら向こうはやる気十分らしい。
メェケンは舌打ちを鳴らし、腕を構えた。
そんな、まるで臨戦態勢みたいなポーズを取ったものの、彼女に占星術師とタタラを相手に戦いを始めるつもりは微塵も無い。どちらか片方ならともかく、両方に勝つのはどう考えても不可能だからだ。
では、どうするつもりか。
答えは簡単。そもそも正面切って戦わなければいい。ここは闘争ならぬ逃走に全神経を集中させるべきである。幸いなことに、周囲には突如として発生した火災に腰を抜かしている一般人がいるのだ。彼らを適当に破裂させて混乱を更に増幅させれば、この場を切り抜けることくらいは出来るだろう。
それに、こっちはひとりだけではなく、バヨネットがいるのだ。最悪の場合、彼女を盾にすれば──と思ったところで、メェケンは気が付いた。
先ほどまでそばに居たバヨネットが、忽然と姿を消していることに。
「はぁ⁉」
慌てて周囲を見渡す。すると、こちらから離れるように移動している幼女が見えた。その背中に向かって、メェケンは声を張り上げる。
「ちょっとお前ぇ⁉ どこに行くつもりなのさ⁉ ここは私と力を合わせて、輪っか野郎とナイフマンをぶっ倒す流れじゃないの⁉」
「だって、そいつらってアンタに用があるんでしょ? だったらアタシには関係ないわ」
「そ、そんなぁ~! 勝手なことされたら困るんだよ! 協力意識ってヤツが欠如してるのかなぁ⁉ このメスガキは!」
特大のブーメランを投げながら激昂するメェケンだった。
バヨネットは冷静を越えて冷徹な態度のまま、言い放つ。
「アタシは先に行っておくわ。アンタは……運が良かったら、向こうで会いましょ」
「ちょっと待った」
と口を挟んだのは、それまで黙っていたタタラだった。
「君に勝手に行かれると困るのは俺も同じだな。メェケンという大罪人と行動を共にしていた以上、君も決して堅気の人間だとは思えない」
それに、と続ける。
「長年培ってきた魔剣狩りとしての勘が告げてるんだよ。君から不思議な何かを感じる、と」
「はぁ? なにそれナンパ? にしてはセンスがなさすぎるんじゃない?」
バヨネットはその場から去ろうとしたが、一歩踏み出された足に何かが絡んだ。タタラの手にあったナイフが伸長し、鞭のようにしなって、彼女の足に巻き付いたのだ。
寵愛によって鉄という硬質な物体に流動的な変化を起こすことを可能とする彼だからこそ、可能な技である。
「『鉄器変成』」
タタラはそう呟くと、手を振り上げた。それに合わせ、鉄の鞭も動く。
逆さまのまま宙ぶらりんに持ち上げられたバヨネットは、不機嫌な目つきで魔剣狩りを睨みつける。どうやらやる気に火が付いたらしい。
「……あー、そう言えばアンタ。さっき『マクガフィン』って言ったわよね? もしかしてアタシたちと目的は同じなのかしら。だったら、ここで片付けておいて損は無さそうね」
彼女はそう言って、両手に嵌めていた籠手を外し、続けて被っていた金属製の帽子も脱ぎ捨てた。解放された頭部からは、滑らかな銀色の長髪が露わになる。
「刻んでやる」
剃刀の如く鋭い殺意が発せられた。




