111「教会」
「ぐうぐう」
「……ねえ」
「すやすや」
「ちょっと、起きなさいよ」
「むにゃむにゃ……う~ん、こんなにたくさん殺せないよん」
「どんな夢見てんのよっ!」
額を踏みつけられた衝撃でメェケンは目を覚ました。本日二度目の起床である。
覚醒した視界に映し出されたのは、こちらの額に足を載せているバヨネットだった。
彼女はメェケンが目を開くのを確認すると「ふん」と鼻を鳴らした。
そのあまりにも礼を失する行いに、メェケンは起き上がってバヨネットの首を掴みたくなったが、すぐにそんなことをしても無駄だということを思い出し、舌打ちを鳴らす。
とはいえ、されるがままというのも高いプライドが許さないので、彼女はドスの利いた声で、
「おいコラ、クソガキ。寝ている大人の頭を踏んづけるなんて、親からどんな教育を受けてるんだ」
「生憎、私には親なんていないから、そんな説教は通用しないのよね」
言いながら、バヨネットはもう一度額を踏みつけた。彼女が履いているのは金属でできたブーツのような靴なので、踏まれている箇所からは血が滲んでいる。メェケンの脳内の『いつか殺すリスト』における彼女の順位が上昇した。
しかし、そんなサディスティックな行為に飽きたのか、それとも今は格下を虐めている場合ではないことを思い出したのか、暫く経つと、バヨネットは脚を除けた。
生意気な子供を睨みつけながら体を起こすメェケン。その額にあった傷は、とっくに治癒されていた。
「『肉体再生』、ね……それがあったから、海に投げ出されても傷ひとつないのかしら。ゴキブリみたいな生命力で気味が悪いわ」
「なにおう⁉ 誰がゴキブリだ! ……ってアレ?」
その時になって、メェケンは自分の体がびっしょりと濡れていることに気が付いた。周囲を見渡すと、現在地が浜辺だったことが分かった。太陽の位置からして、今の時刻は黎明を少し過ぎたくらいだろう。
気を失う直前まで記憶を遡る。たしか、巨大な氷が落ちてきたんだった。それから……どうなったんだっけ?
「トリガーが糸のクッションを編んだのよ。たった数秒の足止めにしかならなかったけど、その間に私たちを海に放り出してくれたの。で、アンタとアタシはこの砂浜──見たところ、帝国の領土かしら? ──に流れ着いたってワケ。感謝しなさい」
まるで自分の手柄を誇るように、バヨネットは胸を張る。それを聞いたメェケンは「そもそも『肉体再生』の寵愛を持つ自分なら、あのまま氷に押し潰されていても生還できたはずだし恩着せがましいなこのクソガキ」と思った。
とはいえなるほど。
どうやらあの無口な糸使いが機転を利かせたおかげで、『シャドウフラワー号』のメンバーは氷塊の直撃から免れることが出来たらしい。
メェケンは体についた砂を叩き落としながら、バヨネットに言う。
「で、あの毒野郎と糸女はどこに居るのさ」
「漂着した後にすぐ探してみたけど、見つからなかったわ。少なくとも、この近くには流れ着いていないみたいね」
メェケンの個人的な心情としては、死んでくれた方がざまあみろって感じのいい気分になれるのだが、そうなると解毒手段を永遠に失ってしまうことになるので、なんとも複雑である。
しかし、目の前のクソガキの生意気な表情が不安で崩れるところを見てみたいという想いもあったので、
「へえ、じゃあ死んだのかな。ぷぷぷっ、今頃海底でお魚さんの餌になってたりしてっ。ぱくぱくーってさ。ぷぷぷっ」
と言ってみた。暴力で敵わないと見るやメンタルを攻めようとする辺り、実に意地の悪い性根である。
しかし、メェケンの言葉に対するバヨネットの反応は、
「そんなわけないでしょ。あの二人が海に放り出された程度で死ぬなんてありえないわ。きっと、別の場所に流れ着いているだけよ」
という、冷静な分析だった。その様子から、バレルたちの無事を本気で信じていることが窺える。どうやら、彼女が仲間たちに抱いている信頼はかなり絶大なようだ。
「とりあえずここを離れるわよ。人がやってきたら面倒だもの」
てっきり「砂浜を掘り起こしてでもバレルたちを探す」という子供じみた我儘でも言いだすのかと思っていたが、意外にも任務を優先した行動を選択したので、メェケンは驚いた。
どの道目指すゴールは同じなので、今急いで探さずともいずれ合流できる、という考えなのだろうか? 傭兵らしいドライな考えである。
「ついてきなさい。ゴキブリを連れ歩く趣味なんてないけど、仕事だから仕方なくやってあげるわ」
「クキクゥ~ッ! このガキッ! 私だってお前と一緒に行動するなんて嫌だもんねっ!」
そんな言葉を吐き捨てるも、反抗できるはずもないので、仕方なく付いていく。幼女の背中を追いかけながら、メェケンはどうにか彼女の弱点を探せないかと頭を悩ませた。
……それにしても、『シャドウフラワー号』を沈没させたのは、いったい何者なのだろうか?
◆
場所は変わってタム天使教国。
朝陽が射し込む教会の一室に、彼らは集まっていた。
手を組んで祈りを捧げた後、テーブルに並んだ食事に手を付け始める。パンやスープといった簡素な献立だった。
「もー、クーちゃん! 口元にスープが付いてるよ!」
頭の左にサイドテールを作っている少女は、隣に座る少女の口元を拭いた。クーちゃんと呼ばれた少女は、まだ意識が半分夢の中にあるのか、ぼんやりとした目で中空を見つめている。
彼女たちふたりの顔はとてもそっくりだった。外見上の相違点を挙げるとすれば、髪を頭の左右どちらで結んでいるかくらいである。
神父は少女たちの仲睦まじい姿を見て、目を細めて笑う。穏やかな朝の風景だった。
やがて食事が終わりを迎えた頃、神父は話を切り出した。
「先ほど『上』から連絡が届きました。昨日、帝国の方で動きがあったようです。何でも、かの将が不審な輩と交戦したとか」
その言葉を切欠に、食卓の空気は一気に張り詰めた。
「加えて、今朝ミルクと僕が見かけた罪人の船──アレもまた、『マクガフィン』を狙ってやってきたと見て間違いないでしょう」
噂というものは完全に断つことが出来ない。時間が経過すればするほど、広がっていくものなのだ。『マクガフィン』の噂もまた然り。どこかから嗅ぎつけた鼠がうじゃうじゃとやって来ているのである。
このまま何もしなければ、国外からの来訪者はどんどん数を増して行くだろう。
ただでさえ帝国と教国は戦争だけで手一杯なのに、これ以上外部からの侵入が起きれば、戦況の渾沌は避けられない。漁夫の利を取るように『マクガフィン』を横から奪われてはたまらないし、彼らの介入が原因で教国が戦争で不利になるなんて事態になってしまえば最悪だ。
「なので、そろそろ作戦を実行すべきだ──と、僕の中の天使様は仰っています」
まるで啓示のような、その台詞。
それがタム天使教国の特殊部隊、『教会』のリーダーの言葉だった。




