110「罪と氷」
「いやア~……もう最悪だね」
船室を出た先にある甲板にて。
十数時間前に島の長の豪邸で口にしたものとは真逆の台詞を呟きながら、メェケンは浮かない顔を晒していた。体調自体は変わらないが、『体内にあと数日で起爆する劇毒が潜んでいる』という状況が、彼女の気を重くするのである。せっかく自由になった身で潮風を浴びても、ちっとも爽やかな気分にならない。
「このメェケンに舐めたことをしやがって……ちょームカつくよねっ。いつか必ずブチ殺してやるんだから」
恨み節を吐きながら甲板の柵に寄り掛かる。
『シャドウフラワー号』が進む先に広がる海は、暗闇に染まっているが、空の一点に目を向けると、その部分だけほんのわずかに白みがかっていた。バレル曰く、朝には目的の島に到着するらしいので、もうあまり距離がないと見て良いだろう。
ここまで来たら、傭兵団と共に行動するしかない。
別にメェケンは、国と国の戦争に挟まれた程度で死ぬつもりは全くない。憲兵時代に似たような経験は何度かしたし、『肉体再生』の寵愛を持つ今となっては銃や剣なんて怖くないのだ。
とはいえ、此度の戦いで待ち受けるのはタダモノではないだろう。
まず『マクガフィン』。
通常、アヴァロンの剣はそれが持つ異能も含まれた名前──例えば『分かち断つ』『フラグメント』、『射し照らす』『フォトンブック』──をしているが、この剣の場合は剣身に彫られていたという『マクガフィン』だけだ。つまり、どんな機能を備えているのかがさっぱり分からない。
それについて分かっている情報といえば、スプリ帝国の調査団が遠く離れた島に行った際、魔獣の死体の山の中央に突き刺さっているところを発見し、それを持ち帰る際に調査団の殆どが死亡したということくらいだ。唯一命辛々生き残った軍人も、「この剣を使うな」と言い残し、すぐに息を引き取ったという。以来、『マクガフィン』は、時が来るまで帝国の奥深くで厳重に保管されているのだそうだ。
バレルからその話を聞いた時、メェケンは思った。「オーバーに話しているだけなんじゃね?」と。敵どころか持ち主にまで危害を及ぼすほどに強大な力を持っているなんて、まるで昔話に出てくる魔剣ではないか。
そんなわけの分からないものを奪うだけでも気が滅入るが、障害となるものは他にも存在した。
帝国が『マクガフィン』の防衛の為に組織したという『鞘』。そして、魔剣を奪う為に動くであろうタム天使教国陣営。
異能の剣を守る、あるいは狙う彼らは十中八九、何かしらの特別な力を持っているだろう。その中にはひょっとしたらいくつもの寵愛を持つメェケンですら対処が難しい相手がいるかもしれない。特に同じ躰天使と契約を結んでいたスコープを殺した人物がいるという『鞘』は要注意だ──と。
あれこれと考えていたメェケンはふと気付く。
『シャドウフラワー号』が進む先の水平線に、いつの間にか島が見えていることに。
戦争中と聞いたので、てっきりあちこちが荒廃しているのかと思っていたが、そんなことは無く、街や畑のようなものが見えた。沿岸には、こんな時間だというのに人影が何人かある。漁師だろうか。
「アレが目的の島かな……くっそぉ……生意気に戦争なんてしちゃってさア。お前らが大人しくしてりゃ、今頃私はあの島で優雅な暮らしを続けられたのに」
口を尖らせながら、前方を睨みつける。島に着いたら気晴らしに住民を虐殺しようかと思ったが、そうしたところで仕事の成功が遠のくだけなので、渋々諦めた。
船室に居る傭兵たちの様子を見るべく、彼女は振り返ろうとする。
その時だった。『シャドウフラワー号』の上空に、巨大な氷塊が出現したのは。
「え」
夜の闇の所為で、船を覆う影の存在に気付いていなかったのが言い訳にならないほどの存在感と空間ごと凍り付きそうな冷気に肌が粟立つ。
いったいなんだこれは。どこから降ってきたのだ?
そんな疑問に考えを巡らせる暇もなく、氷塊はメェケンたちが乗る小船に向かって落下し、水飛沫を高く舞わせた。
◆
タム天使教国の沿岸部に、ふたつの人影があった。
ひとりは長い髪を頭の左側でひとつ結びにした少女。
もうひとりは大柄な体に黒一色の祭服を纏った男だ。
少女は海に向かって片手を突き出しており、その延長線上にある海面では一隻の船が沈没していた。彼女が持つ氷天使の寵愛、『永遠氷結』で生み出した光景だ。
「──神父様。これで良かったのですか?」
少女は不安そうに尋ねた。見たところまだ十代も半ばの彼女にとって、話してすらいない相手を手にかけたというのは、疑問が残る行動だったのだろう。
「良いに決まっていますとも」
問われた男はにこやかに答えた。
「船首に立っていた女を僕の『罪悪審議』に掛けましたが、酌量の余地もないほどの黒でした。ただでさえ『帝国』との戦いで厄介なことになっているというのに、あんな罪人がこの島に近づくことを許せば、更なる混迷を招くこととなるでしょう。ですからミルク、君がしたのは完全なる善行です──と、僕の中にいる天使様は仰っていますよ」
そう言うと、彼は大きな手で少女の頭を撫でた。ゆっくりと、優しい手つきだった。
頭上で動く手のむずがゆさに少女は僅かに体をよじらせたが、自分が善行を為したのだと知って、「えへへ」と頬を緩ませる。
「朝の日課の準備をしていたらあんな船を見つけた時はどうしたものかと思いましたが、君がいてくれて本当に助かりましたよ。──そろそろクルミを起こしに行きましょうか」
神父に促されて踵を返すと、少女は岬に建つ小さな教会に向かって行った。今にもスキップをしそうなくらいにご機嫌な歩調だった。




