107「鞘」
昔々。
二十年以上前のこと。
スプリ帝国とタム天使教国というふたつの国があった。
両国は隣り合って存在しており、長い歴史の中で小競り合いじみた争いが何度かあったものの、基本的には友好的な関係を結べていた。かつて存在していた地平の全ての脅威である魔王との戦いの際に、両国が戦線を共にした回数は数えきれないほどである。
しかしある日、『大いなる死』を切欠に、ふたつの国は領土の殆どを失ってしまった。それでも僅かな土地が残ったが、最悪なことにそこは国境付近の土地だった。
こうなれば、その土地をめぐっての争いが起きるのは当然の成り行きだ。とはいえ、当時の帝国も天使教国もお互いに自国の復興だけで精一杯だった。なので、『大いなる死』の直後に表立った戦争は殆どなかった。
しかし十年の時が過ぎ、互いにようやく落ち着いてきた頃になると、戦の火種がだんだんと点き始めるようになる。ここ数年に至っては、月に何度か軍隊同士の接触が起きているほどだ。両国の関係は戦争状態にあると言っても誤謬はないだろう。
そんな不安定な情勢にあるふたつの国の片方──スプリ帝国にて。
柔らかな日差しを浴びながら、ひとりの女が舗装された石畳の上を歩いていた。二メートルに届かんばかりの長身は鍛えられており、筋肉質な体躯は見る者に女性特有の柔らかさを感じさせない。そんな体に帝国の軍服を纏っているのだから、彼女から漂う風格は女性どころか生物離れしていた。腰に提げられた軍用のサーベルが、これ以上なく似合っている。
彼女の名はガトー。長年に渡って帝国を守り続けてきた将校のひとりである。
「こんにちは、ガトーさま!」
鋼の女に向かって駆け寄る少年がいた。その瞳に怯懦の色は微塵もなく、見上げる相手に対する尊敬の念で染まっている。
呼ばれたガトーは振り返ると、威厳に満ちていた表情をほんの少し緩めた。彼女は少年と同じくらいの目線になるまでしゃがむと、その小さな頭に手を乗せた。
「こんにちは、セータ。何か用でも?」
「ううん、なにも! ガトーさまを見かけて、声を掛けたくなっただけ!」
セータは無邪気な笑顔で言った。すると、その背後から女が急いで駆けつけてきた。彼の母親である。
セータの母は頭を下げると。
「すみません、ガトー様。この子ったら礼儀が全然なっていなくて……」
「よい。国の将来を担う子供なら、このくらい元気なのが一番だ」
寛大な態度で許された母親はほっと息を吐き、安心する。
ガトーは根っからの軍人であり、その性格には苛烈な要素が多分に含まれていたが、帝国民への愛は人一倍強かった。特に子供に対しては、守るべきものであるという庇護欲と、国の将来を任せることになるという期待から、つい甘くなってしまうのである。
母親はもう一度深々とお辞儀をした。
「おいおい、そう何度も頭を下げることはないだろう」
「日頃の感謝も含めての礼です。ガトー様のおかげで私たちの生活が成り立っているのですから。先月に起きた国境付近での戦いでも、貴方様がいらっしゃらなければ、いったいどれだけの国民が被害にあっていたことか……」
「よせ。軍人として当たり前のことをしたまでだ。それに、国民ひとりひとりの支えがあってこそ、私は戦うことが出来るのだよ。そう言う意味では、私と君は対等な関係にあると思うがね」
「そ、そんな! 滅相もありません! 身に余る光栄です!」
慌てて首を横に振る母親に向かって、ガトーは微笑を投げかけると、少年の頭をもう一度撫で、「では、私はこれで」とその場から去って行った。
その背中の勇ましさに親子二人は見とれていたが、暫く経ってはっと我に返る。
それと同時に、母親は気になっていたのに委縮して聞けなかったことがあったのを思い出した。
「ガトー様が小脇に抱えていらした布袋はなんだったのかしら?」
◆
ガトーは帝国軍の基地に戻ると、硬質な廊下をつかつかと進み、階段を昇っていくつかの角を曲がった後、ある部屋の前で止まった。彼女が管理を任されている部屋のうちの一室だ。
一般的な会議室とあまり変わらない内装が出迎える。中央に長テーブルがあり、それに沿うようにして椅子が並んでいる。奥には黒革のソファがあり、窓のカーテンは閉じられていた。
「やあ」
声が飛んできた。
椅子のひとつに腰かけていた青年は、年齢的に新兵の若造にしか見えない。将校であるガトーに気さくに話しかけられる立場ではないだろう。
しかしこの舞台においては──この部隊においては、彼と彼女の立場は限りなく近かった。
ガトーは返事代わりに、抱えていた布袋を青年に向かって放り投げた。彼は咄嗟にキャッチする。
「急に何を……⁉ 優秀な僕に物を投げつけるとはどういうつもりですか!」
むっとした表情になりながらも、彼は手元に渡った袋の口を覗き込んだ。
そこには生首が入っていた。
「ひっ!」
驚きのあまり、袋を投げ飛ばしてしまう。宙を舞った袋は向かいの壁に当たると、床に落下した。その衝撃で内容物が外に転がる。どこからどうみても人の首だ。見間違いではなかった。
青年は顔面を蒼白にさせながら、震える口で言葉を紡いだ。
「なっ、ななななっ、なん……」
「おっと、驚かせてしまったか。軍人だから、てっきり死体は見慣れてると思っていたんだが」
「同じ軍人でも、優秀な僕のメインフィールドは戦場じゃなくて会議室なんですよ!」
青年は恐る恐るといった様子で床に視線を落とす。
そこには依然として、首が転がっていた。顔に走った古傷が特徴的な男だった。
「なんですかこいつ」
「臭う鼠がいたのでな。駆除してきたぞ」
「うへあ。だからってビックリ袋にしなくても……生け捕りにすれば良かったのに」
「出来ることならそうしたかったが、天使の寵愛を使われたのでな。アレは恐らく……躰天使か? ──いくら私でも、少しの油断が命取りになる寵愛持ちを相手にして、生け捕りで済ませられる程度に手加減できるほど強くない」
そう言う割りに、生首の断面は非常に滑らかになっており、ガトーの実力の高さが窺えた。
「寵愛持ち……? じゃあこいつは教国のクソったれが送り込んできたスパイですか?」
「そうかもしれないが、そうじゃない可能性もあると思うぞ」
「どうしてです?」
「使っていた格闘術に見覚えがあってな。寵愛を織り交ぜることでほとんど我流にまで昇華させていたが、その端々に見えたのは、遠い西の一部地域に伝わる格闘術だった。教国ではなく、外からやってきた輩と見て間違いあるまい」
「西の……ああ、そういえば貴方って『大いなる死』が起きるより前は世界各地を旅していたんでしたっけ? だから分かったんですか。なるほどなるほど」
青年は納得したように頷いた。
「この時期に国外から刺客が来たということはつまり……狙いは『アレ』でしょうか?」
「十中八九そうだろうな」
スプリ帝国とタム天使教国の間では軍隊の衝突が何度も起きているが、未だに決着がついていないのには様々な理由があった。
あまり派手に争うと少ない土地を傷つけてしまう、とか。
『大いなる死』からある程度復興できたとはいえ、両国の勢力は全盛期に比べれば著しく劣っており、その為全力でぶつかり合うことが難しい、とか。
その他諸々だ。
情勢は不安定であるものの、シーソーのようにガッタンゴットンと交互に傾くような日々が続いているのである。
しかし、この状態を打破しかねない要素が、最近になって飛び込んできた。
それこそが帝国のとある部隊が遥か遠くの島から持ち帰ってきたアヴァロンの剣である。
「名は『マクガフィン』。伝説の鍛冶師が作ったという剣の強さは、疑う余地もない。だからこそ、我らが帝国は兵を派遣までして、それを求めたのだ」
そして。
そんなものを欲しがる輩は、帝国以外にも山ほどいる。
「今回私が遭遇した刺客は外からの来訪者だったが、かといって教国が『アレ』を狙ってこないということはないだろう」
「もし奴らが──あるいは他に潜んでいる第三勢力が本格的に動き出したら……」
「その時は私たち──『鞘』の出番になるな。戦いの幕開けはすぐ傍まで来ているのかもしれない。準備しておけよ、優秀なフレイタワード」
「了解。それで、この生首はどうするんです?」
優秀なフレイタワードと呼ばれた青年は生気のない生首に目を向けた。
「ヴラッドに渡しておけ。まだ血が残っているからな」
「どうしてアイツに? ……って、ああ、そういうことですか」
ガトーが言わんとしていることをすぐに理解したフレイタワードは、手をぽんと鳴らした。
「ついでにサーミィにも声を掛けておきましょうか。どうせなら一度、『鞘』の全員が集まった方が良さそうですからね」
「ああ、そうしてくれ。頼んだぞ」
ガトーはそう告げると、踵を返し、廊下へと出て行った。将校の顔を持つ彼女は、この部屋以外にも顔を出さなくてはいけない場所がいくつもあるのだ。
ひとり残されたフレイタワードは、凄く嫌そうな顔で生首を拾い上げると、彼もまた部屋を出て何処かへと向かって行った。
こうして、アヴァロンの剣の護衛を目的としてスプリ帝国が秘密裏に設立した部隊『鞘』の構成員同士の会話は、たった数分で終了したのだった。




