106「きかないはなし」
メェケンは次の瞬間にはバレルと名乗ったスーツ姿の男に向かって手を伸ばそうとしていた。向こうの素性は知らないが、自分が海上憲兵でやらかしたことを知っているだけで消す理由としては十分である。
しかし、メェケンのチョークのように白く細い指がバレルの鼻先に触れるまであと数センチとなったところで、彼女の動きはピタリと止まった──否。
止めさせられた。
「が……ど、どゆこと……?」
手どころか腰や脚、体の各部分が何かで縛られたような感覚があり、少しも動けない。口も満足に開かないため、一言話すだけでも一苦労だ。
それでも無理をして動こうとすると、縛られる強さが増した。なにか糸のようなものが肉に食い込み、激痛が走る。
「ほぎゃあああ⁉ いたっ、いたタタタあああああああああッ⁉」
「おっと。そう言えばキミは躰天使との契約で、触れた肉体を吹き飛ばせるんだったな。あともう少しで死ぬところだったよ、危ない危ない──ありがとね、トリガー」
バレルは振り返り、そこに立つコートの女へと笑いかけた。笑顔を向けられた女は、微笑を返す。少しぎこちないが、温かみのある表情だった。この掛け合いから察するに、どうやらメェケンの動きを封じたのは彼女らしい。そこにどのようなトリックが潜んでいるのか、皆目見当も付かなかった。
バレルはメェケンに向き直ると。
「いや、まあ、でもね、キミがそう血気盛んになるのも分かるよ。誰だって、自分の後ろめたい経歴を知っている相手がいたら、殺したくなっちゃうよね」
血生臭い思考を誰もが共感できる『あるあるネタ』であるかのように語る彼もまた、メェケンに近い位置に立つロクデナシだった。
「だけど誤解するのはやめてもらおうか。俺たちは別に、正義感に駆られてキミを倒しにきたわけでなければ、懸賞金目当てにキミを捕まえに来たわけでもない。今の所はね」
「今のところ……?」
「俺が話す提案を呑んでくれなかったら、その時は残念ながら……ってコトになるかな」
「の、呑むよ呑む呑む。何でも呑むよん!」
体の自由が利かず、彼我の優劣がはっきりしている以上、逆らったところで利益はひとつもない。ここは一旦下手に回って、逃亡か逆襲の機会を待った方が賢明である。彼女に「どれだけ圧倒的な存在が相手でも諦めずに立ち向かう」なんていう熱血主人公みたいなパーソナリティはないのだ。
「なんてったって私は憲兵時代に周囲の人間から『呑めないものはない』とまで言われてたくらいの呑みリストだったんだからね! あっ、それとも『呑む』んじゃなくて、何か情報を『吐いて』ほしいのかな⁉ 私が知ってることならスリーサイズから海上憲兵の機密までなんでもゲロっちゃうよん!」
口まで縛られているというのに、ベラベラと饒舌に話すメェケン。三下の振舞いをさせたら彼女の右に出る者はいなかった。視界の隅に映る使用人が、口元に安心と嘲笑を混ぜた感情を浮かべている。「後でぶち殺そう」とメェケンは強く決意した。
「ははっ、元気一杯だねえ。この調子なら、今から頼む仕事にも期待できそうだよ」
バレルは子供でも見るような目つきで、メェケンの態度をそう評価した──仕事?
「そっ。俺がキミに提案したいのは、仕事への協力だよ」
◆
「そういえば俺たちひとりひとりの名前はさっき明かしたけど、どんな集団かはまだ名乗っていなかったな」
『仕事』の詳細に入る前に、バレルはそのように話した。
「俺たちは……いわゆる傭兵団でね。世界中のあちこちを回っては、そこで起きている戦争に参加したり、あるいは街を襲う怪物を退治したりして稼いでいるんだよ」
佇まいから表社会の人間ではないと思っていたが、傭兵という武力派の集団だったのは意外だった。軽薄そうな男に、幼い少女、武装のひとつもしていない女と、一見すると戦争どころか酒場の喧嘩すら出来なさそうな三人である。
しかしその実、躰天使の契約者であるメェケンを瞬く間に無力化してみせたほどの力量を持っているのだ。傭兵家業を生業にしているというのは、口から出まかせではないだろう。
「それにしても三人って少なくない? そういう組織ってもっと人数が要るでしょ?」
「おっ、鋭いねえ。その通りだ」
バレルは鳴らした両手の指先でメェケンの顔を指した。仕草がいちいちチャラついてる。
「キミの言う通り、俺たちにはもっと多くの仲間がいる。なのにどうしてここに三人しかいないのかって言うと、理由がふたつあってね……」
そこでバレルは指を二本立てた。白い歯を見せながらそんなポーズを取ると、『2』を表しているというより、呑気にピースサインをしているようにしか見えない。
「ひとつ。ボスが率いる本隊が、別件で動いているから」
なるほど。同時にふたつの仕事を抱えていて、組織内で分かれているのか。シンプルな理由だった。メェケンは納得しつつ、ついでにこの場に傭兵たちのリーダーがいないことも知った。
「ちなみにだけど、キミって俺たちのボスが誰か知ってる? 結構有名人なんだぜ? 名前くらいは聞いたことがあるんじゃ──」
「ちょっと、バレル」
そこで、今まで黙っていたバヨネットが、バレルの膝の上から口を挟んできた。
帽子──よく見ると、薄く伸ばした板金を帽子のように加工しているので、どちらかと言えば兜に近いのかもしれない──を目深に被っているが、その下から覗く目は、剃刀で切り裂いたかのように鋭い。同年代の少女が見せることはまずないであろう目つきだ。
「黙って聞いていたけど、話に無駄が多すぎじゃないかしら? どうせコイツに私たちの話を断る道なんてないんだし、必要最低限のことを話せばいいでしょう? それに、こいつってナイフとフォークの持ち方すら分からなさそうな馬鹿だし、ボスのことを話したところですぐに忘れると思うわ」
「かっちーん!」
メェケンはキレた。
「言わせておけば、こんのメスガキがア~ッ! 年上に対する礼儀ってヤツを教えてやろうかア~ッ⁉ 言っておくけどねエッ! こちとら、海上憲兵の入隊試験を上位の成績で通過したくらいには凄いんだからな! (十分な前準備と努力をしたからだけどっ!)」
「はあ? アンタって今は、海上憲兵から追われてるんでしょ? そんな奴がよくもまあ偉そうに、入隊試験の成績を誇れるわね。そもそもトリガーに縛られているのに、どうやって私に礼儀を教えるつもりなのかしら。やれるものならやってみなさいよ。やれるんならね」
「クキクゥ~ッ!」
おおよそ二十は年が離れている少女を相手に言い負かされる大人がここにいた。
見かねたバレルが宥めるような声で、
「おいおいバヨネット、そこまでにしておきな。これから一緒に働くかもしれない相手と喧嘩するんじゃあない」
「……はーい」
渋々といった様子でそれ以上の口撃をひっこめる。
すると次の瞬間、メェケンの腕がバヨネットの頬に向かって突き出された。
その場に居たメェケン以外の全員が己の目を疑う。彼女は確かに縛られていたはずだ。そんな状態で動けるはずがない。無理をすれば肉に糸が食い込むし、それでも止まらなければ体が千切れる。
しかしそれは逆に言うと、体がバラバラになるというリスクを飲み込めば、糸の拘束から逃れることが出来るということである。
メェケンはそれを実行したのだ。
右腕を限界を超えて動かし、切除した後、『肉体再生』の力を発動、フリーとなった手の平を自分に生意気な台詞を吐いた子供に向かって伸ばしたのである。腕を自切する痛みは凄まじかったが、バヨネットへの怒りを思えば我慢できた。
『呑み込めないものは無い』。
メェケンが自称した言葉だが、どうやら彼女が飲み込める対象には『リスク』も含まれていたようだ。
バヨネットの体は兜のような帽子を始めとして、籠手やグリーブといった装備で覆われている。しかし、それでも肌が完全に露出されていないわけではなかった。
メェケンは勝利を確信しながら、バヨネットの頬に触る。
もちろん、殺すだけでは終わらせない。彼女を膝に抱えているバレルにも致命傷を与えられるよう、爆破の威力と方向を調整する。
糸使い(?)のトリガーもまとめて吹き飛ばせれば最高だが、そこまではできなさそうである。とはいえ、メェケンは彼女の拘束を一度破ることが出来たのだから、一対一で勝てないことはないだろう。
「くっふっふふふふっふ! バーカ! 大人が子供に負けるわけがないんだよん! 来世ではもーちょい賢くなって生まれてくるんだねッ!」
血飛沫が舞った。
ただしそれはバヨネットの体からではなく、メェケンの手からだった。
「ぎええええええええええ⁉ そ、そんなバカなあああああああああああああ⁉」
確かに自分の手は、憎きクソガキに触れたはずだ。なのにどうして血を溢しているのはこっちなんだ? おかしい。道理に合わない。離れた指が床の上で芋虫のように転がるのを眺めながら、メェケンは困惑した。手の甲には夥しい数の切り傷が刻まれており、ドクドクと赤い液体を垂れ流している。まるで何本もの刃物でメッタ刺しにされたような惨状だった。
一方バヨネットは爆発するどころかむくみひとつ起こしていない。少女特有のすらりとした体のままであり、その顔には馬鹿に対する嘲りを浮かべていた。
百歩譲ってこちらが傷を負っているのは理解できる。きっと何かの寵愛でも使われたのだろう。
だが、向こうが五体満足で無事なのはどういうことだ? 『肉体破壊』は、たとえゾンビだろうと吸血鬼だろうと、あらゆる肉体を吹き飛ばせる無敵の力ではなかったのか?
「まったくもー、勝手に暴れちゃってさー」
バレルは呆れたように言うと、トリガーに指示を出し、束縛を強化させた。縛る糸が増え、糸というよりも布でグルグル巻きにされているようになる。線ではなく面での拘束だ。これでは先ほどのような自傷行為は行えないだろう。
「元気なのは良いけど、それが行き過ぎてスコープのように早死にされるのは困るぜ」
「スコー……プ……?」
「あー、そういえばまだ説明の途中だったか──俺たちが三人しかいない理由のふたつ目、それはね」
バレルは改めてピースサインを作ると、説明を再開した。
「四人目のメンバーだったスコープが、任務が始まる前に殺されて、人数が減ったからだよ」
そして。
「そいつは躰天使と契約していてね。だから、その代わりに同じ契約者であるキミに協力してほしい。今回の仕事には躰天使の力が欠かせないからな」
そこで話は最初に──傭兵たちがメェケンに頼みたいという仕事に戻った。
「ここから少し離れた島でふたつの国が戦争をしていてね。その片方がアヴァロンの剣を手に入れたらしい。俺たちの仕事は戦争の混乱に乗じてそれを奪うことなのさ」
そんな嵐の海に飛び込むような危険行為が。
メェケンが謳歌していた平和な日常とは程遠い戦いが。
事が始まる前の時点で死者が出ている任務が。
彼女がこれから同行することになる仕事の内容だった。




