105「一方その頃、彼女は」
サトー・ロータローが自分の脳に定着していた存在しないはずの知識に困惑していた頃、元海上憲兵大佐にして現逃亡犯である躰天使の契約者、メェケンはチェレン王国から遠く離れた島で優雅な暮らしを満喫していた。
住処に定めたのは島一番の豪邸だ。ちなみに、彼女の前にここに暮らしていた島の長は、木っ端微塵に吹き飛ばした。眉目秀麗な美男美女や役に立つ働き者ならばともかく、口を開けば耳障りなしゃがれ声しか出てこない老人なんて、邪魔なだけである。誰が好き好んでそばに置いておくものか。それが存在するスペースを使って観葉植物でも設置した方がまだマシである。
青と黒の二色で構成されたソファに腰かける。島一番の職人になるはやで作らせただけのことはあり、最高の座り心地だ。体が沈みこんでいる箇所から体内の疲れが吸い取られていくような心地よさを感じる。
外の天気は嵐から程遠い晴れであり、メェケンのサイコーにハッピーな気分を表しているかのようだった。その事実から、まるで世界までもが今の自分に味方してくれているかのような全能感を錯覚し、元から緩んでいた頬が更にだらしなくなった。
窓から差し込む日光は部屋の温度を上昇させ、喉が渇きを訴えだす。
「ねエ」
「あひぇっ⁉」
声を掛けると、部屋の隅で掃除をしていた使用人は面白いくらいの勢いで飛び上がった。その顔は青ざめており、目元には濃い隈が刻まれている。掃除道具を握る指先は小刻みに震えていた。一瞬後の自分の無事を確信できていない者がよく見せる態度だ。
元は島の長に仕えていた使用人であり、メェケンのものになる前は明るく元気で気立ての良い娘だったという。それが今となってはこの有様だ。とても仕事が出来るメンタルではないが、「少しでも不出来な様を見せたら死ぬ」という恐怖が、彼女の四肢を駆動させる燃料となっていた。
自分に逆らったらどうなるかを教えるために長の一家を目の前で殺したのがマズかったのかもしれない。「一家全員じゃなくて、三人くらいにしておくべきだったかなぁ~」とメェケンは珍しく反省した。
「暑いからカーテン閉めて。あと、喉乾いたから水持ってきてー」
「あっ、ひゃっ、はははっ、は、ひゃいっ」
慌ててカーテンを閉め、厨房へと足早に去って行く。その様子があまりにおかしかったので、メェケンは思わず「くふふっ」を笑い声を溢してしまった。
敵が居ない土地と豪華な住まい、言うことを聞く使用人、安定した生活。ここには人間ならば誰もが求める生活がある。おまけにメェケンは通常ならざる力まで持っているのだ。
こんな最高なシチュエーションで笑いのひとつも浮かべるなという方が無理な話である。
……思えば、この島に来たばかりの頃は大変だった。
幸いなことに、海上憲兵の手は伸びていなかったものの、だからといってそこに住んでいるのが疑うことを知らない脳内お花畑の阿呆共だったわけではない。寧ろメェケンは思いっきり疑われた。
当初は『乗っていた船が難破してしまった船乗り』の設定で島民を騙そうと考えていたメェケンだったが、彼らから猜疑の視線を向けられたことを理由に計画を変更。『実は職務上、明かすわけにはいかなかったのですが──』と前置きし、自分が海上憲兵なる海の軍隊に所属する者であると説明した。大きな組織の一員であることを知れば、島民たちが表立って敵対的な態度をとることもないだろうと考えたのである。
しかし、それでも村人たちは疑うことを止めず、やがてやってきた自警団がメェケンの身柄を確保しようとした。
その時だ。
「あ~あ」
ぷっつりと、メェケンの中で何かが切れた。
「まだちょっと疲れてるから最初はバトるのやめて良い子のフリしとこうと思っていたのにさア。そっちがその気なら、もう取り繕うのも面倒だし、殺しちゃお」
直後、彼女の腕を引っ張ろうとしていた屈強な若者が、勢いよく爆ぜた。続けて、すぐ傍にいた男も炸裂する。
島民たちにはいかなる理屈でその惨劇が起きたか理解できるはずもないが、次にすべきことは動物としての本能的な部分で理解できた。
彼らは一斉に悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。メェケンは走って追いかけるような真似はしない。これまでの船旅で疲れているからだ。もう足がヘトヘトなのである。それに歩いたところで、足腰の弱い老人や女子供には十分追いつくのである。
それから何人か適当に吹き飛ばしていると、左肩に穴が開いた。見ると、自警団のひとりが煙の立ち上る銃口をこちらに向けている。
銃。
それを見て、メェケンの脳裏には一瞬、忌々しい敗北の記憶が蘇ったが、すぐにそれを振り払った。そうしている間に、肩にあったはずの銃創は綺麗さっぱり修復されていた。持ち主に無限の生命力を与える躰天使の寵愛、『肉体再生』だ。
自警団の狙撃手は撃ったはずの相手がピンピンしていることに驚いたものの、続けて二発目、三発目を放つ。その中にはメェケンの脳天を貫くものもあったが、どれひとつとして彼女に有効打を与えることは無かった。
そのままメェケンは悠々と歩みを進めると、銃を持った自警団員に触る。
「ば、バケモノ……」
という言葉を最期に、彼は肉体を四散させた。人を不審者扱いしたかと思えばバケモノ呼ばわりするなんて失礼すぎるだろ、と腹が立ったが、海上憲兵の存在すら知らない無知で学の無い田舎者なら仕方ないのかもしれないな、と思った。
その後も一方的な殺戮を続け、十数分が過ぎると、メェケンは動きを止めた。そして、どこかに隠れているであろう民衆に向かって声を張り上げた。
「この島で一番偉いヤツって誰? 教えてよん」
虐殺の恐怖をたっぷりと見せつけられた彼らは、その言葉に逆らうことが出来なかった。
それからはとんとん拍子で事が進み、そして現在。
メェケンはこの島の支配者の地位を手に入れていた。
たまに島民の中で反抗の動きが見えることがあるものの、そういう時は首謀者を見つけて吹き飛ばせばいいだけの話だった(不思議なことに、メェケンは企み事の匂いに敏感だった。自分もよく何かを企むタイプだから、同種の匂いが分かるのかもしれない)。
「いやア~、もう最高だよねッ! この地で始まる華々しいセカンドライフのことを思うと、生きる喜びってヤツを感じちゃうよ! くっふっふっ、ふふふのふんっ!」
ソファの背もたれに体を沈めながら、メェケンは大笑いした。
「海上憲兵の暮らしも中々良かったけどさア、やっぱ根回ししないといけない組織があったり、猫被らなきゃいけない相手がいるっていうのはケッコー疲れたよね。その点、この島の王様は文句ナシだよん!」
それでも、海上憲兵の範囲拡大を目的とした活動を思えば『いつかこの島にも彼らの手が及ぶのではないのだろうか』という心配があったが、それは今日明日の話というわけではあるまい。いつかその時が来たら、すたこらさっさと逃げて、また新しい島を探せばいいだけの話だ。メェケンが持つ超常の力なら、どこに行っても支配者の地位を手にすることが可能だろう。
そんな風に未来を楽観視していると、部屋の入口に使用人の姿が見えた。
「おーそーいー。水を持ってくるだけでこれだけ時間かかる?」
「す、すいませんっ。あっ、あの、お客様たちがお見えになりまして、その対応を……」
「客ぅ?」
メェケンの家を訪れる客なんて、この島には存在しない。この邸宅に誰かが来るとしたら、それは処刑される反逆者か、捧げる供物をもった納税者くらいである。メェケンの恐怖を知る者ならば、わざわざ彼女の家に行くなんて言う自殺行為をするはずがないのだ。
まさか──とメェケンは思考する。もしかすると、使用人が言っている『客』とは、何も事情を知らない島外の者なのかもしれない。流れの旅人や漂流者なら、まだいいが……。
「もしかしてその客って、白い軍服を着ていなかった?」
「え? いっ、いえ、そんなことは……三人とも、別々の格好をしていました」
少なくとも海上憲兵ではないことを確信し、胸を撫で下ろすメェケン。
それで、と使用人は言葉を続けた。
「お客様たちは、あ、あのっ、ご……、ご主人さまに用があると」
「…………ふぅん」
怪しい匂いしかしない話だ。しかし、ここで追い返し、怪しい人物を放っておくほうが、リスクの大きい選択であるように思える。
なーに、仮にこちらに危害を加えるようなならず者だったとしても、たかが三人しかいないのだ。躰天使の力を使えば、一瞬で片づけられる人数である。
「通して良いよん。そいつらって何か名乗ってた?」
「ええと……たしか」
「バレル。俺の名前だ」
使用人が思い出そうとした名を告げたのは、いつの間にかメェケンの隣に座っていた二十後半くらいの男だった。
シャツとスーツを着崩しており、その身だしなみに相応しく軽薄な顔立ちをしている。海上憲兵ではないことはたしかだが、かといって表社会を生きている人間にも見えなかった。
この人物の登場だけでも驚くべきことだが、侵入者は更にふたりいた。
ひとりはスーツの男の膝の上に乗っかるようにして座っている、帽子を目深に被った少女。もうひとりは、メェケンの背後に立っている、暖色のコートを着た女だった。
男、少女、女──三人。
状況から考えて彼らが、使用人の言う客であると見て間違いあるまい。
「俺の上に座ってるこのカワイコちゃんがバヨネット。で、キミの後ろにいる美人さんがトリガーね」
へらへらと笑いながら自己紹介をするバレル。
「あっ、キミの方は名乗らなくていいよ。知ってるからね。だって知らない方がおかしいだろう? 海上憲兵が必死になって探している犯罪者なんて超がつくほどの有名人なんだからね──メェケンさん」
バレルがそう言った途端、メェケンは自分が思い描いていた素晴らしい未来が音を立てて崩れるのを聞いた。
しかしそれは、これから彼女が巻き込まれることになる、血と死に満ちた戦いの始まりに過ぎないのであった。




