104「わからないことだらけ」
「あ、そうだ」
配達員からチェーンの無事を教えてもらった後、ロータローは何かを思い出した。
「その、謝るのが今更になるけど、ごめんな?」
「ごめんな、とは?」
「ほら、ウチの船長のサスライが、お前の輪っかをぶっ壊しただろ? いくらあの時は逃げるために仕方なかったとはいえ、今日はお前から色々と教えてもらったんだし、一言も謝らないまま帰るってのはどうかと思ってさ」
「サスライ……ああ、シャングリラのことですか。貴方が代わりに謝ったところで大した意味があるようには思えませんけど、別に気にする必要はありませんよ。彼女に撃たれて損傷していた輪は、今となってはすっかり元に戻りましたし」
配達員は付近に輪を出現させ、見せびらかすように動かした。たしかに彼の言う通り、その輪は綺麗さっぱり修復されていた。罅ひとつ残っていない。
「はえ~、それって治るのか……そういえばメェケンも薬キメたら回復していたな」
ロータローが素朴な感想を言うと、配達員は眉をピクリと動かした。
「……あのですね。海上憲兵が長年かけて研究してきた叡智と技術を、メェケン元大佐の考え足らずな蛮行と同じように見るのは止めてください。そもそも、我々が使っている技術は」
配達員は途中で言葉を切り、口を手で塞いだ。
ロータローはその行動を不思議に思ったが、すぐに「ああ、そういえば」とかつて『フールブック号』にて配達員と交わした会話を思い出す。
「堕天使のお前が天使の力を使える理由は秘密なんだっけ」
配達員はコクリと頷いた。
危なかった。このままだと、機密事項にまで話を伸ばしてしまうところだった。
海上憲兵として、というより尊敬してやまないアトランティスの部下として働くことに誇りを感じている彼は、組織の価値がメェケンと同程度にまで下がりかねないような誤解をされて腹が立ち、迂闊な言動をしてしまったのだろう。行き過ぎた愛というのも考え物である。
「せめて、同等の価値がある情報を出していただなければ話すわけにはいきませんよ。貴方の場合は、そうですね、シャングリラが使っていた天使の力に干渉可能な機能を持つ銃の情報になるでしょうか」
「それは……無理だな」
いくらロータローでも、その情報を自分ひとりの判断で外部に漏らしてはならないことくらい理解していた。あれは機関長の努力の結晶なのだから
「しっかし、天使の力を使えるって凄いよな。まるで堕天していないみたいだ。機関長は「ふん、全然大したことないさ」ってな感じに言っていたけど、やっぱり『ない』よりは『ある』方が良いもんな」
一瞬脳裏を「なにおう」と怒る機関長が過った気がして、少し申し訳なくなった。
褒められた配達員は、アトランティス以外から受ける称賛に価値などないと思っているのか、少しも照れることなく、
「いくら褒めても機密を明かすことはありませんよ。それに、天使の力を取り戻したところで僕が堕天した事実は変わりませんからね」
それは酷く冷ややかな口調だった。
「貴方も同じ船に堕天使がいるんですから、知っているかと思いますが、天使が堕天することで、それが司っていた概念の発達になんらかの停滞、あるいは衰退や不具合を齎すことがあるんです」
そういえば、機関長が以前、要約すれば「自分が天使の座に居続けていれば、今頃世界の機械技術は著しく発達していた」といった感じのことを言っていた気がする。
「それは僕──伝天使の場合も例外ではなくてですね、僕の堕天が先か、それとも『大いなる死』により世界の各地域が海で区切られてしまったのが先かははっきりと分かりませんが、結果としてこの世界における伝送の概念は著しく衰退してしまったんですよ。おかげで伝わるべきところに伝わりづらくなってしまいました──あるいは、伝わるはずのないところに繋がってしまうようになってしまったんです」
「そうなのか。だから、こんなに航海しづらい世界になっているんだな……ん?」
そこまで聞いて、ロータローは何かが引っかかったような気がした。
何だこのモヤモヤは? 何か重大なヒントを貰ったような気が……。
頭を悩ませるロータローだが、自分で言語化すらできていない疑問を表に出せるはずもなく、配達員の話をそのまま続けさせることになってしまう。
「堕天した所為で世界に与えてしまった影響で言えば、占星術士も中々のものですけど──おっと、同僚の不祥事を吹聴するような真似はよくありませんね」
脱線しかけた話を戻すと、配達員は相変わらず感情が見えない目でロータローを見つめて、〆の言葉を告げる。
「というわけで、僕にとってこの世界は、自分の失敗を常日頃から見せられているようなものなのです。そんな状況では、『まるで堕天していないみたいだ』と褒められたところで、ちっとも嬉しくありませんよ──むしろ、虚しい」
話の流れでそうなったとはいえ、自分の失敗談を話すのはやや気恥ずかしかったのか、配達員は手を鳴らし、話を打ち切った。
「さあ、話は終わりです。これ以上話すことはありませんし、長居したところで貴方にとって得はないでしょう? このまま他の憲兵に見つかって逮捕されたいと考えているのなら、話は別ですが」
「そんなことはねーよ──マリィ、帰ろうぜ」
「はいっ、ロータローさん!」
元気いっぱいな返事と共に、ロータローの背後の暗闇で何かが動いた。
これに配達員は思わず驚愕する。今の今まで気配すら掴ませなかった存在が急に現れたのだ。驚くなという方が無理な話である。
マリィと呼ばれた人物は、未だその全貌の殆どを倉庫の暗闇の中に隠している為、どんな外見をしているかは定かではないが、その声には覚えがあった。たしか、『フールブック号』で聞いた声である。
なるほど。『単身で海上憲兵の施設を訪れるなんて命知らずだな』と思っていたが、そもそもひとりではなく、誰か──それも気配の消し方からしてかなりの手練れ──を護衛として同行させていたのか。どうやら全くの無策で動く馬鹿ではないらしい。
ロータローはそのままマリィと一緒に何処かへと消えた。
チェーンの件での借りとキロリッターの存在から、今回は見逃す結果となってしまったが、次もそうとは限らない。配達員は拳をぎゅっと握りしめる。
「いつか必ず捕らえてみせますよ、『シットローズ号』」
それがアトランティスの為になるのだから。
◆
ロータローはマリィと共に『シットローズ号』に戻った。
機関長の作業はまだ継続しているらしく、出航までにもう暫くの時間を要するようだ。どうせやることもないので手伝いに行こうかと思ったが、追い払われるだけなのでやめておくことにする。
というわけで空いた時間が出来てしまったのだが、どうしようか。
腕を組んで暫く考えていると、妙案を思いついた。
というより、思い出した。
チェーンの一件と、その後にあったゴタゴタですっかり忘れかけていたが、ロータローは異世界の言語を学んでいる最中だったのだ。
せっかく暇な時間ができたというのなら、それを利用して勉強を進めておこう。
「光の剣で脳味噌を刺された所為でこれまで覚えたことが全部パアになった……なんてことはやめてくれよ」
祈るようにして呟きながら、ツーテルクトップから借りていた本を取り出す。
『塔の子と森の子』。
前回まで読み進めた箇所を開き、そこに並ぶ文字列に目を通す。──次の瞬間、ロータローの表情は固まった。
「え……?」
ページをめくる。更に次のページへと進む。それをひたすら繰り返した。ページをめくるたびに、彼の額に浮かぶ汗は量を増して行く。
「どういうことだよ……」
ついには最後のページまで捲り終えたロータローは、呆然と立ち尽くした。
やがて、暫く経つと、本を閉じて走り出した。
困惑を隠せない表情で走る姿は、すれ違う船員たちから奇異な目で見られたが、それを気にするほどの余裕を、今の彼は有していない。
全速力で駆けていたロータローは、ある部屋の前で立ち止まる。それはツーテルクトップの部屋だった。
勢いよくドアを開ける。本の雪崩が出迎えた。初めてこの部屋を訪れた時と比べれば遥かにマシな量だったが、いったいどんな管理をしていれば、これほどの短期間で散らかせるというのだろう。
ロータローは本の群れを掻き分けて、室内へと這入って行った。
「ツーテルクトップ!」
「…………」
「おい! どっかにいるんだろ⁉」
「……けてー」
「そこか!」
声がした方向に駆け寄り、押し花みたいになっていた読書家を発掘する。
「やあ少年。また助けられてしまったね。ありがとう──何の用だい?」
挨拶もそこそこに用件を伺うツーテルクトップ。
ロータローは返事代わりに絵本を取り出した。
ツーテルクトップは目を細めてその表紙を見ると、
「これは……ああ、君に貸していた本だね。たしか、文字の勉強に使っているんだっけ? 調子はどーう? 半分くらいは読めるようになってきたかな?」
「いや──読み終わったよ」
「ウソ⁉ 早いね⁉」
ツーテルクトップは驚きながらも、ロータローの成長を祝うような調子で言った。
「すごいじゃないか。じゃあ、次はもう少し難しめな本にするかい? 『塔の子と森の子』は第一文字の基礎みたいな本だったし、だったら次は応用かな。それとも、思い切って第二文字に挑戦してみるのはどうだい?」
「この部屋にある本で一番難しい本を頼む」
ロータローのリクエストに、ツーテルクトップは目を丸めた。
「それは……ちょっと冒険しすぎじゃないかな。この部屋で一番難しい本って、幼い頃から文学の勉強をしている大人でも読むのに苦労するレベルだよ? たしか、古典からの引用文に古代第四文字も使われていた気がするし」
「それでいいんだ。頼む」
頑としてリクエストを変えないロータローのことを不思議に思いながら、ツーテルクトップは本の山の一角に手を伸ばし、そこから一冊の本を取り出した。『塔の子と森の子』と比べれば、分厚さや表紙のデザインからして大人向けの一冊であることが分かる本だった。
ロータローはそれを受け取ると、ページを開き──愕然とした。
「や、やっぱり──」
「ほらね、やっぱり読めなかっただろう? だからといって落ち込むことは」
「やっぱり読める」
「え?」
ぱらぱらとめくる。
そこに何が書かれているのかを、ロータローは一文字の例外もなく理解できていた。
まだ学んでもいない初見の文字だというのに!
続けて試しに、そこら辺に転がっていた本も開いてみる。そちらも同様に、書かれている文字を完璧に読み解くことが出来た。
まるで、以前に一度学んだことがあるかのような読み心地さえ感じられた。
数日前までなら、百足のようにしか見えなかったであろう文字が『薄氷』を意味する文字であることが分かる。
子供が適当に書いた落書きとしか思えなかったであろう文字が古めかしい文字であることが理解できる。
分かる。分かる。分かる。分かる! ──理解できてしまう!
「どういうことだよ……」
ロータローは先ほどと同じセリフを、もう一度吐いた。
「俺は……俺の頭はどうなっちまったんだ?」




