101「雨天の邂逅」
何もない空中から突然現れた配達員の姿を、ロータローが忘れているはずがなかった。
そして配達員もまた、ロータローのことを覚えていた。彼は目を見開いて驚いているロータローの顔を見て、あと一歩のところで『彷徨えるシットローズ号』の船員たちを逃がしてしまった記憶を連想し、苦々しい気持ちになる。配達員の顔面の筋肉が無表情を常としていなければ、不快か憤怒のどちらかに塗れた表情を見せていただろう。
「まさか、俺たちを捕まえるためにここに……?」
ロータローは思いついた推論を口走る。彼にとって配達員という存在は、瞬間移動という理不尽な異能を用いてくる恐るべき追跡者として記憶されていた。それを踏まえて考えてみれば、『あれから諦めずに「シットローズ号」の足取りを掴み、ここまで追いかけてきたのでは』という考えは、決して心配性が過ぎるものではないだろう。
しかし、配達員の様子を見てみると、どうやらその推測は違うらしい。ロータローたちを追いかけてこの場に現れたにしては、遭遇した時に見せたリアクションが奇妙だ。まるで予期せぬ邂逅をしてしまったかのように思える。事実、その分析は当たっていた。
配達員がチェレン王国を訪れたのは、『シットローズ号』の足跡を追った結果でなければ、現地の海上憲兵から連絡を受けたからでもない。
時は数十分前まで遡る。
付近の海域を偶然通りがかっていた海上憲兵の船が、チェレン王国の上空にかかる不審な雨雲を発見した。それがジキルの契約している嵐天使の力による現象であることは知られていたが、それにしても堆積している雲の量が尋常ではなく、まるで島全体を豪雨の檻で取り囲もうとしているかのようだった。それを視認した憲兵たちは不審に思ったが、嵐が発生している島に船を近づけることなど出来るはずがなかったため、本部に連絡。
そういった経緯で、風雨の壁など物ともしない移動を可能とする伝天使──配達員がチェレン王国を訪れることとなったのである。
だというのに、移動直後に海上憲兵のお尋ね者である『シットローズ号』の船員と出会ってしまったのだ。
「…………」
突然の巡りあわせに対する驚きと疑問でしっちゃかめっちゃかになりそうな頭を冷静にするように努めつつ、配達員は空を見上げた。路地の向こうに見える町並みはあちこちが吹き飛んでおり、そこで何かしらの破壊活動がおこなわれていたのだと推測できる。次に前を見る。すると、地面に血まみれの誰かが倒れていることを知った。
「あの髪と服装はもしや……」と考えつつ、ロータローの傍に立つ金髪の少女に視線をやり、背筋を凍らせる。
こいつだ。
路地に広がる凄惨な光景を生み出した犯人は、この少女だ。
強制的に確信させられる。
その存在感たるや。どうして真っ先にこいつに目を向けず、空や地面を見ていたのだろうか? ……いや、その疑問の答えは分かりきっている。
配達員は他に目を向けていたのではなく、金髪の少女から目を逸らしていただけなのだ。
至高の吸血鬼を目視するという行為を忌避していたのである。
堕ちたとはいえかつては天上に住んでいた配達員に、無意識の部分でそのような選択肢を取らせるほどに、少女が有する気迫は凄まじかった。
「その黄金のような髪に獣のような牙……まさか」唾を飲み込んで、口を切る。「そこにいるのはキロリッター。キロリッター・トングラム・センチメンタルですか?」
「ええ、そうだけど」
たっぷりの畏敬の念と共に名前を呼ばれて悪い気はしなかったのか、キロリッターは得意げな顔で答えた。
自分から投げかけた質問だというのに、返答を聞いた配達員は愕然とする。
「てっきり『大いなる死』か『第二太陽の出現』で死んだと思っていましたが、まさか生きていて、『シットローズ号』の船員と行動を共にしていたとは……」
「あははっ、私ほどの上級生物がその程度で死ぬわけがないじゃない。安く見られたものね」
笑い飛ばすキロリッター。その両手には、新鮮な血が滴っていた。
嵐の島。破壊された街。『シットローズ号』。伝説の吸血鬼。そして、倒れている女性の正体……配達員は「なるほど」と呟いた。
「『シットローズ号』め。ついに国の転覆にまで手を出すようになりましたか」
「いや、ちげえよ⁉」 ロータローは慌てて否定した。
「何が違うというのです。そこに倒れているのはこの国の最高権力者であるチェーン女王じゃあないですか。状況から判断するに、キロリッターが彼女を痛めつけたのは間違いないでしょう?」
「それはちがっ、……違わないけどさあ⁉」
誤解されている空気を感じつつも、そこは否定できないロータローだった。
このままだといつあの瞬間移動で攻撃されるか分からない。
「これにはちょっとした事情があるんだよ。──おい、キロリッター。お前からも何かいってやってくれ」
「もう面倒だから、こいつもぶん殴ったらどうかしら?」
「しまった! そういやこいつ、見た目に反して脳筋だった!」
キロリッターもキロリッターで配達員の敵対的な態度を快く思っていないらしく、ひりついた雰囲気になりつつあった。ふたりが衝突するのは時間の問題である。
片や至高の吸血鬼。片や距離の概念を無視する堕天使。
両者が戦った際に最も被害を受けるのが、まったく関係ない周囲の人々であることは想像に難くない。特に、最も近い位置にいるロータローが受ける被害は絶大なものとなるだろう。それだけは勘弁願いたい。
なんとかして止めなくては、と焦るが、単純なキロリッターはともかくとして、配達員の方はどう説得したら良いのだろうか。海上憲兵にとっては捕縛すべき対象であるロータローが現在に至るまでの経緯を説明したところで、聞く耳を持ってくれるとは思えない。
と、ロータローが頭を悩ませていると、何者かが曲がり角から姿を現した。
ロータローはその男の名前を知らなかったが、何者かは知っていた。何故なら、彼の服装は何度も目にした純白の軍服だったからだ。
「配達員……⁉ 何故ここに……?」
権天使の支配から解放され、チェーンとキロリッターの戦いで幾度も光が発生していた方向へと移動していた海上憲兵の下っ端は、配達員の姿を認めると目を丸めた。




