99「欠け落ちるミッシングページ」
「ゆら、ゆらり。ゆらり。ゆら、ゆら。」
チェーンがキロリッターに敗北したことにより『強権命令』の呪縛から解放されたオーロラは、今にも風に流れて飛んで行きそうなほどに不安定な足取りで歩いていた。
虚ろな目。口からは呼吸なのか独り言なのか判別しがたい音が漏れている。元から少なかった正気が更に減っていた。
オーロラはチェレン王国のレガリアである『射し照らすフォトンブック』を所有していることから自らが正統なる王族であることを主張していたが、現在、その手に刃無き剣は握られていない。この世のどこを探したって、聖剣が見つかることは未来永劫ないだろう。天使の領域に渡ってしまったのだから。
「ゆらり、ゆら、ゆら、ゆるる、許さない。許さないわ、あの女め。自分がしたことを後悔させてやるんだからあああああああ」
『フォトンブック』を失った今もなお、オーロラの戦意は削がれていない。
むしろ研がれている。砥石で磨かれた刃の如く、鋭利な殺意を見せていた。
その原因はチェーンに対する恨みが増したからというのが大きいが、それだけではない。
オーロラは左手で、父である先代チェレン王の頭蓋骨を抱えている。では、残る片方の手はどうしているのかというと、剣を握っていた。
深い海の底から掘り出した闇を原料としているかのように真っ黒な剣である。
より詳細に説明すると、それには鍔も柄も存在しない。
剣身だけの剣だ。
オーロラはその黒剣の、本来ならば柄に被われている部分を握っていた。
黒一色という異常なその外見。刃だけという異様なその形。
魔剣──もしこの場に他の者がいれば、その人物はまず間違いなくこの言葉を用いて、尋常から程遠い剣を表現しただろう。
刃のみの剣という攻撃性しか感じられない構造をしている武器は、オーロラの戦意を増幅させる要因のひとつとなっていた。
この剣はオーロラが以前から所有していた物ではない。
ではどのような経緯で所有するに至ったのかと言うと、その説明をするには話を『フォトンブック』が天に召された時まで遡る必要がある。
チェーンがロータローを追って飛び去った後、オーロラは跪いたまま悔しさに歯を食いしばっていた。
王座どころか国宝を奪った怨敵に復讐をしたい。だが、命令を受けている体では身動きひとつできないし、そもそも唯一の武器だった『フォトンブック』まで失ってしまった。
己の内部で暴れ回る怒りを発散する術を失ったオーロラに出来ることと言えば、恨み言を吐き散らすことくらいだった。
そして──そんな彼女のドス黒い感情に応えるようにして、黒剣は忽然と現れたのである。
「うふふ……これがいったい何なのかは知らないけど、せっかく手に入れた剣を使わない道理はないわ。それにこの黒い剣からは何か……『射し照らすフォトンブック』にも劣らないほどの力を感じるもの」
オーロラは黒剣を路地の壁に擦りつけた。すると、刃先の動きに沿うようにして、黒い煙が発生した。煙は数秒間その場に残留すると、やがて濃度が薄まっていき、十秒も経てば完全に消え失せた。
黒剣の動きに伴って起きた現象は黒煙の発生だけではない。先ほどまで煙が存在していた箇所に目を向けてみると、その部分だけ壁が綺麗さっぱり消滅しているではないか。まるで、闇の彼方に吸い込まれたかのようである。
「やれる……やってやる。これであの女を殺してみせるわ」
黒剣の異常性を確認したオーロラは、上機嫌そうに頷いた。
「折角だし、名前を付けようかしら。チェレンの王の新たな武器が無名だなんて、格好がつかないもの。そうねえ……」
「『欠け落ちるミッシングページ』」
銀色の輝きが立ち塞がった。
「それが、その剣の名前だ」
「?」
オーロラは足を止める。
彼女の頭に、眼前に居る少年に関する記憶はなかった。整った顔立ちや眼帯といった目立つ外見をしているので、以前に一度対面しているなら、覚えているはずである。
「急に現れて訳の分からないことを言うわね。誰かしら? ひょっとしてあの女の仲間で、私を止めに来たの?」
「『アバズレ』という美しくない言葉がチェーン女王を指しているのなら、それは違うよ」
暴風に銀髪をなびかせながら、眼帯の少年は答えた。
「そしてもうひとつ訂正させてもらおうか。僕が用があるのは君ではなく君が持つ剣──伝説の鍛冶師アヴァロンが作りし数多の剣が一振り、『欠け落ちるミッシングページ』の方だ」
「アヴァロン?」
普段から感情の表出が少ないオーロラも、この時ばかりは大声を上げて驚愕した。
異能じみた力を持っていることから、ただの剣ではないとは思っていたが、まさかアヴァロンの剣だったとは。
とはいえ、完全に納得できるかというと、そうもいかない。何せこの剣は、アヴァロンから直々に渡されたのではなく、虚空からいきなり現れたのだ。これまでどこにあったのかさえ不明なのである。
オーロラの疑問を見透かしたのか、眼帯の少年は、
「『射し照らすフォトンブック』は国家防衛の為に作られた剣だけど、もしもそれが何らかのきっかけで使用不能になったらどうする? ──そんな想像をしたことは無いかな」
国宝に絶対的な信頼を寄せていたオーロラは、そんな『もしも』を考えたことは今まで一瞬たりともなかったが、実際に現実でその仮定通りのことを体験したばかりだ。
魔王軍が国の周囲を蠢いていた時代に、そんな事態に陥っていたら、チェレン王国はあっという間に滅んでいただろう。ぞっとする想像だ。
「その対策として用意されたのが『暗闇発生』の異能を持つ第二の剣、『欠け落ちるミッシングページ』だ。つまりその黒剣は、『フォトンブックが使えなくなること』を条件として出現する剣なんだよ」
剣身と柄。
光と闇。
言われてみれば表裏一体の如く対極に位置する二本だ。
光無き所に闇が在る──自然界の常識を体現するかのような魔剣である。
「それにしても、まさかチェーン女王が『フォトンブック』を天に捧げるとはね。あれは流石に予想外だったよ。その件について彼女に文句がないと言ったら嘘になるけど……まあ『フォトンブック』については目的の片方は果たせたということで良しとしよう」
「貴方がこの剣に詳しいのはよく分かったわ……それで、何の用があるのかしら。奪うつもりだと言うのなら、容赦はしないけど」
「奪うだって? そんな盗賊みたいに美しくない蛮行はしないさ」
両手を振って否定する。
「僕の目的は強く美しきアヴァロンの剣をこの目で見て、破壊することだけだよ」
破壊。
眼帯の少年があっさりと言った瞬間、オーロラは飛び掛かった。
「どうしてそんなことをするのかは分からないけど、私の復讐の邪魔をするなら無暗に──いいえ、闇雲に斬らせてもらうわッ!」
片手に頭蓋骨、片手に剣を持っている状態は、バランスが良いとは言い難い。しかし、彼女の手にあるのは、触れた物体を消失させる闇を軌跡から生じさせる魔剣である。その脅威は所有者の未熟を補ってあまりあるアドバンテージだ。
迫る魔剣の女王を前に、少年が取った行動は、格闘術の構えを取ることでもなければ、背を見せて逃走することでもなかった。
彼はただ、眼帯に手を伸ばし、それを捲った。
露わになった右目には穴がぽっかりと開いており、その内部には真っ赤な炎が在った──瞳の赤さの比喩ではない。
実際に、現実として、眼窩の中で鑪場のような炎が燃え盛っているのである。
「『視界記録』」
躊躇いの無い動きで炎の中に手を突っ込み、すぐに引き抜く。その手には、指で挟むようにして二本の剣が握られていた。




