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血の継承【改訂版】  作者: Salhi smail
第五章 黒の帳編

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扉を開けた者

一行は、捕虜を一人も連れずにアルマザへ戻った。


指揮部の机に載せられる物証も、上層部へ提出できる証拠もなかった。


だが、名は持ち帰った。


カイン・グリーン。


イーラ・グリーン。


ライ。


そしてスカイ。


道を折り曲げ、近くを遠くへ、遠くを手の届く場所へ変える男。


アルマズ隊が東門をくぐった時には、すでに日は城壁の向こうへ沈んでいた。


森を出てから、一行の声はほとんど途絶えている。


残っていたのは、石畳を打つ不揃いな足音だけだった。


左肩に留めた炭色の布帯は、出発した時のままそこにあった。


だが、もう新しくは見えない。


森の埃が染みつき、ワーイルの布帯は端が裂け、シグランの金属製の徽章には血がこびりついていた。


ヤザンの徽章は、担架が揺れるたびに小さく震えていた。


担架の前後を担いでいるのは、ラーイドとアミールだった。


洞窟にいた時のような出血はない。


マヤが帰路につく前に血を止め、肩を固定していた。


それでも顔は青白く、道中、一度も目を開かなかった。


マヤは担架のそばを歩いていた。


ヤザンの胸が上下するたびに目で追っている。


まるで長い帰路のすべてが、一つの呼吸と次の呼吸の間にある、わずかな距離へ縮まってしまったかのように。


反対側にはシグランがいた。


片手で脇腹の傷を押さえ、痛みにも足取りを乱さない。


ヤザンが倒れてから、一言も発していなかった。


ワーイルが手を貸そうとした時も、腕を伸ばす前に引っ込めさせるような目を向けただけだった。


ラカンは部隊の先頭を進んでいた。


何度も振り返りはしない。


背後の足音を聞き、それぞれの位置を把握していた。


一つでも足音が雑踏に紛れて消えると、再び聞こえるまで、わずかに歩調を落とした。


軍病院の門には、すでに治療班が待機していた。


部隊に先行した騎士がラカンの指示をアルマザまで届けていたため、問いに時間を費やす者はいなかった。


ヤザンは野戦用の担架から移動寝台へ移され、四人の治療官が一斉に取り囲んだ。


マヤもそのあとを追った。


だが、内棟の扉で衛兵に止められる。


「負傷者だけだ」


マヤは袖をまくり、前腕に巻きついた鎖の痕を見せた。


「私も負傷してるわ」


衛兵は痕を確かめると、道を空けた。


その後ろを通ろうとしたシグランにも目を向ける。


脇腹には血が滲んでいた。


「お前もか?」


シグランが答えた。


「そう見えるらしいな」


二人は中へ入った。


残る隊員たちには、全員の診察が終わるまで検査室で待つよう、ラカンが命じた。


誰も異を唱えなかった。


東門の方角を見続け、まだ森へ引き返したがっているように見えたアミールでさえ、最後には腰を下ろし、壁へ背を預けた。


ラカンはヤザンの寝台に続いて中へ入った。


     *


治療室は冷え切っていた。


壁には六つの白い灯りが設けられ、隣の台には包帯やガラスの器、小さな治療印が並んでいる。


攻撃のための力は持たず、体温を整え、脈と呼吸を監視するために作られたものだった。


治療官たちは、ヤザンの肩に巻かれていた古い包帯を切り開いた。


その下から、再び開いた傷が現れる。


責任者らしい中年の医師が近づき、傷口には触れず、その縁に沿って指を動かした。


「無理な動きで開いた傷だ」


ラカンが尋ねる。


「直接、攻撃を受けたのか?」


「いや」


医師が筋肉の近くをそっと押す。


意識がないにもかかわらず、ヤザンの身体が震えた。


「負傷したあとも肩を使い、何度も負荷をかけている。それだけで十分だ」


一人が傷を洗い始め、別の治療官がヤザンの胸元へ小さな術印を置いた。


印を囲む線が光り、鼓動に合わせて明滅する。


マヤは寝台の脇に立っていた。


「どうして目を覚まさないんですか?」


医師は顔を上げなかった。


「まだ診察が終わっていないからだ」


マヤの指に力が入る。


それでも、口を閉ざした。


医師はヤザンの頭部へ移り、慎重に瞼を開いて光への反応を確かめたあと、首筋へ二本の指を当てた。


「呼吸は安定している。脈は弱いが、悪化はしていない」


ラカンが尋ねる。


「内出血は?」


「兆候は見られない」


「頭部の損傷は?」


「ない」


医師は少し間を置き、ラカンを見た。


「敵が意識へ干渉する術を使ったと言ったな?」


「恐怖と向き合わせ、動きを封じる術だった」


「どれほど長く術の中にいた?」


「大半の者より長い」


医師は再びヤザンへ目を落とした。


「それで一部は説明できる」


マヤが尋ねる。


「残りは?」


医師はヤザンの肩を示し、次に前腕と肋骨の周囲に広がる痣へ視線を移した。


「以前の傷が癒える前に戦闘へ入った。強い精神的圧迫を受けた直後も動き続け、戦い、血を失った」


もう一度、胸元へ手をかざす。


ヤザンの周囲に、ケメンの流れは現れなかった。


医師が読み取れるような気配も、消耗を測れる経路も存在しない。


「ケメンの消耗はない。そもそも、この少年にはケメンがない」


ラカンが医師を見る。


医師は続けた。


「削られたのは、身体そのものだ。筋肉も、呼吸も、血も、意識も。とっくに限界を越えていたのに、無理やり動き続けた」


マヤはヤザンの顔を見た。


戦いが終わった直後の姿が蘇る。


黙ったまま、青白い顔でスカイが消えた場所を見つめていた。


危険が去るまでは、倒れることさえ先延ばしにできると思っているようだった。


「目は覚ましますか?」


医師は術印を一つ持ち上げ、ヤザンの頭の近くへ固定した。


光は乱れず、安定したままだった。


「ああ」


マヤの胸から、ゆっくりと息が抜ける。


ラカンが尋ねた。


「いつだ?」


「今夜、目を開くかもしれない。朝までかかる可能性もある。無理に起こすな。意識へ入り込む術も、誰にも使わせるな。精神への攻撃から抜けたばかりだ。これ以上の圧力を加えれば、回復が遅れる」


医師は治療官たちへ目を向けた。


「傷を閉じ、肩を固定しろ。治療は段階的に行う。今の身体に必要なのは、追加の力ではなく休息だ」


寝台の周囲で術印が光り始めた。


ヤザンの呼吸が一度だけ揺れ、再び落ち着く。


ラカンは、新しい包帯が傷を覆うまで、その場を離れなかった。


それを確認してから、ようやく寝台から一歩退いた。


     *


シグランの脇腹の傷は、隣の部屋で治療された。


数針縫い、胴へ包帯を巻かれたあと、朝まで横になっているよう命じられた。


その数分後には、廊下を歩いていた。


ヤザンの部屋へ入ると、マヤが寝台のそばに座っていた。


ヤザンの小さな鞄は、目覚めれば手が届くよう、枕元に置かれている。


マヤがシグランを見た。


「医師に休めと言われなかったの?」


シグランは寝台の足元で止まった。


「いろいろ言っていたな」


「動くなとも言っていたでしょう」


「同意はしていない」


マヤはヤザンへ視線を戻した。


顔には少しずつ血の色が戻り始めていたが、目は閉じたままだ。


シグランは黙って立っていた。


しばらくして、マヤが言う。


「心配だったのね」


「違う」


答えは、必要以上に早かった。


マヤが彼を見る。


シグランは言った。


「腹が立っているだけだ」


「倒れたから?」


「割って入ったからだ」


「あなたを助けるためにね」


シグランの顎が強張る。


否定はしなかった。


ヤザンの肩を覆う新しい包帯を見つめる。


「借りを作らされた」


「目を覚ましたら、お礼を言えばいいわ」


シグランは、窓から飛び降りろとでも言われたような目をマヤへ向けた。


「俺の戦いを邪魔するなと言ってやる」


マヤは笑いかけたが、すぐにヤザンへ目を戻した。


「それ、前にも言っていたわね」


「物分かりが悪いらしい」


「それとも、あなたの許可を待っていないだけかも」


シグランは黙った。


洞窟で返されたヤザンの言葉が蘇る。


――あの時、お前だって俺の許可を待たなかっただろ。


シグランは窓へ顔を背けた。


マヤが言う。


「自分の部屋へ戻っていいわ。私がここにいるから」


シグランは動かなかった。


「お前に出ていけとは言っていない」


マヤは、その言葉に含まれていないものを理解した。


何も言わなかった。


シグランは向かいの壁際へ腰を下ろし、脇腹の痛みに構わず腕を組んだ。


休むために来たのであって、寝台のそばに残るためではない。


そう見せるように目を閉じる。


だが、ヤザンの呼吸がわずかに変わった瞬間、その目は開いた。


     *


ラカンが部屋を出ると、隊員たちは廊下で待っていた。


最初に立ち上がったのはラーイドだった。


「容体は?」


「安定している。休めば目を覚ます」


ワーイルは目に見えて息をつき、肩を壁へ預けた。


アスマーは一度だけ目を閉じる。


アナスは部屋の扉を見たあと、すぐにラカンへ視線を戻した。


アミールは細い窓のそばに立っていた。


「俺の判断は間違っていましたか?」


何を指しているのか、ラカンには分かっていた。


聞き返す必要はなかった。


それでも尋ねる。


「どの判断だ」


「追撃を求めたことです」


アミールが振り返る。


「ヤザンは意識を失っていました。でも、俺たちは奴らのすぐ近くにいた。スカイの痕跡が一つでも残っていれば、辿れたかもしれない」


「痕跡はなかった」


「それは、ラカン教官が現場を調べるまで分かりませんでした」


「だから、口を挟むなとは言わなかった」


アミールは黙った。


ラカンが一歩近づく。


「任務を優先したこと自体は間違っていない」


部屋の中から会話を聞いていたマヤが、わずかに顔を上げた。


ラカンは続ける。


「お前の間違いは、可能性を確定した道のように扱ったことだ」


アミールの顔が硬くなる。


「方向も分からず追えば、別の待ち伏せへ飛び込むか、森の中で部隊を分断されていた。その時には、負傷者も任務も、両方失っていた」


アミールは目を伏せた。


「分かりました」


「いや。自分で決断を下さなければならない時になって、初めて分かる」


ラカンは残る学生たちへ視線を移した。


「任務のことしか考えない者は、自分の部隊を埋葬する」


声が廊下へ落ちる。


「部隊のことしか考えない者は、何も成し遂げられない」


全員の目が集まった。


「指揮官は、その両方の責任を負う」


誰も答えなかった。


ラカンは廊下を数歩進み、ラーイドの前で止まった。


「カインに隊形を崩させなかった。ワーイルとアスマーを守れる位置へ置きながら、二人を自分の重荷にはしなかった」


ラーイドが頷く。


「もっと早く動くべきでした」


「そうすべき場面はいくつもあった。だが、お前は中央を守った。それが、鎖に部隊の半分を呑ませなかった理由だ」


次に、ワーイルを見る。


ワーイルは座ったまま、わずかに身を引いた。


「怖かったな」


ラカンの声に嘲りはなかった。


ワーイルは顔を伏せる。


「はい」


「それでも、ラーイドとアスマーがお前を必要とした時には動いた」


ワーイルが顔を上げる。


「恐怖を捨てろとは言わない。恐怖に、自分の立つ場所を選ばせるな」


ワーイルはゆっくりと頷いた。


ラカンはアナスへ向き直った。


アナスは、帰路でもそうだったように、壁際へ静かに立っている。


「鎖が動く前に、カインの攻撃を読んだな」


「肩が方向を示していました」


「誰にでも見えるものじゃない」


「同じ動きを繰り返していたので」


ラカンは目を細めた。


アナスの声に誇りはない。


自分の行動を功績として示そうともしなかった。


だからこそ、その観察眼は危ういほど鋭く見えた。


「これからも型を見ろ。だが、自分だけが気づいたからといって、一人で動くな」


「分かりました」


ラカンはアスマー、ナーダ、アミールへ目を向け、それからラーイド、ワーイル、アナスを見る。


扉の向こうでは、マヤとシグランがヤザンのそばにいる。


「今日のお前たちは、攻撃の順番を待つだけの九人の学生ではなかった」


すべての目がラカンへ向けられた。


「一つの部隊になり始めていた」


アミールの目にわずかな光が宿る。


だが、それが笑みに変わる前にラカンは続けた。


「だからといって、自分たちが完成したと思うな」


光は消えた。


「治療が終わり次第、各自の宿舎へ戻れ。訓練は禁止。次の命令が出るまで、アルマザの外へ出ることも許可しない」


ラーイドが尋ねた。


「ラカン教官は?」


ラカンは廊下の先へ視線を向けた。


上層部の士官が、封をされた書状を手に待っている。


「まだ終わっていない報告がある」


     *


指揮室の長い机には、東の森の地図が広げられていた。


開いている窓は一つもない。


二人の衛兵が扉の外へ立ち、三人目はラカンの身元と所持する印章を確認するまで室内に残った。


確認を終えると退室し、背後で扉を閉ざした。


ハーマンは机の上座に立っていた。


暗い外套は両肩の上で微動だにせず、両手は背中で組まれている。


帰路についても、ラカンの負傷についても尋ねなかった。


ただ一言、命じた。


「始めろ」


監察官ダリウスは机の右側に座っていた。


前には開かれた記録簿と、三枚の白紙がある。


ラカンが話し始めると同時に、羽根ペンを持ち上げた。


「正午前に指定地点へ到着しました。洞窟内にアズロンとスカイの姿はありませんでした。撤収の痕跡は新しいものでしたが、動きは統制されていました。回収できる装備や文書は残されていません」


ダリウスが尋ねる。


「慌てて撤退した様子は?」


「ありません。いつ立ち去るべきか、知っていたように見えました」


ダリウスの羽根ペンが一瞬だけ止まり、再び動き始める。


ラカンは続けた。


「現地に残っていたのは三名です。ライ、カイン・グリーン、イーラ・グリーン」


ハーマンがわずかに目を上げる。


「兄妹の身元に間違いはないか」


「二人の術を直接確認しました。鎖と、湿気を介して意識へ干渉する絶望の領域です。間違いありません」


ダリウスが言う。


「グリーン兄妹が同時に目撃されたのは、二年ぶりだ」


「今日は二人ともいました」


「ライは?」


「最初からシグランを狙っていました。世界騎士試験でハルとキオを殺したのが、シグランだと思い込んでいます」


ハーマンの顔は変わらなかった。


「傷を負わせたのか」


「脇腹を斬られました。重傷ではありません」


短い沈黙が落ちる。


ハーマンは父親として尋ねなかった。


次に口を開いた時、その声は最高司令官のものだった。


「スカイは?」


「三人が戦闘の主導権を失ったあとに現れました。空間を折り曲げ、我々の目前から三人を連れ去りました」


ダリウスが尋ねる。


「追跡できる痕跡は?」


「ありません。裂け目が閉じると同時に消えました。辿れる方向も、残留するケメンも確認できませんでした」


ハーマンが尋ねた。


「何を言った」


ラカンは、どの言葉を求められているのか理解した。


「シグランに、『アズロンがお前に目をつけた理由が、今分かった』と」


ハーマンの表情は動かない。


だが、背中で組んだ手がゆっくりと握り締められた。


ダリウスが言う。


「では、アズロンはザラン家の人間を探していると?」


ハーマンが答える。


「あるいは、我々にそう思わせたいのかもしれない」


ダリウスが顔を上げた。


ハーマンは続ける。


「敵が撤退の最中に残した一言を、事実へ変えるな。シグランが本当の標的である可能性もある。別の目的を覆い隠す幕である可能性もある」


視線をラカンへ向ける。


「スカイは連れ去ろうとしたか」


「いいえ。仲間を回収しただけです」


「今日は、誘拐のために来たのではない」


ラカンは、なぜそう言い切れるのか尋ねなかった。


ハーマンが根拠もなく結論を口にする男ではないと知っている。


最高司令官は言った。


「だが、再び接触を試みる」


ダリウスが椅子の上で姿勢を変える。


「ザラン家の邸宅周辺の警備を増やしますか?」


「増やせ。ただし、外から分かる変化は出すな」


「理由を伺っても?」


「こちらが狙いを察したと気づけば、奴らは手段を変える」


ハーマンは地図へ目を落とした。


「学院の外からシグランへ届く召集命令は、すべて指揮部の印章を通せ。それから、互いの身元を知らない監視役を二人つけろ」


ダリウスが命令を書き留める。


「本人には知らせますか?」


「知らせない」


ラカンがハーマンを見る。


ハーマンは決定を説明しなかった。


ただ言う。


「シグランは、敵の姿が見えている時にはよく戦う。どこから伸びてくるかも分からない手を待たされると、判断が鈍る」


ラカンは反論しなかった。


だが、視線も逸らさない。


ハーマンがそれに気づく。


「言いたいことがあるなら言え」


「彼は私の教え子です」


「今は部隊の一員でもある」


「だからこそ、自分を守れるだけの情報は知るべきです」


ハーマンが答える。


「情報が一つ一つの動きを狂わせる重荷ではなく、身を守る盾になる時に知らせる」


声は一度も強くならなかった。


それでも、議論は終わった。


ダリウスが最初の記録簿を閉じ、二冊目を開く。


「最大の疑問が残っています。なぜ、我々の部隊が到着する前に撤収できたのか」


ラカンが答える。


「スカイが術で接近を察知した可能性があります」


「あり得る」


ダリウスは地図の上へ指を滑らせた。


「だが、そのためには、まずどの地域を監視すべきか知っていなければならない」


洞窟の位置を指す。


「洞窟は一般の報告書に記載されていません。最終的な座標がラカンへ送られたのは、部隊結成から数時間後です」


ハーマンが尋ねる。


「誰が座標を見た」


ダリウスは別の紙を持ち上げた。


「任務局、通信部、東門の担当士官、そして現場指揮官です。これは、座標が渡った先をまとめた暫定的な一覧です。印章と文書庫の調査は、今も続いています」


ラカンが言う。


「部隊の者たちには、出発するまで目的地を知らせていません」


ダリウスが頷く。


「だから、現時点で隊員を疑ってはいない」


ハーマンは紙に記された名前と部署を見た。


「今はまだ、誰も犯人と決めつけるな」


ダリウスが言う。


「印章を再検査します」


「印章が示すのは、所有者がそれを使ったという事実だけだ。なぜ使ったかまでは語らない」


ハーマンは紙を持ち上げ、机へ戻した。


「次の任務では、すべての経路へ同じ情報を流すな」


ダリウスは意図を理解した。


「異なる経路を使うのですか?」


「三つだ。各経路に異なる情報を、異なる時刻に流せ。敵がいずれかへ動けば、どこから漏れたか分かる」


ラカンが言う。


「情報の漏洩ではなく、スカイの術によって発見された可能性も残っています」


ハーマンが彼を見る。


「だから、都合のいい方を選ぶのではなく、両方を調べる」


ダリウスは記録簿を閉じた。


ハーマンが命じる。


「この部屋で話したことは公表するな。アズロンがシグランへ関心を向けている件も、外へ漏らすな」


そして、ラカンへ目を据える。


「教え子たちの状態は?」


「全員、中程度の負傷です。ヤザンは意識を失っていますが、容体は安定しています」


ハーマンの視線が、ほんのわずかな間だけラカンに留まった。


「意識を失った原因は」


「医師によれば、出血と疲労、それにイーラの術の影響です」


「お前はどう見る」


ラカンは言葉を止めた。


イーラが膝から崩れ落ちた姿が蘇る。


彼女の意識の内側で何が起きたのかは見ていない。


その崩壊とヤザンを結びつける証拠もなかった。


「分かりません」


ハーマンは不満も驚きも示さなかった。


「なら、そのまま書け。分からない部分を、自分に都合のいい解釈で埋めるな」


ラカンが頷く。


「承知しました」


ハーマンは扉を示した。


「部隊へ戻れ」


ラカンは一礼し、部屋を出た。


ダリウスは地図を見続けている。


ハーマンの目は、洞窟を示す一点に、必要以上に長く留まっていた。


     *


ラカンが軍病院へ戻った頃には、夜半を過ぎていた。


負傷者のほとんどは眠り、廊下の灯りも落とされている。


ヤザンの部屋の上にある灯りだけが、まだ残っていた。


マヤは椅子で眠っていた。


頭を寝台の縁へ預けている。


シグランは壁際に座り、腕を組んだまま目を閉じていた。


本当に眠っているのか、そう装っているだけなのか、ラカンには分からなかった。


ヤザンの呼吸は規則正しい。


まだ、目を覚ましてはいない。


ラカンは寝台へ近づき、胸元に置かれた小さな術印の光を確かめた。


安定している。


背後から静かな声がした。


「術印に乱れがあれば、治療官たちがここにいるはずだ」


ラカンが振り返る。


扉のそばにシャミルが立っていた。


入ってきた音は聞こえなかった。


姿を現す前に、動いた影も見えなかった。


ラカンは一瞬身構え、それから反射的に上がった手を下ろした。


「シャミル殿」


シャミルはヤザンを見た。


「容体は?」


「安定しています。医師は、休めば目を覚ますと」


「倒れた原因は?」


「身体が限界を越えたことと、精神へ干渉する術の影響です」


シャミルは一歩近づいた。


ヤザンには触れない。


顔と、肩を覆う包帯を見ただけだった。


ラカンが言う。


「ずいぶん早く耳に入ったようですね」


「こいつに関する話は、早く届く」


シャミルは隠しも、説明もしなかった。


ラカンはマヤとシグランを見てから廊下へ出た。


シャミルも続き、背後で静かに扉を閉める。


ラカンが言った。


「理解できなかったことがあります」


「任務についてなら、範囲が広すぎる言い方だな」


ラカンは笑わなかった。


「イーラ・グリーンは、誰の攻撃も受けていないのに崩れました」


シャミルの声から、わずかな軽さが消えた。


「ああいう術は、受ける側だけでなく、使う側にも負荷をかける」


「分かっています」


ラカンは、その顔を見続けた。


「ですが、消耗していただけには見えなかった。怯えていた」


シャミルは答えない。


ラカンが続ける。


「そのあと、彼女は領域を元の強さで展開できなかった」


「自分の限界を越えたのかもしれない」


「何かを見たのかもしれない」


シャミルの視線が、閉ざされた扉へ移った。


ラカンはそれを見逃さなかった。


「何か知っていますね」


シャミルが答える。


「精神へ干渉する術者は、どんな心も、自分の望む時に出入りできる部屋だと思い込む。その思い上がりが間違いだということなら知っている」


「答えになっていません」


「警告にはなっている」


ラカンが一歩近づいた。


眠る者たちを起こさないよう、声を落とす。


「私はヤザンの指揮官です。彼に危険があるなら、知る必要があります」


シャミルは長くラカンを見つめた。


「だから言っている。意識を失っている間、誰にもあいつの心を調べさせるな」


「医師にも同じことを言われました」


「なら、医師の言葉を聞け」


「あなたは、なぜそれを言うんです?」


シャミルはすぐには答えなかった。


廊下の先にある細い窓へ目を向ける。


ガラスの向こうには、アルマザの灯りが遠く、静かに並んでいた。


「今日、お前の教え子たちの心を弄った者が一人、震えながら出てきた」


シャミルは静かに続ける。


「ヤザンが目を覚ます前に、二人目をその意識の奥へ送り込む理由はない」


筋の通った答えだった。


それでも、すべてを語ってはいない。


ラカンが尋ねる。


「ヤザンは危険なのですか?」


シャミルの目が戻る。


「ヤザンは、傷つき、疲れ切り、それでも生きようとしている少年だ」


「医学的な状態を聞いたのではありません」


「俺は、お前が忘れてはならないことに答えた」


二人の間に沈黙が落ちた。


やがてシャミルは扉へ向かう。


部屋へ入る前に言った。


「目を覚ましたら知らせろ」


「なぜです?」


シャミルは足を止める。


「ある人に、あいつを一人にはしないと約束した」


誰と交わした約束なのかは、口にしなかった。


扉を開き、中へ入る。


ラカンは廊下に残り、薄い室内灯へ呑み込まれていく影を見つめた。


答えは得られなかった。


代わりに、問いを重ねる理由が一つ増えた。


     *


指揮部の最上階では、ハーマンの部屋の灯りが消えずに残っていた。


ダリウスが最後の記録簿を机へ置く。


そこには任務命令書が閲覧された時刻、使用された印章、文書を手にした者たちの名が記されていた。


ダリウスが言う。


「第一段階の調査が終わりました」


ハーマンは顔を上げなかった。


「結果は」


「文書庫に破られた箇所はありません。印章の偽造もなく、記録にない者が資料室へ入った形跡もありません」


ハーマンが目を上げる。


「それでも、我々の部隊が到着する前に洞窟は放棄された」


「はい」


ダリウスは特定の頁を開いた。


「命令に触れた者は全員、正規の権限を持っていました」


冷たい沈黙が部屋を満たした。


ハーマンは並んだ名前を見る。


一人の名にも、視線を留めなかった。


証拠を得る前に、疑念を罪へ変えることもなかった。


記録簿を閉じる。


ダリウスが尋ねた。


「どこから調べますか?」


ハーマンは立ち上がり、アルマザを見下ろす窓へ向かった。


遠くに城壁が見える。


松明の下では、衛兵たちが巡回を続けていた。


門前に軍勢の姿はない。


城壁をよじ登ろうとする敵もいない。


ハーマンが言った。


「アルマザへ侵入した者を探すな」


ダリウスが顔を上げる。


ハーマンは、揺るがない声で続けた。


「内側から扉を開けた者を探せ」

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