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血の継承【改訂版】  作者: Salhi smail
第四章 アイン・アルワル編

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過去の爪

砂塵を白い光が切り裂いた。


爆発ではない。


ヤザンの胸と鉤爪の間に、幾何学模様を描く細い光の網が現れた。


無数の線が一瞬で交差し、振り下ろされた爪を受け止める。


激突。


白い火花が砂の上へ飛び散り、光の網の端から亀裂が走った。


干上がった水路の縁で、アシールが封印札を挟んだ二本の指を閉じる。


札の半分が、その指先で燃え尽きた。


「もたない!」


それだけあれば、ラカンには十分だった。


ヤザンと怪物の間へ踏み込み、圧縮したケメンを前腕へまとわせる。


真正面から力を受け止めようとはしなかった。


横から腕の関節を打ち抜き、鉤爪の軌道をヤザンの胸から逸らす。


白い封印が砕け散った。


ラカンは怪物の間合いへさらに一歩踏み込み、肩へ短い一撃を叩き込む。


振り返らずに言った。


「下がれ」


その声は、ひどく遠い場所からヤザンへ届いた。


足を動かそうとする。


だが、すぐには反応しなかった。


ラカンが同じ声で繰り返す。


「ヤザン。下がれ」


足が動いた。


後ろへ一歩。


大きな一歩ではない。


水路から離れるには足りなかった。


それでも、ヤザンの目に砂を戻し、胸に空気を戻すには十分だった。


倒れるマルワンの身体ではなく、目の前に立つラカンの背中が見えた。


怪物が再び飛びかかる。


ラカンが腕を上げた。


「ジャラール!」


横から伸びた槍が、怪物の肩の下へ突き刺さった。


怪物は唸り、身体を捻ろうとする。


ジャラールは両脚を踏ん張り、腕の動きを封じるのに必要な分だけ、槍へケメンを流した。


サーリムが怪物の背後へ回り込む。


短剣の切っ先は低く、後ろ脚を狙っていた。


「沈めろ!」


ラカンが前脚の関節を打つ。


怪物の巨体が傾いた。


同時に、サーリムの刃が膝裏を走る。


ケメンを外へ放つことはない。刃の内側へ圧縮したまま、肉の奥へ通した。


脚が崩れる。


ジャラールは槍を引き抜き、今度は怪物の脇腹へ深く突き入れた。


怪物が砂の上へ倒れる。


身体を一度大きく痙攣させた後、動かなくなった。


だが、誰もそちらを見ている余裕はなかった。


二体目の怪物が、シグランの前にいた。


青い炎と鉤爪がぶつかり、火花が顔の周囲へ散る。


先ほどまでの戦いで、シグランの指は震えていた。焦げた袖口の奥では、手首の皮膚まで赤く焼けている。


怪物は右手の弱りに気づいた。


身体を傾け、その腕へ爪を振るう。


シグランは寸前で腕を引いた。


鉤爪が顔の前を通り、頬に細い赤い線を残す。


それでも、退かなかった。


反対の手に炎を灯し、冷えた目で怪物を見据える。


「俺の邪魔をするな」


赤い炎が怪物の顔へ襲いかかった。


怪物が両腕で目を守る。


シグランは正面から攻めず、その側面へ潜り込んだ。


拳の周囲へ炎を圧縮する。


その中心に青い光が生まれた瞬間、怪物の顎を下から打ち上げる。


頭部が跳ね上がった。


だが、それだけでは倒れない。


怪物は身体を回し、長い腕を振るった。


シグランは身を低くしたが、鉤爪の先が肩をかすめ、シグランを砂の上へ弾き飛ばした。


一度転がり、片脚を立てて止まる。


遠くからサーリムが叫んだ。


「シグラン!」


返事はない。


シグランは怪物の首だけを見ていた。


頭が持ち上がったことで、無防備になった一点。


腕を包んでいた広い炎を消す。


残った力を一本の青い線へ集め、二本の指の間に留めた。


怪物が突進する。


シグランは待った。


一歩。


二歩。


怪物が口を開いた瞬間、横へ身体をずらし、青い炎を放つ。


細い光が顎の下から入り、首の後ろへ抜けた。


怪物が止まる。


突進の勢いだけで二歩進み、シグランの足元へ崩れ落ちた。


シグランは立ったままだった。


だが、片手を完全に握ることができない。


もう一方の手で押さえ、身体の脇へ隠した。


その反対側では、三体目がマヤの周囲を回っていた。


低く身を伏せ、砂に近い位置を走る。


粉塵の中へ消えたかと思えば、別の角度から姿を現す。


マヤは二本の細い水を弧のように巡らせ、鉤爪ではなく肩の動きを追っていた。


怪物が右から飛びかかる。


マヤは前方の砂へ水を打ち込んだ。


水を吸った砂が一気に重くなる。


怪物は脚を取られる直前に跳んだ。


空中で進路を変え、水路の縁へ着地する。


そして、マヤへ戻らず、家々の方角へ駆け出した。


「ヌーリヤ! 中庭へ向かってる!」


ヌーリヤが後を追う。


だが、怪物の方が速い。


低い壁を飛び越え、近くの中庭の外壁へ激突した。


石膏で固められた石が砕け、ナツメヤシの幹と葉で組まれた小屋根の一部が内側へ落ちる。


女たちと子供たちの悲鳴が上がった。


中庭では、住民たちが子供を水路から最も遠い部屋へ集めていた。


アマニが幼い少年を奥の扉へ押しやる。


その隣では、母親が通路へ倒れたナツメヤシの幹を持ち上げようとしていた。


怪物が粉塵の中から現れる。


鉤爪で地面を叩くと、全員が後ずさった。


アマニはもう一人の子供を背後へ押した。


「奥へ! 早く!」


怪物が、その動きへ顔を向ける。


母親は娘へ駆け寄ろうとした。


だが、瓦礫の間へ足を取られ、片膝をつく。


怪物が頭を持ち上げる。


そして、アマニへ飛びかかった。


「アマニ!」


母親の叫びが響いた。


その名が、ヤザンへ届く。


中庭を見る。


壁の前に立つアマニ。


その頭上へ持ち上がる鉤爪。


音が戻った。


ナツメヤシの幹を擦る爪。


足元の砂。


十三歳の自分の前に広がる血。


ヤザンの足が止まった。


ほんの半瞬。


だが、今度はその半瞬で終わった。


背後からラカンの声が飛ぶ。


「ヤザン!」


最初の一歩は、ラカンの命令が彼を連れ戻した。


だが次の一歩を命じた者はいない。


ヤザンは走った。


怪物が開けた穴から中庭へ入り、倒れたナツメヤシの幹を飛び越える。


鉤爪へ向かって走ったのではない。


鉤爪とアマニの間に残された、わずかな空間へ向かった。


アマニの腕を掴み、自分の方へ引く。


「え……?」


ヤザンは身体を回し、肩を鉤爪へ向けた。


爪が振り下ろされる。


直撃ではなかった。


先端が肩をかすめ、服を裂き、皮膚に三本の赤い傷を刻む。


ヤザンは抗わず、衝撃の向きを利用して回転した。


アマニとともに、ナツメヤシの支柱の陰へ倒れ込む。


背中が砂へ叩きつけられた。


それでも、アマニと瓦礫の間に自分の身体を残した。


アマニが目を開く。


ヤザンの顔が、すぐ近くにあった。


髪にも頬にも、白い粉塵が付着している。


呼吸は乱れ、破れた服の下から肩の血が滲み始めていた。


それでも、目だけは変わっていなかった。


子供たちに笑われるたび、地面へ向けられていた目。


頼まれもしないのに、人形を差し出してくれた、あの日の目。


アマニの唇が動く。


「ヤザン……?」


ヤザンが止まった。


彼女の声で自分の名を聞いた。


だが、それには答えなかった。


ただ短く言う。


「母親のところへ行け」


怪物が再び鉤爪を持ち上げた。


マヤが両手を地面へ向ける。


水が砂の下へ広がり、怪物の胸元で短い柱となって噴き上がった。


両脚が地面から離れ、巨体が空中で傾く。


ヌーリヤが到着した。


怪物の首へ届く瞬間まで、ケメンを湾曲刀の内側に留めている。


そして、解き放った。


湾曲した刃が一筋の光となって走る。


怪物が横倒しになった。


鉤爪はヤザンへ届かず、砂の中へ深く突き刺さった。


アマニの母親が駆け寄り、娘の両肩を掴む。


「怪我は? 何かされたの? 答えて!」


「私は大丈夫」


母親は娘の顔と両腕を確かめた。


やがて視線を上げ、ヤザンを見る。


ヤザンは肩を押さえながら、ゆっくりと立ち上がっていた。


二人の目が合う。


母親の顔を、古い何かが横切った。


認めたわけではない。


一瞬だけ生まれた疑いが、すぐに恐怖の陰へ隠れた。


どうして、アイン・アルワルの道を一人で歩き、近づくだけで扉を閉ざされていたあの少年が、アルマザの紋章を身につけて戻ってくることができるのか。


彼女の中で、村からアルマザまでの距離は道ではなかった。


不可能そのものだった。


ヌーリヤが告げる。


「中庭から出て。壁はもう安全じゃない」


母親はアマニを奥の部屋へ引いた。


それでもアマニは、粉塵の向こうへヤザンの姿が消えるまで、目を逸らさなかった。


     *


三体目が倒れ、戦いは終わった。


サーリムとジャラールが一体目の死を確かめる。


シグランは二体目のそばに立ち、弱い炎を残したまま道を監視していた。


マヤは水路の崩れた部分へ水を留め、砂が亀裂へ滑り落ちるのを防いでいる。


ラカンだけは、警戒を解かなかった。


三体の死骸を見る。


家々を見る。


亀裂を見る。


そして、ヤザンを見る。


ヤザンは中庭の外で肩を押さえていた。


身体は水路に戻っている。


だが、視線の一部だけが、まだ別の場所へ取り残されていた。


ラカンが近づく。


「息をしろ」


ヤザンは深く吸おうとした。


空気は途切れながら入り、肋骨の奥で古い痛みが燃え上がった。


「もう一度だ」


ヤザンが息を吸う。


今度は胸まで届いた。


それでも、吐き出す息は震えていた。


「鉤爪を見ました……その後、水路が見えなくなりました」


ラカンはしばらく彼を見た。


「何を見た」


ヤザンは答えなかった。


顔も上げない。


ラカンは待った後、短く言った。


「今はいい」


ヤザンは自分の両手を見る。


「二年も訓練したのに……動けませんでした」


「その後は動いた」


ヤザンが顔を上げる。


ラカンは、アマニが出てきた中庭へ視線を向けた。


「動けたことまで忘れるな」


ヤザンは答えなかった。


だが、指先の震えがわずかに収まった。


水を手の周囲へ漂わせたマヤが駆け寄ってくる。


肩に刻まれた三本の傷を見た瞬間、表情が変わった。


「座って」


「浅い傷だ」


「聞いてない」


ラカンがヤザンを見る。


ヤザンは反論せず、低い石へ腰を下ろした。


マヤは鞄から清潔な布を取り出し、細く裂いた。


「腕を上げて」


ヤザンが腕を持ち上げる。


その瞬間、脇腹が強張った。


マヤは見逃さなかった。


「肩だけじゃないの?」


「さっき、壁にぶつかりました」


マヤは痛む場所を避けながら、肋骨の周囲へ指を添えた。


「折れてはいないと思う。でも、無傷のつもりで動かないで」


「任務が終わったら確かめます」


マヤが鋭い目を向ける。


「今確かめる。それとも服の中へ水を流し込んで、無理やり座らせようか?」


ヤザンは彼女を見た。


「分かった」


マヤが傷を洗い始める。


水が傷口へ触れるたび、ヤザンの顔がわずかに歪んだ。


それでも、声は出さなかった。


ラカンが指示を出す。


「マヤ、ヤザンについていろ。シグラン、家々の右側を確認しろ。見える範囲から離れるな」


シグランは痛む手を袖の中へ隠した。


「分かってる」


ラカンが目を向ける。


シグランは言い直した。


「了解」


そして、その場を離れた。


     *


干上がった水路では、アシールが亀裂の前へ膝をついていた。


道具袋から短い黒い杭を取り出す。


表面には細い銀色の線が刻まれていた。


水路の縁から腕二本分ほど離れた場所を選び、杭を半分まで砂へ打ち込む。


サーリムが近づいた。


「それで閉じられるのか?」


アシールは振り向かなかった。


「杭一本で閉じられるなら、アルマザを呼ぶ必要はなかったでしょうね」


二本の指を杭の頭へ置く。


銀色の線が輝き、淡い円が砂の下へ広がった。


亀裂の周囲で起きていた崩落が遅くなる。


完全には止まらない。


それでも、砂を呑み込む速さは明らかに落ちていた。


ジャラールが言う。


「まだ動いている」


「封印がここで終わっていないからよ」


サーリムが尋ねた。


「どこまで続いている?」


アシールは杭の震えを見つめた。


銀色の線が杭の片側へ現れ、禁じられたナツメヤシ園の方角へ伸びた後、消える。


「水路からでは読み切れない。分かるのは、この亀裂が問題の中心ではないということだけ」


サーリムがナツメヤシ園を見る。


「封印石か?」


「おそらくは」


アシールは彼を見上げた。


「でも、“おそらく”でしかない。確かめてもいないことを断言するつもりはないわ」


サーリムは頷いた。


不完全な答えだった。


だが初めて、その不完全さが弱さではなく、彼女が自分の見たものの限界を知っている証拠だと理解した。


     *


家々の右側では、シグランが戦いで傷ついた壁を確認していた。


足音を聞き、中庭の崩れた角の裏で立ち止まる。


脇の扉から、アマニと母親が出てきた。


母親は娘の腕を強く掴んでいる。


アマニは何度も水路の方へ振り返ろうとしていた。


「家へ戻るわよ」


「その前に、お礼を言わないと」


「もう十分よ」


「何も言えてない」


母親の足が止まった。


ゆっくりと娘へ向き直る。


「あの騎士のそばで、何と言ったの?」


「名前を呼んだだけ」


母親の指に力が入った。


「何という名前?」


アマニは母親の肩越しに、水路の方を見る。


マヤがヤザンの肩を手当てしていた。


「ヤザン」


母親の顔から、一瞬だけ血の気が引いた。


次の瞬間、それは怒りとなって戻ってくる。


「馬鹿なことを言わないで」


「顔を見たの」


「見たのはアルマザの騎士よ」


「ヤザンを見た」


抑えようとした母親の声が、逆に強くなる。


「ヤザン? 何者でもなかった、あの子? 呪われた子、呪われた女の薄汚い息子? 近づくだけで家々の扉を閉ざされていた子よ? そんな人間がアイン・アルワルを出て、アルマザの騎士になったとでも言うの? あなたは思い違いをしているのよ、アマニ!」


壁の向こうで、シグランの呼吸が止まった。


何者でもない。


耳に届いているのは、もう女の声だけではなかった。


アズロンの冷たい声が蘇る。


もしかすると、お前はその名にすら値しない。


何者でもない。


シグランの指の間に、青い炎が灯った。


アマニが言う。


「そんな呼び方をしないで」


「村じゅうが、あの子をそう呼んでいた」


「誰も名前で呼ぼうとしなかったからでしょう」


「あなたは、あの子が村へ何をもたらしたか知らないのよ」


アマニの声は揺らがなかった。


「私は、あの人が目の前で何をしたか知ってる」


「一度助けられただけで、知ったつもり?」


アマニは母親へ一歩近づいた。


「子供の頃、あの人は私の人形を返してくれた」


母親が止まる。


アマニは続けた。


「そして今日、私を母さんのもとへ返してくれた。あと何度救われたら、あなたはあの人を名前で呼ぶの?」


母親が守っていたのは、真実ではなかった。


長い年月をかけて積み上げてきた恐怖だった。


頑なに言い返す。


「あの人がヤザンのはずはない!」


水路の方から、マヤの声が届いた。


「ヤザン! 手当てが終わるまで肩を動かさないで!」


アマニの母親が凍りつく。


ゆっくりと振り返った。


マヤが騎士の前へ屈み、ヤザンが何かを答えている。


その声までは聞こえない。


もう、そこにあるのはアルマザの紋章だけではなかった。


名前には顔があり、顔には、彼女が葬ろうとした名前があった。


それでも、認めなかった。


崩れかけた冷たい声で言う。


「家へ帰るわよ」


アマニの腕を引く。


「母さん――」


「もういい」


二人が壁から離れていく。


シグランは、その場に残った。


指の間には、まだ炎が揺れている。


半歩踏み出した。


二人の前へ出ようとする。


だが、村へ入ったときのヤザンの言葉が蘇った。


――あの人たちのために戻ったんじゃない。


シグランは拳を閉じた。


掌の中で炎が皮膚を焼く。


それでも、放たなかった。


手を開いたとき、残っていたのは細い青煙だけだった。


     *


シグランが水路へ戻る。


ヤザンはまだ石へ座り、マヤが肩へ布を巻き終えたところだった。


マヤは慎重に腕を持ち上げる。


「動かすことはできる。でも、力を試そうとしないで」


「分かった」


「嘘が下手ね」


「ラカンに習った」


離れた場所から、ラカンが二人を見る。


ヤザンはすぐに言い直した。


「何も言ってません」


マヤは残った布を鞄へ戻しながら立ち上がった。


シグランが到着し、石のそばへ立つ。


ヤザンは彼を見た。


顎に力が入り、指は戦いの直後より赤くなっている。


「何かあった?」


シグランが答える。


「この村には、必要以上に口が多い」


ヤザンは少し黙った。


「何か聞いたんだな」


「残念ながら」


「何かしたのか?」


シグランは不満そうに彼を見る。


「何もしなかった」


そして付け加える。


「後悔させるなよ」


ヤザンの顔に、疲れた小さな笑みが浮かぶ。


「聞けとは言ってない」


「俺だって、あいつらに大声で話せとは頼んでない」


ヤザンは目を伏せた。


何を聞いたのか、尋ねなかった。


シグランも話さなかった。


だが初めて、二人の間の沈黙は空白ではなかった。


ひとつの合意だった。


     *


アイン・アルワルを、完全な夜が覆った。


干上がった水路に近い家々から住民が避難し、通路にはナツメヤシの幹と荷車で作った柵が置かれた。


村の守り手たちは、サーリムたちの指示で複数の班に分かれ、それぞれの配置についた。亀裂の縁では、黒い杭が震え続けている。


井戸のそばに立つマスウード長老の顔は青ざめていた。


それでも、声だけは落ち着きを保っている。


「終わったのか?」


アシールは杭を見た。


「いいえ」


言葉を和らげようとはしなかった。


サーリムが言う。


「怪物は倒した」


「怪物と封印は別よ」


アシールは亀裂を示した。


「今のは本当の襲撃じゃない。漏れ出しただけ」


その場にいる者たちの顔色が変わる。


マスウード長老が尋ねた。


「何から漏れ出した?」


「壁に亀裂が入ったとき、最初に見えるのは崩落ではないわ」


アシールは怪物の死骸を見る。


「そこから漏れる埃よ。今夜、私たちが見たのはその埃」


重い沈黙が流れた。


ジャラールが口を開く。


「止めるには何が必要だ?」


アシールは禁じられたナツメヤシ園へ目を向けた。


ナツメヤシの間には、もう闇しか残っていない。


「封印石へ辿り着いて、何が変わったのかを確かめる」


ラカンが尋ねる。


「今夜、行けるか?」


「辿り着くことはできる」


アシールは一度言葉を切った。


「でも、戻れる保証はない」


シグランが顔を上げる。


「夜明けまで待てば、また何か出てくるかもしれない」


ラカンが答えた。


「今入れば、道も分からない場所へ、さらに死体を増やしに行くことになる」


「戦える」


「見えない道で戦うのは勇気じゃない」


ラカンはシグランの目を正面から見た。


「怪物に命を差し出すようなものだ」


シグランは顎に力を込めた。


だが、それ以上は反論しなかった。


アシールが言う。


「この杭で、夜明けまでは亀裂を遅らせられる。それ以上は保証できない」


それからサーリムへ向き直った。


「ナツメヤシ園周辺の水路と道が分かる地図を用意して。古いものもすべて」


「分かった」


「水路に面した家から全員を避難させて。今夜は、あの壁の裏に誰も残さないで」


ジャラールが言った。


「柵は俺が配置する」


ヌーリヤも続く。


「入口の見張りを倍にする」


マスウード長老が頷いた。


「宿舎と周辺の家々を、避難した者たちへ開放しよう」


ラカンが告げた。


「夜明けに出発する」


話し合いは終わった。


だが、誰一人として危険が去ったとは感じていなかった。


全員が命令の実行へ動き始める。


ヤザンがゆっくりと立ち上がった。


脇腹の痛みが動きを遮り、身体を支えるため石へ手を置く。


ラカンはそれに気づいた。


それでも、もう一度座れとは言わなかった。


ヤザンの隣へ立つ。


家々の間から、ナツメヤシ園へ続く道が見えた。


傾いた石。


幹を傾けたナツメヤシ。


その先には、光の届かない黒い幹の列が続いている。


ラカンが言った。


「明日は俺の後ろを歩け」


ヤザンが彼を見る。


「でも、道は知っています」


「だからだ」


ラカンはナツメヤシ園から目を離さなかった。


「先頭ではなく、俺のそばにいろ」


ヤザンはしばらくナツメヤシ園を見つめた。


やがて答える。


「はい、先生」


その夜、アイン・アルワルは眠らなかった。


扉は固く閉ざされ、灯りは消えず、守り手たちは砂が目を開く瞬間を待つように見張り続けた。


そして干上がった水路は、黒い杭の下で、ゆっくりと呼吸を続けていた。

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