ビスカラ国境
南へ向かう道は、決して静かではなかった。
車輪は石を踏むたびに軋み、上り坂では馬たちが荒い息を吐く。街道沿いの騎士用宿駅は一行を迎え入れ、舞い上がった砂塵が収まるより早く、その門を再び閉ざしていった。
それでも馬車の中では、ヤザンの沈黙が何よりも大きかった。
初日は、まだアルマザの気配が背後に残っていた。
整えられた道。等間隔に置かれた監視所。そして、遠ざかる城壁の上ではためく旗。
二日目になると、景色が変わり始めた。
道は次第に荒れ、スティランの岩山が両側に現れる。乾いた大地が怒りのまま岩を押し上げ、そのまま置き去りにしたような景色だった。
馬車が長く止まることはなかった。
宿駅に着くたび、疲れた馬を外して新しい馬につなぎ替え、水袋を満たす。準備が終われば、車輪はすぐにまた道を呑み込み始めた。
ラカンは、どの停車中も訓練場にいるときと変わらなかった。
誰にも単独行動を許さず、アシールの黒い箱からも目を離さない。
アシールは旅の間、ほとんど道具のそばに座っていた。時折、黒い箱の蓋をわずかに開け、中身の並びを確かめてから、誰かの好奇心が届く前に閉じる。
三度目に蓋が開いたとき、シグランは中を覗こうとした。
だが、何かが見えるより先に、アシールが蓋を閉じた。
顔も上げずに言う。
「封印のそばで好奇心を抑えられない者は、たいてい長生きしないわ」
シグランは座り直した。
「箱を見ていただけだ」
「箱のほうも、あなたを見ていたわ」
マヤが口元へ手を当て、小さな笑みを隠す。
ヤザンは窓際に座ったままだった。
アルマザを出てから、あまり食べていない。
尋ねられれば答え、ときには笑みも浮かべる。だが、そのどれも長くは続かなかった。
地面の色が変わるたび、膝の上で指に力がこもる。
まるで、彼の記憶が目より先に道を覚えているかのように。
しばらく彼を見ていたマヤが、声を落として言った。
「顔色がよくないわ」
ヤザンはすぐには振り向かなかった。
「道が長いだけだ」
「長いのは、みんな同じよ」
ようやくマヤを見たが、すぐに視線を外へ戻した。
嘘をつきたいわけではなかった。
だが、ある道は場所へ戻るのではなく、そこを去った頃の自分へ引き戻すのだと、どう説明すればいいのか分からなかった。
だから、短く答えた。
「着けば、大丈夫になる」
マヤは納得しなかった。
それでも、それ以上は聞かなかった。
スティラン南部の街道を抜けると、大地はさらに広がった。
岩山は一つずつ姿を消し、石も減っていく。空気は乾き、風からは街や草、冷たい岩の匂いが消えた。
代わりに運ばれてきたのは、熱を帯びた砂と、目には見えない遠い水の匂いだった。
最初に窓へ身を寄せたのはマヤだった。
砂漠は、空と砂が目の届かない場所で接しているように、果てしなく広がっていた。
「何もないみたい」
ヤザンが目を上げる。
「何もなくはない」
マヤが振り返った。
ヤザンは簡潔に続ける。
「どこを見るか、知っていればいい」
シグランまで彼へ目を向けた。
揺らめく空気の向こうに、細い緑の点が見えた。
ヤザンがそこを示す。
「あそこだ」
マヤが目を凝らす。
「ナツメヤシ?」
「ナツメヤシが見えれば、水は遠くない」
シグランは再び地平線へ目を戻した。
ヤザンが、自分の知らない何かについて確信をもって語るのを聞くことは少ない。
それは力でも、戦いでも、学院で学んだことでもなかった。
ヤザンだけが知る土地の話だった。
六日目。
馬車はビスカラ国境手前、最後の宿駅へ到着した。
太陽は高く、砂の上の空気が熱で揺らいでいる。最後の区間を走った馬たちは疲れ果て、口元には薄く白い泡が浮かんでいた。
御者に続いて、ラカンが降りる。
南へ続く道を一度見てから言った。
「馬車はここまでだ」
シグランが地面へ飛び降り、石と土で造られた低い建物の列を見る。
「着いたのか?」
中型の黒い箱を抱えて降りたアシールが答える。
「馬車が役目を終えただけよ。私たちはまだ着いていないわ」
マヤに続き、ヤザンも地面へ降りた。
靴底が砂に触れた瞬間、それが見知らぬものではないと身体が理解した。
ここはアイン・アルワルではない。
それでも、記憶が動き始めるには十分なほど近い。
乾く喉。
砂の上に降り注ぐ白い日差し。
馬の蹄が巻き上げる土埃の匂い。
ヤザンは国境の詰所へ目を向けた。
入口の前に、砂色の正装をまとった男が立っている。手には革表紙の記録簿を抱え、肩には、ビスカラ首都府の官吏であることを示す徽章を付けていた。
現場の騎士ではない。
アルマザからの派遣隊を迎え、契約の履行を記録するため、首都から派遣された受領官だった。
その背後には、数人の国境警備兵が並んでいる。
そして少し離れた場所では、三人の騎士が細身のビスカラ馬に乗って待っていた。
ヤザンはすぐに気づいた。
先頭にいるのはサーリムだった。腰には短めの剣が下がっている。
その隣にはヌーリヤ。鞍の脇には軽い湾曲刀が備えられていた。
後方のジャラールは、長槍を片手に持ち、砂漠の熱など感じていないかのように馬上で微動だにしない。
彼らにとって、武器は腰を飾るためのものではなかった。
体内の調整されたケメン経路から柄の紋様へ力を流し、消耗を抑えながら一撃へ乗せる。そのための、身体の延長だった。
ラカンが近づくと、サーリムは馬から降りた。
正式な礼を取る。
「アルマザ派遣隊を歓迎します」
ラカンが頷く。
アシールは前へ出て、任務書を受領官へ差し出した。
男が封を解いている間に、サーリムの視線が彼女の後ろへ移る。
動きが止まった。
わずかに目を見開く。
「お前たちだったのか?」
ヌーリヤも一歩前へ出た。
三人の顔を認めた瞬間、驚きが表情に広がる。
「第三班!」
普段ほとんど表情を変えないジャラールまで、槍を少し下げた。
「アルマザが、お前たちを送るとは聞いていなかった」
横を通り過ぎながら、ラカンが呟く。
「ちょうどいい。自己紹介の時間が省けた」
サーリムの顔に、今度ははっきりとした笑みが浮かんだ。
ヤザンの前まで来ると、腕を差し出す。
「二度目の再会が、ビスカラ国境になるとは思わなかった」
ヤザンも腕を差し出し、しっかりと組み交わした。
サーリムが続ける。
「騎士試験で、お前が渡してくれた五番徽章のことは忘れていない。あれがなければ、俺たちは塔へ辿り着けなかった」
「塔まで運んだのは、そっちだ」
ジャラールが言う。
「相変わらず、道で拾ったものを渡しただけのように話すんだな」
ヤザンは彼を見る。
「だいたい、その通りだった」
ヌーリヤが微笑んだ。
「あなたにとってはね。私たちにとっては、勝利をもたらした徽章だったわ」
受領官は三人の顔を順に見たあと、胸元の階級章へ視線を落とした。
その目が鋭くなる。
「待て」
男はシグランの階級章を指し、次にマヤの階級章へ目を移した。
「これはC級の階級章だ」
サーリムは答えなかった。
決定したのは彼ではない。
説明する権限もなかった。
受領官はラカンへ向き直る。
「隊長、説明を求めます。ビスカラ首都が依頼したのは訓練部隊ではない。B級以上の任務に相応しい報酬をアルマザへ支払い、封印の危険性を考慮した追加報酬まで用意した。それなのに、送られてきたのはC級の班ですか?」
ラカンは平静に答えた。
「こいつらが第三班だ」
男の目が険しくなる。
「第三班という名は今知りました。しかし、名前で階級が変わるわけではない」
受領記録簿を閉じないまま、任務書をアシールへ返す。
「アルマザは、アイン・アルワルで起きている事態を軽く見ているのか。それとも、ビスカラそのものを軽んじているのか」
アシールが口を開いた。
「この任務で重要なのは階級ではないわ。専門性と、それを生かせるだけの実力よ」
受領官は厳しい目を向ける。
「実力は階級によって証明される。だからこそ、階級制度が存在するのです」
シグランの拳が固く握られた。
指の間に赤い熱が走り、周囲の空気がわずかに揺らぐ。
「俺たちを見下しているのか?」
ラカンは彼を見ないまま、片手を上げた。
「シグラン、抑えろ」
シグランの拳は、しばらく固く閉じられたままだった。
やがて、熱が消える。
受領官から目を逸らすことはなかったが、命令には従った。
男はシグランをしばらく観察した。
「ずいぶん自信のある少年だ。その自信が実力に先んじているのか、それとも実力が伴っているのか……いずれ分かる」
シグランの顎が硬くなる。
だが、もう何も言わなかった。
アシールが続ける。
「階級が示すのは、その班が過去に何を成し遂げてきたかということよ。すべての任務への適性を示すものではないわ」
受領官は黒い箱を指した。
「あなたの専門性に異論はありません、アシール・ガスカン。依頼書にも、あなたの名と実績は記されている。私が問題にしているのは、封印から何かが再び現れたとき、誰があなたを守るのかということです」
アシールは迷わず答えた。
「私を守る者は、私が選ぶわ」
詰所の前が静まり返った。
荷を運んでいた兵士たちまで手を止めている。
アシールは言葉を継いだ。
「適任となるB級班は、すべて別の任務に出ている。帰還を待つ間にも封印の亀裂は広がる。それでも待つか、今すぐ動くか。私は動くことを選んだ」
「そして、生徒を選んだ」
「ラカンのもとで、命令系統を維持できる班を選んだのよ。彼らの任務は封印を壊すことではない。私の作業を守り、何者にも近づかせないこと。古い封印のそばでは、制御されない力のほうが、自分の限界を知る弱さより危険よ」
受領官は記録簿へ目を落とした。
だが、何も書かなかった。
「あなた方にとって重要なのは、派遣隊を到着させたという事実かもしれない。しかし、失敗の代償を払うのはアルマザではない。アイン・アルワルの住民です」
アシールは男の目を正面から見返した。
「だから、B級班の帰還を待たずに来たのよ」
受領官はしばらく黙っていた。
やがて、記録簿を軽く音を立てて閉じる。
「この異議は、正式に記録します」
「それはあなたの権利よ」
「あなたの言う実力が、ビスカラが支払った報酬に値するものか、見届けさせてもらいます」
男は背を向け、詰所へ戻っていった。
声を荒らげることも、振り返ることもなかった。
それでも、その足取りだけで、会話が終わっても怒りまでは消えていないと分かった。
サーリムは、男が詰所へ入るまで見送った。
それから第三班へ向き直る。
「厳しい出迎えになってしまった。すまない。アルマザから派遣隊が来ることは知っていたが、選出の詳しい事情までは知らされていなかった」
ヌーリヤが続ける。
「あなたたち個人に向けた怒りではないの。あの人は、アイン・アルワルで起きるすべてについて、首都に対して責任を負っているから」
ジャラールが、いつもの乾いた口調で言った。
「だが俺たちは、お前たちが何者かを知るために階級章を見る必要はない。試験で何をしたか、この目で見ている」
そしてヤザンへ目を向ける。
「俺たちを塔へ導いた徽章も、十分な証拠だ」
ヤザンが答えた。
「謝る必要はない」
シグランはようやく拳を開き、そのまま馬のほうへ歩き出した。
「階級章を数え終えたなら、出発するぞ」
ラカンが一度だけ彼を見る。
「馬へ」
サーリムは詰所の向こうへ続く道を示した。
「ここから先、馬車は長くもたない。オアシスへの道は砂と細い通路ばかりだ」
用意されていたビスカラ馬は、アルマザの馬よりも細身だった。
脚は引き締まり、身体も軽い。一見しただけでは力強く見えないが、その蹄は砂の硬い場所を知っているかのように、少しも沈まなかった。
壁のそばには、小柄だが頑丈なラクダが待っていた。胴の両側には、荷物を載せる革製の枠が取り付けられている。
アシールが言った。
「一つ目の黒箱は持っていく。二つ目は馬車と一緒にここへ残すわ」
サーリムが尋ねる。
「必要になったら?」
アシールは南を見る。
「そのときは、危険の見積もりが楽観的すぎたということね」
誰も何も言わなかった。
兵士たちは必要な食料を移し、水袋を満たす。アシールは封印の道具を、自らラクダへ固定した。
マヤは一頭の馬へ近づき、慎重に首へ手を伸ばした。
ヌーリヤが言う。
「手綱を強く引かないで。ビスカラの馬は、力で従わせようとする人を嫌うの」
「じゃあ、どうやって進ませるの?」
「自分が道を知っていると納得させるのよ」
マヤが笑う。
「力で従わせるより難しそう」
「だから、私たちはこの子たちを信用しているの」
シグランは素早く馬へ跨がった。
馬は乗り手を試すように、突然一歩横へ動く。
だがシグランは姿勢を崩さず、手綱を握る力だけを緩めた。
サーリムが言う。
「ビスカラの馬は、手より先に身体の声を聞く」
シグランは冷たく返した。
「なら、もう十分に聞いただろう」
サーリムは答えなかった。
ただ、口元に薄い笑みを浮かべた。
ヤザンも自分の馬へ近づく。
薄い茶色の毛並みを持つ、目の大きな馬だった。学院の馬よりも細身で、軽い。
ヤザンは首へ手を置き、その呼吸が落ち着くのを待ってから、強く引かずに手綱を握った。
ヌーリヤがその様子を見ていた。
熟練しているわけではない。
それでも、この土地を知らない者の触れ方ではなかった。
サーリムが尋ねる。
「オアシスへの道を知っているのか?」
「少しだけ」
「少し?」
ヤザンは手綱へ目を落とした。
「アイン・アルワルに住んでいた」
サーリムの表情が変わった。
「お前が、アイン・アルワルの出身?」
ヌーリヤも興味深そうに彼を見つめ、ジャラールは鞍を締める手を止めた。
サーリムが言う。
「ビスカラの班へ五番徽章を渡した少年が、最初からビスカラの人間だったのか」
「二年前に村を出た」
嘘ではない。
だが、すべてでもなかった。
サーリムはそれを感じ取ったのか、それ以上は尋ねなかった。
「道は、その頃とは変わっている」
ヤザンは南を見た。
「着けば分かる」
太陽が大きく傾く前に、一行は国境を出発した。
馬車と疲れた馬は詰所へ残された。
先頭を走るのはサーリムとラカン。
その後ろにアシールとヌーリヤが続き、封印道具を載せたラクダは二人の後ろを進む。
マヤはヤザンの近くを走った。
見張られていると感じさせるほど近づかず、一人にされたと思わせるほど離れない。
シグランは反対側につき、ジャラールは槍を肩に立てたまま、動く壁のように最後尾を守った。
道は、もう石畳でも、整えられた街道でもなかった。
開けた砂地。
風に削られ、縁を変え続ける細い通路。
現れては消える蹄跡。
ビスカラの馬は、マヤの想像以上に速かった。
力任せに駆けるのではない。
砂の上を滑るように進み、目が見つけるより早く、硬い足場を選んでいく。
「この子、自分で道を知っているみたい」
ヌーリヤが前を向いたまま答える。
「私たちより詳しいこともあるわ」
シグランは広がる砂を見渡した。
「はっきりした道など見えない」
「ある」
ヤザンの言葉に、シグランが振り向く。
ヤザンは前を見たまま続けた。
「お前は道ではなく、線を探している。砂漠はいつも線を残すわけじゃない」
前方のサーリムにも聞こえていた。
肩越しにヤザンを見る。
「ようやく、お前がビスカラ育ちだと信じられた」
ヤザンは答えなかった。
しばらく進むと、道は長い砂丘の上へ出た。
最初にナツメヤシの葉を見つけたのはマヤだった。
だが、それは地上へ伸びているのではなかった。
道よりもはるか下に、緑の冠だけが浮かんでいる。まるで木々が砂へ沈み、先端だけを残したように見えた。
マヤは馬を緩める。
「あそこには何があるの?」
ヌーリヤが窪地を示した。
「グートよ」
一行は縁へ近づいた。
そこで初めて、マヤは全体を見ることができた。
巨大な窪地が、砂丘の中へ深く掘り下げられている。
側面には曲がりくねった細い道が刻まれ、その底には何本ものナツメヤシが立っていた。
幹は長い。
それでも葉の冠は、一行が立つ地面とほとんど変わらない高さにあった。
グートの斜面では、大勢の男たちが働いていた。
木の道具で砂を掘る者。
ナツメヤシの葉で編んだ籠を背負い、斜面を登る者。
細い坂道では、二頭のロバがゆっくりと歩いていた。どちらも、砂を詰めた袋を二つずつ背負っている。
一人の男が縁まで登り、グートから離れた場所へ籠の砂を空ける。
休むことなく、すぐにまた下へ戻っていった。
誰一人、手を止めていない。
マヤは驚きながら、その光景を見つめた。
「この砂を全部、上へ運んでいるの?」
「全部ではないわ。根が水に近づけるだけの量よ」
ヌーリヤが答える。
マヤは窪地の底に立つナツメヤシを見る。
「どうして、水を木のところまで汲み上げないの?」
ヌーリヤは言った。
「ここでは、水をナツメヤシのところまで上げない。ナツメヤシを水のところまで下ろすの」
働く男たちを示す。
「先祖たちは、籠一つ分ずつ砂を運んで、このグートを掘った。根が地下の水へ近づくまで。そして今も、その子孫たちが同じ仕事を続けている」
窪地の縁を風が抜けた。
斜面から細い砂の筋が流れ落ち、男たちが運び出したばかりの場所へ戻っていく。
「風は、何度でも砂を返してくる。放っておけば、グートはまた埋まり始めるわ」
マヤは男たちとロバを見つめ続けた。
遅く、苦しく、終わりの見えない仕事だった。
彼女は目を閉じる。
水のケメンを細く身体に巡らせ、外へ放つのではなく、砂の下に隠れた湿り気を探る感覚に集中した。
最初に感じたのは、ナツメヤシの根に近い水だった。
さらに深く意識を伸ばす。
次の瞬間、マヤの目が大きく開いた。
小さな流れではない。
細い水路でもない。
途方もない量の水が、砂漠の下に静かに広がっている。
どこまで続いているのか、彼女の感覚では捉えきれなかった。
「これが全部……水?」
アシールが振り向く。
「何を感じたの?」
マヤはその広さを受け止めるように、胸へ手を当てた。
「私たちの下、どこにでも水がある。すごい量……こんなの、今まで感じたことがない」
アシールは砂を見下ろし、それから窪地のナツメヤシへ目を向けた。
「いくつもの土地を旅したけれど、これほどの水を地下に隠している場所は見たことがないわ」
ヌーリヤが言う。
「だから、人はここに残ったの。ビスカラを知らない者は砂だけを見る。ここに生きる者は、その下にあるものを知っている」
ラカンは、砂籠を背負って坂を登る老人を見ていた。
歩みは遅い。
その後ろでは、さらに重い荷を背負ったロバがついていく。
「ここで育つ者は、生き延びるには同じ仕事を毎日繰り返さなければならないと知っている」
ラカンは、風によって窪地へ戻される砂を見る。
「一日でも手を止めれば、築いたものが埋まり始める」
マヤの視線がヤザンへ移った。
彼は無言で男たちを見ていた。
マヤやシグランのような驚きは、顔に浮かんでいない。
籠から砂が落ちる音も。
ロバの小さな鈴の音も。
ナツメヤシの根に近い、湿った砂の匂いも。
彼は、すでに知っていた。
マヤは、ケメンを持たないままアズロンの前へ立った彼を思い出す。
傷ついた身体で歩き続けた姿。
ラカンの訓練で、何度倒されても立ち上がった姿。
学院は、彼の身体を強くした。
だが、彼の折れない強さを生んだわけではない。
その一部は、ここで生まれたのだ。
一日でも手を止めれば命が砂に埋もれてしまう土地で、人々が毎日、砂を持ち上げ続けるように。
先頭のサーリムが動き出した。
「先を急ぐ。遅れれば、日暮れと同時にアイン・アルワルへ入ることになる」
一行はグートを離れ、馬たちは再び砂道を滑るように進み始めた。
近づくほど、ヤザンのもとへ懐かしい匂いが届いた。
乾いたナツメヤシの実。
水路のそばの湿った土。
一日中、日差しに焼かれた葉。
仕事を終えて戻る家畜が巻き上げる埃。
アイン・アルワルは、まだ見えない。
それでも、身体はもう遠くないと知っていた。
マヤは、それを彼の肩に見た。
俯いてはいない。
だが、どこから来るか分からない一撃に備えるように、固く張り詰めていた。
「ヤザン……」
彼は振り向かなかった。
それでも答えた。
「大丈夫だ」
マヤは、まだ何も尋ねていなかった。
だからこそ、彼が大丈夫ではないと分かった。
サーリムが前方の低い砂丘を指す。
「あの丘を越えれば、アイン・アルワルの最初のナツメヤシが見える」
会話が途切れた。
シグランさえ何も言わなかった。
馬たちは丘を登り、その頂で一度、足を緩めた。
傾いた陽光の下、遠くにオアシスが現れる。
幾列にも並ぶナツメヤシ。
影の間を細く輝く水路。
そして、砂漠から互いを守るように寄り集まった、土色の低い家々。
村の端では、本来ならこの刻に煙が上がるはずのない場所から、細い煙が立ち昇っていた。
サーリムが目を細める。
低い声で言った。
「アイン・アルワルだ」
ヤザンは答えなかった。
手綱を握る手に、力がこもる。
自分が村へ帰っているとは感じなかった。
村のほうが、彼の記憶の底から立ち上がってくる。
ナツメヤシを一本ずつ。
傷痕を一つずつ。




