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血の継承【改訂版】  作者: Salhi smail
第三章 任務始動編

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立ち上がった弱者

赤が裂けた瞬間、青い一筋がアズロンの掌を打った。


空気が大きく震える。


近くの岩に亀裂が走り、熱波が木々の間を駆け抜けた。枝がしなり、道端の枯れ草に火がつく。


アズロンの両足が、土の上を滑った。


半歩。


ただ、それだけだった。


だが、シグランは見逃さなかった。


アズロンの靴が地面に残した、二本の短い跡。


歯を食いしばり、残された力のすべてを拳へ注ぎ込む。


腕を包む炎が膨れ上がった。


赤が激しく渦を巻き、その中心で青が再び姿を現す。


細く、不安定な青。


アズロンの笑みが広がった。


「悪くない」


指がシグランの拳を包み込む。


炎の突進が止まった。


手の骨が軋む。


次の瞬間、アズロンの掌が胸に触れた。


打撃は見えなかった。


足元から地面が消え、空が回る。


シグランは土の上へ叩きつけられ、そのまま滑って低い岩に脇腹をぶつけた。


肺から空気が押し出される。


起き上がろうとしたときには、アズロンが目の前に立っていた。


シグランが腕を上げる。


だが、青い筋は形を成す前に消えた。指先に残った赤い火花も、一度だけ明滅して消えていく。


アズロンの蹴りが脇腹へ入った。


シグランは地面を転がり、途切れ途切れの炎を引きずった。


まるで、炎そのものまで平衡を失ったようだった。


掌を地面につき、身体を起こそうとする。


腕が震えた。


肘が力を失い、肩から崩れ落ちる。


アズロンは歩み寄りながら言った。


「理性を持たない力は、打撃よりも大きな音を立てるだけだ」


シグランが顔を上げる。


両目にはまだ怒りが燃えていた。


だが、身体はもう、その怒りについていけない。


アズロンは髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。


「青は現れた」


炎の熱だけが残る空気を確かめるように、一度言葉を止める。


「だが、所詮は火花だ」


シグランの指が土へ食い込む。


「“真なるケメンの一族”の後継者なら、もっと見せると思っていた」


さらに顔を近づける。


声が低くなった。


その言葉は、拳よりも深くシグランへ突き刺さった。


「お前がザランの名を背負っているんじゃない、シグラン」


シグランの目が見開かれる。


「ザランの名が、お前を背負っている」


動けなかった。


今度の一撃は、胸にも脇腹にも入っていない。


アズロンの拳さえ届かなかった場所へ、言葉だけが入り込んだ。


髪から手を離され、シグランの頭が前へ落ちる。


指は土に食い込んだままだった。


いつもなら真っ先に吐き捨てるはずの悪態が、口から出てこない。


消えた炎を見つめる。


「なぜ……」


掠れ、ひび割れた声だった。


「なぜ、足りなかった……?」


アズロンはその前に立つ。


「今のお前はまだ、自分が背負う名より小さいからだ」


夜が静まり返った。


虫の声も、木々のざわめきも、シグランの耳には届かない。


頭の中で、一つの言葉だけが繰り返されていた。


ザランの名が、お前を背負っている。


アズロンが手を伸ばす。


「お前は、我々と来る」


シグランは逃れようとした。


だが、身体は指一本分ほどしか動かなかった。


「炎が問いに答えないなら……」


手が肩へ近づく。


「血に答えさせる」


その手が触れる直前、背後から声が届いた。


「そいつから離れろ」


アズロンの手が止まる。


ゆっくりと振り返った。


木のそばに、ヤザンが立っていた。


いや、立っているように見せようとしていた。


背中を幹へ預け、片手で胸を押さえている。両脚は震え、顔は青ざめ、口元から血が流れていた。


小石さえ持っていない。


拳も上げていない。


アズロンの目には、その周囲に力と呼べるものは何一つ映らなかった。


気配もない。


ケメンもない。


開かれた経路もない。


それでも、立っていた。


ヤザンはアズロンを真っ直ぐ見た。


「離れろと……言った」


アズロンは、必要以上に長く彼を見つめた。


「何者でもないお前を、何が立たせている?」


ヤザンは答えなかった。


呼吸は途切れ、両膝は今にも折れそうだった。


それでも、木の幹から背中を離す。


シグランへ向かって、一歩を踏み出した。


足が崩れかける。


歯を食いしばり、耐えた。


「お前の身体は、もう終わっている」


ヤザンが目を上げる。


「でも……僕はまだ終わってない」


シグランの目が、わずかに大きくなった。


ケメンを持たないヤザンを見る。


地面に倒れているべきだった少年。


立ち続ける理由など一つも残っていない身体で、それでも自分とアズロンの間に立とうとする少年を。


アズロンの表情に、何かが浮かんだ。


恐怖ではない。


確信でもない。


まだ答えのない問いに向けられた、冷たい関心だった。


「倒れたままでいるべきだったな」


ヤザンへ掌を向ける。


その前で空気が圧縮された。


ケメンが細く鋭く収束し、指先の前に白い槍の形を作る。


圧力がヤザンの胸へ重なった。


動こうとする。


今度こそ、両脚が応えなかった。


シグランの目が見開かれる。


「やめろ……」


白い槍が放たれた。


「やめろ!」


シグランの叫びが夜を裂く。


攻撃はヤザンへ届かなかった。


ケメンを厚くまとった掌が、その前へ現れた。


白い槍を横から叩く。


一撃は逸れた。


ヤザンの脇を通り過ぎ、背後の岩へ衝突する。長い亀裂が岩肌を走り、砕けた破片が地面へ散った。


一人の男が、ヤザンの前へ降り立った。


土に汚れた外套。


血を流す、切り裂かれた肩。


そして片腕には、青ざめ、疲れ果てながらも生きているマヤを抱いていた。


ラカンだった。


マヤを素早く、しかし慎重に背後へ下ろす。


そのまま前へ出て、アズロンと三人の生徒の間に立った。


攻撃を逸らした衝撃で肩の傷がさらに開き、背中へ血が広がっていく。


ラカンは見ようともしなかった。


目はアズロンだけに向けられている。


先ほどのような威圧は、もう表に出ていない。


アズロンは再び、そのほとんどを隠していた。


だが、残滓はまだ周囲にまとわりついている。


足元の砂埃は地面へ落ちず、肩の上の空気は、近づくことを拒むようにわずかに湾曲していた。


ラカンは、その立ち方を読む。


乱れていない呼吸。


攻撃を放ったあとも揺れない手。


そして、半歩ぶんの跡しか残されていない地面。


目が細くなった。


ただの実行役ではない。


作戦の一部だけを任された者でもない。


ラカンは振り返らず、背後で片手を動かした。


二本の指を東へ続く道へ向け、短く下ろす。


撤退の合図。


マヤがそれを見た。


目を見開き、すぐにヤザンへ近づく。彼の腕を自分の肩へ回し、戦いの線から離そうとした。


だが、ヤザンは半歩さえ満足に進めない。


反対側では、シグランが地面から身体を起こすことすらできずにいた。


アズロンは、その合図を見逃さなかった。


笑みを浮かべる。


「いい指示だ」


三人の生徒へ目を向けた。


「実行できる状態ならな」


ラカンが一歩進んだ。


腕の周囲へケメンが集まり、飛び込むために身体をわずかに沈める。傷から血が流れ続けているが、アズロンから目を離さない。


声は低く、冷たかった。


「次に一歩でも近づくなら、俺を越えていけ」


アズロンは退かなかった。


前へ出たラカンの足。


ケメンをまとう腕。


二人の間にある距離を測るように、視線を動かす。


背後の岩、その上で空気が折れ曲がった。


スカイが岩の縁へ姿を現す。


アズロンよりも少し高い位置に立っていた。


表情は変わらず穏やかだったが、ラカンを見る目には、先ほどまでの侮りがない。


アズロンは振り返らなかった。


「どう見る?」


「手練れです、首領」


ラカンの目がさらに細くなる。


スカイは続けた。


「折り畳まれた空間を破り、負傷した状態で娘を奪い返しました。戦いが長引けば、厄介になります」


木々の先へ目を向ける。


そこには、青い炎の残光がかすかに漂っていた。


「空間の乱れも、すでに折り畳みの外へ漏れています。このまま続ければ、目を引くでしょう」


ラカンは、自分の読みが間違っていなかったと悟った。


目の前の男は、〈黒の帳〉の一員などではない。


その首領だ。


アズロンが笑った。


「聞いたか、先生。お前を迷わせておくはずだった男から、褒め言葉をもらったぞ」


「俺は今、お前の前にいる」


「そうだ」


アズロンは、ラカンの肩を濡らす血を見る。


「だが、遅かった」


ラカンがさらに半歩進む。


「誰かを連れ去られる前には着いた」


アズロンの笑みが、わずかに薄れた。


「だからこそ、今夜は興味深かった」


スカイが周囲の道を見る。


「これ以上続ければ、この場所は長く静かではいられません」


「少年は連れていけなかった」


アズロンの目がシグランへ移る。


「だが、また来るには十分なものを見た」


シグランが身体を動かした。


起き上がろうとして、肘から崩れる。


「待て……」


それでも顔を上げ、アズロンを見る。


「逃げるな」


アズロンの目には、嘲笑よりも冷たいものがあった。


「逃げるつもりなら、お前に息など残していない」


怒りと屈辱がシグランの顔に燃え上がる。


だが、腕は身体を持ち上げられない。


「生きていろ」


アズロンはわずかに首を傾けた。


「次に会うときも、ザランの名がお前を背負っているのか見たい」


シグランの顔が歪む。


何かを言おうとしたが、声は出なかった。


ラカンが告げる。


「ここから出られると思うな」


二人の視線がぶつかった。


それは、一度きりの敵と交わす視線ではなかった。


これが最後の対面ではないと理解した二人の男の間に、無言の約束が結ばれていた。


「お前は我々を追わない」


「試してみろ」


「娘を連れ去った瞬間から、すでに試している」


アズロンは、ヤザンを支えるマヤへ目を向ける。


さらに、立つことすらできないシグランを見る。


「お前は優秀な教師だ、ラカン」


笑みを深めた。


「だからこそ、縛られる」


ラカンは黙った。


アズロンの言葉は正しい。


一人なら、飛び込んでいた。


戦場であれば、身体を賭けてでも二人の撤退を阻止したかもしれない。


だが、背後には三人の生徒がいる。


折り畳まれた空間から出たばかりで、まだ両手を震わせているマヤ。


傷つき、意志だけで立っているヤザン。


そして地面に倒れ、身体には見えない傷まで負ったシグラン。


ラカンは、生徒たちの前から動かなかった。


「また会うことになる、ラカン」


アズロンが自分の名を知っている理由を、ラカンは尋ねなかった。


腕の周囲へケメンを集めたまま答える。


「次に会うとき、生徒たちは俺の後ろにはいない」


アズロンの笑みが広がる。


「だからこそ、楽しみにしている」


そして続けた。


「アルマザに伝えろ。門を開ける手が、いつも外にあるとは限らないとな」


ラカンの目が変わった。


意味を問い返しはしない。


ただの脅しではないと理解していた。


スカイが片手を上げた。


二人の背後で距離が折れ始める。


夜が自分自身の一頁を折り畳むように、周囲の空気が歪んだ。


その中へ呑まれる直前、アズロンがシグランへ振り返った。


一人で立つこともできない少年を見る。


低い笑い声が漏れた。


それは一度だけ大きく膨らみ、道の静寂を裂く冷たい哄笑となった。


「先生まで、お前を背負いに来たか」


シグランの指が、土へ食い込む。


「お前を背負わされるのは、ザランの名だけではないらしい」


シグランは顔を伏せた。


屈辱が頬を焼く。


だが、炎はもう応えない。


「卑怯者……」


掠れた声だった。


アズロンの笑みが、再び静かなものへ戻る。


「自分の力で立てるようになれ、シグラン」


身体の半分が、折り畳まれた距離の中へ消える。


「それから俺を探せ」


アズロンとスカイの姿が消えた。


夜が一気に元の場所へ戻る。


岩は静まり、空気の歪みも消えていった。


虫の声が、一つ、また一つと戻ってくる。


早く戻りすぎたのではないかと恐れているように、ひどく慎重だった。


ラカンはその場から動かなかった。


腕を下ろさず、生徒たちへも振り返らない。


道の音を聞き、影を見つめ続ける。


空気が完全に静まり、折り畳まれた距離の最後の痕跡が消えてから、ようやく腕を下ろした。


背後で何かが動く。


ヤザンが倒れかけていた。


ラカンは振り返り、地面へ落ちる前に受け止める。傷のないほうの腕で支えられながら、ヤザンは胸を押さえた。


掠れた声で尋ねる。


「マヤは……?」


マヤが近づいた。


まだ脚に力は戻っていない。


それでも、震える唇に小さな笑みを作った。


「ここにいる」


ヤザンは一度、目を閉じた。


意識を失ったのではない。


恐怖によって胸の中へ閉じ込められていた空気を、途切れた呼吸とともに吐き出しただけだった。


少し離れた場所で、シグランは地面に座っていた。


顔を伏せている。


片手は喉へ。


もう片方は、自分を持ち上げることのできなかった土の上へ。


マヤを見なかった。


ヤザンも、ラカンも見なかった。


何も言わない。


アズロンの二つの言葉が、頭の中で交互に響いていた。


ザランの名が、お前を背負っている。


そして――


先生まで、お前を背負いに来たか。


マヤが一歩、近づいた。


だが、触れる前に止まる。


肩へ置こうとした手を上げ、迷った末に下ろした。


今のシグランに必要なのが、自分の手なのか。


それとも、誰にも見られないための距離なのか。


分からなかった。


ラカンは三人を見る。


「歩ける者はいるか?」


シグランは答えない。


ヤザンが重い瞼を持ち上げた。


「たぶん……」


ラカンが見る。


「血を流しながら、笑わせようとするな」


「じゃあ……失敗した?」


マヤから、小さく壊れたような笑いが漏れた。


すぐに口元を覆う。


笑いはそのまま、震える呼吸へ変わった。


ラカンの目元さえ、一瞬だけ柔らかくなる。


だが、その一瞬はすぐに終わった。


二人を呑み込んだ闇へ、再び目を向ける。


マヤが小さな声で尋ねた。


「終わったの?」


ラカンはすぐには答えなかった。


道の音を聞く。


夜の音。


生徒たちの呼吸。


そして、〈黒の帳〉が残していった空白を。


やがて答えた。


「いや」


封書の入った鞄へ目を向ける。


「だが、離れた」


沈黙が落ちた。


ヤザンの腕を傷のない肩へ回し、シグランを見る。


「東槍駐屯地へ向かう」


ヤザンがわずかに顔を上げた。


「手紙は……?」


ラカンの目が、前方へ続く道へ向けられる。


「今、駐屯地へ届けなければならない一番重要なものは、手紙じゃない」


「じゃあ……何?」


三人の生徒を見る。


血。


拘束が残した痕。


消えたまま、終わってはいない炎。


ラカンは言った。


「俺たちだ」


その夜、道はもう、封書を届けるための任務ではなくなった。


震える足で進む、一通の報告書になっていた。

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