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血の継承【改訂版】  作者: Salhi smail
第三章 任務始動編

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怒りが目覚める時

アズロンの指が、シグランの喉に食い込んでいた。


身体は宙に持ち上げられ、両足が届かない地面を探して空を蹴っている。両手でアズロンの手首を掴んでいるが、その腕は微動だにしなかった。


炎はもう、どこにも残っていない。


シグランの顔から少しずつ血の気が失われていく。


それでも、アズロンの眼差しは静かなままだった。


シグランの指に力がこもる。


罵ろうとした。


叫ぼうとした。


目の前の顔を炎で焼こうとした。


だが、喉から漏れたのは押し潰された呼吸音だけだった。


「その名に見合うものは、どこにある?」


数歩離れた場所で、ヤザンは片膝をついたままだった。


アズロンの威圧は、まだその身体にのしかかっている。立とうとするたびに腕が震え、空気は胸の奥まで入らない。


今度ばかりは、恐怖を無視できなかった。


それは心の中に浮かぶ考えではない。


骨の内側を走り、筋肉へ直接命じる何かだった。


逃げろ。


見るな。


地面に伏せていろ。


ヤザンは顔を上げた。


アズロンの手首にしがみつくシグランの両手。


宙に浮いた足。


そして、もう現れようとしない炎。


脳裏に、試験での光景が蘇る。


自分へ迫った一撃。


考えるより先に、その前へ飛び込んだシグラン。


そのあと、認めるのが不本意だとでも言いたげに告げた声。


『身体が勝手に動いた』


ヤザンは土を掴んだ。


片足を動かそうとする。


動かない。


もう一度、力を込めた。


「動け……」


自分にしか聞こえないほど、かすかな声だった。


足を地面へ押しつけ、震える脚を少しずつ持ち上げる。


「怖くても」


両膝が揺れた。


それでもシグランを見上げる。


「仲間がお前を必要としてる」


恐怖は消えなかった。


アズロンの威圧も弱まらない。


それでも、ヤザンは立ち上がった。


身体が一度大きく揺れた。


もう片方の足で踏みとどまり、近くに落ちていた小石を拾う。


アズロンに勝とうとは考えていない。


必要なのは、ほんの一瞬だけだった。


腕を振り、小石をシグランの首を掴む手へ投げる。


アズロンは見ようともしなかった。


空いている手の指がわずかに動く。


小石は空中で軌道を変え、遠くの岩へ弾かれた。


だが、ヤザンはすでにその後ろから走り出していた。


残った力だけで地面を蹴り、アズロンの腕へ飛びつく。手首を拳で打ち、両手で掴んでシグランの首から引き離そうとした。


動かない。


人間の腕ではなく、山の一部にしがみついているようだった。


アズロンが目を落とす。


初めて、その視線から完全な無関心が消えた。


「ケメンもない……」


震えるヤザンの脚へ目を向ける。


「倒れたままでいるべき時を教える頭もないか」


ヤザンは手首を掴む指に力を込めた。


「こいつだって……僕を見捨てなかった」


シグランの目が変わった。


アズロンが空いている手を振るう。


ヤザンは見切ることすらできなかった。


一撃が胸を捉え、身体が後方へ弾き飛ばされる。背中から木の幹へ叩きつけられ、頭上から何枚もの葉が落ちた。


そのまま地面へ崩れ落ちる。


肺から空気が消え、痛みが胸から背中へ突き抜けた。身体を起こそうとしても、かろうじて目を開けることしかできない。


シグランの抵抗が、一瞬止まった。


木の根元に倒れたヤザンを、見開いた目で見つめる。


「馬鹿……」


アズロンの指に喉を締められ、言葉は砕けていた。


もう一度その手首を押そうとするが、両腕から力が抜け始めている。


「逃げろ……」


ヤザンは動かない。


シグランは、喉が許す限り声を絞り出した。


「逃げろ……先生を呼べ!」


アズロンの片眉が上がる。


低い笑いが一度だけ漏れた。


ヤザンへ視線を向け、再びシグランを見る。


「恐れているのは、あの娘だけではないのか」


顔を近づける。


「お前は、全員を失うことを恐れている」


シグランの目に怒りが燃え上がった。


マヤ。


ヤザン。


何もできない自分。


喉を締める指。


そして、背負いきれない重荷のように投げつけられたザランの名。


胸の奥で、何かが動いた。


心臓の上に、小さな赤い火花が灯る。


すぐに消えた。


そして、再び現れる。


今度は胸から肩へ、さらに腕へと炎が伸びていった。いつものように拳から生み出されたのではない。


皮膚の奥へ閉じ込められていたものが、全身から漏れ出している。


アズロンの目が細くなる。


周囲の温度が上がった。


炎の縁にある赤が濃く変わり、その中心に細い青の筋が現れる。


一瞬だけだった。


青は消えた。


だが、先ほどよりもはっきりと再び現れた。


アズロンの笑みが広がる。


「ようやくか」


指を開く。


シグランは膝から地面へ落ちた。片手で喉を押さえ、激しく咳き込む。


だが、炎は一緒には落ちなかった。


肩と背中を取り巻き、激しく渦を巻いている。その中で青い筋が現れては消え、初めて目を開こうとする何かのように揺らめいた。


アズロンは、握力が弱まったからシグランを放したのではない。


見届けるために、手を離したのだ。


     ◆


音より先に、熱がラカンへ届いた。


遠く離れた場所から、木々と折り畳まれた距離を越え、炉から吹き出した風のように顔を打つ。


ラカンの目が変わった。


「くそ……」


マヤが顔を上げる。


「何が起きたの?」


ラカンは答えなかった。


炎を見なくても、誰のものか分かっている。


シグランだ。


スカイが笑った。


ラカンが熱の発生源へ振り返るのを待っている。


長すぎる一瞥。


怒りに任せた一歩。


残された二人への恐怖が強いる、どんな動きでもよかった。


だが、ラカンが背後を見たのは一瞬だけだった。


すぐに視線をマヤへ戻す。


手首を縛る黒い線。


周囲に浮かぶ黒い腕。


そして、地面を這う水の糸。


この空間にあるものは、すべて嘘をついていた。


岩は近づき、また遠ざかる。


マヤの声は、一呼吸ぶん遅れて届く。


スカイの影さえ、本人が動いていないのに形を変えている。


だが、水の糸だけは彼女と繋がったままだ。


弱い。


今にも消えそうなほど細い。


それでも、進む方向を一度も変えていなかった。


「俺をここへ導くために、この糸を残した」


「役目は果たした」


「いや」


ラカンの目が、スカイの足元を通る水の糸へ落ちる。


「まだだ」


スカイの笑みが、ほんのわずかに薄れた。


マヤが糸を見ようとする。


首元に浮かぶ黒い腕が、その動きに合わせて近づいた。


「動くな」


マヤの身体が固まる。


スカイは静かに言った。


「教師と生徒が目を合わせただけで、距離は壊せない」


「すべて壊す必要はない」


ラカンがゆっくりと手を上げる。


二本の指先に、わずかなケメンが集まった。


攻撃と呼べるほどの量ではない。


それでも、マヤを囲む三本の腕が反応する。


一本は首元。


一本は胸の前。


最後の一本は頭上。


「もう一歩動けば、どこに攻撃が届くかを決めるのはお前だ」


「分かっている」


ラカンは、首元にある腕へケメンの塊を放った。


スカイの目が即座に動く。


一本目がそれを遮るために伸び、二本目はマヤの胸へ近づいた。三本目は上から下がり、ラカンが飛び込む道を塞ぐ。


すべてが、スカイの想定どおりに動いた。


ただ一つ。


放たれたケメンは、攻撃ではなかった。


届く前に霧散する。


その瞬間、ラカンは水の糸を足で押さえた。


力任せではない。


閉じた扉を一度だけ叩くような、ごく小さな振動を送り込む。


マヤはそれを感じた。


視線が、袖口に隠していた小さな水滴へ移る。


もう一度ラカンを見る必要はない。


指を動かす。


水滴は黒い拘束の外へ向かうのではなく、手首の裏へ滑った。


水の糸と折り畳まれた空間が接続している場所へ。


スカイの動きが止まる。


目が見開かれた。


「やめろ――」


水滴が、何もない空間へ落ちた。


周囲が揺れる。


一瞬だけ、拘束の裏側に小さな結び目が姿を現した。


空間そのものが、自らに巻きつくように歪んでいる。


ラカンの目がそこを捉えた。


「そこか」


二本の指で空を打つ。


スカイでも、黒い腕でもない。


結び目だけを狙った。


音もなく、何かが壊れた。


マヤの首元にあった腕が、瞬きの半分ほど消える。手首を縛っていた黒い線も緩んだ。


それだけで十分だった。


ラカンが飛び出す。


真っ直ぐには進まない。


折り畳まれた空間に生まれた裂け目へ身体を滑り込ませ、マヤへ到達する。片腕で抱き寄せ、その身体を胸元へ引いた。


黒い腕が戻る。


ラカンは身体をひねり、背中をマヤと腕の間へ入れた。


一本が背後から肩を切り裂いた。


服が破れ、背中に赤い線が走る。


ラカンの身体が強張った。


「先生!」


「掴まってろ」


腕に力を込め、開いた空間を蹴る。


背後で裂け目が閉じた。


本物の空気が、マヤの顔を打った。


岩は元の位置へ戻り、影も地面の上で静止している。


二人は罠の外へ出ていた。


ラカンは片膝をついた。


それでも、マヤを離さない。


背後を振り返る。


折り畳まれた空間の中で、スカイはマヤがいたはずの場所を見つめていた。


穏やかな表情は消えていない。


だが、その目は細くなっていた。


切れた水の糸。


砕かれた結び目に残る、小さな水滴。


順に視線を移す。


「餌を、逃げ道に変えたか」


ラカンは立ち上がった。


「間違えたのは、餌じゃない」


マヤをもう一度抱き上げる。


「噛みつかないと思った、お前だ」


スカイの笑みが消えた。


ラカンは木々の間を駆け出す。


背後で再び距離が折り畳まれ始めたが、壊された空間はスカイの命令にすぐには応じなかった。


スカイはその場に立ち、二人の残した痕跡を見つめる。


やがて、静かに口を開いた。


「いい手だ、ラカン」


ゆっくりと笑みが戻る。


「だが、もう遅い」


     ◆


ラカンは、ようやく道が安定した場所まで走り抜けた。


肩から流れる血が服を濡らし、腕の中ではマヤの呼吸がまだ乱れている。


「降ろして。走れる」


「足の感覚が戻ってからだ」


「でも、シグランとヤザンが――」


「分かっている」


不意に足を止めた。


近くの木の幹に、黒く斜めの線が残されている。


目を凝らす。


灰だ。


急いだ手で樹皮へ擦りつけられ、岩の間を通る道を示している。


誰が残したのか、すぐに分かった。


「よくやった、ヤザン……」


ラカンは奥歯を噛む。


「この馬鹿が」


次の瞬間、アズロンの威圧が届いた。


直接向けられたものではない。


すでに弱まり、木々を抜けてきた残滓にすぎない。


それでも、ラカンの顔つきが変わった。


生徒を追うために送り込まれた者の気配ではない。


作戦の一部だけを任された戦闘員のものでもない。


灰の印が示す方向を見た。


「あそこで二人を待っているのは……ただの手駒じゃない」


マヤが尋ねる。


「どういうこと?」


木々の向こうから、再び熱が吹きつけた。


先ほどより近い。


そして、さらに強い。


赤い炎の中で、まだ定まらない別の何かが生まれようとしている。


鋭い色が現れ、すぐに消える。


「遅れれば、救出では済まなくなる」


ラカンは走り出した。


傷が走れる状態かどうかなど、確かめもしない。


マヤも、背中を伝う血が増えているとは告げなかった。


その目は前方の道に向けられている。


灰の印。


そして、色を変え始めた炎へ。


     ◆


シグランはゆっくりと顔を上げた。


片手は喉を押さえ、もう片方は地面についている。呼吸は途切れ、胸が激しく上下していた。


それでも、周囲の炎は広がり続ける。


もう拳から飛び跳ねるような燃え方ではない。


身体を取り巻き、不安定な輪を描いている。


細すぎて一つの炎とは呼べず、幻にしては明瞭すぎる青い筋が、赤の中に再び現れた。


木の根元で、ヤザンがかすかに目を開く。


変わっていく炎を見た。


咳も、震える脚も感じていないかのように立ち上がるシグランを見た。


胸の奥に、再び恐怖が這い上がる。


今度は、アズロンに対してだけではない。


「シグラン……」


声は届かなかった。


シグランは振り返らない。


アズロンは正面に立ち、穏やかな笑みを浮かべていた。


目の前の変化に驚いた男の顔ではない。


探し求めていたものを、ようやく見つけた者の顔だった。


わずかに両腕を開く。


「見せてみろ。その名の奥に残っているものを」


シグランは足を踏みしめた。


手は震えている。


それでも、拳を上げた。


「殺す」


アズロンは、今にも崩れそうな立ち姿を眺める。


「まず、まともに立て」


片手を向けた。


「それから試してみろ」


シグランの足元で地面が燃え上がった。


踏み込む。


今度は、シグランだけが前へ出たのではない。


炎そのものが一緒に走った。


道をすべて呑み込もうとするように身体へ巻きつき、その中心には、シグラン自身にも生み出し方が分からない青い筋が伸びていた。


止め方も、分からない。


アズロンは退かなかった。


片手を上げ、笑みを深める。


「そうだ……それだ」


炎が掌へ激突した。


赤が裂けた。


その瞬間、二人のもとへ向かっていたラカンが顔を上げる。


木々の向こうで、夜が青く染まった。

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