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血の継承【改訂版】  作者: Salhi smail
第二章 騎士試験編

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欠けた痕跡


問題は、森から始まったのではなかった。


始まりは、待機区域の裏手にある細い通路だった。


騎士試験が終了し、広場では合格者への叙任式の準備が進められていた頃。


運営員の一団が、裏側の封印や倉庫、そして各隊が出発前に使用した部屋の確認を始めていた。


ごく普通の点検だった。


扉を開く。


部屋を確認する。


封印を調べる。


名前を記録する。


その時。


一人の警備兵が、くぐもった音を聞いた。


足を止める。


手を上げると、後ろの者たちも止まった。


低い声で尋ねる。


「今の、聞こえたか?」


沈黙。


再び音がした。


弱い。


押し殺されている。


口を塞がれた誰かが、必死に叫ぼうとしているような音だった。


警備兵は、通路の最奥にある古い木の扉へ向かった。


外側から簡単な錠がかけられている。


だが、それは試験運営が使用する正式な錠ではなかった。


同行していた監督員が近づく。


錠をしばらく調べた後、言った。


「壊せ」


警備兵が槍の柄を叩きつける。


鋭い音とともに錠が外れた。


扉を開く。


中は重い闇に包まれていた。


埃が空気に浮いている。


一人が灯りを掲げた。


光が古い木箱をなぞる。


布袋。


放置された棚。


そして――


止まった。


三人の少年が、倉庫の柱へ縛りつけられていた。


両手は背中側。


口には布。


身につけているのは、訓練用の下衣だけ。


正式な外套。


国章。


身分札。


ティルマラの腕帯。


そのすべてが消えていた。


警備兵の一人が息を呑む。


「なんだ、これは……?」


駆け寄る。


最初に隊長らしき少年の縄を解いた。


少年は膝から崩れ落ち、激しく咳き込んだ。


口を塞いでいた布が外される。


掠れた声が漏れた。


「やっと……」


監督員が近づく。


顔色が変わった。


「お前たちは誰だ?」


少年が苦しみながら顔を上げる。


「ナドラン」


二人の仲間を示した。


「こっちがサリム……それからユーヌス」


途切れ途切れに息を吸う。


「俺たちは五番……ティルマラの隊です」


重い沈黙が落ちた。


監督員が言う。


「五番は試験へ入った」


ナドランは激しく首を振った。


「違う」


また咳き込む。


「俺たちは入っていない」


縄を解かれたサリムとユーヌスも、同時にうなずいた。


サリムが言う。


「呼び出しの前に襲われました」


ユーヌスが続ける。


「三人でした」


ナドランが言った。


「正式な外套も、徽章も、身分札も……ティルマラの腕帯まで全部持っていかれた」


苦しみながら顔を上げる。


「そして、俺たちの名前で中へ入った」


警備兵の一人が、一歩後ずさった。


「なら……代わりに入ったのは誰だ?」


誰も答えなかった。


その問いそのものが、どんな答えより危険だった。


監督員が拳を握る。


「この通路を封鎖しろ」


警備兵たちを一人ずつ見る。


「帝国調査官が来るまで、一言も外へ漏らすな」


一人がためらいながら尋ねた。


「ですが、試験はもう終わっています」


監督員は、ナドラン、サリム、ユーヌスを見る。


縄。


口を塞いでいた布。


すべての身分証明を奪われた服。


そして言った。


「いや」


声を落とす。


「どうやら……まだ終わってすらいなかったらしい」



調査官ダリウスは、それほど時間を置かずに到着した。


多くを話す男ではない。


その場に立つだけで、周囲を静かにさせる男だった。


帝国調査局の印を刻んだ暗い外套。


濃い髭。


何かを隠していると判断しない限り、同じ場所を二度見る必要などないと言わんばかりの鋭い目。


倉庫の扉の前で、一度立ち止まる。


壊された錠を見る。


次に、そこへ続く通路。


競技者が使う道ではない。


職員と警備兵専用の裏通路だった。


ダリウスは中へ入った。


ナドラン。


サリム。


ユーヌス。


縄。


布。


徽章を引き剥がした痕跡。


柱の周囲に積もった埃。


扉付近に残る足跡。


すべてを確認してから言った。


「最初から話せ」


ナドランがためらう。


ダリウスは冷たく繰り返した。


「最初からだ」


彼を見る。


「恐怖を感じ始めた瞬間からではない」


ナドランは唾を飲み込んだ。


「呼び出し区域へ向かっていました」


「どの道だ?」


「国外隊用の東通路です」


「その後は?」


「職員用通路から三人が現れました」


ダリウスの補佐官が持つ筆が、記録板の上で止まった。


ダリウスが尋ねる。


「運営員の服を着ていたか?」


ナドランは首を振る。


「いいえ」


「なら、なぜ接近を許した?」


サリムが答えた。


「職員か警備兵しか使わない道から来たからです」


ユーヌスが付け加える。


「通行札も持っていました」


ダリウスの目が細くなる。


「印章は見たか?」


ユーヌスが答える。


「遠目にだけ」


ナドランが言った。


「でも、侵入者のようには見えなかった」


「道を探さなかった」


「扉の前でも迷わなかった」


「俺たちより、この場所を知っているように動いていました」


ダリウスが尋ねる。


「近づいてから、何が起きた?」


ナドランが答えた。


「一人が俺へ飛び込んできました」


首へ手を当てる。


「攻撃は見えませんでした。ただ、感じただけです」


サリムが続ける。


「ナドランは、声を出す前に倒れました」


ユーヌスが言う。


「もう一人は、俺たちの後ろに現れました」


「見つける前から、そこにいたみたいに」


「俺の口を塞いで、サリムを地面へ倒した」


ダリウスが聞く。


「三人目は?」


ナドランが答えた。


「扉の近くにいました」


「通路と時間を見ていた」


「戦う必要すらなかった」


「全部、あらかじめ決められた手順通りに進んでいるようでした」


ダリウスが尋ねる。


「ケメンは使ったか?」


サリムが答える。


「はい」


ダリウスが目を上げる。


「何系統だ?」


サリムが迷った。


「分かりません」


「説明しろ」


「ティルマラで見る流れとは違いました」


ユーヌスが続ける。


「速すぎました」


指を強く握る。


「普通なら使わない身体の内側の経路へ、力を無理やり通しているような……」


ダリウスの表情は変わらなかった。


だが、補佐官へ顔を向ける。


「今の言葉を、そのまま記録しろ」


そして再び三人を見る。


「何か話していたか?」


ナドランが答えた。


「少しだけ」


「何を?」


「扉のそばにいた奴が、時間がないと言っていました」


サリムが続けた。


「もう一人が徽章を取った後、こう聞きました」


「『名前は?』」


ダリウスが目を上げる。


「答えは?」


「『記録と一致している』」


沈黙。


即興の犯行ではない。


隊員の名前を知っていた。


通る場所を知っていた。


彼らに成り代わるため、何が必要なのかも知っていた。


ダリウスが聞く。


「互いを名前で呼んだか?」


ユーヌスが答える。


「いいえ」


「呼び名は?」


「ありません」


ナドランが言う。


「扉にいた奴は、声を上げる必要すらありませんでした」


「ほかの二人は、すぐに従っていました」


「指揮官に見えたか?」


ナドランがうなずく。


「はい」


ダリウスは裏通路を見る。


そして監督員へ尋ねた。


「この道を使う権限がある者は?」


「警備兵、職員、整備班、一部の監督員です」


「競技者は?」


「ありません」


「破壊された封印は?」


監督員が少し迷う。


「ありません」


ダリウスが言った。


「なら、正規に見える許可証を持っていた……」


通路へ視線を上げる。


「あるいは、確認されない場所を知っていた」


補佐官へ向く。


「内部情報を得ていた可能性を記録しろ」


一拍置く。


「まだ『内通者』とは書くな」


「はい」


ダリウスが続けた。


「五番――ティルマラの正式登録名は?」


補佐官が記録を確認する。


「ナドラン、サリム、ユーヌスです」


ナドランが顔を上げる。


「俺たちの名前です」


ダリウスは言った。


「つまり、盗まれたのは外套と徽章だけではない」


失われた身分札を見る。


「身分そのものだ」


監督員が言う。


「五番が門から退出した記録はありません」


ダリウスが聞く。


「森は?」


「捜索班も発見していません」


「遺体は?」


「なし」


「転移の痕跡は?」


「確定できません」


ダリウスの顔がさらに冷たくなった。


「閉鎖された試験区域から、誰も痕跡を残さず消えたりはしない」


床を見る。


「痕跡が欠けているなら――」


「誰かが、欠けるように残したということだ」


補佐官へ向く。


「森の中で五番と接触した全隊の証言を集めろ」


補佐官が尋ねる。


「合格隊からですか?」


ダリウスが見る。


「見た者からだ」


そして続けた。


「勝つことしか見ていない者より、敗者のほうが多くを見ていることもある」



証言は、断片的に集まった。


だが、一つの道筋を描き始めていた。


最初にダリウスの前へ立ったのは、二番――アルマザ。


先頭にアミール・サーラン。


隣にナダ・ディヤラン。


その後ろには、いつも通り静かなアナス・ガスカン。


ダリウスが尋ねる。


「五番の一人に攻撃された?」


アミールが答える。


「あれがティルマラの生徒なら、俺はアルマザ皇帝ですよ」


少し離れた場所から、アドナンが一度だけ彼を見る。


アミールはすぐに姿勢を正した。


「つまり……はい。攻撃されました。でも、生徒らしい動きではなかった」


ナダが言う。


「最初は一人で攻撃してきました」


ダリウスが尋ねる。


「お前たちの札を奪おうとしたか?」


「いいえ」


「そもそも、お前たちは正式な対戦相手でもなかった」


ナダがうなずいた。


「はい」


「なら、なぜ襲った?」


アミールが答える。


「頭がおかしかったとか?」


ダリウスは彼を見なかった。


アナスへ目を向ける。


「お前はどう見る?」


アナスは静かに答えた。


「俺たちが、道を塞いでいた」


補佐官の筆が止まる。


ダリウスが尋ねる。


「説明しろ」


「勝つために戦っていたわけじゃない」


アナスが目を上げた。


「通り抜けるために戦っていた」


ナダが続ける。


「その後、もう一人が来ました」


「何をした?」


「最初の一人へ、私たちを放っておけと命じました」


ダリウスが聞く。


「何と言った?」


アナスは迷わなかった。


「『こいつらは目標じゃない』」


その場が静まり返る。


ダリウスは長く彼を見る。


「言葉は確かか?」


「はい」


「目標については何か言った?」


「いいえ」


アミールが言う。


「でも、試験そのものに興味がないように見えました」


今度はダリウスが彼を見る。


アミールは続けた。


「札も」


「順位も」


「失格になることも」


「何一つ気にしていなかった」


アナスが言った。


「彼らにとって、試験はただの開かれた道だったように見えました」


ダリウスが補佐官へうなずく。


「記録しろ」


そして言った。


「八番――サティラン」



最初にファリスが入った。


隣にリアン。


ムラドは半歩後ろ。


三人とも、森から戻された後に応急治療を受けていた。


それでも、戦闘の痕跡はまだ身体に残っている。


ダリウスが聞いた。


「最後に五番を見た場所は?」


ファリスが答える。


「西の森です」


少し黙る。


「三番――アルマザの近くでした」


ダリウスの表情は動かない。


「何をしていた?」


リアンが言う。


「試験には見えませんでした」


「説明しろ」


「札を見ていなかったんです」


胸元へ手を上げる。


「番号も確認していなかった。人を見ていました」


ファリスが言う。


「動きも、おかしかった」


「どうおかしい?」


「整いすぎていた」


顎へ力を込める。


「誰がどこにいるか、最初から知っていたみたいに」


ムラドが低い声で言った。


「一人が……誰かを生け捕りにするようなことを言っていました」


ファリスがすぐに振り返る。


ダリウスの目がムラドへ移る。


「正確に何を聞いた?」


ムラドがためらった。


「全部は聞こえませんでした」


「聞こえた部分は?」


「『少年を生かしたまま連れて行け』」


ダリウスが尋ねる。


「どの少年だ?」


「分かりません」


「誰を見ていたかは?」


ムラドは首を振った。


「俺たちは退いていました」


「なぜ?」


ファリスは少し黙った。


そして言う。


「生徒じゃなかったからです」


リアンが続けた。


「生徒なら、怖くても試験のことを考えます」


ダリウスを見る。


「あの人たちは、勝つことにも負けることにも興味がなかった」


ファリスが言った。


「まるで……外から来た者みたいでした」


「何の外だ?」


「試験そのものの」


ダリウスは、それ以上聞かなかった。



九番――ビスカラの証言が、新たな線を加えた。


サーレム。


ヌーリヤ。


ジャラル。


三人がダリウスの前へ立つ。


サーレムが言った。


「俺たちは、正式な相手だった五番を追っていました」


ダリウスが聞く。


「向こうから戦おうとしたか?」


「いいえ」


「お前たちが近づいた時、逃げた?」


「そこまで近づけませんでした」


ダリウスの目が細くなる。


サーレムが続ける。


「でも、残された痕跡は逃げる隊のものでも、札を探す隊のものでもありませんでした」


「何だった?」


「一直線でした」


少し黙る。


「最初から行き先を知っていたように」


ヌーリヤが言った。


「何か所もの近くを通っています。でも、誰のところにも立ち止まりませんでした」


ダリウスが尋ねる。


「五番の札を見たのはいつだ?」


ヌーリヤが答えた。


「塔へ向かう途中で、三番――アルマザと会った時です」


「札は彼らが持っていた?」


少し迷う。


「イザン・ファドゥスが持っていました」


補佐官の筆が止まった。


ダリウスが尋ねる。


「お前たちへ手渡した?」


ヌーリヤは首を振る。


「誰の手にも渡していません」


「何をした?」


「取り出して、両隊の間の地面へ置きました。それから離れました」


「どこで手に入れたかは?」


「言っていません」


「何か見返りを要求したか?」


サーレムが答える。


「何も」


ヌーリヤが続けた。


「ただ、自分たちの札じゃないと言いました」


ダリウスが彼女を見る。


「持ち主から奪った者に見えたか?」


ヌーリヤは迷った。


青白かったイザンの顔。


立つのがやっとだったシグラン。


二人を先導していた、傷だらけのマヤ。


それらを思い出す。


そして答えた。


「何かから生き延びた人に見えました……」


一度言葉を止める。


「勝った人には見えませんでした」


補佐官が、その言葉を記録した。


ダリウスは何も言わない。


そして続ける。


「七番――ティゾラ」



ユーバ、セイラ、マシンが彼の前に立った。


三人は、時間切れ後に東側区域から回収されていた。


ユーバが言う。


「森の中に、改造経路の痕跡がありました」


ダリウスが答える。


「改造経路自体は、国外隊では珍しくない」


セイラが言った。


「この形は違います」


「何が?」


「痕跡が圧縮されていました」


考えてから続ける。


「身体が耐えられる速度以上に、力を無理やり経路へ押し込んだような……」


マシンが付け加えた。


「身体を器として使っていない」


ダリウスが見る。


「なら?」


「道具として使っていた」


沈黙が落ちる。


ユーバが言った。


「普通の学校で学んだ者の使い方ではありません」


セイラが続ける。


「改造経路の使い手の中でも、歪んでいました」


ダリウスが聞く。


「その動きなら、痕跡を途中で消せるか?」


マシンが答えた。


「断つことはできます」


そして付け加える。


「でも、それだけでは完全には消せません」


ダリウスが片眉を上げる。


「何が必要だ?」


「場所についての知識です」


ユーバが言う。


「あるいは、監視側がどこを見ないか知る者」


ダリウスは何も言わなかった。


ただ、その言葉を一字も落とさず記録するよう補佐官へ命じた。



ダリウスは大きな記録板の前に立った。


長く黙っていた。


すべての線がつながったわけではない。


それでも、指し示すには十分だった。


本物の五番は、試験へ入っていない。


三人の偽者が、その身分を奪った。


職員用通路を使った。


正規に見える通行許可を持っていた。


襲撃前から、ナドラン、サリム、ユーヌスの名前を知っていた。


外套。


徽章。


身分札。


すべてを奪った。


正式な相手である九番を無視した。


二番を襲った。


だが、目標ではないと分かると放置した。


そして三番へ向かった。


少年を生け捕りにするよう命じた。


道を最初から知っているように進んだ。


札に興味はない。


勝利にも興味はない。


任務が終わった後に正体が露見することさえ、気にしていない。


そして――


門を使わず消えた。


その後、五番の札はイザン・ファドゥスが所持しているところを確認された。


彼は見返りを求めず、その札を九番――ビスカラの前へ置いた。


補佐官が尋ねる。


「まずイザンを呼びますか?」


ダリウスは答えた。


「いや」


補佐官が意外そうに見る。


「ですが、札を持っていたのは彼です」


ダリウスは医療報告書を見た。


「少年は医療棟にいる」


紙を机へ戻す。


「立つこともできない。今の状態では聴取もできない」


そして続けた。


「札を持っていたというだけで、彼が奪った証拠にはならない」


「では、誰から?」


ダリウスは、地図に記された戦闘痕を見る。


焼け跡。


赤い炎。


そして、珍しい青の痕跡。


証言の中には、シグラン・ザランの名が何度も現れていた。


「現場で最も大きな痕跡を残した者からだ」


補佐官が聞く。


「彼が目標だったと?」


ダリウスは答える。


「彼らは、勝つ気のない試験へ入った」


顔を上げる。


「つまり試験は、誰かへ近づくための隠れ蓑だったということだ」


そしてシグランの名を見る。


「その誰かが誰なのか――」


「それを、これから調べる」



医療棟には、重い静けさが残っていた。


イザンは寝台の上に座り、背中を枕へ預けている。


そばには、小さな徽章。


遠くはない。


だが、手の届かない道の先にあるように見えた。


触れてはいない。


目の前の食事は冷えていた。


一口も減っていないスープ。


割られていないパン。


マヤが机へ置いた赤いリンゴは、伸びてこない手を待っているように静かだった。


マヤは彼のそばに座っている。


落ち着いて見せようとしていた。


だが、声より目のほうが正直だった。


「食べないと」


イザンは答えない。


もう少し優しく言う。


「身体に力が必要だって、医師が言ってた」


イザンは布団の下の自分の手を見る。


「僕の身体は……扉を閉じたんだろ?」


マヤは黙る。


嘘をつかないことを選んだ。


「あなたを守ろうとしたのよ」


イザンは、喜びのない小さな笑みを浮かべた。


「変だな……」


徽章を見る。


「僕の身体まで、僕の前で扉を閉める方法を知ってる」


マヤの胸が締めつけられた。


「そんなこと言わないで」


「じゃあ、何を言えばいい?」


答えは見つからなかった。


マヤはスープ皿へ手を伸ばす。


「一口だけ」


イザンは首を振った。


「お腹が空いてない」


「イザン……」


「マヤ、お願い」


声が止まる。


怒ってはいなかった。


ただ、これ以上何かを求めることさえ残酷に感じさせるほど疲れていた。


扉のところには、しばらく前からシグランが立っていた。


入ってこなかった。


こういう部屋が嫌いだった。


戦場なら、何をすればいいか分かる。


燃やす。


飛び込む。


防ぐ。


攻撃する。


だが、ここでは炎は役に立たない。


力でも、沈黙は壊せない。


ようやく扉を押した。


マヤが振り返る。


「シグラン」


返事はない。


ゆっくり入ってくる。


肩にはまだ包帯。


顔は、痛みが許す以上に強く見せようとしていた。


食事を見る。


次にイザン。


「森から生きて帰ってきて、スープ一杯に負けるつもりなら、俺たち全員への侮辱だぞ」


イザンは答えなかった。


シグランは、怒りを待った。


皮肉でもいい。


小さな笑いでも。


だが、イザンは動かない。


ただ顔を上げる。


その目の空虚さに、シグランは次に何を言うつもりだったのか忘れた。


自分を前にすると言葉に詰まっていた少年の目ではない。


帰り道で笑って、


「俺たち、よくやったな」


と言った少年の目でもない。


夢の扉までたどり着いたのに――


鍵はもう、お前の手にはないと告げられた者の目だった。


シグランは歯を食いしばる。


少し声を落とした。


「道でお前を支えたことを後悔させるな」


少しして、イザンが答えた。


「君は僕を支えてない」


シグランが片眉を上げる。


「そうか?」


「お互いに寄りかかってただけだ」


「よし」


一歩近づく。


「なら、記憶までは完全に壊れてないらしいな」


マヤがイザンを見る。


顔の上で、ほんの少し何かが動いた。


笑顔には届かない。


それでも――


戻り始めた最初の兆しだった。


扉が叩かれた。


ラカンが入ってきた。


細長い木箱。


そして黒い布で包まれた小さな暗色の瓶を持っている。


最初に食事を見る。


次にイザン。


そしてマヤとシグラン。


「その顔は気に入らないな」


寝台へ近づく。


「森から出てきたのは、部屋の中で諦めるためじゃない」


マヤがすぐに尋ねた。


「先生……何か見つかったんですか?」


ラカンは木箱を机へ置く。


「可能性を見つけた」


イザンがゆっくり顔を上げる。


「可能性?」


ラカンはそばへ座った。


「奇跡じゃない」


まっすぐ彼を見る。


「道が元通りになるとも約束しない」


布団の上で、イザンの指が縮む。


ラカンは続ける。


「だが、終わったとも言わない」


イザンは彼を見つめ続けた。


言葉の意味を間違えて受け取りたくないように。


「僕……」


息を整える。


「また先生と訓練できる?」


その問いには、彼に残っているすべてが詰まっていた。


ラカンが答える。


「身体が治療を受け入れたら、一歩ずつ戻る」


そして厳しく続ける。


「ただし、俺の言うことを聞け」


扉を指す。


「医師の言うことも」


次にイザンを指す。


「それと、馬鹿な真似をするな」


シグランが即座に言った。


「なら無理だな」


マヤが振り返る。


「シグラン!」


無事なほうの肩を少し上げる。


「何だよ。こいつ、しょっちゅう馬鹿なことするだろ」


イザンが彼を見る。


小さな笑いが漏れた。


短い。


弱い。


だが、本物だった。


マヤは口元へ手を当てた。


今度は、泣きそうだからだけではない。


ラカンが微笑む。


「よし」


そして言った。


「まだ笑えるなら、どうにかできるものは残っている」


イザンが尋ねる。


「それ、医者の診断?」


「自分の生徒を知っている教師の診断だ」


ラカンは食事を見る。


「何か食べたか?」


マヤが顔を伏せる。


「何も」


ラカンが言う。


「なら治療は食べてからだ」


イザンは、新しい敵でも見るようにスープを見た。


「無理です」


ラカンは穏やかに言う。


「一口ならできる」


スプーンを取り、イザンの手へ置いた。


「それから、もう一口」


イザンの手が震える。


ラカンが言った。


「騎士への道は、戦場じゃなくスープ一杯から始まることもある」


イザンはスプーンを見続けた。


マヤは手伝おうとした。


だが、止まった。


彼自身の目に、自分の弱さをさらに大きく見せたくなかった。


シグランもそれに気づく。


わざと冷たい声で言った。


「スープ相手に長期戦を始めるな。もっと重要なことがある」


イザンは苦労しながらスプーンを持ち上げた。


震える。


それでも口まで届いた。


飲み込む。


大きな奇跡は起こらない。


徽章が輝くこともない。


扉が開くこともない。


身体が元に戻ることもない。


だが――


食べた。


それだけで、マヤは久しぶりに息を吐けた。


ラカンが言う。


「もう一度」


二口目。


三口目。


その後、扉が叩かれた。


医師が入ってきた。


ラカンから渡された瓶を、すでに確認していた。


イザンを見る。


次に木箱。


「今日は一回だけです」


イザンが尋ねる。


「一回?」


「身体が受け入れれば、次の量を決めます」


そして続ける。


「拒絶反応が出たら、その時点で中止します」


ラカンが瓶を開ける。


苦い匂いが広がった。


湿った土。


ニガヨモギ。


ローズマリー。


そして、普通の薬にはない重い油の匂い。


少量を杯へ注いだ。


医師が言う。


「これは薄めてあります」


イザンを見る。


「原液は、そのまま与えられるほど穏やかなものではありません」


シグランが言う。


「匂いだけなら、治す前に殺しそうだな」


ラカンが返す。


「良い薬は、お前に好かれようとはしない」


杯をイザンへ渡す。


「飲め」


イザンはためらった。


そして飲んだ。


すぐに顔が歪む。


シグランが言った。


「よし。少なくとも顔は動くようになった」


マヤが笑う。


医師でさえ、わずかな笑みを隠した。


イザンは、胸の中へ薄い温かさが広がるのを感じた。


治癒ではない。


力でもない。


経路が開いたわけでもない。


だが、ほんの短い間だけ――


身体が、すべてを拒絶するのをやめた。


慎重な希望。


それ以上ではなかった。


イザンが尋ねる。


「本当に……戻れる?」


ラカンが答える。


「いつかは分からない」


そして。


「どこまで戻れるかも分からない」


少し身を寄せる。


「だが、進む前に一歩ずつ確かめる」


医師が言った。


「今日は最初の一回を観察するだけです」


指を折りながら続ける。


「訓練禁止」


「長時間歩くのも禁止」


「反響試験も禁止」


「外部からのケメンも禁止」


ラカンが言う。


「身体が受け入れれば、次の量は医師が決める」


そして続ける。


「治療が終わったら、完全休養だ」


イザンが尋ねる。


「その後は?」


医師が答える。


「再検査」


ラカンが続けた。


「状態が安定していれば、軽い歩行と呼吸訓練から始める」


「訓練は?」


ラカンが彼を見る。


「寝台に縛りつけられたくなければ、その質問を急ぐな」


シグランが言う。


「俺は縛る案に賛成だ」


マヤも言った。


「私も」


イザンは三人を見る。


反論する力はない。


だが――


目を覚ましてから初めて、それを恥だとは感じなかった。


その時。


扉が強く叩かれた。


医師の叩き方ではない。


看護師でもない。


許可を求めるというより、自分が来たことを告げる者の叩き方だった。


マヤの笑みが消える。


ラカンが振り向く。


「入れ」


扉が開いた。


暗い正式制服を着た男が入ってくる。


厳しい顔。


一瞬で部屋全体を確認する目。


ラカンはすぐに気づいた。


「調査官ダリウス」


男はうなずいた。


「ラカン教官」


そして目がシグランへ移る。


「シグラン・ザラン」


負傷しているにもかかわらず、シグランは姿勢を正した。


「何だ?」


ダリウスが言った。


「私と来てもらう」


重い沈黙。


マヤが尋ねる。


「なぜ?」


ダリウスの目はシグランから離れない。


「騎士試験への侵入事件を調査している」


ラカンの表情が変わった。


「侵入?」


ダリウスが答える。


「本物の五番――ティルマラが、待機区域付近で縛られた状態で発見された」


布団の上で、イザンの手がわずかに震えた。


ダリウスは続ける。


「ナドラン、サリム、ユーヌスは、そもそも森へ入っていない」


イザンがマヤを見る。


そしてシグラン。


「三人組が彼らの外套、徽章、身分札を奪い、その名前で試験へ入った」


さらに続けた。


「偽者たちは消えた」


「正式な棄権記録なし」


「門から出た痕跡もなし」


シグランがゆっくり尋ねる。


「それが俺と何の関係がある?」


ダリウスが一歩近づいた。


「二番――アルマザの証言では、偽者の一人が彼らを攻撃した後、正式な対戦相手でもないのに途中で放置した」


シグランの目が細くなる。


「八番――サティランは、奴らが札に興味を示さず、お前たちの隊の近くで『少年を生け捕りにしろ』と口にしたと証言している」


一度黙る。


「さらに、五番の札は後にお前たちの隊が所持していた」


「イザンが九番――ビスカラの前へ置いた札だ」


目が一瞬だけイザンへ向く。


すぐにシグランへ戻った。


「誰が狙われていたのか、まだ断定はできない」


シグランが言う。


「それでも、最初に俺を呼んだ」


「現場には強い炎の痕跡が残っている」


まっすぐ彼を見る。


「赤と――青」


誰も動かなかった。


ダリウスが続ける。


「さらに八番は、偽者たちが三番へ向かい、少年を生け捕りにするよう命じていたと証言した」


シグランから視線を外さない。


「現場で最も強い、確認可能な痕跡を残しているのはお前だ」


「だから、お前から始める」


シグランが鋭く言った。


「つまり、俺が容疑者か?」


ダリウスは答える。


「容疑者なら、私一人でこの部屋へは来ない」


視線を固定する。


「今のお前は、重要参考人だ」


「今のところは」


イザンが身体を起こそうとした。


痛みが走り、枕へ戻される。


シグランは横目でそれを見る。


ダリウスが言った。


「これは試験ではなかった」


声がさらに冷たくなる。


「奴らは勝つ気のない競技へ入り込んだ」


「正式な対戦相手を無視した」


「ほかの隊を通り抜けた」


「そして、お前たちのところへ一直線に向かった」


一度、沈黙する。


「試験は、誰かへ近づくための隠れ蓑だった」


ラカンが尋ねる。


「その誰かが、シグランだと?」


ダリウスは答えた。


「彼が、現時点で最も真実に近い証言者だと考えている」


そして付け加える。


「それ以上ではない」


シグランはイザンを見る。


短い視線。


助けを求めているわけではない。


謝罪でもない。


自分も知らない秘密を知っている目でもない。


そこにあったのは、単純な命令だけだった。


動くな。


余計なことをするな。


そしてダリウスへ向き直る。


「分かった」


マヤが呼ぶ。


「シグラン……」


振り返らない。


ダリウスが言う。


「今すぐだ」


シグランが扉へ向かう。


ラカンが言った。


「俺も行く」


ダリウスが見る。


「教え子に付き添う権利はある」


扉の前で、シグランが一度止まった。


後ろは見ない。


ただ言った。


「俺がいない間に、馬鹿なことするなよ」


イザンには、自分へ向けられた言葉だと分かった。


返事をしようと口を開く。


だが、その前にシグランは外へ出た。


ラカンとダリウスも続く。


扉が閉じた。


部屋は、先ほどより冷たく感じられた。


イザンは枕元の徽章を見る。


次に、机の上に残された苦い薬瓶。


そして――


シグランが出ていった扉。


立てない。


追いかけられない。


まともに声を上げることさえできない。


その瞬間、イザンは一つだけ理解した。


森は、終わっていなかった。


彼らは身体だけを森の外へ連れ出した。


だが、その痕跡は――


彼らより先に学園へ戻っていた。


そして今。


シグランが消えた扉の向こう側で――


待っていた。

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