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森の魔女の灯火  作者: lled
眠りの街
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13/18

眠る広場

この街へ入ってから、皆が夢を見るようになっていた。

団員たちも、街の人々も、夜になると幸福そうに眠っている。

でも、ベルネルだけは違った。

眠っても、夢を見ない。

夜が彼を拒んでいるのか。

あるいは、彼自身が夢そのものなのか。


懐かしくて、優しくて、戻れない夢。


ベルネルは深く聞かなかった。

ただ火を見つめる。


焚火が静かに燃えている。

団員たちは眠っていた。

ガウルの低いいびき。


見張りを交代したばかりのハルトが、木の上で気配を探っている。

ラウルは壁にもたれて眠っていた。

剣を抱えたまま。いつ敵が来ても起きられるように。

長い旅の癖だった。

ベルネルは火を見つめていた。

眠気はない。夢を見ないからかもしれない。

この街へ入ってから、皆どこか眠そうだった。

町の人々も、旅人も、団員たちでさえ、夜になると安心したように眠る。

でもベルネルだけは違う。

眠っても、ただ暗闇があるだけだった。

眠っても、時間が過ぎ去るだけだ。

何も見ない。誰にも会わない。

ただ、朝になるだけだった。


ベルネルは火を見る。

炎は小さい。

けれど、不思議と消える気配がない。


この街の人たちは、夢へ逃げてる。

現実より、夢の方が優しいから。

ベルネルは少し考える。


「悪いことか?」


自分に問いかける。

火がぱちりと鳴る。


「分からない。人は、そんなに強くない」


遠くで鐘の音がした。夜を知らせる鐘。

けれど、街は静かすぎた。

酒場の声も、笑い声も、犬の鳴き声すらない。

皆、眠っている。

夢の中で。


ハルトが木の上から降りてきた。

軽い足音。


「変だな」


彼は眉を寄せている。


「見張りがいねえ」


「見張り?」


ベルネルが聞き返す。


「街門だよ。普通なら夜番がいる」


ハルトは夜の街へ視線を向けた。

灯りはあるが暗い。人の気配がない。


「まるで街ごと寝てるみたいだ」


誰も笑わなかった。



翌朝、一行は街へ入った。

石畳の古い街だった。

朝だというのに、とても静かだった。

店は開いている。パン屋からは焼けた良い香りもする。

家庭では洗濯物も揺れている。

なのに、人々の動きが妙に遅い。

皆、どこかぼんやりしている。

まるで、夢から半分戻れていない。


広場の噴水近く。

一人の女が椅子へ座ったまま眠っていた。

周囲の人間は、誰も気にしていない。

ベルネルが近づく。

呼吸はある。

苦しそうでもない。

ただ、幸せそうに眠っている。


「……起きないのか」


「きっと、起きたくないのさ」


ラウルが答える。

ベルネルは眉を寄せた。


「そんなことあるか?」


ラウルは眠る女を見る。

静かな目だった。


「夢は、失ったものを返してくれる」


ベルネルは眠る女を見下ろした。

穏やかな顔だった。

苦しみも、恐怖もない。

まるで、本当に幸福な夢を見ているみたいに。


広場の端で、花を売っている老人がいた。

客はいない。

老人は花を束ねながら、ぼんやり空を見ている。

ベルネルが声をかける。


「この人、ずっとここで寝てるのか?」


老人はゆっくり頷いた。


「ああ」


「医者は?」


「意味ないよ」


老人は苦く笑った。


「起こしても、また眠る」


その目には、諦めがあった。

怒りでも悲しみでもなく。

長く続いた疲労のようなものが見えた。


「娘なんだ」


老人は眠る女を見た。


「旦那を戦で亡くしてな」


ベルネルは黙る。

老人は続けた。


「夢の中じゃ、まだ一緒にいるらしい」


風が吹く。

花弁が石畳を転がった。


「……起こせるのか?」


ベルネルの問いに、

老人は少しだけ笑った。


「起きちまったら、また一人になる」


その声は、どこか怯えていた。

まるで、娘を起こすことが、残酷だと分かっているみたいに。

ベルネルは言葉を失った。

正しいことが、分からなくなる。

もし夢の中で幸福なら、無理に現実へ戻すことは、救いなのか。


「行くぞ」


ヴァンデルが静かに言った。

ベルネルはまだ眠る女を見ていた。

女は微かに笑っている。

誰かと話しているみたいに。


街を進む。

夢の街だった。

眠る者、ぼんやり歩く者、現実へ戻りきれない者、皆、どこか遠くを見ている。


「夜が深くなるほど、夢は強くなる」


諦めた顔をした女が言う。


「最初は普通の夢よ。懐かしい夢。幸福な夢」


彼女は路地の奥を見る。

そこにも眠る人がいた。


「でも、長く見ていると戻れなくなる」


「……なんで」


「現実より、夢の方が優しいから」


ベルネルは黙る。

答えられなかった。

その時だった。

広場の向こうで、怒鳴り声が響く。


「起きろ!」


男が、眠る少年を揺さぶっていた。

必死だった。


「頼むから……!」


少年は起きない。

幸せそうに眠ったまま。

周囲の人々は、誰も止めない。

止められない。

男はベルネルたちに気づいた。

縋るような目だった。


「騎士様……!」


ベルネルが足を止める。

男は少年を抱き締めたまま、

震える声を出した。


「こいつを、起こしてくれ……!」


その目には、

希望と絶望が両方あった。


ベルネルは少年の前へ膝をついた。

まだ幼い。

十にも届かないくらいだった。

頬は赤く、呼吸も穏やか。

苦しそうではない。

むしろ、安心しきった顔をしている。


「いつからだ」


ベルネルが聞く。

男は唇を噛んだ。


「三日前だ」


「急に眠ったのか?」


「ああ……」


男は少年の髪を撫でる。

震える手だった。


「最初は普通だったんだ。寝言を言って、笑って……」


そこで声が掠れる。


「母親に会えたって」


ベルネルは目を伏せた。


「妻は去年死んだ」


男が続ける。


「病だった」


周囲は静かだった。

街の人間も、ただ聞いている。

誰も口を挟まない。


「こいつ、ずっと泣いてたんだ」


男は苦しそうに笑う。


「でも夢の中じゃ、また一緒なんだよ」


少年は微笑んでいた。

本当に幸福そうに。

ベルネルの胸が重くなる。


「起こせるのか」


男が言う。

その声は、願いというより恐怖に近かった。

起きてほしい。

でも、起きた後を想像してしまう。

また母を失う。

現実を知る。

その痛みを、もう一度この子へ与える。

男はそれを恐れていた。


ベルネルは少年を見る。

何もできなかった。

剣も、火も、今は意味を持たない。


ベルネルは静かに前へ出た。

そして、少年の額へ、そっと手を置く。

目を閉じる。

数秒の静寂。

風だけが流れる。

やがて、目を開けた。


「夢を見てる」


「分かってる!」男が思わず声を荒げる。


ベルネルは少年を見ていた。

責めるでもなく。

慰めるでもなく。

ただ静かに。


男は唇を震わせた。


「……起こせるのか」


今度の声は小さかった。

怯えている。

答えを聞くのが怖いみたいに。


「火を灯せば、目覚めるかもしれない」


男の目に希望が宿る。

だが、次の言葉で止まった。


「でも、戻りたいと思えなければ、また眠るだけだ」


静寂。

広場の空気が重くなる。

ベルネルは少年を見つめた。

幸せそうだった。

夢の中で、母親と笑っているのだろう。

現実へ戻れば、また失う。

もし自分なら、戻りたいと思えるだろうか。

男は少年を抱き締めた。

強く。

壊れそうなくらい。


「……俺は、どうしたらいい」


その声には、もう怒りもなかった。

ただ、助けを求める父親の声だけが残っていた。


答えなかった。

答えを持っていないからだ。

夢は間違いじゃない。

現実だけが正しいとも言えない。

だから、誰も簡単に救えない。


沈黙が広場へ落ちた。

男は少年を抱いたまま動かない。

まるで、離した瞬間、本当に届かなくなるみたいに。

ベルネルは何も言えなかった。

言葉が軽すぎた。

「頑張れ」も、「戻ってこい」も、この場ではどれも残酷だった。

その時、少年の唇が小さく動いた。


「……かあさん」


男の肩が震える。

広場にいた誰もが、目を逸らした。

あまりにも痛かった。


「……行こう」


ラウルが静かに言った。

いつの間にか後ろへ来ていた。

表情はいつも通り冷静だったが、目だけが少し重い。

ベルネルは立ち上がる。

男はもうこちらを見ていなかった。

ただ少年を抱き締めている。

ベルネルたちは、何もできず広場を後にした。

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