廃教会
盗賊たちは散りながら、北側へ逃げていく。
廃教会
そこが本拠地なのは間違いなかった。
ヴァンデルは止まらない。
「追う」
短い命令
隊員たちが即座に動く。
ベルネルは走りながら、横のノイルを見る。
顔色が悪い。呼吸も浅い。
さっきの光景が、頭から離れていないのだろう。
ベルネル自身も、まだ胸の奥が重かった。
ラウルの剣、あまりにも迷いがなかった。
あれが騎士なのか、それとも、戦場に慣れただけなのか。
答えは分からない。だが考える暇はない。
前方
木々の向こうに、古びた石造りの建物が見えてきた。
廃教会。
尖塔は崩れ、壁には蔦が絡みついている。
夕暮れの空を背に、黒い影みたいに立っていた。
ハルトが低く言う。
「見張り二人」
「鐘楼にも一人」
エドラムが弓へ矢を番える。
「やるか」
ヴァンデルは頷く。
「静かに落とせ」
次の瞬間、矢が飛んだ。
風を裂く音。
鐘楼の見張りが崩れ落ちる。
ほぼ同時に、ハルトが森から滑り出た。
短剣。
一人目の喉を裂く。
二人目が振り向くより早く、スカーが距離を詰めた。
銀閃
血
静かだった。
あまりにも。
ノイルが息を呑む。
人が簡単に死ぬ。
ガウルが教会の扉を見上げる。
「……いるな」
中から声が聞こえる。
酒
笑い
荒い怒鳴り声。
盗賊たちは、まだこちらへ気づいていない。
ヴァンデルが全員を見る。
「ここから先は近距離戦だ」
「ベルネル、ノイルは中央」
「ラウル、左右を潰せ」
「ガウル、正面を割れ」
短い指示
全員が理解する。
ベルネルは剣を握る。
ノイルも震える手で、剣を構えた。
その時、ハルトが小さく呟く。
「……火がある」
ベルネルが見る。
教会の奥。壊れたステンドグラスの向こう。
地下へ続く階段のさらに先。
微かに、橙色の光が揺れていた。
古い火。
本当にここにある。
ヴァンデルが手を上げる。
全員が止まる。
教会の扉の前。
中から、盗賊たちの笑い声が漏れていた。
酒臭い。
油断している。
ヴァンデルは静かに言う。
「地下への道を確保する。長引かせるな」
ガウルが口角を上げた。
「派手にやっていいか?」
「壊すな」
「はいはい」
隊員たちが武器を構える。
ベルネルは深く息を吐いた。
剣の柄が冷たい。
その隣で、ノイルの呼吸はまだ乱れていた。
ベルネルは小さく言う。
「下がるなよ」
ノイルが顔を上げる。
ベルネル自身も、怖かった。
でも、ここで止まれば、また誰かが死ぬ。
ノイルは小さく頷いた。
その瞬間、ガウルが扉を蹴り破る。
轟音。
木片が吹き飛ぶ。
「なっ――」
盗賊たちが立ち上がる。
遅い
スカーが最初に飛び込んだ。
剣閃
一人、返す刃でさらに一人。
盗賊たちが悲鳴を上げる。
エドラムの矢が飛ぶ。
奥で弓を掴もうとした男の肩へ突き刺さった。
ハルトは影みたいに動く。
視界の外から首筋を裂き、次の敵へ消える。
一気に教会内が戦場へ変わった。
ベルネルも踏み込む。
盗賊の剣を受け、押し返す。
重い。
相手も必死だった。
ベルネルは斬る。
血
手応え
まだ慣れない。
だが止まらない。
その時、横でノイルが押し込まれていた。
盗賊の斧が振り下ろされる。
ノイルは受け切れない。
ベルネルが助けへ向かおうとした瞬間、ノイルが叫びながら踏み込んだ。
半ば無我夢中だった。
剣が盗賊の脇腹へ入る。
男が目を見開く
血が溢れる
ノイルも凍りつく
だが
盗賊はまだ動いた。
斧を振り上げる。
ノイルは反応できない。
その瞬間、ガウルが横から男を殴り飛ばした。
凄まじい音
盗賊が壁へ叩きつけられる。
動かなくなった。
ガウルはノイルを見る。
「止まるな」
低い声だった。
「死ぬぞ」
ノイルは震えながら頷く。
その目には、もうさっきまでの甘さだけではない色があった。
教会内の戦いは、すぐ終わった。
盗賊たちは統率がない。
大鷲隊とは違う。
数分後には、床へ倒れ伏していた。
荒い呼吸だけが残る。
血の匂い
壊れた椅子
倒れた燭台
ベルネルはゆっくり剣を下ろす。
静かだった。
その時、地下の方から、
微かな火の揺れる音がした。
誰もすぐには動かなかった。
戦いの熱が、まだ教会の中へ残っている。
血の匂い
倒れた盗賊たち
荒い呼吸
ノイルは剣を握ったまま、動けずにいた。
刃先から、血が滴っている。
自分が刺した。
その感触が、まだ手に残っていた。
ベルネルが近づく。
声を掛けようとして、止まる。
軽い言葉では届かない。
そんな気がした。
その時、ラウルが静かに言う。
「吐くなら外で吐け」
ノイルが顔を上げる。
冷たい言い方だった。
だが、責めてはいない。
ノイルは数秒黙り、それから小さく息を吐いた。
「……大丈夫です」
強がりだった。
誰にでも分かった。
けれどラウルは、それ以上何も言わなかった。
ヴァンデルが周囲を確認する。
「生存者は」
ハルトが短く答える。
「なし」
「地下から気配」
ガウルが首を鳴らす。
「まだやんのか」
エドラムが床の燭台を拾う。
火は消えていた。
「いや」
弓兵は地下への階段を見る。
「違うな」
「これは……」
彼は少し黙る。
その表情が珍しく険しい。
「火だ」
ベルネルは階段を見る。
地下から、橙色の光が漏れている。
暖かな色だった。
この教会に残る、唯一まともな光。
ヴァンデルが命じる。
「降りるぞ」
隊員たちが動き始める。
だがノイルだけ、まだ立ち尽くしていた。
ベルネルは横へ並ぶ。
少し迷ってから言う。
「……俺も怖かった」
ノイルが小さく目を見開く。
ベルネルは地下を見る。
「でも、止まったら駄目だった」
それしか言えなかった。
綺麗な答えなんて、
持っていない。
ノイルはしばらく黙り、それから小さく頷く。
「……はい」
まだ震えている。
それでも、ちゃんと立っていた。
ベルネルは先に歩き出す。
地下へ続く石階段。
冷たい空気。
湿った匂い。
古い教会の奥深く。
そして。降りるほど、火の暖かさが強くなる。
まるで、ずっと誰かを待っていたみたいに。
石階段は長かった。
地下へ降りるほど、空気が変わっていく。
上階の血臭も、戦いの熱も遠ざかる。
代わりに漂ってくるのは、古い灰と煤の匂いだった。
先頭を歩くハルトが小さく呟く。
「……妙だな」
「何がだ」
ガウルが低く返す。
ハルトは周囲を見回した。
「暖かい」
確かにそうだった。
地下のはずなのに寒くない。
むしろ、火のそばへ近づいているみたいだった。
やがて階段が終わる。
その先に、広い地下礼拝堂が現れた。
全員が足を止める。
中央
崩れた石祭壇
その奥、巨大な燭台があった。
古びている。
黒く煤けている。
だが、そこへ火が灯っていた。
静かな橙色。
揺れている。
小さい。
なのに、その火だけが、地下全体を照らしていた。
ノイルが思わず呟く。
「……綺麗だ」
誰も否定しない。
ベルネルは、その火から目を離せなかった。
暖かい。ただの火じゃない。
見ているだけで、胸の奥の冷たさが薄れていく。
夜とは真逆の感覚。
エドラムが珍しく真面目な顔をしていた。
「古い火……」
ラウルが周囲を確認する。
壁には、掠れた壁画が残っていた。
人々
灯火
そして、黒い闇。
古い時代の記録だ。
ベルネルはゆっくり火へ近づく。
その時、腰の剣が静かに熱を帯びた。
赤い筋が、微かに光る。
呼応している。
火と。
まるで、同じものの欠片みたいに。
ベルネルは手を伸ばす。
火は揺れない。怖がらない。
むしろ、迎え入れるみたいだった。
その瞬間、後ろでハルトが低く言った。
「……待て」
全員が振り返る。
ハルトは暗闇を見ている。
地下礼拝堂の奥。
火の届かない場所。
そこに、何かが立っていた。
痩せた老人のようにも見える。
ぼろ布。深く被った頭巾。気配が薄い。
まるで、最初から闇に溶けていたみたいに。
ノイルが息を呑む。
ガウルが武器を構える。
だが、老人は動かなかった。
暗闇の中から、掠れた声だけが響く。
「……まだ、火を求める者がいたか」
地下礼拝堂へ、静寂が落ちる。
誰もすぐには動かなかった。
老人は暗闇の中に立ったまま、こちらを見ている。
顔はよく見えない。
ただ、その声だけが妙に古かった。
ヴァンデルが前へ出る。
「何者だ」
老人は少し笑った。
乾いた、ひび割れたような笑い。
「火守りだ。……もう、終わった役目だがな」
ガウルが眉をひそめる。
「ここに住んでたのか?」
「住んでいた」
老人は静かに訂正した。
「今は、火だけが残っている」
ベルネルは老人を見る。
不思議な感覚だった。
夜とは違う。だが普通の人間とも違う。
長く、この火だけを見続けてきた者の目。
ラウルが周囲を見る。
「盗賊たちは、この場所を知っていたのか」
老人は頷いた。
「暖を取るために使っていた。火の意味も知らずにな」
エドラムが低く舌打ちする。
「罰当たりな連中だ」
老人は否定しない。
代わりにベルネルを見る。
視線が止まった。
まるで、何かを確かめるみたいに。
「……その剣」
ベルネルは無意識に柄を握る。
赤い筋が、まだ淡く光っている。
老人はゆっくり頷いた。
「なるほど」
「黒角を倒したか」
空気が変わる。
ガウルが身構えた。
「なんで知ってる」
老人は答えない。代わりに火を見る。
「昔、夜が今より濃かった頃。
火を守る者と、夜を斬る者がいた」
地下礼拝堂へ、火の音だけが響く。
ぱちり
小さな火花。
老人の声は続く。
「だが人は忘れた。
火を絶やし、夜を恐れなくなった。
だからまた、夜が近づいている」
ベルネルは静かに問う。
「この火を、持っていけば人を救えるんですか」
老人は少し黙る。
その沈黙が、妙に重かった。
「救えん」
ノイルが顔を上げる。
老人は続ける。
「火は万能ではない。
夜を遠ざけるだけだ。消えた者は戻らん」
その言葉に、空気が冷える。
ベルネルは、トーマの母親の顔を思い出していた。
助けられる者、間に合わない者、
その差は、あまりにも残酷だ。
老人は火を見る。
「それでも灯すか」
誰も答えない。
だが、ベルネルだけは、火から目を逸らさなかった。
しばらくして、老人は、小さく笑った。今度は少しだけ、優しい笑いだった。
「……なら、持っていけ。そのために、残していた」
老人は祭壇の前へ歩く。
足取りは遅い。
だが不思議と、弱々しさは感じなかった。
まるでこの地下礼拝堂そのものが、彼を支えているみたいだった。
中央の燭台へ手を伸ばす。
古い火が揺れる。
橙色の光が、老人の皺だらけの横顔を照らした。
「器を」
エドラムが腰の袋から、蓋付きの火筒を取り出す。
遠征用のものだ。老人はそれを見ると、少しだけ目を細めた。
「まだ使う者がいたか」
「騎士は火がないと死ぬんでね」
エドラムが肩をすくめる。
老人は頷き、火へ指をかざした。
魔法ではない。
詠唱もない。
だが、炎が静かに持ち上がる。
全員が息を呑む。
火は崩れない。一つの塊みたいに、空中へ浮かび上がる。
ノイルが小さく呟く。
「……魔法?」
老人は否定しない。
そのまま火筒へ、炎を移した。
ぱちり
小さな音。
それだけで、地下礼拝堂の空気が少し変わった。
灯火が移ったのだ。
ベルネルは、その瞬間を妙に鮮明に感じていた。
火が、受け継がれた。
老人は火筒を見つめる。
「絶やすな。
この火は、人を守る
だが」
そこで言葉を切る。
深い皺の奥の目が、ベルネルを見た。
「火だけでは、夜は終わらん」
ベルネルは静かに頷く。
分かっていた。
剣だけでも駄目。
火だけでも駄目。
進まなければいけない。
老人は、その答えを知っていたみたいに目を細めた。
その時、ノイルが小さく声を漏らす。
「……あれ」
地下礼拝堂の壁。
そこに描かれた古い壁画。
火を掲げる人々。
その中央、黒い剣を持った一人の騎士。
ベルネルの剣に、よく似ていた。
ラウルが目を細める。
「偶然にしては出来すぎだな」
ベルネルは壁画を見る。
胸の奥が妙にざわつく。
その時、老人がぽつりと言った。
「夜は、何度でも来る。だから火は、受け継がれる」
静かな声だった。
だが、その言葉だけが、地下礼拝堂へ長く残った。




