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伊代ならいいよ  作者: ブンピツ


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5/6

伊代ならいいよ 5




    〇 〇 〇 〇 (前)



「こういうことしたいっ、とか、おもう目標はないですか?」

 

 担任の、変なにおいのする男教師に、またそんなことを、問われてしまう。

 その口調が、私には、あまりに気持ちがこもりすぎていて、不気味だった。


「はい…私は…、まだないです」


 進路というものを、いよいよきめないといけない私には、「まだ」という言葉が、尊く響く。

 私は、教師のかおを、おそるおそる見返した。

「憐れ」、と”下”にみられているのだと、わかる。

 その通りだった。

 あともうすこしで、私は、高校を卒業するというのに。…

 そんな私の中では、

『伊代と”一緒になりたい”』

 の紙が、落ちずに、ひらひらとまだ宙を舞っている。




 ようやく長雨がふりやんだのは、傘が三度、無くなったときだった。


 すると、二、三日して、気温が、急激に暖かくなりだしたものだから、私は、伊代とおそろいで買った、手袋を、しかたなく外した。

 付けていたいけど、意味がないから、外す。

 私にはそれが、人間味のない行動に感じられる。

 私は、人間でいたくない。

 こんな、腐った世界で、笑っていたくない。

「言葉」なんかに、私の右左を、決められたくない。

 それなのに、伊代の事が、頭をよぎると、それがとても非情な事のように思う。

 

 この冬の、二か月ほどの間、私は伊代と顔をあわせていない。

 どうでもいいけど、私はこの期間を「冬眠」と呼んだ。

 ふと、自分がクマのように凍った地中で眠る姿を、想像してしまい、背筋がぞっとする。

 そういう寒さのなかを、夢のように泳いでいると、また少し、くるしい朝が来る。

 



 その日も、日直だった。


 そういえば高校が、大学に、私を推薦したらしい。

 それで受かったから、私は進学する。

 私は授業が終わるたびに、「さすが」と口角をあげる両親のかおを、ぐるぐると紛らすように、ぐるぐると黒板を消しながら、チョークの粉に息をとめていた。後ろから、濡れたティッシュが飛んできた。


 この放課後で、おそらく一生分の黒板をけしおわった。

 そういう、節目のときだというのに、私の周囲をまだ、”何か”が、舞っている。

 最後の授業だった。次に登校するのは、卒業式の日だ。

 担任の教師は、

「このクラスをもつ事ができてよかったです」

 と、姿勢を正した。

 だからなに、と思ったし、私は、同級生の名前をまだ半分も知らないのに、教師の目から、大粒の涙が、こぼれて……ただそれだけは、漠然と、「いい思い出かも…」、と思った。



  思い出は美化される



「意味がわからん……」

 私は、今日はじめて、自分が声をだしたことに、気づいた。

 

 今日だって私は、出欠確認の呼びかけさえ、…返事ができなかった。

 それなのに、クラスのみんなは、笑っていた。最後の最後まで。

 あの担任の教師の、涙をも、笑っていた。

 その。すべてが、大人になっても変わらないのだと思う。


 それが、「美しい」というのなら、「美しい」のだろうか。…

 

 私たちは”羽ばたく”という。


 なんというか、あの日死んだ小鳥のぶんまで生きて…、美化される。


 それは。…

 

 たぶん、違う気がした。

 思い出は美化されるという。


 それはまるで、あの小鳥が生まれ変わったら、

「楽に死なせてくれてありがとう」

 と言われ、許してもらいたいみたいだ。

 他人事じゃない。私も、「天国」を、信じている。ふと前のほうを、向くと、黒い猫がいた。


  ああいいね ネコって うつくしいと思う ながれる毛並みが 空気みたいで

  だから あの背中を丸めただけのみにくい人間のすがたを「猫背」なんて名前にするなよ

 

 そのとき


「あのこしかいなかったのお」


 と、伊代が、泣きそうに丸くなっていた光景が脳裏をよぎる。

 

 いややっぱり「猫背」でいいかな。

 なんて。…

 

 私は自分の指に、髪をまきつけて、それを引きぬいた。

 私はどうしてこんなにも「言葉」に苦痛を感じるのか。


「ねえねこすけ」


 と、私の体が! 目の前の猫の、しっぽのように、ふらふらとゆれる。

 その黒いもふもふを、追いながら、なぜか、…あの伊代の部屋での事が、思いだされる。

 二人が重なりあうのを、あの飼い猫は、視ていた。

 ただし、不快では、なかった。

 

 でももし私が猫だったなら……

 そんなことを考えていたら、…ふと、黒猫の口元に、小鳥が見えた。


 黒猫は、ちょんと、スズメの死骸を、くわえているようだった。

 驚きもしない。だって、それは正しさである。

 私のように、食事で遊ばない。

 生きるために、命をうばう。


 そういう潔さは、なんというか生き物として、自然だった。

 そういうものが、伊代にはあった。

 私は”冬眠”のあいだ、怖い夢をみていた。

 最後に会ったとき彼女は「体が消えるやつにする」と既に自決の方法をきめているような言い方をした。


 私は、目の前の黒猫は、どこに、行くのだろうと思った。

 どうして、そんなにも迷わずに、するすると進んでいけるのだろう。

「大学も面白くなかったらどうしよう」…と、私は、まったく関係ないことを想った。

 その、オスかもメスかも、わからない、黒い猫の、碧い目には、警戒も、興味も、宿らない。


 私はますます、「自分」という軸が、ブレていくように、感じた。

 そうして、今に、躓きそうなほど、ぎゃり。ぎゃり。と――、靴を、こすりながら、私は、小鳥をはこんでいく、黒猫についていく。猫はカフェの角を、すいっとまがった。

 私も、その角を曲がったとき。…

 

 すぐには理解がおいつかなかった。だって! そのときだった。

 周りが、ひといきに、黒く、陰った。

 かどを曲がった先に、自分でも意味不明だけど、そこに自分の体が、吸いこまれそうになった。

 一瞬、私は、「危険」という、声のような、信号を、あたまのてっぺんの辺りで、感じとった。


 それでも、私のなかでは、好奇心が、勝った。…

 そうして進んださきには、なんというか、陽があたらない、だけではない。…というか。

 私が、今までに、直面したことがないような、”黒さ”が、広がっていた。

「うわなにこれ」


 うす暗い、奥まった裏通りは、ダクトの排気口からふき込んでくる、油の臭気でみちていた。

 私は! 頭をふった。口のなかに、髪の毛がはいった。


 あたまの、奥の奥にも、黒々と、何かが入ってくるような、違和感があった。

 もう、私は、なんだか狂ってしまったのだろうか。

 一歩一歩を、たしかめながら、建物の 裏側を、進んでいく。

 その意味が、あたまの奥で、光ったり、消えたりする。


 黒くて綺麗な、どろどろの、中、で、動けない。

 まだ、鳥居…じゃなくて。小鳥は生きていて。…

 びいいいいいいいいいいいいいいいいいい。

 と、鳴っていそうで…、


 違う。綺麗だったのは! 伊代だけだ。

 って、あたまを振って、耳鳴りがして、そんな私の、目の前に、

 

 初めて、目にする…はずなのに。

 なぜか、すでに…知っているような、”光景”が。…

 浮かんだと、思った。

 なんだっけこれ。


 なんだっけ、と、”なにか”が、止まりそうになって。…

 苦しくて、あまいような油の臭いを、すっと吸いこむと、ぷつっと、視界があかるくなった。

 

「ああ、…あったな、こういうの」


 喫茶店の裏の、すこし広まった場所は、なんというか、サイレント映画みたいに、暗くしずんでいた。

 そして、一歩一歩、私が向かっていく、その場所に……

 男と、女が、向かい合っている光景が、見える。

 これって。


 あのときの…

 怒鳴りちらす大男と、下を向く少女がいた、

 あの…体育館の裏みたいだ。

 と。…

 

 みたい、じゃない。

 男女は向かい合っている。…それでも、二人の間に、あのうとましい距離がない。

 そうだそうだ。

 だって今になって、目の前にいる男が、あの体育教師であるはずがなかったし。…


 それでも。…


 もう一方の、女生徒のほうは。…


「いたっ」


 私は! つよく目をこすった。

 

 私ははっと、目がさめた。

”そのときになって”、…やっと。

 その女性が! 

 まぎれもなく、伊代だったから。

…息がとまる。

 このくろい空間に、舞うものを、吸ってはいけない。

 

 どうにかなる。

 

 私とはちがう。


 飾りのある制服を着た、伊代が、私の知らない誰かと、向きあっている。


 体育館裏。

 ゲーセンの裏側。

 そういう世界で、伊代が”二人きりになってもいい相手は自分だけ”ではなかった。

 伊代は伊代。…あの部屋で重なりあった彼女ではない。


 もういい、…もうだめだ…、

 無理だよ。…景色がゆがんでみえる。…


「ね。」、私は、自分の唇をゆびでふれた。

 つっと。かわいていて、割れ目があった。一つだけ。伊代が生きていてよかった。

 もう一つ、

「お幸せにさようなら」


 と、私は! あのときと変わらない。

 うしろを向いて、走りだした。


『おまえそういう人間だったんだな!』


 ばっと。

 そのとき背後に、気配がして、たん! たん! たん! と、鼓動のような、足音がして、「違う! 違う! 違う!」、と、大声がした。誤解だ。と、そこでぐいっと、うでを掴まれ、痛い、と思った。

 誤解じゃない! うでが痛いのでもなかったし! お前なんか知らないよもう!


「ナオ…、ですよ、ね…」

 と。

 伊代の声が。

 たしかに、耳に、やさしくきこえる。


 泣きそうになる。

 下を向く。

 もう、放っておいてほしいのに。


「鳥居…さん…」


 それでも私は思いきって、かおを上げた。

 ほんとうに、いろんなことがあって…、伊代の左目と…、私の目が、あった瞬間だった。

 その、かわらない伊代の、無垢な白目に、まつ毛の線のふるえが、くろく、うかびあがった。

「本当に?…」、と、私には、聞こえる。


「あの……体育館裏の日を…、思いだしてた」

 私が言うと、


「あの、先生を、怒らせちゃった日ね。…奈央いたよね」


『悪い事したからね』、


 と、伊代は言った。




 私は、指に絡まっていた、髪の毛をはらって、宙に飛ばした。


 私がようやく、ほんとうにようやく、伊代と、向かい合うことができた時だった。

 さっきまで、伊代と親しげに話していた、例の男の人が、私たちに、馴れ馴れしく近づいてきた。

 

 私はすこし、身構えた。


 それから彼は、伊代の、兄である事。歳が十ちかく違っている事。あとは、昔から母と妹とはなれてアパートを借りて暮らしていた事などを、伊代よりも、大人しいこえで、手短に、私にはなして聞かせた。

 

「ちょ、兄さん、なんでそんなこと話すの」


「いや、なんかさこの子……」


 伊代の兄だという、意外と、澄んだ目をした男性は、それだけを話した。

 それだけで私は、気がゆるんで、肩がかるくなった。

 それはなぜか。

 彼と伊代は、血が繋がっているから…。だからまとう空気に「懐かしさ」を感じたのだ。


 本当はちがう。

 そんなものは、ただの言葉遊びの、こじつけにすぎない。

 私が、ここに落ち着くことができた理由は、兄妹なのに。…

 彼と、伊代の顔が、”似ていなかった”、からだ。


「なんか、おまえと似てない?……」


 と、伊代の兄がすすっと息を吸い、うでを組んだとき、

「そうですかね」

 などと、私は、彼に白々しく握手の手をさしのべていた。

「お名前は?」、なんて、口から出そうになったけれど、さすがにやめておいた。


 私は、ちょっと指だけで、彼と握手をした。

 その、十秒ほどの、何が起こっているのかが分からないような、時間のなかで、


「じつは…妹の目、俺がやったんだよ。こいつが小さいとき、虫眼鏡で、目つむればいいのに、俺を信じてたから……とかで、シツメイしてさあ」、と…彼は…なんの前置きもなく、私に、話しだした。

 

「う…」私はさっと、指を引いた。

 今の台詞をききながら、そばでじっと、伊代は口だけが笑っていて、私はさらに、困り果ててしまう。

「えっと、えっと……」

 それでも私は! 彼の! 変哲のない左目を睨んで、はっきりと言い放った。


「美しくないですね」


 いや美しいとか美しくないとかじゃないでしょ。

 ぶっは、と笑って、「でも後悔とかないんです」…彼が言い、「もうはやく行けば」、と伊代が言う。


 彼はすこしふるえた声で、次のようなことを言った。


「俺はこいつをシツメイさせたとき、中学のガキだったけど、このさきこいつに強く当たるかもしれなかった一生分を、そのときに、ぜんぶぶつけてしまった気がして、それからは仲良くできた……から」


「わかる!」、

 

 と言いかけた。


「わかる、わかる」と、私は! 口の中で、それを繰り返して、それをなんども飲みこんだ。

 それは伊代の前では、「今」は言うべきではない事だった。

 私もたしかに、それに似た感情を知っていた。それを感じて、生きてきた。

 その所為で。そのおかげで……。


 私が伊代にひどいことをした事で。…


「ごめんなさい、お兄さん、美しくないって発言、とりけします」


「お兄さんだってさあ、ははは、じゃあ伊代、気を付けて」


「そっちも気を付けて。教師もラクじゃないよたぶん」


 そう、伊代が手を振ると、彼はなぜかもう一度だけ、私の目をみて。そしてくるりと去っていった。

…まただ。

 いまの一部始終を、また…、猫に見られているような気がした。

 私はゆったりと、地面のしめった周辺を、見回した。


 なにかのチラシのような紙が、一枚だけ、落ちていた。

 わけもなく、私はそれを見て、かっと顔が熱くなった。

 それくらいだった。もう、あの小鳥を殺した黒猫は、どこにもいなかった。

 それなのに…?


 それだから…?

 私は。…

 伊代のほうに、近づきながら…

 人間以外になら、私たちを視られてもいい、その理由を考えかけた。


――すると


  あの体育館裏で 「見ないで! 」 と 伊代に言われた きつい声が きこえた気がした

  「見ないで! 」 なんて 言われていないのに 彼女の目は 私にそう言っていた と

  彼女は みんなに見られて死んでいくのが 「かわいそうだから」 と 小鳥を殺めたという

  「悪いことしたからね」 という 彼女の言葉があたまをかけめぐる そこに答えがあるような――


 ないような――

 

…もどかしいような感じがして、

 頬がかゆくなって、私は、伊代のほうから笑ってくれないかな…なんて、幼稚な期待をしてしまう。


「どうして小鳥を殺したの?」、と、あのとき私はきいた。


「見られて死ぬのがかわいそう」、という返答が、私にはわからなかった。


 気づいたら私はそれだけ目の前にいる伊代の目をなにかを探るようにまじまじと見つめていた。


 遠くをみていた伊代がちょっとだけなにかを必死に耐えるような気まずいような表情になった。


『あーあ』


…と、このとき。


 私は、はっきりと、自分の中に、


 罪の意識を感じた。伊代も同じだったのだというあたりまえを想うそれは声にならない声になる。

 


お読みいただき、ありがとうございます。

次のエピソードで最後になります。

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