第86話 新しい街
今日の夕餉は、多くの妃嬪とその侍女が加わったので昨日よりもさらに賑やかだった。
皆で協力して作った出来立ての料理を卓に並べ、さあ楽しくいただきましょうとなったところで、またしても宦官たちが声をかけてくる。
「皇帝陛下がお成りになります」
皇帝陛下という一言を耳にして、妃嬪たちに緊張が走る。
蓮音は、妻たちにあまり好かれていないらしい夫を外で出迎えようとしたが、昨日同様、昇昊はまったく遠慮することなく、ズカズカと部屋に入ってきた。
「今日は何も燃やしていませんが、何のご用でしょうか?」
蓮音がプンプンしながらそう告げると昇昊は、早速、嫌味を返してくる。
「随分と楽しそうだな。あれだけ嫌がっていた割には後宮を満喫しているようではないか」
「わたしはあなたと違って、人生は面白おかしく生きてこそ価値があると思っているので。ああ、あなたがここに来なければもっと楽しいのですけどねぇ?」
昇昊は「ふんっ」と鼻を鳴らすと食卓についている妃嬪たちを見渡した。
見渡したところで誰が誰なのかもよくわからないのだが。彼女たちは皇帝の視線を感じて思わずふいっと目をそらす。よほど昇昊が恐ろしいのか、嫌いなのか。
「彼女たちはわたしの友達なので、今後一切手出しは無用に願います」
(愚かな女だ。お前が守るべきものが増えれば増えるほど、こちらは切り札が増えるというのに)
そう思いながらも、昇昊は小気味よかった。
やはりこの女は面白い。あっという間に妃嬪たちの心をつかみ、こうしてまとめ上げてしまったのだから。今まで後宮にいた女の誰も真似できない、しようともしないことであった。
「そこにいる女たちは俺の側室だろ? それを正妻でもないそなたがどうこうできるとでも?」
「よく自分の側室だなんて言えますね! あなたは彼女たちの夫として全然ダメなので失格です、失格! ほらほら、皇帝陛下は早く魏昭容のところに行ってあげてください。彼女は昼前から今夜のために超・超・超念入りに準備をしていたのですから。ほらほら!」
今日も昇昊は蓮音に追い出されるような形で去っていった。
(ところで、あの男、何しに来たの? まさか、邪魔しに来ただけとか??)
今日はこれといった問題を起こした覚えはないのに。
そんなことを思っていると、十四歳と妃嬪の中でも最年少の楚昭媛が「あの、姫様は陛下が怖くないのですか?」と恐る恐る尋ねてきた。
「大丈夫ですよ、姫様。わたしがあなたたちのことを守りますから。こう見えて結構強いので。ま、剣術では、そこの香隠にはちょっとだけ敵わないけど」
「姫姉様のご用命とあらば、あの程度の男、一撃で仕留めて見せますよ」
少し照れながら、でもどこか自慢げに香隠が答えた。
「姫様たちは武芸の達人と伺っています。私も遊牧騎馬民族の端くれ、馬で草原を走り回って弓を射るのが趣味でした。何かあった際には多少はお役に立てると思います」
アマラ修容もやる気のようだ。
「それは心強い。何も心配することはない。さっ、嫌なことは忘れて楽しく食事をしましょう。何と言っても食事は温かいうちに食べるのが美味しいのだから」
そんな言葉で蓮音はその場に集う妃嬪たちを安心させた。
香隠の言葉通りにあの皇帝を一撃で仕留められるかはともかく、武力衝突をするようなことになっても蓮音たちには勝算があった。なぜならば、後宮には剣護が忍び込んでくれているのだから。
そういえば、今日はまだあの美少年宦官・九郎の姿を見ていない。
昨日、蓮音がその姿だと落ち着かないなどと言ったからか、拗ねて姿を現さないのだろうか? 早く会いに来てほしい。話したいことがたくさんあるのに。
愛する人のことを少し考えただけで、蓮音は胸が跳ねた。それだけでも幸せだった。
ささやかではあるが楽しい宴は終わり、妃嬪たちは自分たちの部屋へと戻っていった。蓮音も部屋で後宮に関する記録を眺めながら、今後のことを考えていた。
どこからともなく花の香りが漂ってくるような気がして、円窓から外を見ようとする。と、花の香とともに後ろから抱きしめられる。姿を見なくても誰だかわかるのが蓮音は嬉しかった。
「剣護」
彼の名前を口にすると剣護は抱きしめる腕の力を少し緩めて蓮音に優しく口づけをする。
塞がれていた唇が自由になると、蓮音の口からは「会いたかった」という言葉が自然とこぼれた。
剣護は「俺もだよ、愛している」と言うと、先ほどよりも深い口づけをしてきた。
身体がカッと熱くなるのがわかる。剣護は蓮音を軽々と抱き上げると寝台に横たえ、再び口づけをしようとする。このまま、この人の愛に溺れていたくなる。
「あっ、ちょっとまって、今日は話したいことがあって」
蓮音は剣護の唇に指をあてた。剣護は蓮音の指を包み込むように掴むと指に口づけをしながら、半分揶揄うような口調で言う。
「ん? なに? 俺との口づけよりも大切なことなんてある?」
「もうっ……」
蓮音は照れながらも軽く抗議する。
「ははっ、冗談だよ。なんでも聞くよ」
剣護は、蓮音の指を捕らえたまま、彼女の隣に身を横たえた。
蓮音は今日、この後宮で見たこと、感じたことを剣護に話した。
「だから、彼女たちもここから連れ出して、自由な人生を歩ませてあげたいなって」
決意の籠った蓮音の瞳に、引き込まれるかのように剣護は黙って話を聞いていた。
「ただ、そうやってあの人もこの人も連れて帰りたいとなると、人数がすごく多くなっちゃいそうで、連れ出すのもそうなんだけど、それだけの人を彩華国や開国で問題なく受け入れられるかなとちょっと心配で……」
昨日、今日だけで親しくなった妃嬪や侍女の数を数えてみると、気がついたら二十人を超えている。その全員が後宮を出ることを希望しているかどうかはまだ不明ではあるが、彼女たちをこのままにはしておけない。
特に下級妃のほとんどはこの国に家族がいる。それを残して、妃嬪たちだけ連れ出すわけにはいかない。
そのようなことをすれば、帝国は必ず彼女たちの家族を人質にして脅しをかけてくるだろうから。彼女たちの家族も一緒にとなるとその数は何倍にもなってしまう。
いろいろと無茶な話ではあるが、それでも蓮音は諦められずにいた。自分と関わった人をそのまま放置するわけにはいかない。彼女たちを放っておいて、自分だけ幸せになるわけにはいかない。
剣護は、たまに蓮音の手に口づけをしながらも真剣な眼差しで聞いていたが、ふっと表情を緩めた。
「それならばうってつけの場所があるだろ?」
「うってつけの場所?」
そんな場所があっただろうか? 考えを巡らせながら蓮音ははっとした。
蓮音と剣護たちが浄化した旧南黄帝国の都だった黄倉だ。
今は廃墟となってしまってはいるが、逆に言えば誰も住んでいないため、そこならば土地はいくらでもある。また、穀倉地帯だった場所だから、しっかりと耕作すれば食糧の心配もいらない。そこに移住ができれば、ある意味で一石二鳥である。
「でも、あそこにはまだ人は住めないでしょ? まずは街を作り直さないと。それにわたしたちがそこに街を作ろうとしたら、さすがに帝国だって黙っていないでしょ? 街が完成する前に戦になったりしない?」
「そうかもね。……ところで、ちょっと夜の散歩にでもいかない?」
剣護は蓮音の質問に答える代わりに、にこっと笑って起き上がった。そして、羽織を蓮音に着せ、そのまま抱き上げると低い声で呪文を唱えた。一瞬で二人は別の場所に移動していた。
ここは、黄倉の宮城跡だ。
建物は壊れてしまってほとんど原型を残していないが、確かに剣護と二人で不死鳥を召喚した、あの玉座の間だった。剣護は蓮音を抱きかかえたまましばらく歩いた。
どうして彼はここに? 二人で新しい街づくりの構想でも練ろうとでもしたのだろうか?
と、そのとき、蓮音の目には小さな集落が目に入った。集落といっても自然発生したような集村ではなく、整然とした街並みの一画だ。
「……これ、もしかしてもう作っているの!?」
蓮音は驚いて声を上げた。
「本当はもう少し完成させてから見せたかったんだけど。あなたが浄化したこの場所をどうしてもほかの奴に譲りたくなくてね。早く形にしたかったんだ」
だとしても驚きだ。なんという仕事の早さだろうか。この辺りの魔物は討伐したけれども、盗賊団はどうなったのだろうか? 帝国は介入してこないのだろうか?
蓮音が何から聞くべきか迷っていると、剣護は蓮音の手を引いて、また別の場所に足を運んだ。見えてきたのは軍営のようだった。ここに集まっている人たちで街づくりをしているのだろう。
中に足を踏み入れたら、なんとも懐かしい顔が目に飛び込んでくる。
「ちょっ、姫さん!?」
「ひめ! ひめ!」
「蒼迅!! ガク!!」
「ボクもいますよ」
蓮音の声が聞こえたのか、海遠も天幕から出てくる。
「海遠!」
「姫様、主君」
そういって挨拶をしてくる人の中には助っ人として共に旅をした侠たちや剣護と一緒に蓮音が子ども時代に助けた李浩の姿もあった。
「みんな!」
離れていたのはまだ一週間ぐらいだというのに、なんだかすごく懐かしい気がした。
彼らは獅子将軍たちの軍とともにここに本陣を置きながら、街の建設と開墾をしていたのだ。
「ま、優秀な俺らの仕事ははええから、次の夏にはあの辺りの小麦は収穫可能っすよ」
「ガク、いっぱい、がんばった!」
蒼迅とガクが得意気に説明をした。
街の設計図は剣護とビルドが作ったそうだ。
剣護は、以前からこの地の盗賊を掃討した後、徐々に支配域を広げて、黄倉も支配下に置くつもりだった。なんといってもここは開けた肥沃な平野が広がり、開国から見ても手に入れたい穀倉地帯だったからだ。
「まだ未完成だが、この街を、この国をあなたに捧げたい。そして、この先はあなたと一緒にこの街と国を築き上げていきたい」
剣護は蓮音の前に跪き、蓮音を見つめると、スッと手を差し伸べた。蓮音は剣護の瞳に引きつけられるように、差し出された手に自らの手をそっと重ねる。
「わたしもあなたと一緒にこの街を作っていきたい。これからもよろしくお願いします」
見つめ合う二人の目の前には、静かな月明かりに照らされた無限の平原が広がっているようだった。




