第84話 後宮の女官たち
三人の夫人たちとのお茶会も終えた。当初伝えられていた今日の予定はすべてこなしたことになる。
空いた時間で下級妃たちと面談をすべく、その宮に行こうと支度をしていると、三人の女官たちが堂々とやってきた。
この三名、今までどこで油を売っていたのやら、蓮音の部屋ではまったく仕事をしないのだ。
彼女たちは貴族や官僚の子女であり、自他ともに認める女官の中でも学のある優秀な人材だ。
自尊心が山のように高い彼女たちは、上級妃に仕えて、皇帝の目に留まり、やがて閨に召され妃嬪となることを夢見ていた。
それが年齢的に難しいと悟りつつある今は、女官として出世することが人生の新たな目的となっていた。
本来であれば、将来の皇后にお仕えするのはこの上ない名誉である。
しかし、その皇后が田舎から出てきた山猿のような鬼だと知って以来、彼女たちにとって今の仕事はこれ以上ない不名誉な仕事に思えていたのだ。
礼儀も何もなっていない無礼で野蛮な女になんぞ、なぜ仕えねばいけないのか。こんな女、皇帝にもすぐに愛想をつかされて、後宮を追い出されるに違いない。
そう思い、蓮音の世話は、彼女が連れてきた侍女たちに任せていた。
だが、女官長に蓮音の教育を一任されてしまった以上、完全に放置するわけにもいかない。鬼が鬼のままでは彼女たちの沽券にもかかわる。
こうなったら、この無礼な女を私たちが教育して、皇后に相応しい淑女へと矯正してやろう。そうすれば、自分たちに対する評価もさらに高まるというものだ。
そう思い、この時ばかりは、彼女たちも意気込んで蓮音の元を訪れたのだ。
「姫様、これからは後宮のしきたりや心得、皇后としてふさわしいお振る舞い、偉大なる大昇帝国の歴史や政治体制をお勉強していただきます。お時間があまりありませんので、私たちも遠慮なくご指導させていただきます」
それは、勉強の中でも群を抜いて、とても退屈そうだ。
「ここに来るまでに皇弟の昇雲殿下からそれなりに伺っている」
(それに偉大なる帝国の歴史といったって、たかが十数年でしょ? どの辺が偉大なわけ?)
歴史の授業だけは一瞬で終わりそうだが、この女官たちが相手となるとそうもいかなそうだ。
(きっと、初代皇帝の家系図をたどると、どこぞの神仏に行きついちゃうやつね……)
語ることの少ない歴史の浅い国にありがちな歴史の授業である。
「明鈴に豊苗、代わりに聞いておいて。で、わたしに伝えたほうがいいと思うことだけ後で教えて」
「姫様、かしこまりました」
「承知しました」
明鈴と豊苗が頭を下げると、その横で女官の一人が声を荒げる。
「いけません、姫様! これは皇后となられるお方の義務でございます。お勉強していただけないならば女官長にご報告させていただきますよ!」
ほかの妃嬪であればいざ知らず、蓮音にとっては女官長など恐れるに足りない。しかも、女官長には「後宮でめちゃくちゃする」と宣言済みである。「報告するのであれば、どうぞご自由に」である。
女官たちの言葉は、全く脅しにはなっていなかった。
「望むところだ、好きにするがいい」
蓮音は、下級妃の元に茶菓子を持参すべく、引き続き万梅に支度をさせた。
「お話でしたら、わたくしたちがお伺いしたうえで姫様にお伝えします」
明鈴と豊苗が蓮音の代わりに着座する。
「無礼な! たかが侍女風情がでしゃばるな!」
「そっちのお前は、田舎官吏の妹ではないか。このような田舎者を侍女にして、それで礼儀作法はすでにわきまえているなどと口にするとは、お里が知れるとはこのことね」
「第一、私たちが尋ねてきてやっているのに茶の一つも出せないとはどういうことかしら?」
女官たちは言いたい放題だ。
「茶ですか? なぜ姫様にお仕えする立場のあなた方を客人のように遇せねばならぬのです?」
明鈴も負けじと言い返す。
「これも礼儀作法の教育の一環ということが分からぬとは、嘆かわしい……」
「こちらの姫はすでに皇后にでもなったおつもりか。今はまだただの人質にすぎぬというのに……」
何とも横柄な態度で、話の通じない女官たちに、明鈴も辟易してしまう。
「確かにわたくしは姫様の侍女ではありますが、今は姫様の代理です。こちらの豊苗も同様です。無礼はどちらでしょうか?」
自分のことは何と言われても構わない。が、主である蓮音や豊苗までコケにされてさすがに黙っているわけにはいかない。明鈴は毅然と言い返す。
明鈴は、表情にこそ出さないが、今、少しだけ興奮していた。
後宮で、上級女官が権威をかさに着て下級官吏の娘をいたぶるのは、彼女の好きな恋物語に登場する定番中の定番の場面だからだ。
今、自分は物語の女主人公のようなものではないか。
残念なのは、これが一人の男を巡っての恋の戦いではないという点か。
「郷に入っては郷に従えという言葉をご存じではないようですね。こちらに来たからには後宮のしきたりに従ってもらわねば、ほかの妃嬪や女官たちに対しても示しが付きません」
「これだから、野蛮な国の者共は嫌なのです」
女官たちの口は止まらない。
「誰が野蛮だと?」
女官たちは不意に背後に強烈な気配を感じて振り返る。
見るとそこには、茶壷を持った蓮音が立っていた。
中の湯が煮えたぎっているのか、蓮音が手にしている茶壷の蓋がポコポコと上下している。
「お前たち、茶を所望のようだな? そこまでお望みとあらば、この鬼姫、自ら振る舞ってやろうではないか。野蛮人が入れる茶をその身をもって存分に味わうがよいぞ」
「いっ、いえ、私たちは、その……」
あんな熱湯をかけられでもしたら、大やけどするのは必定。女官たちは恐れて立ち上がると、身を寄せ合うように震え上がった。
「偉大なる帝国の上級女官ともあろう者が、この程度の言葉に屈し、怯えるとは、実に嘆かわしい。明鈴、この者たちに茶を振舞ってやるがよい。それから茶菓子も。二度と我らに対してかような毒を吐けなくなるようにな」
「かしこまりました」
明鈴は席を立つと、お茶を入れる用意を始めた。
「姫様、湯はグツグツと沸騰したばかりの熱湯のままでお願いいたします」
明鈴は、毬のような形の茶葉と硝子製の茶壷を持ってきた。三人の女官たちには硝子製の茶壷も、毬のような塊の茶葉も初めて目にするものだった。
そこに蓮音が温めたアッツアツのお湯を注ぎ、茶壷の中に毬形をした茶葉の塊を浮かべる。
すると、塊だった茶葉は少しずつ開いていき、中からは美しい千日紅と茉莉の花が姿を現した。それとともに、部屋には何とも言えない甘い香りが漂う。
くすんだ草色の茶葉の塊が、鮮やかな花を咲かせるさまを見守った後、明鈴はそれぞれの茶杯に茶を注いだ。
蓮音はそのうちの一つを右手の親指、人差し指、中指でつまむ。スッと伸びた指先が美しい。そこに長い袖を翻しながら片手を添えて口元を覆うと、優雅に飲んだ。
三人の女官たちは思わず息をのんだ。その所作は野蛮な鬼ではなく、高貴な姫君のように映っていた。
「この通り、毒など入ってはおらぬ。安心して飲むがいい」
女官たちはお互いの顔を見合わせると、意を決してお茶を口にする。
「えっ……」
「なに、これ?」
「……おいしい」
すっきりとした味わいの中にも花の上品な香りが口の中に拡がる。身体の中まで温まり、満たされて、まるで花が香ってくるようだった。
何なのだろうか、このお茶は。このような美しい茶は、この後宮でも今まで見たことがない。
野蛮と罵った異国の姫が出してきた茶に、驚きを隠せない女官たち。博学と自認していた自分たちでさえも初めて目にする、味覚だけでなく目も楽しませてくれるような異国の茶。
鬼姫は一体どのような国からやって来たのだろうか。自然と興味が湧いた。
女官たちの反応を見た蓮音は音を立てずにすっと席を立った。
「では、行ってくる。あとは頼んだ」
「はい、姫様、行ってらっしゃいませ」
明鈴に引き続き、豊苗が頭を下げる。すると、先ほどまでギャーギャー騒ぎ立てていた女官たちも立ち上がり、静かに頭を下げて、出かける蓮音の姿を黙って見送った。
「さあ、おかけになってください。茶菓子もお持ちしましたので、ぜひそちらもお召し上がりくださいませ」
今度は明鈴に促されて、女官たちは大人しく着座した。
鬼姫に、酷い折檻をされるのだと思った。
が、実際は真逆だった。最上級のもてなしをされた。
四面楚歌の敵ばかり、互いに足を引っ張り合うのが常であるのが後宮だ。だが、この時だけは、可憐に花開いた花茶が漂わせる香りのように、穏やかな時間が流れていた。




