第79話 放火魔の鬼姫と美少年の宦官
ところで蓮音たちはこれから一月弱過ごすことになる部屋をよく確認してみた。
客間と蓮音の居室以外はまだ掃除もされていない。全体的に調度品は古びていて、椅子などはガタつくものも多かった。
庭も雑草がおい繁っていて、前の妃嬪が去ってからそのまま放置されているようであった。
「まずは大掃除をしないとね」
その場にいた女官の一人に手伝うように伝える。
「承知しました。では、下女と宦官を手配いたしますので……」
女官は頭を軽く下げると、その場を後にした。だが、しばらく待っても誰も手伝いに来る様子はない。
「手伝う気なさそうよね、あの女官たち……」
こうなったら自分たちだけで何とかするしかない。
「よし、じゃあ、中庭の草取りはわたしに任せて」
「えっ、ひ、姫様が草取りですか?」
仲間になって間もない豊苗が狼狽える。
「うん、雑草取りは得意なの!」
「ですね……姫様に安心してお任せできるのは雑草取りぐらいですからね……」
万梅が意味深な言葉を口にする。基本的に蓮音は不器用なのだ。
「何か言ったかしら? 万梅?」
「いえいえ、何も!」
雑草取りは重労働だ。だが、野焼きの要領で炎魔法を使って焼いてしまえばいいので、蓮音には楽勝なのだ。
だが、ただ焼くだけでは面白くない。先ほど陳女官長にもめちゃくちゃをすると宣言したばかりである。
「炎の精霊、サラマンダーよ。我が呼びかけに応じ、姿を現せ。汝の吐息でこれなる雑草をすべて焼き尽くせ!」
中庭一帯が火に包まれる。蓮音はできるだけ長く、たくさん煙がでるように火力弱めでサラマンダーを召喚した。
「た、大変です! 火事です!」
庭から上がる火の手に気が付いた豊苗が慌てて叫ぶ。だが、ほかのみんなは落ち着いたものだ。
「ああ、あれは姫様が野焼きをしてるだけです。時間がたてば収まりますから」
顔色一つ変えず、落ち着き払った万梅が、平然と説明をする。
「えっ、で、でも……」
豊苗はまだ心配そうだったが、お嬢さま気質の明鈴でさえも「大丈夫ですわ」と穏やかにしている。
豊苗は、「この人たちにとっては、これが普通なんだ……すごいところに来てしまったみたい……」と自分に言い聞かせていた。
「キャー、火事よ、誰か!」
隣の棟からも叫び声が上がる。
騒ぎにはなってほしいが、びっくりさせるのはさすがにかわいそうだ。
蓮音は塀に飛び乗ると、声の主に向かって「火はそっちにはいかないから、大丈夫」と笑顔で伝えた。
「キャーー! ひ、人よ!!」
身長よりも高い塀の上に急に人が現れたことに驚く声の主。結局は驚かせてしまった。
後宮より立ち上がる黒煙を目にして、宦官と、緊急事態ということで外朝からやってきた武官が駆けつけてくる。蓮音は、そっとサラマンダーをしまった。
中庭の雑草はきれいさっぱりなくなり、外壁に煤はついているもののどこにも延焼することなく火事は収まっていた。
「一体、何事ですか!? お怪我は!?」
「ああ、大丈夫。中庭が雑草だらけだったから野焼きをしただけ」
(いや、後宮で野焼きって! しかも、それをこんな女性が一人で!? なんなんだこの非常識な美女は!?)
宦官の一人が慌てふためいた様子で声をかけてきたので、何事もなかったかのように蓮音は返した。
「そ、そういった雑務はお申し付けいただければ我々が行いますので……」
「そう? そういうことならば、ここを耕して。今すぐに」
「へっ?」
駆けつけた宦官に対して、蓮音は当然のごとく要求した。
「お怪我がないようで安堵いたしました。我々は報告がありますので、失礼いたします」
武官たちは、雑事に巻き込まれる前に帰ろうとするが、蓮音は許さない。退路を塞いでくる。
「お前たちはここに消火作業に来たのだろう? わざわざ訪れて何もせずに帰るのは実に惜しい。代わりに鍛錬ついでにここを耕していくといい」
「はいっ?」
非常識な美女は、ただ者ではなかった。「ここに足を踏み入れたからには、生きて帰れるとは思うな」とでも言ってそうな殺気を纏い、笑顔を向けてくる。
(こ、これはまさか、噂の鬼姫!? 見た目が美しい天女のようだから完全に油断した……)
武官たちはしぶしぶ鋤を手に、土を耕しだした。
「はい、そこ! 全然腰が入ってない!」
鬼姫ならぬ鬼教官と化した蓮音の指導は容赦ない。
「は、はい、こ、こうですかー!?」
「鋤をもっと振り上げて! キビキビ動く!」
「うおおおおっ」
宦官と武官たちは蓮音の監視の元、みっちりと土づくりをさせられた。
農作業というのは意外に重労働だ。半分女性のような宦官たちは息も絶え絶えだったし、武官たちも汗を流して働いた。
(鬼だ、この鬼姫は確かに鬼だーー! 鬼以外の何物でもない!! 辛い、でも怖くて逆らえない……!)
作業が終わるころ、蓮音は彼らにお茶と大翼カモの唐揚げを振舞うようにと明鈴たちに伝えた。
「ご苦労さま! 鍛錬の後はしっかりとたんぱく源をとるように!」
労働の後の食事ほどうまいものはない。武官たちは唐揚げをおいしそうにむしゃむしゃ食べた。
「これ、旨いな!」
「ああ、また食いたいな。これ、なんの肉だろうな」
蓮音は、唐揚げを頬張る武官たちの様子を笑顔で眺めていた。
(鬼姫は、鬼だけど。案外鬼じゃない……?)
武官たちは何とも言えない気分だった。
蓮音が放火をしたという噂は瞬く間に後宮だけでなく、外朝にも知れ渡った。鬼姫が、後宮に入ったその日に屋敷に火を放ち、さらに駆けつけた武官たちに強制労働をさせたと。
蓮音は一日にして、帝国の歴史に名を刻む稀代の大悪女となったのだ。
きれいに均された土をみて、晴詩が「ここをどうするおつもりですか?」と聞いてきた。
ここでの滞在期間を考えると、晴詩の大地の精霊魔法を使ったところで、花を咲かせたり、野菜を収穫したりというのは難しい。
蓮音はそれでも種をまいて、次にここに住む妃嬪の心を慰められるならば十分だと思っていた。
お茶でも飲んで休憩しながら、みんなで何を植えるのか相談しようということになった。
「姫様にお届け物を持って参りました」
こざっぱりとした中庭でお茶を飲んでいると、門の外から声が聞こえた。どこか聞き覚えがあるような、そして声の主はきっと美男子であろうと想像させるような美声だった。
宦官の袍に身を包み、幞頭を被った、背格好からすると十四、五歳の見目麗しい少年が大きな菓子入れと花瓶に生けられたキンモクセイを持って入ってきた。
キンモクセイの花言葉は、「気高い人」「真実の愛」「初恋」などである。かわいらしい小花には似つかわしくないぐらい濃厚な甘い香りがあたりに漂う。
「娘々」
「はあ!?」
「えええっ!」
少年は蓮音をみるとにこっと笑った。そこにいた一同は、驚きのあまり立ち上がる。その少年が、まだあどけない顔をしているものの、ある見慣れた人物にそっくりだったからである。
蓮音も周りを見渡して、ちょっと抑えめの声で、おそるおそる声をかける。
「えっ、剣護?」
少年はもう一度にこっと笑った。
「ええー、ちょっとどうやって!?」
蓮音は立ち上がって驚く。
剣護の顔をよく眺めた後、全身を見るといつもの人間の姿よりも三寸――約十センチ――ほど背が低く感じた。体も細いように思う。得意の術で、十四、五歳少年に変装したのだろう。
にしても、ここは後宮である。普通の男は、例え少年でも立ち入ることができないはずなのだ。
だから、というわけではないが、下半身に目をやったところで目線が止まる。その場にいたほかの侍女たちも同じ気持ちだったのか、みんな同じ場所をじっと見ていた。
「これくらい造作のないことだよ」
剣護は、いつもよりも高い声音で言うと机に茶菓子と花瓶を置いた。
そうは言うが、宦官に化けているということはアレはどうなったのだろうか。それがなかったとしてもあったとしてもこれはなかなかに大問題である。
とりあえず、晴詩と香隠以外の三人は、まったく事情が呑み込めていなかった。
蓮音は、当然明鈴たちももう知っているとばかり思っていたが違ったので、みんなが李公子だと思っている人は実は魔王だと教えた。
「あれ? 話してなかったっけ? 剣護、あー、えっと李公子は、実は魔王黒煙虎なんだ」
「はあ!? 今、さらっともの凄い事実を発表しましたね? それは本当ですか!?」
「まさか、そんなことが……通りで……おかしいとは思っていたのですわ……」
万梅と明鈴は、半分呆れながらも、ようやく今までの疑問がとけて納得したようだった。
後宮に堂々と忍び込むのもすごいが、このキンモクセイはこのまま飾っておいてもいいのだろうか。剣護によると彼はすでに十日以上前に兵部尚書の九男という立場で後宮に入り込んでいたらしい。高官の息子ということで自由が利くのだそうだ。
「僕のことはここでは九郎と呼んで」
兵部尚書の九男なる人物が本当にいるのかどうかはわからないが、そういえば初めてこの人のことをその名で呼んだ気がする。
「この庭に植える花の苗も僕が持ってくるよ。ちょっと待ってて」
剣護は、走って出て行ったかと思うと、あっという間に荷車を引いて数名の宦官とともに戻ってきた。もう何日も前からこうなることを予想して、花の苗を集めていたというのか!?
彼が連れてきた宦官たちは先ほどの者たちと異なり、かなりテキパキと仕事をする。聞けば、彼らはあの「草原の民」だと言う。まさか後宮で、こんなに簡単に帝国に連れ去られたという草原の民を見つけることができるとは。
剣護が最初に連れていかれた魔鉱石の採掘場にも多数の草原の民がいた。屈強なものは採掘所に、そうでないものは後宮に送られたらしい。
彼らの情報によると、後宮の妃嬪や下女にも草原の民がいることもわかった。
「なるほど、となると、アマラ修容は、草原の民の部族長のお嬢さんってわけね」
彼女とは早いうちにゆっくりと話をしないといけない。
人質となっている姫を見つけ出し、蓮音が後宮を脱出する際に、希望するものは後宮や採掘所から連れ帰ってやりたい。彼らにとって、ここは本来いるべき場所ではないのだから。
こうなると、後宮にいる妃嬪だけでなく、下女や宦官も含めて、後宮を総ざらいして徹底的に調べる必要があると思う蓮音であった。




