第78話 豪華絢爛で淋しい花園
三人の女官たちは、挨拶だけ済ませるとその場を去っていった。
「姫様には、明日以降、妃嬪たちからのご挨拶を受けていただくことになります」
九嬪以下の妃たちは挨拶に来るが、三人の夫人にここに来させるわけにはいかないから、夫人たちには挨拶に行くようにとのことだった。
(だったら、夫人が来ても問題ない建物を用意すべきでは? まぁ、赴くのは別にいいんだけど)
「それから、婚儀の日取りですが、次の満月の日と相成りました」
数日前に、剣護と歩いた貴蓉の街の空には、丸い月が浮かんでいた気がする。ということは、残された時間は二十日ほどということになる。
それまでに人質の姫たちを探して、奪還する計画を練らねばならない。
また、婚儀までに離宮にいる皇太后の元に挨拶に行くことと百官たちとの宴席に参加するようにも言われた。
「婚儀の件に関して、皇帝陛下とお話がしたいのだが」
「陛下は昼間はご政務がお忙しく、今夜は趙昭儀様の元にお渡りになる予定ですので難しいかと」
昭儀は、妃嬪の位の一つであり、皇后、四夫人に次ぐ、九嬪の頭である。
「では、文を書くので届けてもらえないだろうか」
「……お渡しするぐらいでしたら可能ではありますが……」
なんだか渡してくれなさそうな感じだが、「早く人質の姫たちに会わせていただきたい。それからわたしの愛しい人はどこで何をしているのでしょうか?」と一筆書いたものを宦官の直に託した。
「それから、今いる妃嬪たちのできるだけ詳しい名簿を用意してほしい」
「はあ、姫様。夫人、九嬪はともかく、妃嬪全員の名前まで覚えていただかなくとも……」
「単に名前を覚えるためではない。陛下に一刻も早くお世継ぎを設けていただくために、情報を整理しておく必要があるだろう?」
「えっ? と申しますと……?」
宦官と女官長は鬼姫の意外な発言に、顔を見合わせた。
「では、質問を変える。なぜ、皇帝はわたしを召したと思う?」
「それは、帝国と彩華国が手を携えることによって、両国に平和をもたらすためで……」
「それは単なる建前に過ぎぬのでは? 長年仕えてきた皇帝の本音がわからないあなたでもないでしょう」
「…………」
「皇帝は、皇太后の産んだ皇子に対抗できる血統の後継ぎが欲しいのだろ?」
女官長は冷や汗をかいていた。この鬼姫にそこまでの事情を把握されているとは、想定外だったからだ。
「そうなると身分の低い娘が身ごもったところで、そのお子がお世継ぎとはなるまい。であれば、まずは次期皇帝の母として相応しい身分の娘を厳選する必要がある。それでも、まだ随分と人数が多いではないか。一つ聞くが、なぜ今夜皇帝は昭儀の元を訪れることになったのだ? 皇帝自らが指名したのか? それとも昭儀は懐妊しやすい日なのか?」
「……いえ、その、順番にございます」
つまり、皇帝が閨に呼ぶのは身分順だというのだ。順番が回ってきた妃嬪の体調に差し障りのある場合には新たな女性を用意しているらしい。
「もう一つ聞くが、陳女官長、皇帝陛下はどのような女性がお好きなのだ?」
「はい、それは位が高く気品がある美しい娘にございます」
女官長は、「女らしさの欠片もない鬼のようなお前とは違って」という言葉は飲み込んだ。だが、蓮音を見る目には、露骨な侮蔑の表情が浮かんでいた。
「なるほど。では、今後宮にいる妃嬪の中で最も陛下に寵愛を受けているものは誰だ?」
「はい、それは……特にご寵愛に片寄りはございません」
女官長の言う昇昊の好みは、九嬪以上の身分の妃嬪であれば誰でも当てはまりそうだ。寵愛に偏りがないというと聞こえはいいが、裏を返せば気に入った女性がいないということでもある。
妃嬪たちの元を訪れるのは、愛ではなく義務だと言い切っていた男の顔が、蓮音の目に浮かぶ。蓮音は自然とため息をついた。
「女官長、お前とわたしは、わたし以外の妃嬪に陛下のお子を産んでもらいたいという点で一致している。わたしと手を組まないか」
「はいっ?」
鬼姫からの唐突な提案に女官長は随分と間の抜けた声を発した。
「お前は、わたしが皇后にふさわしくないと思っていて、だから追い出したのだろう?」
「…………」
女官長はすぐに言葉を返すことができなかった。内心を見抜かれたことに動揺し、目が泳ぐ。何と答えるべきか思案し、しばらく黙っていた。
「それに協力すると言っているのだ」
そうだ、その通りだ。この女は皇后には相応しくない。これ以上、息子のように思っている昇昊と関わり合いになってもらいたくない。
それに、この女が世継ぎをもうけでもして、今以上に我が物顔で後宮を仕切る姿を見るのも屈辱的だ。
「その……手を組むとは、私は何をすれば……?」
「簡単だ。わたしはこれからここでめちゃくちゃをする。それをお前は逐一陛下に報告すればいい。『あの女は皇后に相応しくない』と言って」
「は、はあ……」
何を要求されるのかと思ったら、そんな簡単なことか。手を組まなくとも、密告はするつもりではあった。
だが、宣言してのめちゃくちゃは相当なものなのだろう……。そこは覚悟が必要かもしれない。女官長は、いつの間にか噴き出ていた汗を拭うと、ごくりと唾を飲み込んだ。
「もちろん、ほかの妃嬪が子をなせるようにも協力する。陛下と妃嬪の関係が良好なものとなれば、それだけ機会も増えるだろう。それに、あの偏屈皇帝とて、無垢な我が子をその腕に抱けば、少しは変わるだろう。妃嬪たちとの関係が良好となれば、それだけ次の子も生まれやすくなる。どうだろうか、悪い話ではないと思うが」
「…………」
「では、決まりだな! まずは妃嬪の名簿を頼むぞ」
陳女官長は、蓮音の提案をはねつけることができなかった。後宮でめちゃくちゃされるのは困る。だがその結果、この女がいなくなり、その後の安寧がもたらされるのであれば……それは悪くない話だ。
こうして、蓮音と陳女官長との奇妙な共闘関係が暗黙の内に成立したのだった。
しばらくすると、先ほど挨拶に来た女官の一人が、名簿をもってやってきた。蓮音は、名前と身分、それから出身だけ尋ねた。
現在、後宮には、まず三人の夫人がいる。司徒の娘の曹貴妃、属国の姫の劉淑妃、異国の姫のアヘ賢妃である。
次に九嬪が八名。礼部尚書の娘の趙昭儀、工部侍郎の娘の魏昭容、属国の姫の楚昭媛、御史台大夫の娘の秦修儀、属国の姫のアマラ修容、燕修媛、斉充儀、地方の高官・刺史の娘の韓充容である。
要するに上級妃は高官の娘か属国の姫である。明日以降、彼女たちとは順次顔を合わせることになる。
名前を見ると、草原の部族出身らしき姫もいた。剣護と考えた、帝国への対抗策である「大同盟」結成のために、属国の姫君たちとは、祖国に帰りたいか否か、それとなく意志確認をする必要がある。
そして、それほど身分の高くない役人や平民の娘、いわゆる下級妃が二十人以上いるとのことだった。
世継ぎの母となりうるのは、この三人の夫人と八名の九嬪となる。
それでも、約十日に一度しか夫に会うことができないのだ。
「後宮とは、随分と淋しい場所だな」
「はい?」
女官は訝しそうに眉をしかめた。美しい妃嬪の住まう、豪華絢爛で華々しい後宮が淋しいだと?
「愛しい男の訪れを、ただひたすら身を焦がしながら待つ場所が後宮ではないか。妻にとって、これほど淋しい場所はほかにはないとは思わないか?」
この女官には、返す言葉が存在していなかった。
自分は妃嬪の立場になって愛しい男の訪れを待ったことなど、そもそもない。いつかは最高権力者の目に留まるかもしれない。そんな望みを抱きながら、過ごした日もあった。
が、ここにきて既に十年以上経つ。とうに三十歳を過ぎてしまった自分にはもうその望みも薄い。
例え、十日に一回だろうが、月に一度だろうが、時の権力者に愛される栄誉を得られているだけでも、妃嬪は十分に恵まれているではないか。
(贅沢を言うな)
女官は恨みがましい目で蓮音を見ると、その言葉をぐっと堪えて、飲みこんだ。
「それだけではない。どんなに美しく咲き誇っても、花が散ってしまう前に主に見てもらえないのでは意味がないではないか。蝶にも蜂にも見向きもされずに、ただ散って、枯れるのを待つだけ……。ここは、美しい花々が愛でられることなく消えていく、そんな淋しい花園だ」
女官は、少々の驚きをもって、再度蓮音の顔を見た。蓮音は誰を見るでもなく、遠い目に愁いの色を浮かべていた。




