第77話 帝都、そして後宮へ
朝が明け、蓮音たち一行は一路帝都を目指していた。
帝都に着く前に、後宮のことも一通り昇雲に説明してもらっていた。
「そんなに奥さんがたくさんいるんじゃ、一月に一度も夫に会えない人もいるってことでしょ?」
「一月に一度どころか、一度しか呼ばれたことのない妃嬪も少なくはないかと……」
昇雲は自分のことではないのに、かなり申し訳なさそうに答えた。
「ひえ~、かわいそすぎるでしょ。もう呼ぶつもりがないんだったら、せめて解放してあげればいいのに」
「制度上、そういうわけにもいかないのですよ」
「制度ね……。制度なんて人間が勝手に作ったもので、普遍の真理ってわけでもないのだから、変えればいいだけなのに。昇雲殿下だって、今の制度が完璧なものだとは思っていないでしょ?」
「はあ、まあ、そうかもしれませんね」
理不尽かもしれないが、兄の後宮である。さすがに弟とはいえ、口出しはしにくいのだ。
「誰かが作った道を歩むことなんて誰にでもできる。自分で切り開いてこそ、大帝国の覇王といえるんじゃないの? まぁ、あの融通の利かない堅物っぽいあなたのお兄様には難しいと言うのであれば……よし! ここはわたしが一肌脱ごうじゃないの」
蓮音はポンと胸を叩いた。
ここまで来たならば、嫌々ながら後宮に行っても仕方がない。こうなったら、徹底的にやることをやるのだと、ものすごくやる気満々だった。
「何をなさるおつもりで……?」
「それは見てのお楽しみかな」
「ははっ、姫には敵いませんね」
昇雲は苦笑いするしかなかった。
確かに不合理な部分は変えていくべきだろう。だが、後宮の制度改革は、今の大昇帝国にとって、早急に対処すべきことではない。二の次に過ぎない。
それに何より、早く世継ぎを儲けるためには、大勢女がいたほうが都合がいいだろうという考えから、昇雲もまた抜け出せていなかった。
一方、宮殿では、昇昊が溜まった政務を処理していた。
各地から寄せられる報告の中に、「魔王が金髪の女と貴蓉の城下で逢引をしていた」というものがあった。
魔王、黒煙虎、帝国の、昇昊の覇道を阻む最大の宿敵でもある。
(魔王が呑気に逢引だと? どいつもこいつも愛だの恋だのに浮かれやがって、実に苛立たしい。まあ、いいだろう、お前が女に現を抜かしている間に、俺は鬼姫を手に入れて地盤を固め、この国をさらなる強国にするだけだ。待っていろ、魔王、いつぞやの借りを返してくれよう)
開国の動向を探るべく、昇昊は少し前からそこに潜らせている間者の数を増やしていたのだ。
魔王が女に現を抜かしてくれているとは、実に好都合だ。
鬼姫との婚姻がかの国の魔王の耳に入れば、必ず邪魔立てしてくるに違いないと警戒していたが、杞憂だったようだ。
魔王の相手がどこの美女かわからないが、伝え聞く風貌からすると中央諸国からやってきた女のようだ。
昇昊は、ほんの少しだけその美女に感謝していた。よくぞ、絶妙な時期に魔王の気を引いて、我が国の目くらましになってくれたと。
これで、目下の敵である皇太后の相手に集中することができる。
「離宮に何か動きはあったか?」
「いえ、特にはないようです。ただ、彩華の姫には、婚姻の儀より前に姑となる皇太后に挨拶にくるようにと命じられたようです。しかも、日付はあちらが指定するつもりのようで……」
「婚姻の儀よりも前か……そこで何かしかけてくるつもりかもしれんな」
鬼姫はあれでも武術の達人だ。その点、皇太后の手によって簡単に命を落とすようなことはないだろうが、あちらが仕掛けてくるのは武力頼みの攻撃とは限らない。警戒は必要だ。
◇ ◇ ◇
船を使えばとっくにたどり着いたのだが、蓮音たちは三日間陸路を進み、ようやく帝都の城門をくぐることができた。
帝都はまだできて十数年の新しい城だったが、宮城を中心に貴族や官吏の邸宅が並び、更にその外には商業地区、帝都で働く平民の住居が広がっている、整然とした作りの都だった。
だが、蓮音にはそれがどこか無機質に感じた。
妃嬪たちの住まいとなる後宮は、宮城の最奥にある。ただ一人の男を除き、原則、男子禁制の場所で、女にとっては一度入ったら簡単に出ることはできない場所だった。
皇弟の昇雲が先導するように馬に跨り、蓮音たちを乗せた馬車は外朝を通り、後宮の門の前まで来た。
外朝側の門付近には見物の官吏たちが大勢集まって来ていた。先に戻った昇霧が蓮音の噂――鬼姫は本当の本当に鬼姫だった――を広めていたので、一目本物の鬼を見ようとしたのだ。
昇雲は、その集団を一瞥すると、「そんなに鬼姫が気になるのか。まあ、わからなくはないが……」と内心で苦笑いをする。
そして、馬から降りると馬車の窓まで歩いて行き、別れの挨拶をした。
昇雲は、ここ数日、この鬼姫と過ごして、兄が彼女を求める理由がよくわかった気がしていた。彼女のような女性は、ここ大昇帝国にはまずいない。
この姫が、兄の思いに多少なりとも気が付いて、もう少し歩み寄ってくれたらとさえ願っていた。
「ここでいったんお別れですが、お困りのことがありましたら遠慮せずに私の名前を出してお声掛けください。三日間、いろいろとお話ができて、とても有意義でした」
「こちらこそ、殿下には大変お世話になりました。いろいろとご配慮いただき感謝しております。できることならば、人質となっている姫たちの件もよろしくお願いいたします。では、失礼いたします」
残念ながら鬼姫はその姿を見せることなく、門の向こう側の後宮へと去っていった。
蓮音たちは皇后や夫人のための宮ではなく、その下の身分の「九嬪」が住まう宮に案内された。後宮に入ったものの、まだ皇后としての輿入れ前だからという理由で。
蓮音としてはそのあたりのことはどうでもよかったのだが、これは明らかに蓮音たちに対する嫌がらせであった。
部屋に入ると、例の女官長文仙と宦官の直が三名の女官を引き連れてやってきた。
「姫様、お輿入れの日までこちらの宮をお使いください。それからこちらの女官たちが姫様の教育をさせていただきます。姫様は後宮のしきたりなどご存じないことも多いでしょうから、彼女たちの話をよくお聞きになって早く後宮に馴染まれますように」
(うっわー、すごい上から目線)
そう思いながらも、蓮音は一応「よろしく頼む」と答えた。三人の女官はそれぞれ蓮音に挨拶をしたが、どことなくその態度は横柄なものだった。
「私が後宮のしきたりを御指南させていただきます。彩華国には後宮はなく、男女の別も曖昧でそこから生じる過ちも多いと伺っております。ここでは、かようなことがなきように私共がお導きいたしますので、しかと学ぶようにお願いいたします」
「過ちねぇ……」
「はい、犯した過ちは正さねばなりません。姫様は、こちらの主になられるために、お心を入れ替えていただく必要がございます。女の本分は、誠心誠意、夫に仕えることにございます。それをお忘れなきよう」
「あなた、それ本気で言っているの?」
「当然でございます」
「だったら、あなたもその女の本分とやらに従って、とっとと夫を見つけて、お仕えしたらどうかしら? こんなところで鬼に仕えていないで」
「なっ、なっ……!」
屈辱的な言葉を返され、狼狽えてわなわな震える一人目の女官に代わるように、今度は二人目が話し出す。
「田舎からきた山猿のような姫だというお噂は本当だったのですね。まさか、ここまで酷いとは……。淑女としての礼儀作法は私がご教授させていただきます。お時間もございませんので、厳しく指導いたしますが、どうかお恨み召されますな」
「そう、そういうあなたはなかなかの淑女のようね? 他国の王族を田舎の山猿扱いとは、これが帝国が誇る淑女というわけね。これは、これは、随分とお上品だこと」
「なっ、なんと!」
「それに、厳しく指導とは、このわたしに折檻でもするつもり? それは楽しみね……」
蓮音は不敵な笑みを浮かべて女官を見た。彼女はこれ以上何も言えずにただ目を逸らした。
彼女たち、少し年のいった女官たちにとっての楽しみは、妃嬪いびりである。すでに、年齢的に皇帝の目に留まり、妃嬪として召されて高い地位に昇ることは難しい。
「このようなこともわからないとは……」と言った言葉で、ただ若く美しいだけで閨に召される妃嬪を貶めることで、うっぷんを晴らすのだ。
が、残念ながら、目の前にいる「鬼」の姫にはそれが全く通用しそうにもなかった。




