第76話 皇帝の妃嬪たち
蓮音たちと別れた昇昊は、兵士に命じて剣護を魔鉱石の採掘場に送り込むと、自身は転移魔法陣を使って宮殿に戻った。
初代皇帝の病が悪化すると、その皇后の雅静は病気療養のためと、共に離宮へ行ったっきり戻らなかった。
離宮は、もともとは旧北黄帝国の宮殿だった。王朝が交代し、しばらくは閑散としていたのだが、皇后が皇帝にお願いして再度豪華絢爛な宮殿として整備させたのだ。
昇昊は形式的には皇帝だが、実質的な権力はそれほど多くはもっていなかった。なぜならば、帝国の重鎮の多くはいまだに離宮の皇太后の元に頻繁に赴いているからだ。
そして、昇昊が朝議で決めたことでも、離宮にいる太上皇と皇太后の名のもとに勝手に出される勅によって、それが覆されることもしばしばだった。
蓮音はそこまでの事情は知らない。名ばかりの傀儡とまではいかないが、昇昊は、思うように政を動かせない、不自由な立場にあったのだ。
雅静と皇帝が離宮に移ったことで、初代皇帝のための後宮は解体された。
雅静派の妃嬪と女官は離宮でそれまでとあまりかわらない暮らしが保障されたが、そうでない子のいない妃嬪は冷宮や尼寺に送られるか、官僚や武将の妾として下賜された。
そして、昇昊のための新たな後宮が築かれたのだった。
そんな宮殿に昇昊は数日ぶりに戻ってきていた。
「とにかく、今一度お考え直しください」
「お前たちの言いたいことはわかる。が、あれは唯一無二の女だ。俺にはあの女が必要なこと、お前たちにはわからぬか?」
「ですが、ほかに男のいた姫を皇后にするなど、前代未聞です」
「そうでございます。せめて、今空席となっている徳妃ではいけないでしょうか? お子を授かった暁に皇后とするのでも遅くはないかと……」
相変わらず女官長の文仙と宦官の直は、蓮音を皇后とすることは反対だと言い張っていた。
反対されればされるほど、というわけでもないが、その一方で昇昊は蓮音を皇后とすることに強くこだわっていた。
数日ぶりの宮殿であり、数日ぶりの後宮への御渡りということで、文仙は気合を入れていた。
こうなったら、彩華の姫の婚礼が行われる前に、なんとしてでも三人の夫人か八名いる嬪の誰かに身ごもってもらいたい。いや何が何でも身ごもらせなければと固く心に決める。
旅から戻って早々に、昇昊は淑妃と床を共にしなければならなかった。
昇昊が初めて妻を迎えたのは、今から七年前、彼が十八歳の時だった。
太子妃となったその女は、大昇帝国によって征服された小国の姫であった。いつもは「征服の証」として属国の姫を我がものとする父だったが、どうもその姫には食指が動かなかったらしい。
かなり大人しい風貌の姫は昇昊の妻――太子妃となったのだ。
「お前にも、そろそろ妻が必要だろう」とか何とか言いながら。
初めて昇昊がその姫と床を共にした日、姫は目に涙を浮かべ、終始震えていた。
「……不束者ではございますが……末永くよろしくお願いいたします……」
「顔を上げよ。名は何と申すか?」
「は、はい……その……美玉と……申します……」
美玉と名乗るその女と目が合うが、途端に女はうつむいた。
「そなたの国を滅ぼした俺が怖いか?」
「いえ、その……決してそのようなことは……申し訳ございません……」
今となっては征服者に犯される屈辱からか、単に初めての経験に男を恐れていたからなのか知る由もない。
その後も姫は昇昊に対して、常に同じような態度で接した。時間が経ったからといって、二人が打ち解けることはなかった。
昇昊はその姫とまともに会話したことはおろか、目すらもほとんど合ったことがないような気がする。
(女とはなんとも弱く、つまらないものだ)
数か月するとその姫が身ごもった。
それをきっかけに、昇昊の元には別の女が側室として送られてきた。その女は大昇帝国の司徒の娘――現在の貴妃となった娘――だった。彼女は太子妃とはうって変わって派手で嫉妬深く、昇昊を独占したがった。
ほかにも数名、帝国の高官の娘が輿入れしてきたが、彼女たちの寵愛争いはし烈を極めた。
そんな中で、太子妃は流産した際に出血が止まらず、そのまま命を落としてしまったのだ。
太子妃となった娘を愛していたわけでもない。だがこの時、昇昊は大きな喪失感を感じていた。
自分が失ったのは、弱々しい太子妃の命だったのか。初めて授かった我が子の命だったのか。それとも未来に対する希望だったのか。
しばらくの間、昇昊は側室たちのくだらない争いを見て見ぬふりをしていた。関わり合いになりたくなかったのだ。
そもそも彼は帝国一の武将として、皇帝の名の元に各地に遠征に出る必要もあった。それを言い訳にして数年間、ほとんど自分の宮殿には戻らなかったのだ。
しかし、一年前、彼はカッコつきではあるが皇帝となった。とたんに、昇昊の後宮は賑やかとなった。
高官の娘、征服した国や属国の姫、あとはお世継ぎのために手配された美しい平民の女たちが次々と妃嬪となった。
しかし、これだけ妃嬪がいるにもかかわらず、いまだに昇昊には一人も子がいなかった。
その原因はいくつかあった。一つは以前と同様に彼が宮殿にいる時間が短かったからである。
もう一つは、後宮の女性、特に高官の娘や権力欲が旺盛な他国の姫との間にやたらと子を持ちたくなかったからだ。もしそのうちの一人が身ごもりでもしたら、その者が絶大な権力を持つことになる。皇后となり、自分とともにこの国を背負う者は慎重に選びたかったのだ。
では、権力に強い執着心を見せる女以外はというと、多くはあの太子妃のように昇昊のことを恐れるものばかりだった。
いつも震えながら、何かに耐えるように自分に抱かれる女たちを見るのは、あの太子妃を思い起こさせるからか、彼にとって気分のいいものではなかった。
そんな折、昇昊は出会ってしまったのだ。初めて自分の心に強く残り、捕えて離さない女に。
その女がようやく手に入る。
そう思った矢先に、手のひらからこぼれ落ちる砂のように、自分の目の前に別の男を連れてきたのだ。
そのことがまた、昇昊の蓮音に対する執着心をさらに強烈なものにしたのかもしれない。
文仙たちに指示された通り、昇昊は劉淑妃の宮を訪れていた。
劉淑妃は、二十二歳になる属国の姫で、美人ぞろいの後宮の中でも一際目を引く華やかな容姿をしていた。
その日も、淑妃は美しく着飾り、昇昊の訪れを待った。今度こそ昇昊の子を身ごもって、国母となり、小国の姫に過ぎなかった自分が権力の頂点に昇り詰めるのだと意気込んでいた。
「陛下、お待ちしておりましたわ。陛下にお目にかかれない日々が続き、淋しゅうございました」
そう口にした淑妃は、上目遣いに昇昊を見ながら、彼にしなだれかかる。
正直、昇昊は淑妃があまり得意ではなかった。
眺める分には確かに美しいとは思う。ただ、彼女に施された厚化粧のように、彼女の態度も言葉もすべてが嘘で塗り固められているように感じてしまうのだ。
この女の本音はどこにあるのだ、何が狙いなのだ。それがまるで見えない。いや、むしろ見えすぎるほど見えてしまっているとも言えた。
淑妃が注いだ酒を飲みながら思う。
「好きな人がいるから、あなたとは結婚しない」
そう自分を前にして言い放った蓮音は、嘘がつけない女だったなと。あのようにまっすぐな目で「好きな男がいる」という女を昇昊は初めて見た。
「そなたは、好いた男はいないのか?」
思わず淑妃に質問してしまった。どうせこの女は本音など言わないだろうに。
淑妃は恥ずかしそうに袖で顔を少し覆い隠しながら、大げさに話し出した。
「まあ、陛下。どうしてそのようなわかりきったご質問をなされるのでしょうか? もしや、わたくしの愛が陛下にはお分かりにならないと?」
(愛だと? お前に俺に対する愛なんてあるものか。お前にあるのは、権力欲だけだろ?)
彼女が求めているのは自分という一人の男ではない。権力者としての皇帝だ。そう思いながらも、昇昊は続けた。
「では、ここに来る前はどうだ? そなたには恋しいと思う男がいなかったのか?」
淑妃は、昇昊が蓮音と比べてこのような話をしているのだとすぐに理解した。昇昊とともに帰った女官長から彩華国の姫のことを聞いて、そのあたりの事情はすでに把握済みだ。
「まさか! わたくしにそのような者がいるわけございません。この世に生を受けたときから、わたくしはあなたさまの妻となる運命だったのだと信じておりますので」
淑妃は自らの答えは完璧だと心の中で自画自賛していた。それにあながち嘘ではない。彼女は幼いころからずっと大国の王の妃になりたいと思っていたからだ。
一方で、昇昊は「やはり、この女とは何も本音で話せない」と半ば諦めのような気持ちを抱いていた。
蓮音はどうしているだろうか。あの男のことを心配しているのだろうか。自身の体調は回復したのだろうか。少しでも俺のことを考えているだろうか。
後宮に入らずに済む方法でも何でもいい。もっと考えてみろ。もっと俺に挑んで来い。俺はお前を決して諦めはしない。
気が付いたら、昇昊は気に食わなくて仕方がない女のことばかりを考えているのだった。




