第75話 秘密の逢引は公然と……
夜の散歩に誘われた蓮音。
剣護に促されるままに風の精霊の加護を身にまとい、蓮音は髪の色を黄金色に変えた。
この街を歩いて回るのかと思ったら、剣護は蓮音の手を取ると、転移魔法でどこかに飛んだ。
目の前にあったのは開国の都、貴蓉の街だった。
ここに来るのはたったの数日ぶりだというのに、なんだかとても懐かしく感じる。蓮音にとってこの街は、すでに第二の祖国だった。
人でも物でも何でも飲み込み受け入れてしまうこの不夜城は、今宵も祭りの日のような賑わいを見せていた。
二人は、魔王とその謎の恋人として、手を取り合いながら堂々と街を歩いた。当然、二人の姿は非常に目立つ。
通りを行き交う人々は、振り返っては驚いたようにこちらに目を向けてくる。
「なあ、あれ、魔王様だよな? おい、今日は仮面をお召しになってないぞ! めちゃくちゃ男前じゃないか!」
「ってことは、お隣にいる金髪の美女が噂の恋人か? くー、お似合いすぎる!」
「初めて見たぞ! 魔王様の逢引を目撃できるなんて、これはきっと博打で勝てるに違いない!」
「寿命が三十年は延びたぞ!」
「ありがたやー、ありがたやー」
すれ違った住人たちは、ひそひそとあるいは声高に噂話に花を咲かせる。中には、神仏でも拝むかのように手を合わせている者さえいる。
剣護は、いつもの変装した人間の姿ではなく、魔王であることが一目瞭然な姿なのだ。しかも、輿に乗ることもなく、誰かに見せびらかすかのように蓮音の手を引いて悠々と街を歩いているのだ。
案の定、二人は噂の的となる。噂は瞬く間に広がっていき、魔王様の姿を一目見ようとして、近くには余計に人が大勢集まって来ていた。
一体、彼は何がしたいのだろうか。
蓮音が剣護を不思議そうな目で見上げると、剣護は謎めいた瞳を向けて、口角を少し上げた。
「何が食べたい? ずっと満足な食事ができていないだろう? 今夜はあなたが食べたいと思うものを食べに行こう」
「それじゃあ、具がたっぷり入った刀削麺が食べたいな。あとは、愛玉子」
「承知しました。愛しの君」
剣護は片手を胸に当てて、軽く腰を折った。
道行く人々は、魔王様が恋人に腰を折って話している様をみて、仰天する。あの魔王様が黄金色の髪の美女に夢中というのは、本当のことだったのだと。
剣護は、一軒の店に案内してくれた。看板には大きく「好麺酒家」とある。麺料理に定評のある店に違いない。
正面の戸が開け放たれて半分屋台のような店の中を覗くと、厨房でまさに麺を削ぎ切りにしている様がよく見えた。貴蓉の街でも屈指の人気を誇る刀削麺の店だった。
いつの間に連絡を取ったのだろうか、すでに店では二人を迎え入れる準備がされていて、厨房がよく見える、一番いい席が確保されていた。
店主と料理長がわざわざ挨拶にやってくる。
「ようこそおいで下さいました。魔王様、奥方様。当店の総力をあげて、おもてなしをさせていただきますっ!」
奥方様と言われて、蓮音は少しドキッとした。まだ結婚はしていないのだが、近いうちこの人の妻になるのだと考えただけで頬が火照るのを感じた。
従業員もその場に居合わせた客たちも、大歓迎で二人を迎え入れてくれた。
「魔王様と奥方様とご一緒できたこと、一生の誇りにします!」
「ああ、神様! 感謝します! 今日、この店に来てよかった!」
大袈裟なまでの反応を示す客たちに対して、蓮音はにっこりと微笑みかけた。
一言、声をかけ返してやりたい気もしたが、堂々としながらもこれは一応はお忍びなのだ。
客たちは魔王様の奥方様に笑顔を向けられたことだけでも、十分感激しているようだった。
久しぶりにおいしい食事をした。
麺から立ち上る湯気。食欲をそそる香辛料の香り。店全体を包み込むような活気。
もちもちとした麺の触感に、食べ応え抜群の牛バラ肉の旨味が絶妙な刀削麺だった。
従業員たちの声の掛け合いや、客の楽しげなしゃべり声でさえも、食事を美味しくする調味料なのだと感じる。
「やっぱり、食事はこうでないと」
思わず本音が口をついて出る。
(明鈴たちにも食べさせてあげたいな、これ……)
蓮音の気持ちを察したのか、剣護が「明日はあいつらにも少し腹を空かせておくように言っておくといいよ」と言ってくれた。
開国と帝国は遠い国ではない。国境を接しているというのに、どうしてここまで違うのだろうかと考えてしまう。
あの頑固な昇昊や帝国の重鎮たちも、この国の豊かさを見たら少しは考えを改めるのだろうか。帝国はいつまで軍事優先の国家でいるつもりなのか。
どうすれば、あの皇帝の心を動かし、穏便に帝国から去ることができるのか。
この先のことを思うと少し気が重い。だからこそ蓮音は、今は愛する剣護と二人でいる時間を楽しむことにした。
「はい、小虎、あなたも食べて」
蓮音は愛玉子を匙ですくうと、剣護の口の前に運んだ。剣護は、ふっと表情を緩めると、おいしそうにそれを食べた。
「やっぱり、食事はこうでないとね」
「ああ、そうだな」
(伝説のあーんだ! 生あーんを見てしまったあああっ!!)
店の従業員たちも客たちも、そしてもちろん蓮音と剣護も大満足の一時を過ごした。
店を出た後も、二人は寄り添いながら、貴蓉の街をゆっくりと歩いた。
「あっ、そうだ。聞きたいことがあるんだけど」
「うん? 何かな?」
「あれはどういうこと? あの子はあなたよね?」
蓮音が広幹の村で出会った少年のことである。剣護はいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「たまにはああいうのも面白いだろ?」
「もう、本当にびっくりしたんだから」
よくよく考えてみたら、剣護は蓮音たちと旅をしてきた「李益」に変身できるのだ。ということは、出会ったころの名もなき少年に変身することだって難しくはないのかもしれない。
「あなたは誰にでもなれちゃったりするの?」
「ははっ、それは無理だな。なりたいとも思わないしな」
「あれはどういう術なの?」
「秘密なんだが……少しだけ種明かしをすると、時魔法の応用ってところかな」
剣護は、洒落っ気たっぷりの表情で、人差し指を口の前で立てた。
時を操る魔法というのは、炎や風といった要素系の魔法とは全く次元の異なる、非常に高度な術なのだ。そんなことも出来てしまうとは、やっぱり剣護は魔王なだけある。
「そろそろ城へ戻ろうか」
「えっ、もう帰っちゃうの?」
夜はまだ長いというのに。蓮音はもう少し、剣護の隣にいたかった。こうして寄り添って、見つめ合って、声を聞いていたい。
それを察したのか、剣護は真剣な眼差しで見つめてきた。
「ああ、城へ戻って、あなたともっと口づけがしたい」
蓮音はハッと息を飲んだ。そして、剣護の逞しい腕に身を寄せながら伏し目がちにつぶやく。
「口づけだけ……?」
「本当は……あなたの肌も恋しい」
目を細めながら、剣護は蓮音をより強く抱き寄せ、耳元でささやく。愛する男の甘い声に撫でられて、全身に雷が落ちたかのようだった。
(わたしったら、なんてことをねだってしまったのだろう……)
剣護は素早く蓮音を抱き上げた。そして、気が付いた時には、貴蓉の城にある寝台の上にいた。
「愛してる」という言葉と共に、先ほどよりもずっと強く深い口づけが降ってくる。
二人は夢中になって、幾度も唇を重ねていた。時折、剣護は顔を上げては情熱的な瞳で見つめてくる。熱い眼差しに、蓮音の心も燃え上がる。
「娘々、幸せ過ぎて、おかしくなりそうだ……」
吐息交じりの剣護の声が全身をくすぐる。
「剣護、わたしも……」
(ああ、溶けちゃいそう……)
蓮音は目を閉じると、二人の時間を全身で噛みしめていた。
蓮音は、朝、気が付いたら元いた部屋の寝台で横になっていた。
昨夜、剣護に解かれたはずの帯もしっかりと締められていた。だけど、体中にまだ彼の熱が残っているようだった。
傍らにはかわいらしい孔雀草の花が置かれていた。孔雀草の花言葉は、可憐な小花がたくさん咲く様から、「一目惚れ」「美しい思い出」「いつも愉快」で、押し花にするにも最適である。相変わらず剣護は毎日のように花を送ってくれる。
孔雀草の花を眺めていて、蓮音はふと気が付いた。
そういえば、帝国に来てからというもの、観賞用に育てられた花を一度も見ていない。
(いつかこの地にも美しい花々が咲き誇るようになればいいのに……)
健気に咲く孔雀草の花を見ながら蓮音は静かに願った。




