第74話 帝国の台所
蓮音って船での移動はあまりにも負担であることから、昇雲と蓮音たちは陸路を利用して帝都に向かうことになった。
陸路を利用するとなると想定以上に時間がかかる。
さすがに何日も「個人的」な理由で宮中を留守にするわけにもいかず、皇帝である昇昊とそのお付きの者たちはこのまま船で先に戻る。
その際、昇昊は剣護を捕虜として自らに同行させた。
桟橋に船が着くと、陸路を行くものだけ下りるように促される。
「お前はこちらについてこい。捕虜がこれ以上好き勝手できると思うな」
「剣護!」
蓮音は剣護に縋り付き、なかなか離れようとしなかった。
「大丈夫。何の問題もないよ」
「この人の身に何かあったら承知しない」
こちらに笑顔を向けてくる剣護。蓮音は昇昊を睨みつけながら警告をして、見送ることしかできなかった。
彼が大丈夫というのであればそうなのだろう。だが、ここまでの剣護は捕虜とは思えないぐらいやりたい放題だ。それも自分のせいではあるのだが。
さすがの蓮音も、昇昊が二人の関係を面白くないと感じていることは十分すぎるほど理解できた。
陸にいる蓮音たちに見送られながら、船は桟橋を離れた。
「貴様、このまま無事に済むと思うなよ」
昇昊は厳しい表情を変えずに一言だけ告げた。
「そっちこそ、これ以上姫に嫌われないことを祈ってやるよ」
一方の剣護は、昇昊を見ることなく、余裕の笑みを浮かべたまま一言返した。
男たちを乗せた船はゆっくりと大河を下って行った。
◇ ◇ ◇
昇雲との馬車の旅は、蓮音にとって意外にも実りの多いものだった。
馬車に男女が二人きりというのはよろしくない。蓮音の侍女頭にあたる明鈴と広幹城から同行してくれている豊苗が馬車に同乗することになった。
昇雲は、蓮音の話をよく聞いてくれたし、この国についても当たり障りのない程度にだったが教えてくれた。
蓮音は思い切って一つ質問をしてみた。それはこの国の食糧事情についてである。
「昇雲殿下。ここで何度か食事をして感じたのですが、失礼ながら、随分と味付けが単調ではないかと。使われている食材にも片寄りがあるように感じるのですが、こちらではこれが普通なのでしょうか」
質問をされた昇雲はチラッと豊苗の顔を見た。彼女の少し残念そうな表情が目に入る。
「ははっ、痛いところをつかれました。私も蓮音姫のおっしゃる通りだと思います。この国はご存じの通り、私たちの父、初代皇帝が軍人であったため、軍での糧食が国民食の基本とされているのです」
つまり、食事は、まずは簡単に食べることが第一であり、いちいち繊細な味付けなどしていられないということだ。
「最も、後宮に行かれれば、黄帝国時代の宮廷料理が食べられますよ。それであれば、蓮音姫にも満足していただけるかと」
豊苗から聞いていた話と似たような答えが返ってきた。後宮や帝都に住む上級貴族たちの食事は、さすがに豪勢らしい。
「この国の民は、その事を知っているのでしょうか?」
「これまた、痛い質問ですね……」
食材の片寄りについても似たような事情で、まずは農民たちから収められた食料は優先的に軍に収められる。それ以外の一定数が民に配給され、残ったごく一部の食料が流通に乗るとのことだった。
この制度下では、食料の総量の管理を国家が行っているので、民が飢えることは少ない。
「国民たちは、前王朝時代と異なり、飢えから解放されているのです。その点、皇帝陛下に感謝している民は多いはずです」
その代わり、最低限しか保障がないのだ。
余剰の農産物を自分で食べたり、売って別の物と交換したりといったことがほとんど不可能な状況下では、どうしても農民たちの労働意欲も上がらない。作れと命じられたものを必要な量だけ生産するだけになってしまうという問題があったのだ。
大昇帝国がこのような制度を取っていることには理由がなくはない。
黄帝国は山海の幸に恵まれた豊かな国だった。だが、一部の力あるものが富の独占を狙い争いが絶えなくなった結果、ついには農民の反乱が起こり、王朝そのものが滅ぶことになったからだ。
つまりは、農民に必要以上の力を与えてはならないという警戒心が根底にあるのだ。
「理由はわからなくはないですが、せめて、自らの家の庭になっている果実ぐらい自由に食べてもよいのでは? 人間とは欲深い生き物です。最低限の保障にいつまで満足しているでしょうか?」
「ご心配されていること、ごもっともだとは思います」
「それに警戒すべきは農民の反乱ではなく、一部のものによる富の独占かと。広幹城の董氏もその好例ですよね?」
黙って二人の話を聞いていた豊苗は、顔を上げると、蓮音と昇雲の表情を窺った。
「おっしゃる通りです。今はまだ、我々が権力を手にしたばかりでして、徐々にでも改革をとは思っているのですが……」
昇雲の顔には、無念の色が浮かんでいるようだった。
大昇帝国は、皇帝の地位こそ黄家から高家に渡ったのだが、貴族や官僚は前王朝をほとんどそのまま引き継いでいる。
彼らはいまだに絶大な力を握ったままなのである。
その上、皇帝の座を引き継いだ昇雲らの父は、軍事と色事には精力的であったが、政務にはさほど熱を入れなかった。
その結果、配給制度以外は、旧北黄帝国の弊害がそのまま引き継がれることになってしまったのだ。
父親やその皇后となった旧北黄帝国の公主だった雅静の手からすべての実権を手に入れるためにも、蓮音が皇后の座に就く意義があることは、蓮音も何となく理解することはできた。
昇雲とであれば、言い争いにならずに議論ができるのだ。同腹の兄弟だというのに、昇昊と昇雲はどうしてこうまで性格が違うのか、蓮音には不思議であった。
「兄上は生まれたときから嫡男です。私は気楽な次男ですから、背負っているものがまるで違うのですよ」
昇雲は笑いながら答えたが、そういうものなのか。そういえば蓮音の父も次男だった。だからか従兄の伯栄の父だった三代前の国王よりも随分と温厚だった気がする。
一行は大河沿いの町の官衙に着いた。昇雲は、「こちらでの食事もお気に召すかわかりませんが、ごゆっくりどうぞ」と冗談半分で言って、蓮音たちの部屋を後にした。
まずは生きていくことが大切だとしても、好きなものを好きなように食べられないなんて、この国の人は何を楽しみにすればよいのかと考えてしまう。
そんなことを考えながら、そろそろ休もうと寝台に向かうと急に花の香りがした。「あっ」と思った時には蓮音は黒い髪の黒い服を着た背の高い男に抱きしめられていた。
「後で、口づけをするって約束しただろ?」
男がそう言ったかと思うと、蓮音が返事を返す前に唇を重ねてきた。
ずっと待ち望んでいた、熱い長い口づけに、蓮音は身も心も溶けてしまいそうだった。
「よかった、無事で。すごく会いたかった」
「俺もだよ、娘々」
二人はもう一度、口づけを交わした。
剣護によると、彼は捕虜として魔鉱石の採掘所に送られたらしい。そこは重罪人や属国・敵国の捕虜の収容所になっていて、彼らは魔鉱石の採掘をさせられている。
鉱山の入り口には結界が張られ、中からは出られなくなっているのだが、魔王の剣護には全く関係ない。
鉱山の奥には魔物も生息していて、一度入れられた者はほとんど生きて出られないことから、「帝国の最終処刑場」の名で知られていた。
「そんなところにあなたを送るなんて、信じらんない! 約束が違うじゃないの。本当にあの男は、血も涙もない冷血漢ね」
「うん、でも、こちらにとっては悪いことばかりではないかもしれないよ」
「どういうこと?」
「なかなか入れない場所に連れて行ってもらえたと思えばね。探し物が一つ見つかりそうだ」
「あっ、もしかして、遊牧民の人たち……?」
剣護は深く頷いた。そして、一通りの説明を終えると、立ち上がった。
「もう、帰ってしまうの?」
(もう少し、一緒にいたい)
そんな願いから、思わず彼を引き留めるような言葉を口にしてしまう。
そんな蓮音の気持ちに気づいたのか、あるいは最初からそうするつもりだったのか、剣護は微笑むとまさかの誘いをしてくる。
「少し夜の散歩にいかない?」




