第6話 皇太后の企み、皇帝の思惑
その頃、大昇帝国の離宮にある皇太后宮の謁見の間では、二人の若い男女が向かい合っていた。まったく表情の読めない真顔の皇帝・高 昇昊と、白々しいほどの作り笑いを浮かべた皇太后・雅静である。
この離宮は、大昇帝国の前王朝である北黄帝国の宮殿だったものだ。現王朝の宮殿よりもずっと華やかで贅を尽くした豪勢な宮殿だった。
「昇昊殿、まだ、そなたのお眼鏡に適う皇后がおらぬのか? 皇位の安定的な継承には、世継ぎの存在は欠かせぬだろう? よき候補がおらぬのであらば、妾がそなたに相応しい皇后を見つけてやろうか」
皇太后・雅静は、親切心から、昇昊に「皇后を娶れ」と言っているのでは決してない。むしろ逆である。
というのも、この皇太后・雅静は、初代皇帝が滅ぼした北黄帝国、最後の公主なのだ。ほとんど略奪されるような形で、初代皇帝の高 昇堅の皇后となったとき、彼女はまだ恋を知らぬ13歳の少女に過ぎなかった。新たな皇帝の皇位の正当性のために、彼女は30歳近く年の離れた男にその身を捧げなければならなかったのだ。
祖国を葬った皇帝が恐ろしかった。そして、憎かった。
夫である皇帝との間に愛などという幻想は一切存在しない。
それでも、数年前、彼女は子を授かった。そうであるからには、自らの産んだ皇子に帝位を継がせたい。そして、地図から消えた祖国を再興する。それが皇太后の野望だった。
その計画を阻む存在が、目の前にいる二代目皇帝となった昇昊だ。
「その件ではご心配をおかけしておりますが、皇太后様のお手を煩わせることではございませぬ故……。お話は以上でしょうか? そろそろ父の見舞いをして帰りたいのですが。長きに渡り滞っていた政務が山のように溜まっておりますので」
うすら笑いを浮かべながらも、眉間にしわを寄せた皇太后に背を向けると、昇昊は都へと戻っていった。
昇昊は、初代皇帝の病気による政治的な空白を埋めるためと称して、半年ほど前、ほとんど謀反のような形で皇帝となったのだ。
皇太后はこれが全くもって気に入らない。だから、何かと理由をつけて、彼の皇帝としての正当性に疑問符を投げかけてくるのだ。
その一つが、昇昊には側室が大勢いるにもかかわらず、世継ぎとなる皇子も、正妻である皇后もいないことだった。
昇昊としては、彩華国の姫を皇后に据えることは、彼の王道を阻もうとする皇太后に対する一発逆転の一手だったのだ。
彩華国の王女と手を組むことができれば、皇太后を牽制できるだけでなく、憎き魔王にも一矢報いることができるであろう。そうなれば、大陸東部の統一という覇業をなすことも夢ではなくなる。
「だとしても、皇后が”鬼姫”というのは……。皇后は国母となる女性ですよ。あまりにも評判のよくない人物を据えるのはどうかと思うのですが……」
皇帝のすぐ下の弟・昇雲がやんわりと反対の意を表明する。皇后は容貌よりも家柄や能力が重視されるとはいえ、いくらなんでもあの容姿の女性を皇后にするのは、誰も納得できないだろう。
特に、後宮には美しい花々が咲き誇っているのだ。その頂点に立つのがあのような姿の女となると、彼女たちの争いを激化させるだけではないだろうか。
「案ずるな。あれは世間で言われているような醜女ではない」
「兄上は、戦場でかの鬼姫と顔を合わせたことがあるのですか?」
「いや、残念ながら、戦場ではない。一度、あの女の技をこの目で見てみたいものだ」
幾度となくぶつかり合っている両国ながら、なぜか、彩華国の鬼姫と昇昊は、戦場で直接対峙したことがないのだ。
だが、一度だけ、一年ほど前、まだ彼が皇太子だった時代に、蓮音と思しき女性と顔を合わせているのだ。
昇昊は別の人物に扮していたし、同じく蓮音も自身の代理を立てたうえで、その侍女に扮していたので、お互いが皇太子・王女という認識を持ってはなかったが。
あの日、今は帝国の属国となっている小国で王の即位式が行われた。その席にいたのが彩華国の蓮音姫だった。
蓮音は自身の顔を世間に知られたくなかったので、炎刃隊の少年に自分の代役を任せた。そのうえで明鈴とともに侍女として蓮音役の少年の側にいたのだ。一方、昇昊はその国の大臣の護衛に扮して即位式とその後の宴会に参加していた。
ひどい化粧の蓮音姫を見て、宴の場にいた男たちは密かに、だがあからさまに揶揄した。何を言われても、鬼姫は終始黙ってうつむいていた。その場にいた男たちは、そこにいるのが恐ろしい”鬼姫”であることを忘れてしまうほどに大人しかったのだ。
だから、彼らは完全に油断をした。縮こまった鬼姫の後ろにいた二人の侍女に、妾とならないかと持ち掛けたのだ。
こんな下品な男たちの誘いなど、うまくかわせればよかったのだろうが、なんせ蓮音は”鬼姫”である。
笑みを浮かべて、「ご冗談を」と男たちをあしらう明鈴の真横で、その男たちを叩き飛ばしたのだ。飛ばされた者たちも、それを見ていたほかの男も、そして、鬼姫やもう一人の侍女でさえも、目を真ん丸にして驚いた。
「わが主を愚弄するとはこのわたしが許さん。それに、我々のこの命は、主と国にとうに捧げている。お前たちごときが自由にできるものと思うな! めでたき席を愚か者の血で汚したくはないが、わたしも炎刃隊のはしくれ、これ以上の狼藉を働くならば成敗してくれようぞ」
その侍女は朗々と語ると、周りにいた男たちをまるで炎をまとったかのような形相で睨みつけた。男たちは震え上がった。
「蓮音姫、どうやらこの者たち、ちと酒に酔いすぎたようだ。大変失礼いたした。どうか、そちらの侍女殿も矛を収めてはくれぬか」
小国の王が詫びを入れる。場合によっては、「不敬である」として侍女を捕えてもおかしくないような場面で。
それ以降、鬼姫を嘲笑するものも、侍女たちに手出しをしようとするものもいなかった。
見れば見るほど美しい女だった。
その場にいた多くのものが彼女から目を反らしたにも関わらず、昇昊は逆にその姿に釘付けになった。
髪はかつらを被っているのか、黒髪だったが、翡翠色の大きな瞳の奥には、深紅の炎が揺らめいて見えた。大輪の花を思わせるような、圧倒的な美貌と気品。自信に満ちた、堂々たる王者の風格。ただの侍女とは、到底考えにくい。
(あの女が炎刃隊のはしくれだと? あの女こそ、我が帝国軍を震撼させている者の一人、”業火の鬼姫”に違いない)
昇昊は確信していた。
あの女が欲しい。厚い化粧の奥に本音を隠して口元だけで微笑む後宮の女たちとはまるで違う、あの女が。
どうすれば、あの女を俺のものにできるのだろうか。普通に婚姻を申し込んだところで、十中八九断られるだろう。あの女が、多くの女同様に、”帝国の皇后”という地位に飛びつくとは思えない。
宴も終わり、蓮音たちは部屋へと向かって歩いていた。その道を遮るように目の前に現れたのが大臣とその護衛の男二人だった。初老の大臣は痩せた、いかにも老獪な男だったが、護衛の男は二人とも屈強そうだ。蓮音は、自分に扮した少年をかばうように、自然と一歩前に出る。
「何かご用でしょうか?」
「いや、これは、驚かせてしまったようで失礼した。先ほどのそなたの勇姿を目にして、是非とも親交を結びたいと思いましてな」
「でしたら、国王宛に書簡でもお送りくださいませ」
「いや、国同士の話ではないのだよ。儂とそなた、個人的な親交を深めることができないだろうかと思ってな。どうだろうか、侍女殿、儂の護衛のどちらかと婚姻を結ばぬか?」
「はあ!?」
あまりにも唐突な申し出に、思わず地が出てしまう蓮音。言った後で、自分で口を押え、状況を整理する。
「……失礼いたしました。護衛とはそちらの方々でしょうか?」
「その通りだ。二人ともなかなかの美丈夫であろう? 腕も立つぞ」
蓮音は二人の男をじろじろと見た。確かに、二人ともなかなかの男前だ。
「そうですねぇ、見た目は合格ですね! わたし、胸板の厚くない男は門前払いをすると決めているので」
「ほほっ、それはよかった! では、どちらが好みかな?」
昇昊はこのような会話がなされるとは全く想像していなかったので、かなり混乱していた。あの何をどうしても簡単には落とせなさそうな鉄のような女が、男の胸板だけを見て、自らの夫として合格だと言い放ったのだ。
「では、わたしのことを口説いてみてください。それを見て判断しますので。どちらからでも、さあ、どうぞ」
これもまた、思いもよらない展開になった。自分を口説けだと!? 昇昊は、生まれてこの方、女性を口説いたことなどない。なぜならば、彼にとって女性は、勝手にあてがわれるものだったから。
唖然としていると、もう一人の護衛が顔を赤くしながら、必死に言葉を紡ぎ出した。
「う、美しいあなたの姿を見て、つ、妻にしたいと思いました。どうか俺と結婚をしてください!」
「はい、次は、あなた」
「お、俺は…………」
何といえばいいのだ。先の男と同じようなことを言えばいいのか、それとも本音を言うべきか。いや、本音を漏らすわけにはいかない。自分は今、護衛に過ぎないのだから。
「はい、時間切れ。最初の人は40点、こっちの人は0点。わたしは、見目麗しい男に、日夜、情熱的に口説かれ、溺愛されたいの。残念だけど、どっちも失格。では、失礼」
想定とは全く異なる状況に、ポカンとなっている男三人を他所に、蓮音たちは風のように爽やかに去って行った。
激情のままに気に入らない男を張り倒した鬼姫が、見目麗しい男に溺愛されたいだと……? 本音なのか、それとも自分たちをかわすための機知だったのか。
どちらだとしても、ますます面白い。
「なあ、昇雲、溺愛というのはどうするのだ……?」
「えっ、兄上、い、今なんと!?」
「いや、何でもない。少し、面白い女のことを思い出しただけだ」
(早くここに来い、蓮音姫。そして、ともに天下を握ろうではないか!)
昇昊は、一日千秋の思いで、鬼姫との再会の日を待つのであった。




