第7話 花を愛でる貴公子
蓮音たち一団は、神雲国との国境を目指して北上していた。
日も高く昇り、一日の中でも最も暑い時間帯となった。馬車の窓を開け放ち、風を中に招き入れてみても、自然と額に汗がにじんでくる。そんなうだるような暑さの中、街道沿いでは涼しげな桔梗の花が、そよぐ風に揺れていた。そんな花々が、肌に刺さる強烈な夏の日差しを幾分か和らげてくれているようであった。
時折すれ違う旅の商人や修行者たちと気さくに挨拶を交わしあう。皆が身軽な私服姿ということもあって、旅人たちはこの一行がかの有名な鬼姫の花嫁道中だとは全く気が付いていなかった。
本日の目的地は、彩華国でも屈指の武術修練所のある牙城山だ。特に、蒼迅、万梅、ガクはここで修行していたことがあるため、思い入れのある場所であった。
一方、長きに渡り追い求めていた愛しい人を、ようやく見つけることができた魔王・黒 煙虎こと剣護も、密かに蓮音たちの後を追っていた。
あの頃と変わっていない、慈愛に満ちた、気高いお姿のままだ。姫は、昇昊との結婚を望んでいるのだろうか。俺のことは覚えているだろうか。そもそも、覚えていたとして俺は魔王だ。その俺があの人の近くにいていいのだろうか。どうすれば彼女から受けた大恩に報いることができるのだろうか。
あの方に会いたい。会って、言葉を交わして、側近くでお仕えしたい。それが敵わないのであれば遠くからでも構わない、お力になりたい。それをなすためだけに今、自分は生きているのだから。
剣護の頭の中では、様々な思いがとめどなく巡っていた。心の中では、再び巡り合えた興奮と拒絶されるかもしれないという不安が渦巻いていた。
逸る心を何とか落ち着けつつも、それでも一行の背を追う剣護の歩みは、知らず知らずのうちに速度を上げていた。
牙城山が武術修練場となっているのには、いろいろと理由があった。
切り立った山々が連なっている地形の牙城山は、瘴気がたまりやすく、彩華国の中では魔物の発生率が高かった。裾野付近には低級の魔物が多くいて訓練用に適していたし、奥地には等級の高い魔物も生息していたため、修練場の師匠たちにとっても、腕試しをしたい冒険者たちにとっても、己の実力を磨けるいい狩場だった。
さらに、山には強力な結界が張られていて、周辺の安全は確保されていたため、麓には宿や飲食店、市場が武術修練場を中心とした門前町のように形成されていて、賑わいをみせていた。つまりここは、適度な修練と快適な滞在が両立できる貴重な狩場というわけである。
牙城山に到着した蒼迅たちは、さっそく修練場を訪れ、弟子たちに軽く指導をしたり演武を見せたりした。彩華国の英雄である炎刃隊による直接の指導が仰げるとあって、弟子たちは大興奮だった。
一方、蓮音は、部屋で一人、時折牙城山から聞こえてくる魔物の遠吠えに耳を傾けていた。「自分はここにいるぞ。ここまで来て、俺を狩ってみろ」と、まるで魔物たちに挑戦状を叩きつけられているかのようだった。身体がうずうずする。
こんなことならば、蒼迅たちとともに修練場に行けばよかったのかもしれない。ここの弟子たちは自分が蓮音姫であることを知らない。道中の安全も考慮し、表向きは別人を装うことにしていたのだが、大勢の前に姿を見せるのは少々気が重かった。正直なところ、蓮音は他人を演じるような真似が得意ではないのだ。
すると、「失礼いたします」と明鈴がお茶を持って入ってくる。茉莉花茶の甘い香りが部屋に漂う。明鈴が入れたお茶は、誰が入れたものよりも味、香りが際立っているのだ。
「姫様、夕餉まで時間がありますので、少しお休みください。わたくし、隣の部屋におりますので、何かございましたらお声かけくださいませ」
そう告げて明鈴は部屋を後にした。
夕食まではまだ一刻(2時間)近くある。獲物はそう遠くないところにいる。山の中を走り回り、ひと暴れして戻ってくる時間は十分あるのではないか。香り立つ茉莉花茶に癒されながらも、蓮音は思いっきり刀を振り回したい衝動をどうすることもできなくなった。
念のため「少し散歩に出ます。夕餉の時間までには戻りますので心配しないように」と書置きを残し、愛刀である太刀の朱炎と脇差の翠嵐を手にして、窓から飛び降りると、山道へ向かって一目散に駆けだした。
一方、剣護は旅の商人に扮して蓮音たちが修練場に入っていく様を見送ると、蓮音が滞在しているであろう建物をぼんやりと眺めながら辺りを散策していた。しばらくすると、彼女が窓から飛び降り、武器を両手に、山へ走っていく姿を目撃してしまった。彼もまた、追随するように山へ入っていった。
最初に遭遇した魔物は、まるで相手にはならなかった。が、鬱蒼とした森の中で一人刀を振り回しているだけで無心になれた。自分が生きる世界は、やはりこうでなければならない。身体を躍動させ、手にした刀を必要以上に大振りしてみる。今、この瞬間、わたしは自由なのだ。
蓮音は時間を忘れて森の中を走った。すると、少し離れた場所からそのあたりには生息しているはずのない大型魔獣の雄叫びが響く。蓮音は咆哮のするほうへ急いだ。見ると、大牙熊に追いかけられている男がいるではないか。
「左に跳んで!」
蓮音は、咄嗟に叫んだ。男は言葉の通り左に避けると、蓮音が繰り出した太刀・朱炎が大牙熊の首を一気に切り裂いた。魔獣は瞬時に絶命した。
一瞬のことだったが、受け身を取って振り返った男は、その様を惚れ惚れする目で眺めていた。
「よかったぁ。間に合ったっ。大丈夫? ケガしてない? もし、ケガして動けないなら、仲間を呼んで治療をするから」
振り返った蓮音は、あの時と同じように、息つく暇もない勢いで話しかけてきた。剣護はその様子があまりにも感慨深すぎて、ケガをしていたわけではないのだが、すぐに声を出すことも動くこともできずにいた。
「にしても、本当に危なかったんだからね。武器も持たずに一人で山奥に入っちゃダメでしょ!」
「……うん。ごめん」
剣護は瞳を潤ませながらも笑顔を作ると、柔らかな口調と声音でようやく最初の言葉を口にした。
「で、ケガはしていない? 大丈夫?」
「……うん、大丈夫。あなたが助けてくれたから。心から感謝するよ」
「そう、それはよかった! 立てる?」
そういって蓮音は手を差し出した。差し出された白くて小さな手を数秒間じっと見つめた後、剣護は繊細な花弁に触れるように、自分の手を伸ばして蓮音の手に重ねた。蓮音は重ねられた手を握り、剣護を立ち上がらせるように手を引きあげ、にっこりと笑った。
「怖かったでしょ? もう、一人で山に入っちゃダメだからね」
「うん、ごめん。わかったよ」
命の危機にさらされて、先ほどまで声を失い、動けずにいたというのに、「ごめん」と繰り返す彼の声は穏やかで幸福感に満ちたものだった。
「しょうがないなあ。わたしが町まで連れて行ってあげるよ。また何がでてくるかわからないしね」
「うん、ありがとう」
「それにしても、どうして一人で山に入ったの? 魔石目当てだったら、町でその手の人を雇った方がいいよ。まぁ、とりあえずこれはあなたにあげるね」
魔石は魔力の濃い鉱山や洞窟で採掘できるほか、魔獣の心臓から採ることができる。その魔石の持ち主の力が強ければ強いほど大量の魔力が込められている。魔石は魔道具の製作や使用には必需品であるため、高値で取引されるのだ。蓮音は大牙熊を手際よく解体すると、出てきた魔石を剣護に差し出した。
「あっ、実はそういうわけじゃないんだ。その……このあたりに咲いている花が美しいと思って、見とれていたら道に迷ってしまったんだ」
確かに、山の中には真っ白な梔子の花が咲いていて、そこかしこに甘い香りを漂わせていた。梔子の花言葉は、「私は幸せ者です」だ。男性が女性を宴の席に誘う際に贈る花でもある。この花が、花言葉通りの幸福をもたらしてくれたのか、今の剣護は、ただただ幸せだった。
彼にとって蓮音は美しい花そのものだったので、その台詞はあながち嘘ではない。もっとも迷ったのは”道”ではなく、恋の迷路になのだが。
剣護はあたりに咲いていた白い梔子の花に手を伸ばし手折ると、蓮音の耳元にそっと挿した。
「ほら、美しいだろう? あなたの紅い髪によく映える」
かつて、自分の周りにこんな風流なことを言ったりしたりする男がいただろうか? 蓮音は驚きのあまり、思わず男をじっとみてしまった。そして、その麗しい姿に釘付けになってしまった。
流れるような眉に凛々しい切れ長の瞳、よく見るとまつ毛がすごく長い。すっと通った鼻筋をした美貌の持ち主は、光を灯したような眼差しで蓮音を見つめながら口角を少しあげて微笑んでいた。
眉目秀麗というのはこの人のためにある言葉なのではないか。長身で手足も長い彼は、その容貌も言動も、すべてが別格に美しかった。
目の前の男に目を奪われている自分に気が付き、蓮音はなんだか気恥ずかしくなって視線をそらした。そして、何かを誤魔化すようにつぶやく。
「もうすぐ食事だから帰らないと。ついてきて」
背を向けて歩き出す蓮音に、剣護は「うん」とだけ答えた。蓮音の燃え立つような紅い髪に見入りながら、その後に続いた。




