第7話 美しい男の正体は……?
走って行って走って帰るつもりだったのに、思いがけず歩いて帰ることになってしまったため、夕餉の時間はとうにすぎてしまっていた。
蓮音の部屋を訪れた明鈴は書置きを見て驚き、慌てて蒼迅たちに姫様が消えてしまったと伝えにいった。散歩とはあるが、絶対に狩りに行ったに違いないと思った蒼迅は放っておいても問題ないとわかりつつも、気配を探るのが得意な香隠と鼻が利くガクを伴い山へ入った。
ほどなくして蓮音の姿を見つけたが、三人はぎょっとした。というのも、蓮音の横に得体のしれない美しい男がいて、二人は何やら楽しそうに話していたからだ。
「それにしてもあなたは本当に強いんだな。あれほどの魔獣を一撃で倒してしまうなんて」
「大牙熊はもう何度も倒しているから。弱点とかよくわかっていて、それだけだよ」
謙遜してみたものの、「強い」と褒められるのは素直に嬉しい。
「とても、美しかった。動きに無駄も隙も全然なかったじゃないか。鋭いのに優雅で洗練されていて……そうだな、天女の舞でも見ているようだった」
男は夢見心地な表情で、恥ずかしげもなくそう語った。実際、彼にとってはそれはお世辞でもなんでもなく正真正銘の本心だった。彼の口調や表情を見ると心底感心しているように見えたが、歯の浮くような台詞を言われたこちらのほうが照れてしまう。
(これ、言っているのが海遠だったら、「あー、はい、はい、いつものやつね」で終わるのに……!! 見栄えがいいのは何て罪なの!?)
「あなたってば、人をおだてるのが上手なのね。わたしを褒めたって何にも出てこないよ」
「ただ、思ったことを言っただけだよ。本当のことだろ? 娘々」
しかも、いきなりの娘々呼び!? 娘々とは、女神や皇后などの貴婦人の尊称である。蓮音が彩華国の姫であると気づかれているのか?
「おい! てめえ、何者だ!」
最後の二人の会話を耳にしてしまい、肩を怒らせながら蒼迅が割って入ってきた。
「あっ、蒼迅、香隠、ガクも。心配しないでって書いたけど、心配しちゃったかんじ? ごめん、ごめん。まぁ、でもいろいろと緊急事態だったというか」
蓮音が大して悪びれもせずに遅くなった言い訳をしかけたところで、蒼迅は手にしていた槍を男の喉元に向けた。怒りを抑えられない様子の男に槍を突き付けられ、両脇にいた二人からは凄まじいまでの殺気で睨まれていたが、剣護は平然としていた。蓮音は慌てて蒼迅を制止する。
「ちょっと、蒼迅、やめなさい! この人が魔物に襲われていたから助けただけ。困っている人を助けるのはわたしたちの使命でしょ? この人は……」
怪しい人ではないと男を紹介しようとして、そういえばまだこの人のこと、容姿端麗なこと以外何も知らない、名前すら聞いていないということに気が付いた。
「……えっと、誰、かな?」
蓮音が苦笑いしながらきいた。剣護はくすっと笑うと、
「僕? 僕はあちこち旅をしながら、珍しいものを集めて回っているんだ。まあ、商人といったところかな。姓は李、名は益。娘々、どうかお見知りおきを」
と答えて冗談っぽく拝礼した。
彼の服装をみると、白地に金糸で刺繍がなされた袖の長い優雅な曲裾袍をまとい、ただの商人というよりは貴公子のようだ。お姫様の蓮音でさえも保護色に近い浅葱色の衣を着ているというのに、薄暗い森の中で白とは……非常に目立つ。このような格好で山に入るのは「どうぞ狙ってください」と主張しているようなもので、素人もいいところである。
「貴様、何を企んでいる? 行商人なんぞがなんで魔物の出る山に一人でいるんだ?」
「こいつ、キケン」
いろいろと鋭い香隠や無口なガクまで李益と名乗る自称商人を問い詰めた。これだけの強者に責め立てられながらも剣護は恐れるそぶりを見せることもなく、落ち着き払っていた。
「娘々、あなたの僕たちはずいぶんと賑やかなんだな」
それどころか、剣護はわざとあおるようなことを言った。
「しっ、しもっ、僕だと!! てめえ、マジで死にてえのか!?」
蒼迅はさらに激高した。
「えっと、僕ではなくて、仲間ね。三人とも武術の達人で、わたしの護衛をしてくれているの」
「へー、そうなんだ。でも、あなたのほうがよほど強そうだけど。それにすぐにカッとなって周りが見えなくなるような奴に護衛が務まるのかな。こいつらが殺気を垂れ流して大声で騒いでいるから、ほら、周りを魔物に囲まれてしまったみたいだけど」
気が付いたら剣護の言うとおり、周囲から多数の魔物の気配がする。
「くそっ、この程度のやつら、俺らにとっては大したことねーんだよ。ひ、……お嬢、俺らが道を空けるんで、香隠と先に戻って、飯でも食っていてください。いくぞ、ガク」
「わかった、ガク、たたかう」
「ああ、承知した。参りましょう、姉様。……お前も死にたくなければとっととついてこい!」
蓮音は「わたしも戦う!」と言いかけたが、商人の李益もいることだし、今日のところは大人しく山を下りることにした。
不思議なことにその後蓮音たち三人は魔物に遭遇することなく、山道の入り口まで戻ってきた。安全なところまで来たところで剣護は蓮音に聞いた。
「娘々、そういえば、まだあなたの名前を聞いてなかった」
「あっ、えっと、わたしは、朱 美環。で、こっちが香隠」
「ああ、そうか。南方軍の将軍、朱家のお嬢様だったのか。道理で強いわけだね」
「えっ、うん、まぁ、そんなところかな。……あははははっ」
何かを誤魔化すように笑う蓮音を見て、剣護もにっこりとほほ笑んだ。
彩華国は東西南北、それぞれを青龍、朱雀、白虎、玄武の四神になぞらえた四家が守っている。代々南方の朱家は炎属性の精霊の加護を受けたものが多く、朱家の二女である美環も蓮音に似た赤髪をしていた。
高飛車という言葉は彼女の為にあるのではないかというぐらい、美環は気位の高いお嬢様だったが、蓮音とは同い年だったこともあり、二人は非常に仲が良かった。
美環自身も炎魔法の使い手であったが国中に顔が知れ渡っているわけではない。蓮音たちは、「朱家の二女が北方の守り手である玄家の助っ人に赴く」という設定で今回の旅をしているのだ。
というのも、蓮音が帝国に嫁ぐことを快く思っていない者も少なくないからだ。
例えば、西方の強国開国の魔王・黒煙虎に目を付けられでもしたら非常に厄介だ。また、娘に大昇帝国での妃の地位を固めさせ、将来外戚として実権を握ろうと考えている者にとっても蓮音は邪魔な存在だろう。
王都を出てからの蓮音の行動を敵に悟られないように別人を装うことは、無駄な争いを避けるための策であった。
念のため、美環本人に確認を取った際にも、
「もちろん、よろしくってよ! 美しく気高いわたくしと朱家の名を彩華国と神雲国中に広げてきなさいな! おーっほほほほほっ」
と、快諾してくれた。
剣護に「娘々」と呼ばれたときは、蓮音だとバレたのかと思ったが、そういうわけではなかったらしい。では、なぜ彼は蓮音を娘々と呼んでくるのだろうか? 疑問に思わないわけではなかったが、追究しすぎると墓穴を掘る恐れもある。
(悪い人じゃなさそうだし。ま、いっか)と軽く流す蓮音であった。
一方、香隠は、彼女の殺気にまるで怯まなかったこの男に対し妙な違和感を抱いていた。彼女の本能が、「姫姉様をお守りするために、この男から絶対に目を離してはいけない」と厳しく警告していた。




