第72話 将進酒
門沙の城で、昇昊一行は歓待を受けていた。
上級官吏や豪商が次々と挨拶に訪れる。
交易都市なだけあって、ここは物資も豊かで、食事に使われる食材の数も豊富だった。
広幹で仲間に加わった豊苗から聞いた話だと、帝国は東に行くほど食材が豊富とのことだった。
だが、北黄帝国が滅んだ際に、地方では旧帝国の貴族文化と共に調理方法や調味料の数々も失われてしまったらしい。
その結果、蓮音たちが口に合わないと思う料理が多いのだそうだ。
それは、ここでの食事も変わらなかった。
特に今、蓮音が口にした料理はものすごく辛い。
「お、お水を」
蓮音は口元を軽く袖で覆いながら、水を要求した。給仕の女官は一盃の飲み物を差し出した。
蓮音は渡された盃をグーっと一気に飲み干した。
飲み干して、一瞬で顔を真っ赤にすると、そのままバタンと倒れこんだ。
「姫様!」
驚いた香隠と万梅が蓮音を抱き起そうとする。
毒でも盛られたのではないかと、明鈴が蓮音が落とした盃を確認すると酒の匂いがした。
給仕の女官は「水」と言われたが、勝手に「飲み物」と頭の中で変換し、親切心で酒を渡したのだ。
「これ、お酒ですわ……。大変です!」
「ええ! なんてことを! 早く処置しないと! 水をください! 水を! このままでは大変なことになります!」
そう言われて女官はあたふたしていたが、今度こそきちんと水を渡す。万梅はそれを無理やり蓮音に飲ませようとするが、蓮音は半分寝ているためうまく飲み込めずにこぼして服が濡れてしまう。
「早くもっと、水を!」
昇昊は、大げさなまでにあたふたする蓮音お付きの侍女たちの様子他人事のように眺めていた。
「どうしたというのだ?」
落ち着き払った口調で念のため尋ねる。
酒を飲んだ途端に倒れたのを見ると、蓮音は酒が苦手なのかもしれないと考察する。
(それにしても、たった一杯で倒れるほど酒に弱いとは……鬼姫にしては、意外な弱点ではないか。これを利用しない手はない)
昇昊の頭の中には、よからぬ考えすら浮かんでくる。
「姫様がお酒を飲んでしまわれました……。姫様はお酒に弱くて、酔うと本当に大変なことになるのです!」
明鈴が涙目になりながら、独り言のように漏らした。
そんなに深刻な事態なのか、誰か毒の浄化ができるものを手配したほうが良いだろうかと考えていると、すでに晴詩が毒浄化の呪文を唱えだす。
「それよりも、誰かあの男を呼んできてくれ! こうなったらあの男にしか対処できない!」
香隠が叫ぶ。あの男、すなわち、捕虜として投獄されている剣護のことだ。
「なぜ、あの男でないと対処できないのだ? この程度の酒、毒のうちには入らぬ。そのうち目が覚めるであろう」
(何とかしてあの色男を呼ぼうとする手かもしれん。この程度のことで、いちいち捕虜を呼んでいられるか)
昇昊は、香隠の叫び声を無視することにした。そして、何事もなかったかのように、悠然と酒を一杯飲み干した。
しかし、昇昊は、自らの判断をすぐに後悔する羽目になる。
ほどなくして、明鈴たちが恐れていた「大変なこと」が起こってしまった。
寝ていたと思われる蓮音がむくっと体を起こし、ぱちっと目を開けたのだ。
「ああ、もうおしまいですわ」
明鈴は絶望の表情を浮かべると、力を無くしその場に座り込んだ。
(何がおしまいなのだろうか、意外と大丈夫そうではないか……)
昇昊は隣の蓮音の様子を窺った。
「これ、ぬれててきもちわるいよー、やだー」
蓮音は子どものような声を上げると、そのまま服を脱ごうとしているではないか。
「姫様、もうしばらく我慢してください! ここではいけません!」
近くにいた万梅が何とかその手を止めようとするが、すでに胸のあたりがはだけ、白い首筋があらわになる。
「おおー!」
その場にいた男たちは思わず歓声を上げる。が、よくみると蓮音の首筋から胸元には無数のキスマークがつけられていた。
昇昊はそれをはっきりと目にしてしまった。
「お前!」
思わず蓮音の腕を掴む。
(やはりあの男と深い関係になっていたのか! あの色男め、許せん!)
言いようのない憤りが込み上げてくる。
怒りに顔を歪めていると、蓮音に両頬を掴まれた。澄んだ翡翠色の美しい双眸が、こちらをじっと見つめてくる。
「だれ、このおじさん?」
(お、おじ、おじさん!? この俺がおじさんだと!?)
昇昊はまだ二十代半ば過ぎの若者であり、おじさんといわれるような年齢ではない。
「ひ、姫君のご結婚相手ですよ」
蓮音が発した言葉が衝撃的過ぎて、事態を把握できずに昇昊が愕然としていると、出来る弟の昇雲が代わりに返答する。
「えー、やだ、こんなひげの人。蓮蓮はもっとかっこいい人とけっこんしたい! やだーー!!」
蓮音は駄々っ子のようにジタバタしだす。
昇昊はひどく傷ついていた。
これでも世間では三大美丈夫などと言われているのに。おじさんだとか、もっとかっこいい人がいいだとか言われるなんて。こんなの初めてのことで、屈辱的だった。顎髭だって男らしいと思っていたのに……。何も言葉が出てこない。
「ひ、姫君、落ち着いてください」
もう一度昇雲が声をかけると、蓮音は、今度は昇雲の元にやってきて、何かを確かめるように顔や体をぺたぺた触りだす。
「あ、あ、あの……」
胸元をはだけさせた美女にベタベタ触られて、昇雲は顔を真っ赤にした。
とにかく蓮音の肌を見ないように、昇雲は目を閉じて、顔を反らした。
「うーん、この人は『かお』はまあまあだけど、『からだ』がぜんぜんだめ! 母上が、おとこは『かお』と『からだ』だって言ってたもん!」
(……姫の母上は、娘に対してなんという教育をしているのだろうか……)
それ以上に「からだがぜんぜんだめ」と言われて昇雲もさすがに傷つく。
蓮音は宴会場を見回し、次なる餌食を探す。
「あっ!」
目が合ってしまった昇霧はすぐに目をそらして「こっちに来るなあああ!」と強く念じた。
その願いもむなしく蓮音は昇霧のもとに飛び跳ねながらやってきて、頬を両手でつかむと、一番強烈な一言を放った。
「あっ! みてみて! こういうのをまぬけづらっていうんだよ! 母上が言ってたあ! ほらほら、まぬけづらだよ!」
昇昊も昇雲も傷ついてはいたが、まぬけづらよりはマシだと思うことにした。
宴会場には蓮音が「わーい、まぬけづら」と連呼する声が響き渡る。
「ちょ、ちょっと厠へ……」
このような席に大人しく座っていられるわけがない。いつあの酔っ払い鬼姫の餌食になるかわからないのだ。一人の男が席をはずそうと立ち上がる。
蓮音がそれを見逃すわけがない。蓮音は飛び上がると、くるくると宙返りしてその男の元にひらりと飛び降りた。
「な、なんの用で……ぶはーッッ!」
いきなり強烈な蹴りを食らわせると、そのまま床にねじ伏せる。
「ぐはああああッッ! た、たすけ……」
「ごはんたべているときに立つのはおぎょうぎがわるい! わるい子はおしおきだよ!」
これで誰もその場を離れられなくなってしまった。
その後も蓮音は宴会場にいる者たちを物色してまわった。
女官長を指しては、「おにババだ! おにババはわるいやつだからたいじしないと!」と言う。
「か、勘弁してくださいませ……わ、私は人間でございます……」
髭の長い男性のところに行き、「おじいさんのひげ、ほうきみたいだね。おそうじしよう!」と言って引っ張ろうとする。
「いでででっっ、は、離してくださらぬか、姫様!」
太っている男性を指して、「このおじさん、すごくよくもえそうだね!」など恐ろしいことを笑顔で言い出す。
「ま、ま、待ってくれ! 燃やさないでくれーーー!」
この状況、たまったものではない。
「…………おい、あの捕虜の男が来ればこの女、本当にどうにかなるんだろうな?」
「ああ、あの男が来れば、姫様も落ち着かれる」
ついに、昇昊は音を上げて、護衛の兵士に剣護を連れてくるようにと伝えた。
しばらくして後、両脇を兵士に抱えられた剣護が連れてこられた。
蓮音は剣護の姿を一目見るなり走っていく。剣護は跪いて蓮音を迎えた。
「わあ、みて、すごくかっこいい! 蓮蓮、うっとりしちゃう……」
蓮音は小さな子どもが綺麗な菓子をみたときのように目を輝かせていた。
蓮音は両手を伸ばして、剣護の頬をぺたぺた触った後、膝をついて体もぺたぺた触り、触り心地を確認するとぎゅっと抱き着く。
「からだもすき。かっこいい」
剣護は立ち上がり、蓮音を片手で抱き上げると、もう片方の手で蓮音の手を掴み、自分の胸元に入れた。
「姫君のために鍛えた体です。存分に味わってください」
蓮音は剣護の胸筋を夢中でもみもみした。
「わー、りそーのきんにく! すごいすごい!」
「お気に召していただき幸いです、姫」
「蓮蓮はこのすごくかっこいい人がいい。この人とけっこんする!」
「いいですね! 姫、僕と結婚しましょう!」
「するする! わーい、やったー!」
「おっ、姫君、お召し物が濡れていますよ」
「うん、これきもちわるいからやなの。ぬぎたいの」
「すべて僕にお任せを、脱がせるのは得意ですので。では、姫君お部屋に参りましょうか」
そんな会話をしながら剣護は蓮音をさりげなくその場から連れ出した。明鈴たちもその後に続く。
嵐が去ってほっとしたのもつかの間、あの男、最後になんて言っていたかと思い返し、昇昊は女官たちに姫の部屋に行って捕虜の男を見張るように命じた。女官たちはしぶしぶ応じた。
美貌が自慢の彼女たちも蓮音に「おばさん、おはだカサカサだよ~。かっこいい人とけっこんできないよ~。はげたおじさんのめかけにされちゃうよ~」と言われて相当傷ついていたのだ。
酒宴の前に蓮音は自分がお酒が飲めないと言っていたが、まさかこんなことになるとは……。この先、宴席があっても絶対に蓮音には酒を飲ませてはいけないと昇昊たちは固く決意するのであった。




