第71話 信賞必罰
しばらくすると今度は豊実が妹の豊苗を連れて蓮音の元を訪れた。
「姫様、昨夜は大変失礼いたしました。一族が何百年にも渡って守ってきたこの地を再生していただきましたこと、一族の長として、この地に長年住まう民の代表として、心よりお礼申し上げます」
妹の豊苗もともに頭を下げた。
「頭をあげて、田別駕と妹君。こちらこそ、少し強引なことをして申し訳なかった。だけど、お役に立てたのであれば何より。帝国は、正直言って嫌いだけれども、ここに住む人々は憎しみの対象ではないのだから」
「姫様、無礼を承知でお願い申し上げます。私は大昇帝国の文化や習慣にもそれなりに通じております。姫様はこれから後宮に入られると伺っております。おそばに置いていただければ、きっとお役に立ってみせましょう。どうか、この大恩を返す機会をくださいませ」
妹の豊苗が頭を下げる。
「わたしの側にいると苦労が絶えないかもしれないけれども、それでもいいの?」
「はい、覚悟の上です。どうかよろしくお願い申し上げます」
豊実は魔王のことを知ったうえで妹をよこしてきたのだ。そうであれば警戒する必要もないと思い、蓮音たちは快く豊苗を受け入れることにした。
「ところで、董一族は捕えられたのでしょ? この後どうするの?」
「徴税を誤魔化し、私腹を肥やすのは重罪です。斬首になることが決まっております」
「えっ、斬首!?」
「広幹州の民の恨みも大きいですし、妥当ではないかと」
董氏一族は斬首とすることになったと聞いて、蓮音は慌てて昇昊の元を訪ねた。そして、斬首ではなく、懲役刑を課すべきだと提案した。
「そなたのような鬼姫が、このような悪党に憐憫の情を示すとは、意外だな」
「何を言っているのですか? この手の輩にとって死は安らぎですよ。強制労働をさせるほうがよっぽど罰になると思いますがね。それに、この国は人手不足なのに、殺してどうするんですか?」
彩華国には禁固刑や死刑、身体刑がない。基本的に犯罪者に科される刑は、財産刑か懲役刑なのだ。
犯罪者には腕輪がはめられる。この腕輪には魔術がかけられていて、悪しき行いをすると身に着けている者に痛みを与える。逆に善い行いを続ければ、つまり刑を終えれば外すことが可能なようになっているのだ。西遊記に登場する緊箍児のようなものである。
これを董氏一族にはめようと蓮音は提案したのだ。
「そのようなものに効果があるとは思えん」
「まあまあ、兄上。仮にそうだとしたら、また捕えて刑を科せばいいではないですか」
一方、興味深い呪法を見てみたいというのもあったが昇雲は乗り気だった。
こうして、董氏一族は、広幹平野の開拓や下水路や厠の掃除、家畜の世話などを行うこととなった。数刻前までは皇室の親戚になることを目論んでいたのに、この転落ぶり、まさに栄枯盛衰である。
緊箍児のような腕輪を付けられた董氏の長が蓮音たちの前に連れてこられた。蓮音の顔を見るなり、董氏はわめきだした。
「この鬼女が! この儂を罠にはめるとは許さんぞ!」
「罠? 自らまいた種でしょう? 見るものが見れば、お前の罪は一目瞭然なのだから」
「なんだと!」
「それに恨むならば、そこにいる皇帝を恨むのだな。皇帝がわたしの男を牢になど入れたから、彼が見てしまったのだから。お前が捕らえた人々の嘆きを。わたしたちはそれを田別駕に伝えただけ」
董氏は悔しさのあまり蓮音に飛び掛かろうとした。だが、彼女に触れるか触れないかのところで、体中に電撃が走る。
「うぎゃああああああ」
痛みに悶絶して転げまわる董氏。彼の妻子は痛みにのたうち回る父の姿を見て、青筋を浮かべていた。
「なるほど、こうなるわけですね……これは面白い」
昇雲がつぶやく。魔術オタクな彼の姿がエリックと少し重なる。蓮音は思わずくすっと笑ってしまった。
広幹の住人たちは蓮音のこの決定を拍手喝采で喜んだ。意外にも「殺せ」という声は少なかった。自分たちも味わった苦しみを、彼らにも味合わせてやるのだ。
「皇帝陛下万歳、蓮音姫万歳」の声に送り出されて、蓮音たちは広幹の城を後にした。
◇ ◇ ◇
「わたしの力いかがですか? 後宮妃なんかにしたら惜しいと思いませんか?」
馬車の中で蓮音は昇昊たちにもう一度交渉を持ちかけてみた。
昇雲は、確かに惜しいと感じていた。
行政官としても軍人としても優秀なのに、後宮で子どもを産むだけの存在にしてしまうのは、あまりにも残念でならない。
とは言え、敬愛する兄を差し置いて、蓮音の身の上をどうこうできるわけではない。
それに、保守的な大昇帝国には、女性の官吏や軍人はいないのだ。
「女の身でありながら、余計なことに口出しをするとは気に入らん」
昇昊は、一言だけ発した。蓮音はムッとした表情をすると、心底この人とは分かり合えそうにもないと大きくため息をつく。
「気に入らないならば、早く解放してください。気に入らない女と無理して一緒にいることないでしょ」
「……そういう態度が気に入らんのだ。だが俺はそなたと違い、婚姻に愛など求めていない」
「あー、はいはい、言われなくてもあなたが愛の欠片もない男だってことぐらい十分わかりますよ」
蓮音は呆れ顔で手をヒラヒラさせた。
目の前で兄とその嫁候補の姫が再び口論を始めたため、昇雲と昇霧は、またしても肩身の狭い、いたたまれない気分になっていた。
「王族や貴族にとって、婚姻も子をなすこともすべては義務にすぎん。夢をみるな」
「あなたは夢を見なさすぎでは? 大勢いるお妃方の中の一人でも愛しいと思ったことはないのですか?」
「ない。すべては義務だ。お前もあの男に好きだの何だの言われたのかもしれんが、そんなのは女を抱くために男が利用する嘘にすぎん。愛など、単なる幻想だ」
「ひえー、愛の喜びを知らなすぎる陛下が心底おかわいそうになってきました。わたしの良心が痛むので、この話題はやめますね」
蓮音は体ごとそっぽを向いて、代わり映えのしない窓の外の景色を眺めることにした。次、この道を通ることがあるのであれば、その時はもう少し豊かな場所になっていてほしい。そんな願いを込めながら。
昇昊は、腕を組んだまま、表情を変えずに前をじっと見ていた。
実際、昇昊には多くの妃賓がいたが、彼女たちとの関係の中で愛を感じたことは一度もない。
房事は、子をなすための義務か、せいぜい自身の性欲解消程度の行為でしかなかった。
お互いの欲をぶつけ合うだけの行為を、”愛”の名のもとに美化することが気に入らないとさえ思っていた。
実際、後宮にいる女の多くは、軽々しく「お慕いしております」などと口にする。
その言葉を口にする妃嬪は、獲物を狙う肉食動物のごとき妙にぎらついた目で自分を見てくるのだ。彼女たちが愛しているのは、昇昊ではない。皇帝陛下という地位の男に過ぎない。
そこに愛などあろうものか。昇昊は自嘲気味に口元をほんの少しゆがめた。
昇昊はチラッと横を見た。目に飛び込んできたのは、曼殊沙華の花のように紅い蓮音の髪だ。
目にしたら触れたいという欲望が沸き上がってくる。
髪に、そして玉のような肌に。男に肌をなぞられ、あの翡翠色の瞳を潤ませる姿が見たい。無意識のうちに、昇昊は喉を鳴らしていた。
(……やはり、単なる欲ではないか。このような淀んだ感情が愛なわけがない)
昇昊もまた、蓮音の姿を目に入れないように窓の外を眺めた。
この女もあの色男に愛を囁かれ、王族でありながらもその責務を忘れ、安易に身をゆだねるなど、ただの愚か者でしかない。
そして、愚かだと思う女を是が非でも我が物にしたいと思う、そんな矛盾を自身が抱えていることも、無性に腹立たしかった。
気まずい空気が流れる中、馬車は大河のほとりにある交易都市、門沙に着いた。
明日はここから船に乗り、二日ほど川下りをしながら帝都を目指すことになる。
水が苦手な蓮音にとっては試練のときだった。




