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敵国皇帝の后になりたくない紅き鬼姫は、漆黒の魔王に溺愛される――花姫恋奇譚  作者: いか墨ドルチェ
第二章 鬼の後宮妃

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第69話 三十年分の働き

 鬼とはいっても、これまで見てきた蓮音(リェンイン)は仁義に熱い人物である。人質を本当に殺したりはしないだろうが、かといってこちらの説得に応じる様子もまるでない。


「残念ながら、わたしはこうと決めてやらなかったことはないのです。あの人を返してくれないのであれば、こちらから探しに行くまでです」


 蓮音は曇りのない瞳で昇昊(シォンハオ)を見つめていた。昇昊はため息しかでなかった。


「そなたという女は……広幹の古戦場に行って勝算はあるのか?」


「当然です。わたしが三十年分の『時間』と同じ働きをしてみせましょう。ただ、それにはあの人がいることが絶対条件です。あの人が、わたしの力を何倍にもしてくれるのだから」


「……あの、姫様、こうしたらいかがでしょうか。わたくしたちが人質としてここに残りますわ。それでしたら、お互いに条件は平等なはずです。いかがでしょうか、皇帝陛下」


 明鈴(ミンリン)は真剣な表情で、昇昊に訴えかけた。横にいた、万梅(ワンメイ)、晴詩(チンシー)も「自分たちも残ります」と意志を示した。


「悪いが、わたしは姫姉様に付き添わせてもらう。こいつを捕えておく必要があるからな」 


「明鈴、万梅、晴詩、ありがとう!」


(仲間をここに残してでも、広幹平野の古戦場に行きたがるとは……。それに三十年分の時と同様の働きだと? あれだけの瘴気をたった一人で、一夜にしてどうこうするつもりなのか?)


 鬼が何をなそうとしているのか。そして、実際にどれほどの実力があるのか。興味をそそられるのも事実だ。


「……わかった。捕虜の男を直ちにここに連れてこい」


 大きなため息と共に、ついに昇昊は折れたのだった。


 完全に根負けした。昇昊(シォンハオ)は自身の敗北を認めるしかなかった。


 蓮音(リェンイン)は古戦場に足を運ぶと言っていたが、そこまでいかずとも大型の魔獣に遭遇するはず。それを何匹か倒したら、「どうです? 特級の魔獣を三頭も仕留めました」などと得意気な顔をして帰ってくるかもしれない。


 昇昊は、もうそう思うことにした。


 蓮音の要求通りに剣護(ジェンフー)が連れてこられた。剣護は今まで牢獄にいたとは思えない余裕の笑みを浮かべていた。


 昇昊たちを誘惑する使命を負った董(ドン)氏の二人の娘たちも、剣護(ジェンフー)の姿を見て、思わず色めき立った。


「このような細腕の優男が一人増えたところでどうにもなるまい」


 昇昊は、せめてもの腹いせで嫌味を言う。


(そういえば、この姫は胸板の厚い武骨な男が好きなのではなかったのか?)


 確かに人間の姿の剣護はスラっと背が高く、その美しさと相まって随分と着やせして見えるが、実際には引き締まった筋肉質の素晴らしい身体をしている。


「脱いだら凄いんです!」


 思わず蓮音は結構な爆弾発言をした。


「僕のこの身体を気に入ってくれていて嬉しいよ、娘々」


 剣護は目を細め、艶めかしい表情を浮かべると、冗談めかして言う。


 蓮音は、言ってしまった後で、自分が何を口走ったのか理解した。


「あっ、ちがっ、違うの! そ、そうだけど、そういう意味じゃなくてっっ」


 蓮音は今までの気迫あふれる鬼姫とはうって変わって、ただの女子(おなご)のように赤面して慌てた。


 一体目の前で何が起こっているのだろうかと、二人のやり取りを茫然と眺める昇昊たち……。


「やっぱり、あなたはかわいいな。じゃあ、遅くならないうちに行って帰ってこよう」


 まだ何も説明していないのに、すでに蓮音が何をしようとしているのか察知した剣護は、早めの出発を促す。


「必ず戻ってこい、鬼姫よ。明日の朝までだ、それ以上は待てんぞ」


 昇昊は強く念を押した。


 蓮音は何か確認するように剣護を見上げた。それに応え、うんと頷く剣護。


「必ず戻りますので、ゆっくり寝て待っていてください」


 蓮音、剣護、香隠(シァンイン)と人質の豊実(フォンシー)の四人で古戦場へと向かうことになった。


 馬を二頭借りて、二人ずつ乗った。


「誰が私を守るのです! 私はあなた方と違って武術も魔術もできないのですよ」


 豊実がガタガタ震えながら、騒ぎたてる。人質にされているだけでも難儀な上、魔獣ひしめく古戦場など恐ろしくて行きたくはない。


 蓮音は笑いながら答える。


「あなたのことは、後ろにいる香隠が守るから」


「いや、守ってくれませんよね!? むしろ殺す気満々ですよね!?」


 豊実は半泣きになりながら無理やり乗せられた馬の上で喚いていた。


「大丈夫! 彼女はわたしよりもずっと強いから、安心して」


「もっと怖いぃぃぃ!」


 黄倉(ファンツァン)を浄化した時よりも人数は少なかったが、蓮音には十分な勝算があった。


 まずは魔獣の出現率が南黄(ナンファン)よりもずっと少ないことと、時がかなり経過して自然に浄化も進んでいること。


 それに魔王の剣護が隣にいる。誰よりも頼りになる人で、誰よりも強い人だ。そう思うだけで、怖いものなどなかった。


 四人は無人の荒野をひたすら走り続けた。


「あっ、そうだ」

「うん、なに?」

「もう! 何じゃないでしょ!?」


 蓮音は後ろにいる剣護に身を預けながら、彼を見上げた。


「ああ、ごめん、ごめん」

「もう、本当にびっくりしたんだから」


 蓮音と剣護が二人にしか通じない会話をしている。昼間、村長の家で出会った少年の話をしているのだ。


「でも、約束しただろ? 毎日、あなたに口づけをしに行くって」

「だからって……」


(それに、まだ口づけはしてもらっていない……)


 蓮音の心の声が聞こえたのか、剣護は蓮音の腰に回した腕にわずかに力を込めた。


「口づけは、これが片付いたらにしよう」


(じゃあ、早く終わらせないと……)


 蓮音はその言葉を声には出さなかったが、剣護の手に自らの手を重ねた。


 広幹(グァンシー)の古戦場が近づくと、魔獣が出現しだす。


 剣護は一瞬で変装を解くと魔王の姿となった。辺りを覆い始めた夕闇よりも深い漆黒の髪を風になびかせる。


 彼が剣を振り上げると、ほとんどの魔物は一撃で塵と化した。


「ま、ま、ま、まお、まおっ」


「死にたくなければ何も見なかったことにしろ」


 豊実は言葉にならない声を発していたが、香隠に諭され、ガクガク頷くしかなかった。


(鬼姫に加えて、魔王だとー!? 何なんだー! この恐ろしすぎる連中はっっ!!)


 豊実は、ほとんど生きた心地がしなかった。


 だが、逆に考えれば、魔王であればあの広幹の古戦場にたむろしている魔物も恐れる必要はないのかもしれない。


 辺りの瘴気が一段と濃くなった。この辺りはすでに戦場だった場所に違いない。


 案の定、黄倉ほどは瘴気が濃くない。ただ、平野での戦いなだけあって範囲はこの前よりも広かった。


「この辺りが特に激戦地だったようだ……」


 剣護はその場所で馬を止めた。


 大地に下り立つと、無念の戦死を遂げた死者の悲鳴が聞こえるかのようだった。


 そして、それに呼応するかのように、闇の中から現れた死霊の戦士が大鎌をもたげ、切りかかってきた。


 その大鎌が振り下ろされるよりも早く、剣護の剣が閃いた。大鎌は、死霊の戦士の腕ごと吹き飛んだ。戦士は、それに気づくより前に真っ二つになっていた。


 一体の死霊の戦士の大きな体が、音を立てずに瓦解する。


「今だ、娘々」


 剣護の声に合わせて、蓮音はゆっくりと不死鳥を召喚するための詠唱を始めた。


「炎の化身たる不死鳥フェニックス、汝、死と再生をつかさどりし者にして……」


 暗闇に紅々と浮かぶ蓮音から、燃え盛る炎を纏った一羽の大鳥が飛び立つと辺り一面を覆い尽くした。


 それと同時に天上の調べを思わせる幻想的な歌声が響き渡る。


「音のない世界の訪れ 星々は眠りにつく

 闇は終わりにあらず 次の光を生む場所……」


 命の循環を願う歌だ。この地で命を落とした者たちの無念が慰められていった。


(何というものを見てしまったのだろうか……)


 豊実は、目の前に広がるこの世のものとは思えない光景に、自然と深く息を吐いた。


 気づけば辺りの瘴気は消え去り、空には数多の星が光っていた。


 消えるのに何十年もかかると思われていた瘴気が、一瞬にして、祓い清められてしまった。


「ねえ、そこのあなた。もし、ここに花を植えるとしたら、菜の花でいいかしら?」


「えっ、あ、はい……」


 蓮音は収納袋から種を取り出すと、今度は風を巻き起こして種を辺り一面にばらまいた。


 蓮音は安心したように剣護を見て微笑むと、その胸に寄りかかった。


「お疲れ様、俺の愛しい人。ゆっくりと休んで……」


 そして、魔力を送り込みながら、約束通り、二人は唇を重ね合った。


「私は何も見ていない。私は何も見ていない」


 豊実は呪文のように何度もそれを繰り返していた。


 蓮音は、人間の姿に戻った剣護の腕の中ですやすやと眠りながら広幹城へと戻るのだった。

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