第65話 それぞれの思惑
剣護には手枷が付けられ、腰縄が巻かれた。彼は全く抵抗することなく、大人しく手を差し出した。捕虜として蓮音について行くことを受け入れているようだった。
「早くこっちにこい!」
兵士が乱暴に剣護の腰縄を引っ張る。関にある牢まで連れて行くらしい。
「お前、先ほどわたしが言った言葉が聞こえてなかったのか?」
蓮音が凄まじい形相で睨みつけた。
「あっ、いえ……」
兵士は縄を引く手を緩めた。
「大切な捕虜だ。丁重に扱えうように」
昇雲も兵士に言って聞かせた。こんな些細なことで兄が招いた客ともめたくはない。
皇弟の命には、兵士も大人しく「御意」と返事をする。
昇雲は兄と異なり、随分と穏やかな性格のようだ。冷酷な兄と温和な弟でうまく均衡が取れているのかもしれない。
蓮音はふと、従兄の伯栄を思い出した。彼もまた、自分をなだめるのが妙に上手だった。
「姫君、そろそろお部屋にご案内します」
「わかりました」
昇昊たちがここに来た時のように、移動魔方陣を使って瞬時に帝都に移動するのかと思ったが、違うらしい。
使用には魔力と複雑な術式を必要とすることもあって、移動魔方陣はいわば国家の極秘事項である。帝都へは明日から数日かけて馬車で移動することになった。
蓮音たち女性陣は関の中にある、そこそこの部屋に通された。
「何分、辺境の砦ですので、ご不便をおかけするかもしれません。今宵はご勘弁ください」
昇雲は丁寧に挨拶をすると去っていった。
「はあーーっ」
部屋の周りに人の気配がなくなったところで、一同は一斉に大げさなほどに嘆息した。
「心臓が止まるかと思いましたわ」
明鈴は開口一番にそう漏らす。
「姫様、こうしようと打ち合わせをしていたのですか?」
だったら、事前に教えてほしかったと、万梅も恨み節交じりだった。
「ううん、特には。まぁ、あの人のことだから、黙って一護衛に徹するとは思ってはなかったけど。まさか喧嘩を売って捕虜になるなんて思わなかったなぁ」
この展開には、蓮音も苦笑いだった。
「それにしても、李公子は一体どういうお立場の方なのでしょうか?」
「えっと……」
明鈴の質問に答えようとしたら、外から声をかけられる。
「お茶をお持ちしました」
砦を守護している下っ端兵士のようだ。
「姫様のご安全のため、我々は外に待機しております。お困りのことがございましたら、何なりとお声かけ下さい」
お茶を置いて去っていくのかと思ったら、違うらしい。安全のためなどと言っているが、要は監視しているのだ。
これでは好き放題におしゃべりもできない。
「お茶、あんまりおいしくないわね。これでは、大昇帝国での食事には期待できないかもしれないわ……」
蓮音はあえて外に聞こえるような声で嫌味を言うのだった。
◇ ◇ ◇
一方、昇昊たちも部屋で休んでいた。
昇昊が腰を掛けた途端、矢継ぎ早に非難の声が上がる。
「陛下、発言をお許しください。陛下の婚儀は国の行く末にも関わります。あのような女、国母として不適切です。どうかお考え直しを」
まずは宦官の直が苦言を呈する。
「そうです、ありえません! 恋人を連れてくるなどと、前代未聞です! 陛下に対しても不遜すぎます! 女の片隅にも置けません!」
女官長の文仙も憤慨しながら息巻いた。
二人の勢いは止まらなかった。これでもかというぐらい、鬼姫の悪口を言い立てた。
「兄上、直たちのいう通りだ。確かに鬼姫は聞いていたよりもずっと美人で、僕も驚いた。男としてあのような美人を手に入れたいと思う気持ちもわかる。だけど、あの女にはもう男がいるんだ。見たところ、あの二人はすでにただならぬ仲だ。後宮の秩序を考えても現実的ではないよ」
腹違いの弟昇霧もまるで諭すように直言してきた。
彼は、最初こそ、あれほどの美女を妻にできる兄が実に羨ましいと感じていた。
しかし、二人のやり取りを目にして、すぐに考えを改めた。
蓮音は美しいが、それ以上に普通の男の手に負える女ではないと。ただ、あの姫が後宮に入ったら……嵐が巻き起こりそうな予感に、まるで他人事のように興奮を覚えた。
「兄上、その……皇后でないとダメなのだろうか? 確かに彼女には相当な実力があるのだろう。だからこそ、あのような態度が取れるのだろうから。本音を申せば、私は蓮音姫を後宮に入れるのが惜しいと思いました」
昇雲は、鬼姫は諸刃の剣であると感じていた。
彼女を手なずけるのは茨の道だが味方にできれば力強いだろう。だったら、皇后にするのではなく、彼女が提案したように、軍事同盟でもよいのではないかと。
昇昊も皆の意見も最もだとは思う。
ただ、彼女を知れば知るほど手に入れたくもなる。まるで、甘い禁断の果実のように欲しいと思う欲望を抑えがたいのだ。
あの男よりも俺の方が先に出会っていたら、どうだったのだろうか。
いや、俺のほうが先に出会っていたのだ。もっとも、蓮音はまるであの時の武官が昇昊とは知らないし、きっと覚えてさえもいないのだろうが。
自分に口説いてみろと言ってきた、あの時の鬼姫にはまだ男の影はなかった。恋人がいるならば、そう言って断ればよかったのだから。
「皆の意見はわかった。だが、こればかりは譲る気はない。あの女を皇后としてこそ、大昇帝国の治世は盤石となろう」
皇帝の意思は固い。そうなると、誰も何も言い返すことができなかった。
◇ ◇ ◇
蓮音たちは他愛のないおしゃべりを続けていた。外には監視役がいるので、やたらなことは話題にできない。
「蓮音姫様、少々よろしいでしょうか」
扉の向こうから、中年女性の声が響いてきた。蓮音はおしゃべりを止めると、明鈴に向かって軽く頷く。
「どうぞ、お入りくださいませ」
扉が開き、先ほど女官長だと言っていた女と、その女の後ろに控えていた三人の女がしずしずと部屋に入ってくる。
横柄そうな女官長たちの表情を見ると、ただ挨拶に来たわけではなさそうだった。
「蓮音姫様、まずはご挨拶をさせていただきます」
先頭で登場した最年長の女性は、自らが女官長であると名乗った後で三人の女官を紹介する。
「皇帝陛下と我が帝国の安寧にとって、一刻も早いお世継ぎのご誕生は最重要事項でございます。ですので、この者たちにこの旅の間も陛下のお相手を務めさせますこと、お含みおきくださいませ」
女官長は、「お前に皇帝昇昊の隣は渡さない」と伝えに来たのだ。このまま身を引かないのであれば、女として惨めな思いをするぞと。
「姫様の御前で、大変失礼なこととは存じますが、ご理解くださいませ」
「姫様の寛大なお心でお許しいただけますように願います」
「どうぞ、よろしくお願い申し上げます」
三人の女官たちも、言葉とは裏腹に蓮音に対して露骨な優越感を感じていた。これから時の権力者に愛される私。一方のあなたはどうかしら? と、含み笑いをしながら頭を下げた。
蓮音は困惑していた。
(……これって嫉妬すべきなの? 何がしたいのかしら、このおばさんとお嬢さん方は……)
「まあ、それはあまりにも酷いわ!」
蓮音は敢て挑発的な言葉を口にしてみた。
「えっ?」
「だって、そうでしょ? 皇帝陛下はわたしから恋人を取り上げておきながら、ご自分は毎晩そこの美女たちとの同衾をお楽しみになるということでしょ? わたしだって愛する人の胸が恋しいのに……。それをわざわざ伝えに来るなんて、わたしに対してかなり失礼だと思うのだけど?」
「で、ですので、こうしてお許しを得に……」
「これって話せば済む問題かしら? 女官長、あなたには心の底から愛する人がいないの?」
「…………」
「あっ、わたしとしたことが、ごめんなさいね。愛する人は皇帝陛下よね? なんせ後宮の女は皇帝以外の男に懸想することは許されていない、そういう不平等が標準な国だったわ、帝国は」
最初にしかけてきたのは向こうだ。言われっぱなしは性に合わない。売られた喧嘩は買う。そして買ったからには必ず勝ってみせる。
女官長は目の色を変え、顔を引きつらせていた。
先ほど見た、目の覚めるような美貌の男が、この姫に寄り添っている姿がまざまざと目に浮かぶ。あの男は、愛のために自らの命も省みずに、皇帝に食ってかかったのだ。
女官長も負けてはいない。これでも、今や後宮の総取締役なのだ。たかが小娘の言葉に動揺するなと自らを戒めた。
「そうでしたね、姫にはたかが護衛にすぎない男の愛のささやきに心を奪われ、女としての最高の栄誉をみすみす手放そうとなさっているのでしたね」
愚かな女だと、憐れみの目で蓮音を見下した。
「あなたとは一生分かり合えそうにないわね。女としての最高の栄誉が何か、あなたとわたしでは思い描いているものがまるで違うのだから。それでもわたしは、愛する人に日夜、情熱的に口説かれて、溺愛されたいと願ってしまうのだから……」
蓮音は幸せそうにそう語ると、満ち足りた顔で女官長を直視した。
女官長は眉をひくつかせると、「では、失礼いたします」と女官を引き連れて去っていった。
それぞれの思いを他所に、夜は更けていった。




