第64話 鬼姫の恋人
「姫たちが息災なようで安堵いたしました」
蓮音は、言葉の通り、優雅にため息をついた。
「ところで陛下、淑妃様はとてもお美しい方だと伺っています。その方を皇后となされればよろしいのでは? 先ほどもお伝えした通り、鬼の私が後宮でお役に立てることはあまりないと存じますが」
蓮音はゆっくりと上品に、表情を崩すことなく話していた。
「それを決めるのはそなたではない。俺だ」
一方の昇昊も腹の内を見せないつもりか、表情筋を全く動かすことなく話している。
「左様ですか、夫唱婦随が陛下の理想と言うわけですね。私の国とはずいぶん考えが異なりますわ。このような状態で夫婦としてうまくやっていけるかどうか……」
蓮音は露骨に「あら、困ったわ」という顔つきになる。
「陛下、このような姫、皇后には相応しくないと存じます! 後宮の主が務まるとは、到底思えませぬ」
たまらず女官長が口を挟む。この女が皇后となれば、後宮内での自分の立場はその一つ下となる。
笑顔の裏で暗闘を繰り広げる後宮の女たちも手に負い難いというのに、正面切って歯向かってくるような女はさらに厄介だ。
「あらっ、そちらの方。よくわかってらっしゃる!」
作り笑顔で蓮音が答えた。
誰に対しても全くひるまない蓮音をみて、昇雲は「この姫は、想像以上に難敵だ、兄上は大変な姫に目を付けてしまわれたな」と嘆息した。
「姫君、立ち話もなんです。長旅でお疲れでしょうから、お部屋にご案内しましょう。さあ、こちらにどうぞ」
このままでは埒が明かない。昇雲が次の行動を促した。
「おほほっ、今日一日馬車に座りっぱなしだったので、私としては立ち話で十分ですわ」
蓮音のああ言えばこう言う態度を見て、思わず剣護が「ぷっ」と吹き出した。
皆の視線が一斉に剣護に向けられる。
「もう! いいところで笑わないでよ。せっかく頑張って後宮のお妃っぽく振舞っていたのに!」
蓮音が剣護の胸元をツンツンとつつきながら、可愛らしく頬を膨らませて文句を言った。
「いや、ごめんごめん。なかなか様にはなっていたよ。でも、あなたはあなたらしく、思っていることを伝えればいいんじゃないかな。僕がついているから」
最後の一言は蓮音の耳元で囁くように伝えた。
この男、護衛にしてはあまりにも姫と親しげだと昇昊たちはいぶかしがる。
蓮音は少しはっとした顔をすると、すぐに微笑みながら剣護に向かって深く頷いた。
そして、昇昊に堂々と告げる。
「皇帝陛下、あなたとは結婚できません。好きな人がいるから」
「はっ?」
昇昊は何を言われたのか一瞬判断できなかった。
「大事なことなので一度しか言いません。好きな人がいるから、あなたとは結婚しないって言ってるんです」
それを聞いていた者すべてが度肝を抜かれた。
この期に及んで、好きな人がいるから皇帝と結婚しないだと? ここまで来ておいて?
「そなた、何を言っているのだ? 王族同士の結婚はいわば国家戦略と同様。当人同士の好き嫌いの問題ではない」
訳が分からない。昇昊は蓮音の言葉に眉をしかめた。
「でしたら、その側面からもあなたとは結婚できません。我が国には帝国と政略結婚する旨味がほとんどありません」
だが、蓮音はその一般論さえも受け付けない。
「帝国と同盟国が手を携えれば、無駄な血を流さずに済むではないか。それが旨味ではないと?」
「無駄な血を流したくないならば、不可侵条約を結び、帝国が同盟国から手を引いてください。それに、流れる血は減るかもしれませんが、帝国のやり方を考えると、我が国の国民たちは毎夜涙を流すことになります」
「話にならん」
「それはこちらの台詞です」
当然ながら、両者一歩も引かなかった。二人の間には見えない火花が飛び散っていた。
周りの者たちは、これ以上口を挟むことさえできなかった。
一呼吸置いた後で、昇昊は続けた。
「後宮に入るつもりがないならば、姫はお帰りになったらどうだ。同盟国の姫たちはこちらで手厚く処遇させてもらおう」
「そういうせこいやり口が嫌いなのだ! ただ、同盟国の姫たちを人質に取られたのは確かにこちらの手落ちでもある。帝国が汚いことを平気でする国だということを失念し、対策を講じきれなかったのだからっ!」
蓮音は顔をゆがめて目の前の男を激しく責め立てた。
「計略を巡らせるのは戦の基本。自らが正面突破しかできぬからといってそれを汚いと言われても、何も響かん」
「あー、はい、そうですかー! どーせわたしは猪突猛進なバカ姫ですよ! ただそんなのを皇后にしようと思っているあなたも大概だと思いますがね!」
先ほどまでのたおやかな姫とは別人のように、逆切れ気味に怒鳴り散らす蓮音をみて、剣護は大声を出して笑った。
「ははははっ。娘々、それでいいよ。それでこそあなただ」
そして、よしよしと言わんばかりに蓮音の頭をポンポンと撫でた。
本当にこいつらは何者だろうか。見ていた者は思った。皇帝の前でこのような態度をとるものは見たことがない。
それが一国の姫であり、その姫の護衛だと? いくら何でも非常識で怖いもの知らずすぎるだろう。
昇昊は黙って剣を抜き払うと、蓮音の横にいる剣護の喉元に向けた。
「貴様、姫の男か?」
「だとしたらなんだ?」
剣護はまるで恐れることなく言い返す。
「殺せ、その男を殺せ。それで終わりだ」
昇昊は兵士たちに命じた。昇昊の周りに控えていた兵士たちが一斉に剣を抜く。
「僕を殺して終わりだと? お前も存外な馬鹿だな」
剣を向けられているというのに、剣護は構わず挑発的な言葉を口にした。
「……なんだと?」
昇昊は眉根を寄せた。
「殺された僕は、姫の中で最愛の男として生き続けることになる。お前はどうだ? 愛する男を殺した仇敵、憎しみの対象だ。お前は僕を殺すことで、本当に欲しかったものを永遠に失う。この勝負は僕の勝ちってわけだ」
「貴様!!」
昇昊は完全に表情を崩すと、声を荒げた。
蓮音も剣護を庇うように抱き着きながら言う。
「この人に手出しをしたら承知しない。わたしの命に代えてもお前たちを許しはしない。彼だけではない。ここにいるわたしの大切な者たちを傷つけたら容赦はしない。この国を火の海に沈めてやる」
そう話す蓮音の髪は先ほどよりも一段と紅く輝いているように見える。兵士たちは、蓮音の気迫に心底震え上がった。
このままではまずいと思った皇弟の昇雲が仲裁に入る。
「皆、ひとまず落ち着きましょう。兄上も剣をお納めください。姫君、我々があなたと手を組みたいと思っているのは本心です。ここはいったん落ち着いて、我が国をご覧になられながら今一度兄との婚儀の件、お考えいただけないだろうか」
蓮音としてもこの提案は上々だと思った。もちろん、昇昊との結婚を検討するつもりはさらさらないが、人質を連れ出すきっかけはつくれそうだったからだ。
昇昊が剣を収めるのをみて、蓮音も剣護に回していた腕を緩めた。
「その男は捕虜にする。ほかの男たちは見逃してやる。直ちに国に帰れ。女たちは姫の世話をするのに必要だろうからついてくるがいい。帝都に向かう支度をせよ」
それだけ告げると、昇昊はとっとと砦の中へと消えていった。女官長たちもそれに続く。
昇雲だけは蓮音を部屋に案内すべく、数名の兵士と共に残っていた。
ここまではすべて想定通りの展開だった。
蓮音や明鈴たちは、侠を始めとする護衛の男たちに気を付けて帰るようにと、もう一度別れを告げた。
侠たちは、何度も振り返り、頭を下げながら去っていった。
そして蓮音たちは、彼らが国境を越えて山間の道に消えていくのをいつまでも見守った。




