第63話 鬼姫、来たる
「まさか、西の国境に現れるとは、読みが完全に外れたな……昇照にはすぐ本国に戻るように伝えろ」
昇昊の腹違いの弟である昇照は、旧南黄の地で、蓮音たち一行を探していたのだ。皇太后の罠を打ち破り、無事に帝国に迎えるために。
昇昊は渡された書状の中身を確認する。
「私の大切な友である姫君たちは、健やかに過ごされていますでしょうか。皇帝陛下にはすでにお妃が大勢いると伺っています。血で血を洗う戦場に生きてきました私が、あなた様の雅やかな後宮でどうお役にたてるというのでしょうか」
蓮音からの書簡には、そう記されていた。要するに「お前の妃になんぞなりたくない」と言っているのだ。
「鬼姫はなんと?」
弟の昇雲が尋ねてくる。昇昊は、それには答えず、黙って彼女の手紙を弟に手渡した。
「なるほど、彼女は皇后にはならぬと……」
鬼姫のことだ。人質を迎えに必ず来ると確信していたが、その一方で、すんなり皇后の席に収まる女ではないと思っていた。
「だが、ここにやって来ただけで、無条件で人質を返してもらおうなどと生温い考えなわけでもあるまい。さて、鬼姫は代わりに何を差し出すというのか……その手の内、とくと見せてもらおうではないか」
ようやくあの時、自分に零点をつけた大胆不敵な姫がこの国にやって来たのだ。自分と対峙するために。
この先に、彼女との間にどのような駆け引きが待っているのだろうか。早く彼女を手に入れたいと思う一方で、どこかで彼女が仕掛けてくるであろう奇想天外な駆け引きを楽しみたいと思っている自分もいた。
(俺を存分に楽しませてくれ。だが、この勝負に勝つのは俺だ。必ずお前を手に入れてやる)
昇昊は無意識のうちに右手を力強く握りしめていた。
昇昊は、鬼姫が現れたという辺境にある西野関所まで、自ら赴くことにした。昇昊の腹心でもあり、同腹の弟である昇雲も共に行くという。
さらには、女官長の陳文仙と、宦官で中常侍の魏直が同行する。後宮に関わることであるので、数名の女官と共に蓮音の品定め行くつもりなのだろう。
文仙は、元々は昇昊の乳母であったのが、今では出世して、後宮の女官長を務めるに至ったのだ。皇后もいない、皇子を産んだ妃嬪もいない現状の後宮にあっては、この文仙が実質的な最高責任者といってもよかった。
ちょうどそのとき、異腹の弟の昇霧がやってきて、自分も同行したいと言い出した。
実は、昇霧はこの時を待っていたのだ。
噂の鬼姫が来たのだ。
普段、美女に囲まれておきながら、その女たちにはさほど目もくれず、不細工極まりない女をわざわざ召すとは。兄上は一体何を考えているのだろうか。
とにかく、どれだけひどい姿なのか見て、「いやー、さすがにこれはないわ!」と悪口を叩き、常日頃、兄に対して抱えているうっぷんを晴らしたい。
昇霧は、現皇帝が将軍時代に生まれた最後の子だった。自分の母が身分の低い側女だったこともあり、自身が皇帝になることは諦めてはいる。
だが、帝国が二つに割れている中で、皇帝につくか皇太后につくか日和見中なのだった。あるいは、その二つが共倒れしてくれれば、この僕にも勝機が……!
(最後に笑うのはこの僕だ! 見ていろ、兄貴ども)
優柔不断で知恵にも欠ける癖に、野心だけは一人前な昇霧だった。
(昇霧の奴、鬼姫を見て卒倒するだろうな)
面倒だと思いながらも、嫌味な弟の目論見を見抜き、昇昊は彼の同行を許した。ここで弟のちっぽけな野心をへし折っておこうと考えてのことだった。
彼らは帝国が誇る転移魔方陣を利用して、瞬時に国境沿いの関までやってきた。
蓮音は待たされている間、馬車の窓越しにずっと剣護とおしゃべりをしていた。
外にいる関の兵士たちの目には、馬車の中にいる鬼姫や侍女の姿は見えていなかった。だが、ただの護衛とは思えないような煌びやかな姿の色男が、馬車の中にいる女性たちに媚を売っているようにも見える光景に、兵士たちは堂々と陰口をたたいていた。
「そういえば彩華国の姫って不細工で有名だよな。よくあんな美男子を護衛にしているよな」
「あの男、大した実力じゃないだろう。あんなチャラチャラした恰好しやがって。色仕掛けで今の地位を手に入れたんじゃねえの」
「要するに若い燕ってやつか。いやはや、地位が目当てだとしても、鬼姫はないだろう!」
「同じ男として、別の意味で恐れ入ったな!」
不細工な鬼姫だといわれ慣れている蓮音にしてみたら、こんなのは慣れっこで別に今更どうということもない。
(だけど、そういうお前たちこそ品がないのを、わかっているのかしら?)
しばらくすると兵士たちを引き連れて昇昊と思しき人物たちがこっちに向かってくる姿が見える。
兵士の一人が背筋を伸ばすと、大仰な口上を述べる。
「偉大なる大昇帝国の二代目皇帝であらせられる高昇昊皇帝陛下の御成りである。彩華国の姫は馬車を下りて挨拶なされよ」
剣護は馬車の扉を開けて、蓮音に手を差し出す。蓮音は剣護の手を取りながら馬車を下りた。
蓮音は、馬車の中で般若の面を被り、紅い外套を肩から羽織っていた。やはり、鬼姫と言うからにはこの姿で登場しないわけにはいかない。
伝え聞いていたよりもずっと小柄ではあったが、そこに降り立った紅い髪の鬼の面をつけた女がただ者ではないことは、兵士たちも彼女が纏う空気から感じ取っていた。
それまで悠々と歩いていた昇昊だったが、蓮音の姿を見て一瞬、足が止まる。
あの紅い髪は、あの女の纏う気は、まごうことなき、あの日会った、俺を零点と言い放った女のそれだと。
その時、彼女はこうも言っていた。
「見目麗しい男に、口説かれ、溺愛されたい」
彼女の横を見ると、まさに見目麗しい男が寄り添うように立っているではないか。
昇昊が歩いてくるまでの間、鬼姫はまるで仁王立ちをしているように立ち尽くし、じっとこちらを見ているようだった。
「お初にお目にかかります。昇昊陛下。彩華国より参りました珠蓮音と申します。先ほどお渡ししました文はご覧になっていただけましたか?」
落ち着いた口調で挨拶をする。
「これは、蓮音姫。遠路はるばる大儀であった。案ずることはない。姫のご友人たちは我が城にいる。直接来て確かめるがいい」
蓮音の提案を受け入れるつもりのない昇昊の態度に、そもそも好戦的だった鬼姫が漂わせている炎のような空気が、さらに激くし燃え上がるかのようだった。
昇昊は密かに胸が躍った。
だが、姫の隣にいる男の存在に、妙な胸騒ぎもする。二人の距離感が、ただの護衛と姫のそれではないと誰の目にも明らかだったからだ。
一方、城の兵士をはじめ、昇昊に付き従ってきた面々、特に昇霧などは彼女の醸し出す圧倒的な殺気に押しつぶされそうだった。
(これが、噂に聞く鬼姫か……こんなにも恐ろしい女、不細工だと揶揄うどころではないぞ! そのようなことしたら、間違いなく殺される……)
「蓮音姫よ。その殺気、少し自重してくれ。熱くて敵わん。それから、その物騒な面を外してくれ」
「これは、失礼。この程度でひよってしまうとは、帝国兵も存外、可愛らしいのですね」
ほほっ、と軽く笑う。蓮音は般若の面に手をかけると、サッと取り去った。
帝国の陣営からどよめきが起こる。
今、彼らの目の前に姿を現した天女は一体何者なのだろうかと。
鬼姫は、鬼姫らしからぬ清らかな、だけれどもどこか大胆不敵な笑みを湛えていた。
「こんなはずはない……あの姫は偽物なのでは?」
昇霧が正直な感想をつい漏らす。昇昊はそれに対して堂々と答えた。
「いや、間違いなく本物だ」
先ほどの殺気もそうだが、蓮音は、誰もが恐れる帝国の皇帝を目の前にしてもまるで動じていない。澄んだ翡翠色の瞳でまっすぐにこちらを見つめてくるのだ。
その辺にいる女には到底醸し出すことのできない王者の風格を漂わせていた。
「そうですね。残念ながら、この方は本物でしょうね」
弟の昇雲も、そうつぶやいていた。




