第61話 始まりの晩餐会
蓮音たちの外交はおおむね順調だった。
最初に、かつて草原の覇者と呼ばれていたムンバトを訪問したことが功を奏したようだ。連絡が取れなくなっていた部族同士で話し合った結果、最終的に部族の長たちは、次々と同盟の申し出に応じてくれた。
三日に渡り、昼間は部族を説得して回り、夜は剣護と床を共にして、彼の腕の中で眠った。
四日目になり、明日には旧南黄の部隊が国境に着くという知らせを受けて、二人は開国に戻った。蒼迅ら、ほかの外交団の面々もそれぞれの役目を果たして、一度城に戻っていた。
いよいよ、今夜は、この面子で過ごせる最後の夜、最後の晩餐である。
晩餐の前に明鈴と万梅が体を綺麗にしてくれると言うので、蓮音は久しぶりにゆっくりと入浴することができた。
のだが、二人は蓮音の肌をみて仰天した。体中、あらゆるところにキスマークがあったからだ。
「ちょ、ちょ、ちょ、これは、どういうことですか!? そういうことですかあ!?」
「まあ! こ、これが世にいうキスマークというものですの! こんなところにまで……! なんて生々しいんですの! キャっ」
二人に指摘されて、初めて自分の体がそんなことになっていることに気づいた。
「えっと、これは、これはその……でも最後まではしていないって言ってたから!」
なんとも間抜けな返答をしてしまった。
「こんなところまで、こんなことになっていて、本当に最後までしていないんですか!? 本当の本当に?」
万梅が疑いの目を向けてくる。
蓮音が言っていることが本当だとしたら、ある意味、魔王なのか李公子なのか、とにかく姫様のお相手は恐ろしく辛抱強い男だと万梅は感心した。
数日間、近くに愛する女性がいて、これだけ好き勝手体を漁っておきながら最後までしていないとは。
欲望にまみれた、身勝手な男たちを妓楼で数多く見てきた万梅にとっては、信じがたいことであった。
「ふーむ。これは、実は魔王様の策略かもしれませんね」
「どういうことですの?」
「普通、皇帝の妃嬪、それも皇后ともなれば、当然、生娘であることが求められます。ですが、このようなお体の姫様をみて、生娘だと思いますか? 普通は思いませんよね」
「なるほど、そういうことですのね。そうなると、姫様は皇后にはならずに済むのでしょうけれども、人質はどうなるのでしょうか? 返していただけないのでは?」
明鈴にそう指摘されて、万梅は口元に手を当てて少し考え込むようなしぐさをする。
「そもそも、皇帝昇昊がなぜ人質を取ってまで、姫様を皇后にしようとしているのかというと、おそらくは皇太后とその皇子に権力の座を明け渡さないようにするためです」
「確かに、強国の王女である姫様との間のお子であれば、皇太后が産んだ皇子に対抗できるますわね……」
「だから、すぐに皇后は無理でも、少なくとも妃嬪にしようと考えるはず……」
万梅の言葉に、ふむふむと、蓮音が頷く。
「ただ、男の痕跡がはっきりと残っている姫が生む子は、このままでは誰の子かわかりません。だから、一か月経って姫が身ごもっていないと分かったときにはじめて妃嬪として迎えることができる」
「なるほど! この一か月を利用して人質を救出しようというわけね!」
蓮音と明鈴は、万梅の説明に納得した。あの間者たちがとろうとした作戦を逆に利用したわけだ。
後宮に入る娘、それも妃候補となるものは必ず生娘かどうか確かめる身体検査を受ける。体中に男と愛し合った痕跡があれば、その検査をするまでもなく「クロ」と判断されるだろう。これでその検査さえも回避できることになる。
さすが剣護と思いながらも、彼がつけた跡を見ると、昨夜までのことを思い出し、妙に身体が熱くなる蓮音だった。
明鈴と万梅は、魔王が用意した煌びやかな衣装を蓮音に着せると、最初に剣護が贈った簪を髪に挿した。
金剛石がふんだんにちりばめられたこの簪は、蓮音の髪によく似合ったし、どんな衣装とも相性がよかった。準備ができたところで魔王が部屋に来たので、二人は退出し、先に晩餐の会場に向かった。
「明鈴様、一つだけわからないことがあるのですが、あの跡をつけたのは誰だと思いますか? 魔王様ですか、それとも李公子?」
「それですわ! わたくしもそれが疑問でしたの。姫様は確かに李公子とお出かけになったのに、まだ姫様が戻られてから一度も彼の姿をみていませんもの」
晩餐会の会場にはすでにもう主だった面子が揃っていた。今日はおなじみの獅子将軍もいる。蒼迅も同行した使節団と親しくなったのか、楽しそうに話していた。
明鈴と万梅は席に付き会場を見渡したが、李公子の姿はどこにもなかった。しばらくすると、文官の長である誠正が「姫君と主殿がお見えになります」と主の来訪を告げる。すると、皆一斉に立ち上がって二人が来るのを待った。
蒼迅も扉をじっとみていたが、蓮音と魔王は扉からではなく魔王の転移魔法でひな壇の上にいきなり現れた。
「姫様、主殿ご挨拶申し上げます」
開国の幹部たちは、主とその想い人に頭を下げて挨拶をした。魔王はこの前、李益が座った席に蓮音を座らせるとその横に自分も腰掛けた。
蒼迅は初めて魔王の姿を目にした。
会うまでは「あのやろう、調子に乗りやがって! 一発文句を言ってやるか!」などと息巻いていた。だが、その姿を見ただけで、背筋が凍るようで、かつてないほど掌が汗ばんだ。
魔王は体中に殺気のような危険な気をまとっていて、漆黒の髪が醸し出す「静」と、紅い瞳が巻き起こす「動」がさらにそれを引き立てていた。
姫が燃え立つ炎ならば、この男は凍てつく炎だ。
見るからに筋骨隆々とした身体ながらも、非常に整った美しい顔立ちをしている。その怪しいまでの美貌が、見る者に余計に恐怖を抱かせているような気がした。
(魔王が見るに堪えない醜いぶ男って言ったのは誰だよ! 信じられねえくらい美形じゃねえかよ!)
あんな危険極まりない男の横にいて、ニコニコしていられる姫さんはやっぱり大物だと改めて感心した。
蒼迅は、この魔王が皇帝に会って一言「俺の女に手を出すな」といってその辺を燃やし尽くせばそれで事は解決するのではないかとも思った。
(にしても、この男、どこか誰かに似てんだよなぁ。こんなすげえ男に会ったことはないはずなのによお……)
「今日はいわば最後の晩餐だ。今日ぐらいはいいだろう? 以前話した酒だよ。飲んでみて」
魔王は蓮音に貴腐葡萄酒を勧めた。ほかの酒と比べて甘く飲みやすいのが特徴だ。
蓮音は勧められるがまま、一口飲んでみる。
(これがお酒? すごく甘くておいしい……)
芳醇な香りがしてなんとも舌あたりがいい。すごくおいしいからもっと飲みたい。でも飲みすぎると酔ってしまうと、杯を手にしたまま躊躇する。
「少しぐらい酔っても大丈夫だ。俺もついているし、今日はもう寝るだけなんだから」
ささやきながら、手を重ねられる。魔王を見上げると、彼が微笑んでいる。
(魔王様が笑顔!?)
開国の者たちは驚いた。
そのうちに豪毅がひな壇の前に来て話しかけてきた。といっても魔王は黙って腕を組んで聞いているだけで、一言も話さない。蓮音と豪毅が話しているだけではあった。
すると、蓮音が魔王に、
「ほら、あなたもちゃんと獅子将軍にお礼を言って」
と言い出す。
「いえいえ、姫様、お礼だなんて俺は俺のしたいようにしただけで」
自分に対してお礼をしろと言い出すなんて、これではまた主殿に殺されそうだと獅子将軍は焦った。
その場にいた開国の幹部たちも、姫が魔王様の寵愛をうけているのは承知していた。
だからといって、魔王様に対してあんなこと言ってどうなるのかと、そわそわしながら見守る。
だが、蓮音は諦めない。
「ほら、お礼」
ついに魔王の服の袖をつまんで揺さぶる。
会場内の空気が凍る。寵愛を受けているからといって、これはさすがにやりすぎでは……と。
しばらくすると、観念したかのように魔王はぼそっとつぶやく。
「……感謝している」
「へっ?」
魔王様にお礼を言われて、獅子将軍は最初こそ事態を飲み込めない顔をしていた。
「だから……お前には感謝していると言っているのだ」
「うおー、主殿が俺にお礼をーー!! うおーーー!」
豪毅は、興奮のあまり、大声で叫び、男泣きをしながらどこかに飛び出して行ってしまった。
(だ、誰も死んでいない……それどころか、魔王様がお礼だと!? 何たる奇跡か!?)
幹部たちは号泣し、神に祈りを捧げ、気を失うものさえいた。
「よくできました!」
この時点ですでにかなり酔っていた蓮音は、小さな子どもを褒めるかのように、上機嫌で魔王の頭をなでなでしていた。
「はあ、本当に、あなたには敵わないな」
魔王は、今まで誰にも見せたことのない優しい顔でため息をついた。
(何がどうなっているんだ!? これは奇跡か!? 奇跡に違いない!)
あの魔王様がこれだけ柔らかな表情をしている。
開国の者たちは、本当にあの姫が来てからというもの、驚くことばかりが起きていると感動しきりだった。
食事も進み、しばらくすると蓮音はうつらうつらしだす。魔王は当然のように彼女を抱きかかえて転移魔法で去っていった。




