第58話 結婚の約束
貴蓉の街の散策も二人にとってはとても新鮮で胸が躍るものだった。
毎日、昼夜を問わずに祭りのような熱気を帯びたこの街は、種族や文化を超えた多種多様で雑多なもの、すべてを飲み込み許容する”るつぼ”のような場所だった。
そんな混然とした街にいる二人は、魔王とその客という耳目を集める立場ではなく、ただの恋人同士として自由に振舞いながら、誰の目も気にせずに好きなように街を歩いていた。
もっとも、蓮音は笠で顔は見えないものの、隣にいる剣護は遠目に見ても目に付く容姿のため、そういう点では周囲の視線は集めていた。
たまに露店の店主が「お二人さん!」と店の商品を勧めてくることはあったが、さすがに男女で手をつないで歩いている恋人同士の二人に無遠慮に声をかけてくるものはいない。二人にはお互いしか目に入っていなかった。
「剣護」
「なに?」
「ふふっ、何でもない」
「愛している、娘々」
歩きながら、そんな他愛のない会話を何度も繰り返した。
城下の露店で、具だくさんの煲仔飯で空腹を満たした後、愛玉子を食べて口の中をスッキリとさせた。普段は甘い甘味を好む蓮音だったが、今の二人の甘すぎる時間には愛玉子のさわやかな味わいがちょうどよかった。
食事も済んだところで、二人は城に戻っていた。
花々が咲き誇る庭園を臨む亭子に置かれた長椅子に並んで座ると、蓮音は自然と剣護に身体をもたれる。彼の逞しい胸に頬を寄せているだけで言い様のない幸福感が沸き上がってくる。
蓮音と剣護は、二人が益水の城で別れてから、再開するまでの間にあったことをお互いたくさん話した。話はいつまでも尽きなかった。
「そういえば、どうして本当のことを話そうと思ったの?」
今までの経緯を考えると、彼は並々ならぬ決意のもとに真実を話してくれたに違いない。
「それが……豪毅に『いつまで姫に黙っているおつもりですか? このままでは姫がおかわいそうだ』と諭されてね。まさかあいつの忠告を聞く日が来るなんて思ってもいなかったよ」
剣護は、自分になのか、豪毅になのか、少し呆れるような口調で経緯を話してくれた。
「ふふっ、やっぱり、獅子将軍はいい人だね。わたしの目は確かだったってこと」
「あなたの見る目はともかく、あいつができる奴かどうかは議論の余地がありだな」
「もう、剣護ってば、素直に獅子将軍のこと認めてあげてよ」
蓮音に腕をつつかれて、剣護は「あなたには敵わないな」といって蓮音を抱きしめ、髪に口づけをする。
「ずっとこうしていたい。ずっとあなたを抱きしめていたい。抱きしめて、口づけがしたい」
熱を宿した剣護の紅い瞳が、力強くが長く美しい指が、蓮音を捕えて離さない。蓮音はうっとりした瞳で剣護を見つめて、うんと頷き、目を閉じて剣護の口づけを受け入れる。蓮音は、剣護に口づけされると、身体の奥から熱が沸き上がるようだった。
「わたしも同じ気持ちだけど、でも、どうすればいいんだろう。人質の姫たちをそのままにしておけないし……」
目下、一番の悩みはそれだった。人質の奪還こそが、今回の旅の目的なのだから。その道中で皇帝以外の男に惚れてしまったからといって、帝国に赴かないわけにはいかないのだ。
「心配ない。俺に一つ策がある。あなたには大変な思いをさせてしまうかもしれないけれども、聞いてもらえないだろうか」
剣護の策というのは、簡単に言うと、蓮音が予定通り帝国の後宮に赴き、同盟国の人質の姫や大昇帝国に不満を抱いている属国の姫たちを見つけ出し、彼女たちと一緒に後宮を脱出するというものだ。
どうするつもりなのかはわからないが、剣護も一緒に後宮についてくるというし、皇帝昇昊が蓮音に手出しできないようにするとも約束してくれた。
蓮音が人質や、属国の姫を連れて後宮を出たとなれば、帝国は黙っていないだろう。またしても戦争を仕掛けてくる可能性も高い。
だから、その後は、開国と大陸中央諸国と彩華国を中心とした五か国同盟と、帝国の後宮から救い出した姫たちの祖国である属国で連携して、帝国に対抗するというものだった。
剣護によると中央諸国の中にも人質を取られて無理やり帝国に従わされている国も多いという。明らかにこちらの勢力が強くなれば、帝国と言えども簡単には手出しはできなくなる。
蓮音はおそらく今とれる最良の策であるその案について、本国で蓮音の身を案じているであろう、従兄の伯栄に諮ることにした。
作戦が決まってからは、二人はまたおしゃべりに花を咲かせた。そのうち、蓮音は剣護に寄りかかったまま寝てしまった。剣護は優しく抱き上げると蓮音を寝台に寝かせた。
「おやすみ、娘々。俺の愛しい人。愛しています」
剣護は、額に口づけをしながら、すやすやと寝息を立てて眠る愛する人の寝顔を、いつまでも見守った。
朝、蓮音はとても甘く香しい花の香りに、頬を撫でられて目を覚ました。
薫香に促されてゆっくりと瞼を上げると、目の前には目の覚めるような紅色が広がっていた。
剣護が深紅の薔薇を大量に摘んできていたのだ。
蓮音は「わあ」っと声を上げながら身を起こした。
「おはよう、蓮音姫、あなたを愛しています」
剣護は妙に改まった声で話しかけてくる。
「どうか、私の妻になってください。この命を懸けて、全力であなたを幸せにすると誓います」
花言葉でもある「愛」の挨拶をして、跪きながら薔薇の花束を手渡してきた。
蓮音は少し驚いた表情をしたが、すぐに頬を赤く染め、目を細めると嬉しそうに花束を受け取った。
「おはよう、剣護、わたしもあなたを愛しています。もちろん、喜んでお受けします。どうか末永くよろしくお願いします」
花束から一輪の花をとると、少し香りを楽しんで、剣護の胸元に挿した。そして、相手が何か言葉を返す前に、もう一言付け加えた。
「でも、命は大切にしてほしいな。あなたがいなくなってしまったら、わたしはどうしたらいいの? 誰がその先、わたしを愛してくれるというの? あなたの代わりがほかにいるとでも?」
蓮音は剣護を諭すように、その胸をツンツンと軽く指で押した。
「はははっ、やっぱりあなたには敵わないな。では、こうしよう。命は大切にしながら、全力であなたを幸せにすると誓うよ」
「うん。それでよし」
剣護は、花束ごと蓮音を抱き上げると歓び溢れたといった感じに、一周ぐるりと回った。
「きゃっ、あはははっ」
二人は見つめあいながら笑って、自然と唇を合わせた。
(ああ、今の、この時間が永遠であってくれたならば……)
抑えがたいほどの幸福感に飲まれながら、二人はもう一度唇を重ねていた。




