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花姫恋奇譚~敵国皇帝の后になりたくない紅き鬼姫は、漆黒の魔王に溺愛される  作者: いか墨ドルチェ
第一章 鬼姫の花嫁道中

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第57話 つながる想い

「あなたが救った村だ」


 魔王と一緒に来た場所は、山の麓にある小さいけれども小奇麗な集落だった。


 麦がもうじき収穫を迎えようとしていて、黄金色に輝いていた。家々の庭には果樹が植えられて、イチジクや梨が実っている。質素ながらも清潔感のある服を着た子どもたちが、本と果物の入った籠をもって、何か声をあげながら楽し気に小道を走っていく姿が見えた。


 魔王が連れてきてくれた場所は、異国の珍しい食べ物が並ぶ市場でも、誰も足を踏み入れられない山間の秘境でもなく、何の変哲もないどこにでもありそうな小さな村だった。


 走り去っていった子どもたちをぼんやり見送った後、蓮音(リェンイン)はじっと魔王を見つめた。見つめて、そっと口にした。


剣護(ジェンフー)? (ホン)……剣護? 九番目の手下の九郎(ジゥラン)、紅剣護」


 魔王が何か言う前に、蓮音はその顔に手を伸ばすと、魔王の顔の上半分を覆っている黒い仮面に手をかけた。魔王は抵抗することなく、蓮音が為すに任せていた。仮面の下からは、紅玉のように輝く瞳が現れた。蓮音を見つめるその顔は、よく見知った人のそれだった。


「李公子……!」


 蓮音の目からは自然と大粒の涙がこぼれ落ちた。


 剣護は蓮音の足元に跪くと胸に手を当ててゆっくりと話し出す。


「姫君、申し訳ございません。あなたをたばかるつもりはなかったのです。ただ、本当のことを話す勇気がもてず、今まで黙っていたことをどうかお許しください。八年前、あの山でこの村であなたに助けていただいた子どもは俺です。あなたに生きる力と立派な名前もいただきました。あの時から一心にお慕いしておりました。あなたにお仕えするにふさわしい男となって、恩に報いることだけを考えて生きてきました。ですが、今こうしてあなたを目の前にして、共に過ごす日々の中で、己の欲を抑えられなくなりました」


 そこまで話すと剣護はゆっくりと顔をあげて、蓮音を見つめた。


「どうか、この先もあなたと共に生きることをお許しください。あなたのことを愛しています」

「九郎……剣護……」


 蓮音は嗚咽を漏らしながら涙を流し、彼女が少年に与えた与えた名を口にした。剣護は蓮音の涙を拭おうと立ち上がる。


「剣護!」


 剣護の手が蓮音の頬に届くより前に、名を呼びながら蓮音が抱き着いてきた。剣護は蓮音をしっかりと抱き留め、泣きじゃくる愛する人をなだめるように優しく髪を撫でた。


 蓮音は顔を上げると、うるんだ翡翠色の瞳で剣護を見つめた。


「わたしもあなたが好き」


 背伸びをすると、剣護の右の頬に軽く口づけをした。剣護は一瞬はっとした表情になったが、何か決意したようにもう一度蓮音を強く抱きしめた。


「蓮音姫様、あなたのことを愛しています。あなたを愛しています。愛してる」


 抱きしめながらもう一度決意を込めた声で想いを伝えた。


 何度か愛の言葉を伝えると、抱きしめる力を緩める。右手で蓮音の涙を拭うと、瞼に優しく口づけをする。蓮音は目を開いて、何かを催促するように剣護の顔をじっと見つめた。


 剣護はまたゆっくりと顔を近づけると、額と鼻と頬に次々と口づけをして、「愛してる」とささやくと最後に蓮音の唇を塞いだ。


 どれだけ口づけをしていたかわからなかったが、蓮音は重ねた唇と、力強く自分を抱きしめる腕から剣護の強い愛を感じ、全身がしびれるようであった。こんな幸せがこの世にあるのかと思うぐらい満ち足りていた。


 一度唇を話した剣護は、もう一度蓮音の涙をぬぐいながら話す。


「娘々、俺はずっとあなたの側にいたい。あなたを誰にも渡したくない。あなたを大昇(ダーシォン)帝国の後宮から攫いだすことを許してほしい」


 剣護が何をしようとしているのかはわからなかったが、蓮音もうんと力強く頷く。


「わたしもあなたとずっと一緒にいたい。離れたくない。ずっとこうしていたい。あなたのことが好き」


 自身の願いを伝えると、剣護の胸にすがりついた。


「娘々、全部俺に任せてほしい。必ずあなたとあなたの大切にしているものを守ってみせる。誰にも手出しはさせない。そのために得た力だ」


 剣護はそう伝えると、もう一度蓮音に長い長い口づけをした。日暮れになり、燃え上がるような夕日が重なり合う二人の姿を真っ赤に染め上げていた。


 一方、旧南黄(ナンファン)の寺院では、夕食の時間になり皆が食堂へと集まっていたが、その中には蓮音と李公子の姿がなかった。


「あれ? 姫さんは?」


(まさか、あの色男がどこかに連れ出したまま戻らねえなんてことはねえよな……?)


 それまでは悠々と茶を啜っていた蒼迅だったが、蓮音が姿を現さないことに焦りを見せた。


 それには晴詩(チンシー)が答える。


「本日、姫様は貴蓉(グゥイロン)の城でお過ごしになるとのことです」


「魔王のやつ、また姫さんを呼び出したのかよ」


 蒼迅(ツァンシュン)が愚痴る。いろいろ手助けしてくれることは感謝しているが、相手は女好きとして名の知れた魔王である。これだけ頻繁に蓮音を呼び出すということは、蓮音に気があるに違いないと、蒼迅としては気が気でないのだ。


「……それは、本日はお戻りになられないということでしょうか?」


 明鈴が確認すると、晴詩がおずおずと答える。


「はい、明日の朝にはお戻りになると……」


「ちょ、待ってください、明日の朝ですか!? それって、もしかして今日のお勉強が早速役にたってしまうということですかあ!?」


 万梅(ワンメイ)が興奮しながら話すと、明鈴も鼻息荒めに心の声を思わず口に出していた。


「まあ! まさか、ここに来て魔王様をお選びになったということでしょうか!? もう少しお二人で姫様を取り合っていただきたかったのですがっ。こんなすぐに魔王様を選ばれるとは、かなり意外な結末ですわ!」


「魔王を選んだ? どういうことだよ」


 蒼迅が突っ込んでくると、それには海遠(ハイユェン)がニヤニヤしながら答える。


「蒼迅くん、モテない君には無縁なことだろうが、男女が朝まで一緒に過ごすということはそういうことじゃないかな」

「えっ、はっ? はああーー!!??? なんで急に姫さんと魔王がそんなことになってんだよ! だいたい、姫はあのエセ商人野郎に惚れてたんじゃねえのかよ? クソッ、魔王の野郎!!」


 蒼迅は青筋を立てて拳を握り締めながら、怒りをぶちまける。


「急にではないですし、別に魔王様が姫様にご無体を働いているわけじゃないと思いますよぉー。蒼迅様は魔王様にお会いしたことがないからわからないでしょうが、あれはあれで落ち着いた大人のイイ男でしたしね、香隠(シァンイン)様」

「まあ! そうなのですかあ! 姫様を虜にするぐらいですものね、わたくしも一目お会いしてみたいですわ」


 香隠が答える前に、万梅の言葉に明鈴が頬を赤らめた。噂では醜い男とされているが、本当にイイ男であるならば、一度は拝んでおかねばならない。


「…………? 万梅、今どういう話になっているのか、話が読めないのだが? 選ぶってどういうことだ?」


 一方、急に話を振られた香隠はいまいち今の話の流れがつかめずにいた。


「いや、ですから、姫様は少し前まで李公子と魔王様との間で心が揺れていらっしゃったのですよ~。でも、魔王様を選んだということですよ!」

「揺れる? 選ぶ? なんでそもそもどちらかを選ぶ必要があるんだ?」


 わけわからんという香隠に対して、海遠が「姫様は律儀だからね。好きな男は一人にしないとと思ってるんだよ」と回答する。いや、好きな人は一人にしないとというのは基本的にあんた以外の共通認識だけどと皆内心で突っ込む。


「そういうことか……」


 それまで皆の話をポカンと聞いていた香隠は勝手に得心がいったようだった。


(なるほど、こいつらは気が付いていないということか。あのような末恐ろしい実力の男が何人もいてもらっては困る)


 香隠と、おそらくガクは、李公子の正体に気が付いているのだ。


 仲間たちがそんな会話を繰り広げる一方で、蓮音と剣護は万梅の予想とは異なり、二人で手を取り、二人が出会った山に登ってみたり、一緒に役人を退治した官衙があった町に行ってみたり、旧南黄跡地で思い出巡りをしていた。


 もちろん、剣護も健康的な若い男であり、蓮音と深い仲になりたいとは思っていないわけではない。だが、今は想いが通じ合い、蓮音が自分の名前を呼んでくれ、恥ずかしそうに、そして嬉しそうに自分を見つめてくれ、触れ合って口づけまで許してくれているだけで十分満たされていた。


 その後、二人は貴蓉の城下町を歩いていた。剣護が人間の姿となり、蓮音が笠を被って、二人お忍びの逢引のように。そして、あの時、一緒に益水(イーシュイ)城まで連れて行った三人の様子を遠目に見て回っていた。


 李浩(リーハオ)もそうだが、他の三人も剣護が魔王だとは知らないので、今日は遠くから見守るだけで、声をかけることはなかった。だが、充実した顔つきで働く彼らの姿は、蓮音を心の底から喜ばせていた。


 幼いころ自分が蒔いた種が、こうして花を咲かせたのである。


 目を潤ませながら笑顔を輝かせる蓮音の姿を見ることができて、剣護も幸福に包まれて、かつてないほど気分が高揚していた。


 二人は手を取り、肩を寄せ合いながら、不夜城とも呼ばれる賑やかな貴蓉の街を、まるで二人だけしかいないようにゆっくりと歩き続けるのだった。

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