第56話 秘伝の書
蓮音は、すっかり元気になった姿で皆の前に現れた。
「姫さん、昨日のはさすがにちっとやりすぎじゃねえか、心配したぜ」
蒼迅が、若干呆れ気味の顔で出迎えてくれた。明鈴は、何の種を蒔いたのか、報告してくれる。
「晴詩と相談して、キバナコスモスの種をまいておきましたわ。やっぱり、その土地にとって縁起のよい花のほうが、南黄の人々も喜ぶでしょうから」
「それは、名案ね。ありがとう」
久しぶりに仲間たちだけの、穏やかな時間が流れていた。
「ところで、魔王閣下は何も言わずに帰ってしまったの?」
「たぶんな。俺も姿は見てねえ。そいつしか会ってねえ」
蒼迅が剣護を顎で指しながら答える。剣護はたった一言だけ、「そうだな」と答えた。
(魔王は、わたしを李公子に託して戻ったということ……?)
やはり、二人は特別な関係に違いない。お互いに相当な信頼があるのだろう。
「話がしたかったのに、残念。でも、わたしも寝ちゃったからな」
「そんなに聞きたいことがあるんだったら、やっぱ獅子将軍に頼めばよかったじゃねえかよ」
「まあそうなんだけど。後でわたしから連絡してみればいいことだから」
大きな戦いをした後で、皆も疲れていたし、蓮音の体調も万全ではないだろうということで、その日は一日この寺院で休ませてもらうことにした。
蓮音は寝台の上でごろごろしながら、せっかくのお休みだから魔王に連絡を取ってみようかと考えていた。気になっていることを尋ねて、スッキリさせたかったのだ。
そこへ万梅と明鈴が「姫様、少しよろしいでしょうか」と入ってきた。
「いいけど、なに?」
「ごほんっ。せっかくの機会ですので、ここらで一応お勉強をしたおいたほうがよろしいと思いまして」
「えー、勉強……」
蓮音は正直言ってあまり勉強、というか座学が得意ではない。明らかに蓮音の表情が曇る。
「はい、勉強ですが、割りと楽しいというか、とても役に立つ、いわば実学です」
万梅が自信たっぷりに言う。実学となると、兵法でも教えてくれるのだろうかと思いながら、蓮音はしぶしぶ椅子に掛けた。
「本日、姫様に学んでいただく内容はこちらです」
そういって万梅が一冊の本を差し出し、卓の上に置いた。表紙には「秘」と一文字だけ書いてある。一子相伝の秘術――迷陣の敷き方でも説かれた本なのだろうか? 今更そんなことを学んでも使う機会があるかどうか……。
「で、これをわたしが読めばいいわけ?」
蓮音は何の気なしにぱらっと本の紙をめくる。めくってすぐに閉じた。
「えっ? これ?」
何というか見てはいけないような絵が見えた気がする。
「知らないままそういうことになるよりは知っておいて備えるべきと、私と明鈴様でそういう結論になりました!」
万梅がまたしても自信に満ちた顔で告げる。
「備えるって、わたしは形式的には嫁ぐけど、昇昊とそういう関係になるつもりはないし!」
「皇帝とそういう関係になるつもりはなかったとしても、他の人とはどうですか!?」
「いやいや、皇后なんだから、他の人とどうにもならないでしょう!?」
「本当ですか!? あの二人ともそういう関係にならないと言い切れますか!?」
「あ、あの二人ってどの二人よっ!?」
「あの二人と言ったらあの二人しかいないでしょう!?」
万梅との押し問答は続く。もちろん、蓮音の頭には魔王と李公子、つまりは剣護の姿が浮かんでいる。
「それに、だって、あの人は好きな人がいるっていってたじゃない……」
蓮音は半分拗ねたような顔つきになった。そうだ。いくら愛し合う男女について学んだところで、想い人は別の人に焦がれているのだから意味がないではないか。
「そうですねぇ。それがご自分だとはお考えになりませんか?」
「いや、だって、あんなかっこよくて強い人助けてないし!」
そう言った後で、本当に助けてないのだろうかと考え直す。少し前に、あの時助けた子ども――剣護が魔王なのかもしれないと考え、確認したいと思っているではないか。
さらには、李公子と魔王の姿が蓮音の中で重なって見えてもいる。年齢も性格も背格好も髪の色も違うのに、どうしても蓮音の中で二人が被るのだ。
あれだけ強い魔王なんだから、李公子――人間の若い男に姿を変えることだってできるのかもしれない。
(でも、だとしたら、なんでそんなことを? 黄倉の浄化作戦の際に再会した李浩のように、「あの時お世話になった子どもです!」って出てくればいいのに、どうしてそうしないの?)
魔王の矜持から、女に助けられたなんて表に出せないと思っているのか、それとも、自分が勝手に似ていると思っているだけなのか……。
「じゃあ、魔王様はどうですか!? 絶対に、姫様のこと好きですよね!?」
万梅は譲らない。今度は魔王を恋の相手にあげてきた。
「そんなのわからないじゃない!? それに……」
「姫様、わたくしも最初は不本意ではありました。ですが、もうよろしいではないですか。女人として、素敵な殿方に惹かれるのは自明の理ですわ。ここはもうはっきりさせてしまいませんか? もう時間もないのですよ? このままでよろしいのですか?」
明鈴に言われてはっとする。そう、本当にもう時間はないのだ。大昇帝国の国境まで、あと数日の距離のところまで、この旅は進んでしまっている。国境を越えて帝国に入ってしまうと、李公子や魔王とも気軽に会えなくなる。
「……よくないとは思う」
観念したように蓮音がつぶやく。
「では、しっっっかりお勉強いたしましょう! まぁ、どっちを選んだとしてもあの二人であれば百戦錬磨で問題ないでしょうが」
「……百戦錬磨? 本当にそうでしょうか? 魔王様はともかく、李公子はずっと一人の方を想い続けていたのでしょう? あれだけ一途な方が、一方で女遊びに明け暮れているとは思えませんわ」
「じゃあ、姫様の次は、李公子に勉強してもらうということで!」
「お願いだから、それだけはやめてー!」
蓮音は悲鳴を上げた。
万梅の「秘」講義はあまりにも刺激的だった。せっかくのお休みだから魔王と会おうと思っていたのに、いろいろな絵が頭にちらついてちょっと無理そうだった。
そういえば、少し前に李公子がくれた花があった。あれも今のうちに押し花にしようと思い、明鈴に借りた本を出してきて開いた。たまたま開いたページには挿絵があって、それがまた見てはいけないような絵のように思えた。
恐る恐る本を確認する。表紙には『千人切りの騎士カルロスの一生』とあって、間違いなく明鈴に借りた本だ。
わたしってばあんな話を聞きすぎて、頭の中が全部あんな絵が見えるようになってしまったのだろうかと思いつつも、もう一度適当なページを開いてみる。そこには絵はなかったが、なんとなく文字を追ってみると、ちょっとここでは書けないような内容のものだった……。
最初はなんとなく流し読みをしただけのはずだったのだが、気が付いたらものすごい集中力で、蓮音は『千人切りの騎士カルロスの一生』を読みふけっていた。
「そんなに俺がほしいのか?」
急に本から声がした。
訳ではなく、気が付いたら後ろに魔王が立っていて、蓮音が開いているページを読み上げたのだ。
「君のこっちの口、まるで洪」
「あああああ!!!」
蓮音は大声をあげて、立ち上がると魔王の口を両手でふさぐ。
「ああ、あの、こ、これは、あの!!」
蓮音は真っ赤になりながらパクパク何か言いたそうにするが、焦りすぎて言葉にならない。
「へえ、意外だな。あなたもこういう本が好きなんだ?」
魔王は口元を緩めると、揶揄うような口調で言う。
「いや、違う、そうじゃなくて……もう、違うの!」
挙動不審になって必死に弁解する蓮音がとてもかわいく思える。もっと揶揄いたくなってしまう。
「うん、なになに、『そんなに俺が欲しいならば、自分から』」
「もう、いじわる!!」
蓮音はもう一度魔王の口をふさいだ。
魔王は自分の口をふさぐ手を優しく捕まえて、一度口から話した後、ゆっくりと近づけて手のひらに口づけをした。
「ひゃああ!!」
自分から魔王の唇に触れておきながら、魔王に手のひらに口づけをされると心臓が飛び出そうになった。
「ごめん」
魔王は、今まで聞いたことがないぐらい優しく甘い声で謝ってきた。
「も、もう……。あなたって人は、本当にいじわるなんだから……」
蓮音は目をそらしながらつぶやく。心臓は高鳴ったままだった。
「あっ、というか、勝手に女性の部屋に入るなんてどういうこと!?」
「ごめん。でも、何度か呼びかけたんだけど、返事がなかったから。昨日、無理させすぎたかと思って少し心配になって来てしまったんだ」
「えっ? そうなの?」
(それはやばい、魔王からの念話に気が付かないぐらいこの本に集中していたなんて……恥ずかしすぎる、自分!!)
「それならばもう大丈夫。全然元気だから。あなたがたくさん魔力をくれたおかげで、一度で黄倉も浄化できたみたいだし。本当にありがとう」
それに、魔王に魔力を注がれているのがとても気持ちよかったと伝えようとして、なんだか読んでいた本に登場する女性たちと重なって恥ずかしくなり、それは言わないでおくことにした。
「もし、元気なのだったら、一緒にでかけないか? 案内したいところがあるんだ」
魔王が誘ってくれた。蓮音はうんと頷いて魔王の側に行き、彼に身を任せた。




