第52話 工作活動
魔王は本当に出来た人だ。頼りになるあの人に任せておけば、本当に何もかもがうまくいくような気がする。
だけど、李公子のことについては、「それは自分で何とかするので大丈夫です」とはっきりと断っておけばよかったと蓮音は少し後悔した。
魔王と李公子、二人の間には何らかのつながりがあるのだろう。二人は年齢も雰囲気も性格も異なるのに、なぜかどことなく似ているのだ。もしかして、自分と伯栄のように従兄弟同士とか? だとしても、このような個人的な件に関して、魔王が李公子にとやかく言うのは、やっぱり違う気がする。二人の間に妙な亀裂が入らなければいいのだけれども……。
翌日、別々に宿泊していた皆が集合した際には、剣護も何か吹っ切れたのか、昨日とはうって変わって、いつも通りに「おはよう」と笑顔で挨拶をしてきてくれた。そして、いつものようにさりげなく花を髪に挿してくれた。
「これは?」
「非洲菊という花だよ。可憐な雰囲気があなたにピッタリだろ?」
「ありがとう。でも、髪に挿してしまうと自分では見られないなぁ」
「じゃあ、こっちにも」
剣護は、もう一つ花を懐から取り出すと、蓮音が乗っている馬の頭絡(顔に装着する紐)に挿した。
「これならばよく見えるだろ?」
「ありがとう。すごくかわいい花ね。なんだか、とっても元気になりそう」
「喜んでもらえてよかった」
剣護は優しく微笑んだ。
ガーベラの花言葉は、「希望」と「前進」。大きく花を開かせている姿も相まって、前向きな気持ちを表現する花だ。蓮音は花言葉の意味までは知らなかったが、きっと李公子は、この先も自分と親しくしてくれるつもりなのだろうということだけはよく伝わった。
それにしても、昨日の今日でこの変化である。もしかして、すでに魔王が何らかの話を付けてくれたのだろうか? だとしても、「魔王に何か言われたの?」と聞くわけにもいかない。二人の間に妙な禍根が残っていなければいいのだけれども、李公子の様子からするとそれも平気そうだったので、蓮音は安堵した。
とにかく、これで李公子とも国境を越えるその手前、旅の最後まで今まで通りに過ごせそうだ。多くは望むまい。初めて心に想う人ができた。その人の側で胸をときめかせながら、笑って過ごせるのだ。それだけでも、蓮音にとっては十分過ぎる大きな”希望”に感じていた。
一行が旧帝都の黄倉を目指していると知った間者三人は、頭ごなしに反対してきた。瘴気が立ち込めて魔物の巣窟となってしまっている場所に行こうとするなんて正気の沙汰ではないと。
「あなた方は無理してついてくる必要はない。帝国への道は他にもあるのだから、ここでお別れしましょう」
そう伝えても、何だかんだと食い下がってくるのである。
「姫様を置いて行けるものか! この命に代えても俺は反対する!」
「危ない真似はよしてくれ。君の身に何かあったら僕は生きていけない!」
「俺はどうなってもいい。でも、姫を危険な目に合わせるわけにはいかねえ!」
彼らの演技がかった台詞が蓮音に響くわけもない。
いくら鬼姫とはいえ、黄倉周辺は本当に危険だ。放っておいても蓮音たち一行は自滅するに違いない。が、「危険な場所に行ったので、たぶん、魔物に殺されていますよ」の報告で上が納得するわけはない。蓮音が絶命し、帝国には足を踏み入れられないことを確認すべく三人としてもついて行かなければならず、そうなると自分たちの命も危機にさらされるわけだ。
三人は思案した。そして、次の宿で食事をする際、自分たち含めて全員の食事に睡眠薬を盛ることにした。自分たちだけあらかじめ解毒薬を飲んでおけば、先に目を覚ますことができる。ほかのものが寝静まっている間に蓮音を好きにしてしまおうという計画だった。
その日、一行は、黄倉の近くでは比較的大きな町に宿をとった。町には、黄倉からの避難民が多く住んでいたので、蓮音たちは食事を取りながら、使用人たちにこのあたりの状況を詳しく聞いた。
思った通り、黄倉には大型の魔獣が生息しているようで、それらがこの辺りまで狩りに来ることもあるらしい。町周辺の農地では魔獣による死傷者が頻繁に出るという話だった。この地に住む人々にとっては、死は常に彼らの生活と隣り合わせなのだ。
そんな話を聞いてしまうと、ますます黄倉を放置できないという思いが増した。
黄倉までの道のりの中では、ここが安心して休める最後の町かもしれない。この町で出来る限りの準備をすべく、とりあえずその日はみな早く部屋に戻り休もうということになった。
女性たちの部屋の最初の見張り当番は海遠だったのだが、どうにも身体が重い。自分の当番の時間まで、まだ少し時間があると思い、海遠は寝台に寝転がった。
と、そのまま深い眠りについてしまった。同じようにほかの面々も次々と寝台に横になったかと思うと、眠りに落ちていった。
蓮音も休む支度をしようとするが、どうにも身体が言うことを聞かない。お茶を飲んで頭をすっきりさせようと明鈴に頼むも、いつまでも彼女がやってこない。気が付いたら、蓮音も机に伏せるように眠ってしまっていた。
男部屋で最初に目を覚ましたのは艶路だった。ほかのものがしっかり寝ていることを確認して、仲間の二人を起こす。剣護には苦々しい思いをさせられっぱなしだったので、一発殴ってやりたい気分だったが、それで目を覚まされては元の子もない。護衛たちが熟睡している隙に、姫のもとに向かった。
一番に目を覚ましたものが姫の最初の相手になるという取り決めだったため、艶路は喜び勇んで姫の部屋に乗り込んだ。寝室の手前にある居間で蓮音以外の女たちが眠っていることを確認して、艶路は寝室の扉を開けた。そこには机の上に伏して寝ている蓮音の姿があった。
「よく寝ているじゃねえかよ。んじゃ、ありがたく頂戴するとするか」
艶路は舌なめずりしながら、蓮音に手を伸ばした。
すると、急に目の前が暗くなる。いや、正確には黒ずくめの男が現れたのだ。その暗闇の正体が人であると気が付くよりも先に艶路は顎を鷲掴みにされ、声をあげる間もなく気絶した。
それを見た暑守と冷千が咄嗟の判断で逃げようと、扉に走る。が、それよりも早く背後にいたはずの男は二人の前に来ると、同時に二人の顎を掴み、同じように気絶させた。その後三人に魔術による拘束をかけ、体の自由を完全に奪った。
黒ずくめの男は蓮音を抱き上げて寝台に寝かせる。
「姫君?」
声をかけてみる。蓮音はぐっすりと眠ったままだった。彼の術ですぐに起こすこともできたのだが、男は可憐な眠り姫の前で固まったままだった。
「どうかお許しください」
そうつぶやくと、目を覚まさない姫の頬から唇を指でなぞった。
吸いついてくるような瑞々しい弾力を指先に感じて、そのままよく熟れた果実のような唇に口づけをしたくなる。少しの間思案した後、男は眠り姫に顔を近づけ、吸い寄せられるように頬、瞼、額、髪にゆっくりと口づけをした。その後、男は顔をあげると姫の手を取り、自らの両手で包み込んだのち、大切そうに手の甲にも口づけをした。
男は深いため息をついたのち、姫の眠りを解除する術をかけた。
「……姫君?」
もう一度、眠り姫を呼ぶ。蓮音はゆっくりと目を開けた。
「あ、あれ? 小虎? どうしてここに?」
目が覚めたばかりで事態を把握できずにきょとんとしながら蓮音が尋ねてきた。
魔王は現状を掻い摘んで説明した。蓮音は寝ぼけ眼のまま、寝台に体を横たえた状態で彼の説明をぼーっと聞いていた。
「そっか……また、助けられちゃったね。いつもありがとう」
蓮音はまだ半分眠そうな顔で軽く微笑みながらそうつぶやくと、小さくあくびをした。
「まだ、起こさなかった方がよかったかな?」
眠そうな蓮音を見て魔王が返す。
「ううん、起こしてくれてありがとう。でも、やっぱりちょっとまだ眠いかも」
「俺がここにいるから、安心して休むといいよ」
そう魔王に促されて、蓮音は素直に「うん、ありがとう」と言うと目をつぶった。
先ほど、自分は寝ている姫に触れ、口づけまでした。自分で「安心して休むといい」などと言ったが、一番危険なのは俺じゃないか。なのに、彼女は、そんな自分を信頼してくれている。
そう思うと、あまりにも彼女が愛しくて、思わず手を伸ばして紅い艶やかな髪をなでている自分がいた。蓮音は寝ぼけ眼でゆっくりと目を開けた。
「ごめん、つい。起こしてしまったよね?」
やってしまった。慌てて手を戻そうとすると、蓮音が手を掴んできた。
「あなたの手っておっきくて、優しい手。父上みたい……。もう少しだけこうしていてほしい」
まどろみながらそう告げると、蓮音は再び目を閉じた。
(ああ、幸せだ……)
魔王はしばらく蓮音の髪を撫でた。そのうち蓮音の穏やかな寝息が聞こえてくる。
「愛しています。誰よりも、あなたを。あなただけを愛しています」
魔王はそうささやくと、もう一度だけ眠る姫のこめかみに口づけをした。




